新・ことば事情
「ミヤネ屋」のテロップのチェックをしていたら、街頭インタビューで答えた人の言葉をスーパーでフォローしたものの中に、
「ベチャッて」
というのがありました。これ、どこがおかしいと思いますか?そう、この場合の擬態語(オノマトペ)は、
「ベチャ」
なので、「というふうに」の意味の「って」の小さい「っ」は、
「平仮名の小さい『っ』」
出なくてはなりません。つまり、
「ベチャって」
とするのが正しいというわけ。それで直して問題はなかったのですが、ここで私が「おや?」っと思ったのは、もしこれが、「て」で受けるのではなく「と」で受けると、
「ベチャッと」
という風になって、「と」の前は、
「カタカナの小さい『ッ』」
になるのではないか?と思ったからです。つまりこの場合の擬態語は、
「ベチャッ」
というように「小さいッ」までだと考えられます。なあんでだろ?何でって言われても・・・。そう感じるんです私は。
ところで最近、テロップの発注を見ていると、
「擬音語・擬態語を『平仮名』で書いてくる傾向が強い」
というように感じるのです。わたしなら「カタカナ」で書くところなんですけど。
皆さんは、いかがですか?
(2015、6、16)
2015年6月18日 11:23 | コメント (0)
新・ことば事情
「ミヤネ屋」のディレクターから質問です。
「『バスタオルを毎日かえる』という場合の『かえる』は、『替える』でしょうか?『換える』でしょうか?」
うーん、難しい。こういうときは『新聞用語集2007年版』を引いてみましょう。「かわる」を引き、「換」と「替」の用例を見ると、
*「換わる・換える」(換金、還元、交換、置換、転換)言い換え、置き換え、書き換え、金に換える、それに引き替え、取り替え、乗り換え、配置が換わる、人質と引き換えに
*「替わる・替える」(変・換以外の場合)井戸替え、入れ替え、入れ替わる、買い替え、替え歌、替え玉、替え地、額を掛け替える、掛け替えのない人、組み替え、(遺伝子の場合は「組み換え」)、衣替え、芝の植え替え、すり替え、二の替わり、日替わり、振り替え輸送、ポイントの切り替え、模様替え
そこに私が手書きで、
「手を替え 品を替え」
と書き込んでいました。
それを見ながら考えたところ、こんなアイデアが浮かびました。
「『換』は、場所を変えたり、違う物を持って来たりで、『書き換え』は違う内容を書くわけでしょ。『金に換える』も『何かの物を、金(きん・かね)に換える』というように『違う物に換える』ことを言うのに対して、『替』は、『衣替え』にせよ『日替わり』にせよ、『服』『定食』のように『同じ種類の枠=カテゴリーの中でかえていく場合』ではないか?そうすると、今回も『バスタオル』というのは同じカテゴリーの物を、洗いたての物・新品の物にかえていくので、『替える』なのではないか?」
と説明したところ、ディレクターも納得して、
「では『バスタオルを替える』でいきます!」
と答えました。ちなみに『新聞用語集2007年版』を、もう少し先まで読むと、
『(注)「替」か「換」か迷うときは「替」を使う。』
とありましたから、いずれにせよ、
「替える」
でいいんだなと思いました。
(2015、6、15)
2015年6月17日 21:22 | コメント (0)
新・ことば事情
『ゴーン・ガール(上)』を読んでいたら、191ページに、
「プルプルと揺れるできたてのエッグ・ベネディクト」
という文章が出て来ました。この、
「エッグ・ベネディクト」
という料理が分かりません。
調べて見ると、
「イングリッシュマフィンの上にベーコンと温泉卵を載せたようなもの」
のようなんですが。
平成ことば事情5776で書いた「キャセロール」は、辞書に載っていましたが、さすがに「エッグ・ベネディクト」は載っていないみたい。
海外の小説を読むときには、こういった「知らない料理」を知ることが出て来るのも、まあ、楽しみですね。
)
(2015、6、16)
2015年6月17日 17:21 | コメント (0)
新・ことば事情
『ゴーン・ガール(上)』を読んでいたら234ページに、
「キャセロール料理」
という"知らない言葉"が出て来ました。調べて見ると、「キャセロール」とは、
「フランス語で『鍋』」
のことだそうです。韓国語なら「チゲ」ですね!つまり、私の理解では、
「洋風煮込み料理」
のことを「キャセロール料理」というのではないでしょうかね?
何と、『精選版日本国語大辞典』には、載っていました。さすが!
*「キャセロール」=フランス料理で使う、鉄または同、陶製のソース鍋。また、その鍋を使った料理」
あ、『広辞苑』も載ってるわ。
*「キャセロール」=使用料理の蓋つき厚手鍋。陶器製やガラス製が多い。また、それを用いた料理。
念のため『三省堂国語辞典』。あ・・・・載ってる。
*『キャセロール』=(西洋料理用の)ふたつきの厚手のなべ。また、それを使った料理。
どうやら、「キャセロール」を知らなかったのは、私だけのようです・・・
(2015、6、16)
2015年6月17日 11:21 | コメント (0)
新・読書日記 2015_081
読売新聞の水曜日の家庭欄に連載されている「なぜなに日本語」が本になりました!
毎週、記事をスクラップしていますが、右側のページにはその記事が、左側のページには、より詳しい解説が載っています。見開きで理解が深まるというわけ。
著者の関根さんは読売新聞の用語幹事で、新聞用語懇談会で、年に何度かお会いします。先日の会議でもお会いして「本を送ってくださって、ありがとうございます」とお礼を言った時には、
「連載記事では、できるだけ"文法の説明"は載せないようにしたので、その辺りを補う形で左側のページを書いた」
と仰っていました。
小学生は右側のページだけ読んでもいいし、中学生以上は左側のページを中心に読むと、読みやすくて理解も深まるのではないかと。親子で読んでもいいですよ!大人も子どもも、勉強になる一冊!おすすめです。
(2015、5、18読了)
2015年6月16日 21:34 | コメント (0)
新・ことば事情
2015年5月6日、高校2年生(16歳)が、運転するバイクが転倒し、後ろを走っていた20歳の友人の車に轢かれるという事故のニュースをABC・朝日放送が流していました。
その際に、後ろを走っていた車を運転していた20歳の男の話として、
「バイクが転倒したが、さけきれなかった」
というような原稿を読んでいました。それを聞いて私は、この場合は、
「よけきれなかった」
ではないかと思いました。
「避ける」
と書いて、「さける」と読むのか「よける」と読むのか?その違いは何なのか?考えてみました。ちなみに「常用訓」では、
「さける」
しかありません。「よける」は「表外訓」です。
これはあくまで「私の語感」ですが、
*「さける」=困難なことや不都合なこと、嫌いなことを事前に察知して、それに遭遇しないようにすること。
*「よける」=自らの進む方向から自分のほうに向かって、危険なこと・汚いものがある・やって来るのに、その方向に向かわざるを得ないときに、その事物をかわして進むこと。
というようなニュアンスがあるのではないでしょうか?
いかがでしょうか?
(2015、6、16)
2015年6月16日 20:53 | コメント (0)
新・ことば事情
5月18日の「かんさい情報ネットten.」のお天気コーナーで蓬莱さんが、
「積乱雲は厚くなって光が通らないので、暗っぽくなる」
と言いました。この、
「暗っぽくなる」
は、ふつうに、
「暗くなる」
でよいと思いました。「暗っぽい」は、
「幼児っぽい」
言い方ですね。
しかし最近、この、
「~っぽい」
は、よく耳にします。「幼児っぽさ」は「親しみやすさ」に通じますが、逆に、
「信頼性」
は下がります。やはり、言葉の使い方は「TPO」を考えるべきでしょう。
(2015、6、12)
2015年6月12日 15:43 | コメント (0)
新・ことば事情
突然ですが、急にひらめきました!
「若かりし」
という言葉は、
「若くありし」
が縮まった言葉だ!と。
以上!
(2015、5、20)
2015年6月12日 11:40 | コメント (0)
新・ことば事情
年金情報がウイルスによって125万件も流出したニュースで、6月4日の他局のお昼のニュースで国会記者クラブから「マイナンバー制度」への影響について伝えていた若い男性記者が、
「マイナンバー制度の実施も、ままなんない中」
と言ったのに、耳が反応しました。もちろん、これは、
「ままならない中」
ですよね。「ら」が「ん」になってしまった訳で、ちょっとカツゼツが甘かっただけかもしれませんが、それにしても、「ままなんない」って言葉は、
「とっても俗っぽく聞こえます」
よね。丁寧に、注意して伝えないとね。他山の石、他山の石。
(2015、6、4)
2015年6月11日 16:48 | コメント (0)
新・読書日記 2015_080
『ゴーン・ガール(上)』(ギリアン・フリン、中谷友紀子・訳、小学館文庫:2013、6、11第1刷・2014、12、16第5刷)
3月にスペインへ行った時に、飛行機の中で見た映画の一つ。公開は去年の年末だったらしいが、見ていなかった。これはコワイ映画でしたねー。つい、帰って来てから本屋さんで原作の翻訳本見つけたので、買ってしまったじゃないの。
翻訳本にしては読みやすく(それは、先に映画を見たからかもしれないが)、と言っても、それほど一晩で読めるほどでもなく、まだ「上巻」なのだが、映画には出て来なかった部分で、主人公が「村上春樹」の本を読んでいるところとか、料理の名前とか、ニューヨークと田舎の違いとか、より幅広く感じて楽しむことができる。
今はね、いつ、「妻」の本性が現れるか、ドキドキしながら「下巻」に入ったところです。
(2015、5、29読了)
2015年6月11日 14:38 | コメント (0)
新・読書日記 2015_079
『時間と学費をムダにしない大学選び2016最辛ガイド』(石渡嶺司・山内太地、中央公論新社:2015、3、25)
4月に著者の石渡さんに会った時に頂きました。分厚い一冊。
裏表紙の謳(うた)い文句は、
「偏差値、知名度、立地にイメージ その基準で後悔しない?重要なのは『卒業後』」
「就きたい仕事のジャンルから選べる進路案内の決定版」
マスコミ、公務員、司法、教師・教育、福祉・心理、から、医師・歯科医師、看護・医療・薬学、建築・インテリア、アニメ・マンガ・ゲーム、スポーツまで、19の分野に分けて、どの大学を受けたらいいかを、微に入り細を穿ち紹介。しかも、第20章は、なりたい職業がわからないというコーナーも。マスコミを読んでみた。フリーアナウンサー(成功)、(失敗)って、辛口や!
それにしても、すごい情報量です!
(2015、5、10読了はしていません)
2015年6月11日 11:37 | コメント (0)
新・読書日記 2015_078
『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子、講談社、2011、10、12)
この本も出てすぐに購入しが、読むのは後回しになっていて、気付けば4年近くもたっていた・・・。ツイッターで、校閲のお仕事をしている方が、
「主人公は、フリーの校閲の女性」
と書いているのを読んで、読んでみる気になって、読み始めたら2日で読んでしまった。
女性作家の、30代女性が主人公の恋愛小説。という意味でも読んだ感じでも、川上弘美の「センセイの鞄」や、小川洋子の「博士が愛した数式」を彷彿させる。相手は物理の先生だしね。ビニル、ジーバンといった表記に、時代と個性を感じる。"こじらせ女子"の初恋物語。青春モノだな、その意味で。
(2015、5、18読了)
2015年6月10日 21:35 | コメント (0)
新・ことば事情
5月28日の「ミヤネ屋」で、藤原紀香さんと片岡愛之助さんが同棲しているというニュースをお伝えしました。そのことを報じた女性誌の表紙の見出しが、
「同棲愛」
でした。え?
「ドウセイアイ」?
それって、
「同性愛」
と間違うじゃないですか!ややこしい「同音異義語」なので、スーパーでは使わないようにしました。でも、きっとネットなどでは使われているんだろうな。グーグル検索では、
「同性愛」=327万件
「同棲愛」= 29万件
でした。「10分の1」とはいえ、「29万件」も出て来るんですね、「同棲愛」。
「同棲愛」は「同性」とは限らないと。ああ、ややこしい!
(2015、6、9)
2015年6月10日 16:30 | コメント (0)
新・ことば事情
6月3日、自衛隊のヘリコプターが誤って沖縄・那覇空港の滑走路の前の上空を横切り、離陸直前の民間飛行機が、離陸を急遽中止し、後ろから着陸して来た旅客機との距離が、わずか400メートルという事態が起きました。
国土交通省は、大きな事故につながる可能性がある、
「重大インシデント」
として、事故調査官を派遣しました。
最近、時々ニュースに出て来るこの
「『インシデント』という言葉の意味が分かりにくい」
という意見が視聴者から入ったが、各局はどのようにこの言葉を使っているのか?という意見&質問が、4月下旬に開かれた用語懇談会放送分科会の席で出ました。その際は、
「『大事故につながる恐れのある』など説明をつけながら使っている。」(MBS)
という意見に代表されるように、各社とも説明を付けて「インシデント」を使っているとのことでしたが、中には、
「『言い換えを考えないといけない』というデスク・クラスの議論もあるが、法的に決まっている言葉なので、難しいという話に・・・。」(テレビ朝日)
という意見も出ました。
きょう(6月4日)の各局のニュースを見ていたら、
「重大なアクシデントにつながりかねない『重大インシデント』」
と、なんだか"重複感満載"の表現で放送している局もあり、視聴者の方が、
「よく分からない」
というのも、よく分かります(?)
「"重大な事故の一歩手前"の『重大インシデント』」
で、いかがでしょうか?これでも「重複感」がありますが・・・。
(2015、6、9)
2015年6月10日 14:26 | コメント (0)
新・読書日記 2015_077
単行本は2012年12月刊行。
水道橋博士には、東日本震災までは「ミヤネ屋」にご出演頂いていた。単行本が出たときは、表紙の絵が結構グロテスクだったので買わなかったのだが、文庫本が出てから、博士の関連のツイッターでかなり呟かれていて、評判も良く「これは読むしかないな」と。
読んでみたら、ものすごく計算された文章はサービス精神に富んでいて、「おもしろい」と同時に思わず「うまい!」と思ってしまいます。技巧的に過ぎるきらいもあるが、それも「プロのサービス精神」のなせる技だと。
文庫版のあとがきのオードリー若林の文章も、大変評判が良く、これは先に本屋で立ち読みをしたのだが、真摯な芸人精神というものが感じられた。それは博士への、否、芸人全体へのリスペクトによるものだと感じた。
(2015、5、10読了)
2015年6月10日 11:34 | コメント (0)
新・ことば事情
今年2月に開かれた新聞用語懇談会の放送分科会で、毎日放送の委員から、こんな質問が出ました。
「ゴルフ中継などで、スコアが同じ選手を指して例えば「2位タイグループ」という言い方はしますか? 『タイ』と『グループ』で重複感があるので使うべきでない、という意見がありますが...。」
これに対して各局の委員の回答は、
(NHK)ニュース原稿では出て来ない。「2位タイ」にして「2位タイに、松山選手を含め○人」などしている。スポーツデスクにも聞いたが「耳にしない。使わないことにしている」とのことだった。
(日本テレビ)ゴルフの実況アナウンサーに聞いたら、「○アンダーは2位タイです」のように言うが、「その『集団』を表す場合には『2位タイグループに入って来ました!』のように使う」とのことだった。
(フジテレビ)実況では使う。原稿では使わない。
(テレビ朝日)スポーツニュースデスクに聞いたら「『○位タイグループ』は使わず、『○位タイ』とする」とのことだった。
(テレビ東京)ゴルフ実況アナウンサーに聞いたところ「同じスコアが3人以上いる場合には『○位タイグループ』は使う」とのことだった。
(WOWOW)LPGA実況担当のフリーアナウンサーに聞いたところ「使っている」とのこと。私も聞いた覚えがある。使ってもいいのではないか?
(共同通信)過去に使用事例なし。
(ABC)決まりはないが「2位タイ」「2位グループ」としている。
(ytv)実況アナウンサーに聞いたところ、「使ったことはないが、聞いたことはある」と。「2位タイに、○人います」でもいいのでは?
(TVO)「2位タイ」は「順位」、「2位グループ」は「人数」なので「2位タイグループ」としても、重複ではないと思う。
(読売新聞)紙面ではほとんど出て来ない。「タイグループ」は、読者にはわからないと思う。
(KTV)厳密には「重複」だろうが、実況には出て来る。口語的には許容か。「2位タイ」=「その人(選手)」のこと、「2位グループ」=「全体」を指す気がする。
ということでした。
最後のKTVさんの意見が、ズバッと核心を突いているように感じました。
(2015、6、4)
2015年6月10日 10:06 | コメント (0)
新・ことば事情
2015年4月に開かれた新聞用語懇談会の放送分科会で、私がした質問です。
★イスラム過激派組織の名前の表記について
ケニアの大学を襲撃した「イスラム過激派組織の名前の表記」が各社バラバラです。
ネットニュースやOA・各紙面などで調べたところによると、
*「アルシャバブ」=日本テレビ・毎日新聞
*「アル・シャバブ」=読売新聞
*「アルシャバーブ」=フジテレビ・テレビ東京・産経新聞・日経新聞・共同通信・
時事通信
*「アル・シャバーブ」=TBS
*「アッシャバーブ」=NHK
*「アッシャバブ」=テレビ朝日
*「シャバブ」=朝日新聞
と「7種類」もありました。 大きく分けると、
(A)「・」が入るかどうか?
(B)「バ」を「-」で伸ばすかどうか?
(C)定冠詞「アル」をそのまま読むか、原音に近くリエゾンして「アッ」とするか?
(D)定冠詞の「アル」を省く
の4通りだと思います。 私は「アル」はアラビア語の「定冠詞」で、「アルカイダ」「アルジャジーラ」などには付いているので、付けるべきだと思いますが、それを文字通り「アル」と読むのか、実際に話しているのを聞くと、おそらくリエゾンのように「アッ」と促音のように聞こえるのでしょうが、なんとか統一できないものでしょうか?
これに対する各社の委員の回答です。
(TBS)当初は「アル・シャバーブ」だったが、4月22日に「アルシャバブ」に変更した。
(テレビ大阪)公安調査庁のHPを見たら、「アル・シャバーブ」だった。
(MBS)TBSに準拠(「アル・シャバーブ」→「アルシャバブ」)。ラジオ原稿は原則「共同通信」に準拠なのだが、それだと呼び方が違う(共同は「アルシャバーブ」)ことになるので、そこだけはTBSに準拠している。
(テレビ朝日)外報部長がアラブの専門家なので話を聞いたところ、「シャバーブ」が原音に近く「若者」の意味。アラビア語の定冠詞は「アル」だが、単語にくっついた場合には促音化する場合もあり、「アッ」となる。「タリバーン / タリバン」「アルカーイダ / アルカイダ」はアクセントのある場所を「-」で表しているが、テレ朝では、これは短く「タリバン」「アルカイダ」を採用している。そういったことから、促音を使い、伸ばさず「アッシャバブ」にしている。
(NHK)発音優先で「アッシャバーブ」を採用。2009年の原稿から「アッシャバーブ」だが、その頃の原稿を検索すると「アルシャバブ」も9件、出て来た。
これも、容易にまとまりそうもありませんね・・。
(2015、6、4)
2015年6月 9日 22:05 | コメント (0)
新・ことば事情
平成ことば事情5657「ワウリンカか?バブリンカか?」の続報です。
2015年2月に開かれた新聞用語懇談会の放送分科会で質問してみました。
『テニス全豪オープンでの、錦織選手の準々決勝での相手は、「ワウリンカ」「バブリンカ」どちらの表記・発音を使っているでしょうか?
(読売テレビ)「ワウンリンカ」
(NHK)「バブリンカ」
(読売・朝日・毎日・共同通信(=産経・日経)「ワウリンカ」
でした。』
各局の委員の回答は。以下の通りでした。
(NHK)「バブリンカ」。スイスの選手なので、ドイツ・フランス語の「現地読み」の原則に従っている。
(日本テレビ)「ワウリンカ」
(TBS)共同通信準拠で「ワウリンカ」、「マリー」。
(フジテレビ)「ワウリンカ」
(テレビ朝日)「ワウリンカ」
(テレビ東京)「ワウリンカ」
(WOWOW)「バブリンカ」。ドイツ系スイス人なのでドイツ語読みすると、実況アナウンサーが話していた。「英語」と「現地読み」で名前が違うケースがある。たとえば、
(英語) (現地読み)
エドバーグ エドベリ
ドキック ドキッチ
など。ただ、「テニス」は「英語」が標準だ。松岡修造氏は、NHKとWOWOWで解説をするときは「バブリンカ」と言い、テレビ朝日で解説する時は「ワウリンカ」と使い分けているので偉い。また、審判がどうコールするかも考慮すべきだ。
(共同通信)「ワウリンカ」。「共同記者ハンドブック」では、「現地の発音に近い音」を採ることになっており、それによると、ドイツ語の「W」は「ワ」。ファーストネームも共同は「スタニスラフ」としているが、NHKは「スタン」だ。ウィンブルドン大会のサイトでは、英語で「STN(スタン)」となっていた。
(NHK)ATPのサイトは「スタン」で登録されている。
(ABC)「ワウリンカ」、「マレー」。
(MBS)「ワウリンカ」だが、スポーツアナウンサーに聞くと「ちょうど『ワ』と『バ』の中間なんだよね」と。
(KTV)「ワウリンカ」
(TVO)昔、現地音で「クライシュテルス」という選手が、大会の英語表記で「クリスター」となっていて、まるで別人のようだった。
(読売新聞)「ワウリンカ」。スイス人なので、ドイツ語の「W」で「ワ」。フランス語の「W」は「ヴ」。フランス人に「W」が付く人がいるのか?「スタニスラフ」は、登録名を「スタン」に変更した。
ということで、統一は難しそうですね。
(2015、6、4)
(追記)
そのワウリンカ選手が、全仏で、ジョコビッチ選手を破って初優勝を果たしてしまいました!すごい!これで、統一されるかどうか・・・。
グーグル検索では(6月9日)、
「ワウリンカ」=137万0000件
「バブリンカ」= 43万2000件
ということで、
「ワウリンカ:バブリンカ」=「3:1」
ぐらいで「ワウリンカ優勢」でした。
(2015、6、9)
2015年6月 9日 19:56 | コメント (0)
新・ことば事情
韓国で、
「中東呼吸器症候群」
という病気で、死者が2人出ました。「ヒトコブラクダ」から飛沫感染するそうで、
「MERS」
という略称で呼ばれています。致死率が40%(!)だそうです。
「ME」は「Middle East(中東)」、「R」は「Respiratory(呼吸器)」、「S」は「Syndrome(症候群)」です。
6月1日のニュース(どこの局か、メモを忘れたのですが)では、
「マース」
と言っていたのですが、翌6月2日には日本テレビ『スッキリ!!』で、上重聡アナウンサーが、
「マーズ」
と"濁って"読んでいました。「朝日新聞」のサイトは、
「中東呼吸器症候群(MERS=マーズ)」
と、やはり濁っていました。その他のメディアも、私が見た限りは、
「マーズ」
と濁っていました。また、NHKのサイトは
「MERSコロナウイルス」
と病気の原因のウイルスの名前を記していました。
以前、似たような名前の病気が流行りましたよね、そう、
「SARS(重傷急性呼吸器症候群)」
です。その「SARS」も、
「SARSコロナウイルス」
が原因です。「SARS」については「2003年」(もう12年前!干支が一巡している!)に3回にわたって、私も「平成ことば事情1142&」1156&1194」で書いていますが、これの呼び名も当初は、
「サース」「サーズ」「エス・エー・アール・エス」
など、いろいろだったという話ですが、今回は
「SARS(サーズ)」
の前例があったので、比較的早く、
「MERS(マーズ)」
に落ち着いた感じがします。病のほうも、早く収まってほしいです。日本にも入って来ないでほしいのですが。
それにしても「マーズ」と聞くと、どうしても、
「マーズアタック」
という映画を思い出してしまいます。この「マーズ」は、
「Mars」
つまり「火星」で、火星人が攻めて来るコメディー映画(1996年)なんですが・・・。
(2015、6、3)
2015年6月 4日 11:07 | コメント (0)
新・ことば事情
先日、歯医者さんに行ったら、治療中に先生が、
「こういうのを、ほうっておくと、昔で言う『歯槽膿漏』になっちゃうんですよ」
と言われました。この「昔で言う」が引っかかったので、
「今は、何て言うんですか?」
と聞くと、
「今は『歯周病』と言いますね」
と。あ、「歯周病」、知ってる!あれって「歯槽膿漏」の言い換えだったのか!
そういえば最近「歯槽膿漏」って、あまり聞かなくなったと思ったら、そういうことだったのね。たしかに「漢字が難しい」ですしね、「歯槽膿漏」は。「歯周病」のほうがわかりやすいし、漢字も簡単で、何より「歯周病」と「病」が付いてるから、
「病気なんですよ!」
ということがよく分かる。「病気」だと治そうと思うけど、そうでなければ「まあ、いいか」ってなりますもんね。
グーグル検索では(6月3日)、
「歯槽膿漏」=54万7000件
「歯周病」=146万0000件
でした。ちなみに、あす「6月4日」は、昔で言う、
「虫歯予防デー」
現在は、
「歯と口の健康週間」
だそうです。詳しくは「平成ことば事情5107虫歯予防デー」をお読みください。
(追記)
この話自体は少し前のことだったのですが、「歯槽膿漏は死語」というメールのメモが出て来て、
「あれ?この話、まだ書いてなかったかな?」
と思って書いたのですが、NHKの原田さんから、
「平成ことば事情5712『歯槽膿漏』と内容が一部、かぶっているのでは?」
とご指摘を頂き確認したところ、「丸かぶり」でした・・・・。既に書いてたんだ。2か月前に。すっかり忘れておりました。4月10日に書いてナンバーが「5712」で、6月3日に書いて「5765」ですから、
「54日間で53ネタ書いた」
と。ほぼ「1日1つ」のペースですね!でも、1つは「ネタかぶり」でしたが。
まあ「虫歯予防デー」との関連も書けたし、いいか。
ちなみに、そのきっかけとなった、
「昔で言うところの『歯槽膿漏』になっている左上奥の銀歯2本」
の現状ですが、無事に外してもらい歯石などもスッキリときれいにしてもらい、10日ほど銀歯が2本ない不便な状態が続いていましたが、昨日の「虫歯予防デー」(古いっちゅうに)に「仮付け」をしてもらい、一晩経ちましたが順調です!
(2015、6、5)
(2015、6、3)
2015年6月 3日 21:06 | コメント (0)
新・ことば事情
6月2日のNHKのお昼のニュース(関西ローカル・大阪放送局)を見ていたら、若い女性アナウンサーが、
「咲くやこの花館」
のことを、
×「サ\クヤ・コ/ノハナ\カン」
という気持ち悪いアクセントで読んでいました。もちろん正しくは、
○「サ/ク\ヤ・コ/ノハナ\カン」
です。早速、うちのアナウンス部の皆さんに、注意を促すメールを流しました。同じようなニュースを読む可能性がありますからね。
ついでに、大阪市の
「咲くやこの花賞」
や、その関連で、
「コノハナサクヤビメ(ヒメ)【木花咲耶姫】」
のことも、この機会に調べてみてはいかが?と促しておきました。
「咲くやこの花」の「咲くや」が、
「サクラ(桜)の語源」
という説もあるんだそうですね。知りませんでした。勉強になりました。
(2015、6、3)
2015年6月 3日 17:04 | コメント (0)
新・ことば事情
6月1日、自民党・衆議院議長で前・衆議院議長の町村信孝氏が、脳梗塞のため亡くなりました。70歳でした。お悔やみ申し上げます。
それを伝える6月2日「ミヤネ屋」のフリップで、町村氏の略歴を紹介したものの中に、こんな文章が。
「2000年 初代文科相(第2次森改造内閣)」
これを見て「おやっ?」と思いました。というのも、「省庁再編」が行われたのは、
「2001年1月6日」
だと覚えていたからです。そうすると「2000年」に「初代文科相」はおかしい。
そう思って調べてみたら、第2次森改造内閣は、
「2000年12月5日」
に発足しており、「省庁再編」後もそのまま継続していました。そうだとすると町村さんは、
「最後の文相(=文部大臣)」
であると同時に、
「初代文科相(文部科学大臣)」
でもあるということですね。それが分かるようにフリップを直すように、ディレクターに指示しました。そこで、若い(と言っても、もうすぐ30歳)ディレクターから質問が。
「『文相』の読み方は『ブンショウ』ですか?『モンショウ』ですか?」
あ、どっちだっけ・・・たしか「ブンショウ」だと思うけど・・・ずい分前の話だし・・・と慌てて、
『三省堂国語辞典・第7版』(2014年1月)
を引きましたが、最新のものは、やはり「文科相」しか載っていません。そこで、ちょっと古い、
『新潮現代国語辞典・第2版』(2000年2月)
を引くと、「文相」が載っていました。読み方は、私の記憶の通り、
「ブンショウ」
でした。他の辞書も引いてみると、
『新明解国語辞典第6版』(2012年1月)は、『新潮現代国語辞典』より新しいのに、
「文相(ブンショウ)」
は載っていましたが、新しい「文科相」が載っていません。「第6版」が出た時点で、もう「省庁再編」から10年以上たっているのに、これはちょっと、どうなんでしょうか?
『岩波国語辞典第7版』(2009年11月)は、両方とも載っていません。20代のADに、「文科相」と「文相」を並べて書いて読ませてみたら、案の定、「文相」は、
「モンショウ」
と読みました。40代のデスクに尋ねても、迷った挙げ句、
「モンショウ?」
と。その彼によると、そもそも「文科相」は「文部科学相」(文部科学大臣)という名前が長ったらしいので必然的に短く表記し、それを、「そのまま読む必要」が出て来たのですが、「文部相」(文部大臣)は、新聞など「書き言葉の世界」では「1文字」落として、
「文相」
としましたが、放送でそれを読むときは、
「文部大臣」
と読んでいたのと思うので、「文相」の読み方にはあまり注意を払っていなかった気がする、とのこと。確かにそうかもしれませんが、平日の夕方3時50分(45分だった時もあったかも)頃からやっていた、
「読売新聞ニュース」
などでは、「文相」も出て来て「ぶんしょう」と読んでいた気がしますけどね。
過去の「肩書」、特に「略称の読み方」って、当時を振り返る時に必要になるのに、なかなか正しい読み方が分からないということがありそうですね。その意味では、辞書に「文相」も載せておいたほうがいいのでしょうが、小辞典では、扱う語彙を絞らなきゃいけないので、もうほとんど使わない過去の制度の言葉を載せるか?というと、普通は、ふるいにかけられて落ちてしまうのでしょうね。
なかなか難しいですが、「いくつかの時代の違う辞書を揃えて置いて、使い分ける」という余裕があれば、そうするしかないのでしょうか。
(2015、6、2)
2015年6月 3日 11:14 | コメント (0)
新・ことば事情
一昨日(5月30日)の夜に「酒気帯び運転」で事故を起こした、自民党所属の兵庫県議・上山隆弘容疑者(38)=道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕=が会見を行い、辞職することを表明したニュースを流していました。
その際に、
「こういう事故を起こした自分は、議員という職に"そうおうしくない"と思いました」
と話していました。
は?「そうおうしくない」?あのね、上山県議、それはね、
「相応しくない」
と書いて、
「ふさわしくない」
と読むんですよ。
なぜ、こんな(アホな)ことになったのか?
(1) 辞職の原稿を、他人が書いた。
(2) 辞職の原稿は自分で書いたが、「ふさわしくない」と打って変換したら「相応しくない」で出て来て、それを「そうおうしくない」と読んでしまった。
いずれにせよ上山議員、たしかにあなたは、倫理的にも国語力的にも、議員に
「ふさわしくない」
です。
(2015、6、1)
2015年6月 1日 19:27 | コメント (0)
新・読書日記 2015_094
『「居場所」のない男、「時間」がない女』(水無田気流、日本経済新聞出版社:2015、6、1)
「みなした・きりう」と読むらしい。(奥付による)以前一冊だか、新書で「変わった名前の人だな。短歌かなんか、やってる人かな?と思った覚えがある。本名(?)ではないよね?
今回の本書のタイトルは、かつてのベストセラー『話を聞かない男、地図が読めない女 』 (アラン・ピーズ, バーバラ・ピーズ)を、嫌でも思い出す。
「居場所がない男」のほうは、「会社」という「日常」から放り出された男。これまで地域社会との付き合いもなく、"異邦人"として自宅周辺の地域に放り出される男。平日の昼間に地域の図書館に行くと、手持ち無沙汰にたむろする高齢男性が、やたら多い。これが「居場所のない男」だ。これまで、昼間は家にいなかったので、子どもの遊ぶ声やら工事の音やらは耳にしなくて済んだのだが、一日中家にいると、嫌でも聞こえてくる。うるさい。いきおい、自治会や隣の家に文句を言いに行くことに。子どもの声が聞こえてこそ、その地域社会の活性化につながり、少子化防止になるのではないか?そういう発想には、つながらない、「居場所のない男性」たち・・・。
そして「時間のない女」。「働く女性」とは、外で働く女性を思い浮かべる。というのも、日本においては「家庭労働」は「労働」とみなされておらず、その労働時間は「働く」ことにカウントされない。文字通りの「無償労働」である。しかも「家庭内労働」のほとんどは、女性が負担することになっている。そのうえ、社会に出て「外で働いている」のだから、男性よりも、女性の睡眠時間が短い。(我が家もそうだ。)これは、世界的に見ても珍しいらしい。他国では、男性の睡眠時間のほうが短いという。へえー。さらに女性は「出産リミット」という時間にも追われる。ふた昔、三昔前には、女性の"結婚適齢期"は「25歳=クリスマス・ケーキ(25日)」に例えられたものだが、今や「大卒女子」の「平均初婚年齢」は「31歳」になっており、「除夜の鐘(31日)」と呼ばれているらしい。知らなかった。
また「混雑する時間帯に、子どもをベビーカーに乗せて、満員電車に乗って来るなんて!」といういわゆる「ベビーカー論争」、これは一理あるとは思うのだが、でも、そんな社会はたしかに「子ども排除社会」だ。そんな状態では、のびのびと子育てをできないのも道理。
こういった状況を打ち破るには?著者は、成功例として「オランダ・モデル」を挙げる。「ワークライフバランス」「ダイバーシティ(多様性)」に可能性を託す。そして「家族」を中心としたこれまでの福祉制度を、を「個人」を中心とした福祉制度に組み直すことを提案している。改革のポイントは7つ。
① 育児・介護期間の評価
② 非正規雇用者の包摂と低い年金額の是正
③ 離婚時などの年金分割
④ 事実婚など多様な家族形態への対応
⑤ 基礎年金等の普遍的最低保証
⑥ 性中立的な制度
⑦ 女性の就労率を高める労働政策
だという。つまり「男性も含めた労働と家庭生活のあり方の再編」が、現在必要とされているのだという。政府が言うような「スーパーウーマンの活躍」だけでは世の中は変わらないと。普通の女性が、普通の男性と協働して能力を発揮できる社会づくりをしなければならないと。道は険しいが、少しづつでもやって行かねば。
(2015、6、18読了)
2015年6月30日 20:35 | コメント (0)
新・ことば事情
これは、以前にもう何回も書いてあるとばかり思っていたのですが、検索しても出て来なかったので、書きます。
「ミヤネ屋」で、過激派組織「イスラム国」の特集をする際に、このところフランス・チュニジア・クウェート・ソマリアで起き、死者100人以上が出ている同時多発テロについて、その原因の一つに、
「ラマダン」
があると。「断食月」ですね。昔は「ラマダン」の期間中は、1か月何も食べないのかと思っていましたがそれは間違いで、ラマダンの期間中は、
「日中は飲食をしない」
ということで、夜にはまとめて食べているそうですね。
6月28日付・日経新聞の押野真也・カイロ特派員の記事によると、
「一般的にラマダンの期間は信仰心が高まり、ISはこの期間を狙って欧米の非イスラム教徒へのテロを呼びかけている」
とありました。
この「ラマダン」を読むときのアクセントに関して質問を受けました。
「『ラ\マダン』でしょうか?『ラ/マダン』でしょうか?」
これについて私は、
「昔は『ラ\マダン』と『頭高アクセント』が多かったけど、最近は『ラ/マダン』と『平板アクセント』が多いですね」
と答えました。
『NHK日本語発音アクセント辞典』には「ラマダン」は載っていなかったので、『新明解国語辞典』を引くと、
「ラマダン」(1)(0)
とありました。( )で書いたけど、これは○で囲まれています。この数字は、
「アクセントの山が、何音目までか」
を示しています。つまり、(1)ならば「頭高アクセント」、(0)は「平板アクセント」です。その両方を認めているということですね。
さらに、どこかで話し合ったことがあると思ったので、探してみると、今から14年前の「2001年9月」に行われた「新聞用語懇談会放送分科会」で、まさに、
「ラマダンのアクセント」
について議題に上がっていました。それによると、
『*「ラマダン」のアクセント
「タリバン」や「ウサマ・ビン・ラディン」なども数種類の発音、表記があるが、なかなかどれが一番正しいとは言えない状態。「ラマダン」は「頭高」でも「平板」でも良い。しょせん、外国語を日本語で発音・表記することには限界がある?(アクセントとは関係ありませんが。)』
とありました。つまり、14年経っても状況はあまり変わっていないということですね。
今年度中(つまり2016年3月)までに出るという、新しいNHKのアクセント辞典には、「ラマダン」は載っているのかな?
(2015、6、30)
2015年6月30日 19:07 | コメント (0)
新・ことば事情
バレーボールで、「サーブレシーブ」のことを、最近は、
「レセプション」
と言うそうです。「受ける」という意味ですね。ABC・朝日放送の芦沢アナウンサーから教えてもらいました。
また、「スパイクレシーブ」のことは、
「ディグ」
と言うそうです。こちらは「掘る」という意味ですが、レシーブの形からイメージされたのでしょうか?
ネット検索した所「2008年2月」の記述では、「まだ浸透していない」と書いてありました。それにしても『アタックNo.1』の主題歌はどうなるんでしょうかね?
「レシーブ、トス、スパイク」
という歌詞は、
「レセプション、トス、スパイク」
になるんでしょうか?
「レセプション、トス、スパイク、ディグ、ディグ、ディグ、ディグ、アタック!」
なんか「ディッグ・ダッグ」みたい。いや、そうはならないか、
「ワン・ツー、ワン・ツー、アタック」
だから。
「だけど、涙が出ちゃう、女の子だもん」
これも、「女性差別」になるんかなあ?
(2015、6、30)
2015年6月30日 14:46 | コメント (0)
新・ことば事情
「ミヤネ屋」のADのU君が、
「あした放送のスーパーの発注です。チェックをお願いします」
と言って、発注用紙を持って来ました。見てみると、
「鼻を長~くした人たちをご紹介します」
と書かれていました。これを見て、「?」と思いました。
「『鼻を長くした人たち』って?」
「あ、あしたは、『天狗』になった人たちの特集なんです」
ああ、そういうことか。
「天狗なら、鼻は『長く』ではなく、『高く』だなあ」
「『高く』ですか」
「そうだね・・・あ、でも『ピノキオ』の鼻は『長く』なったなあ」
「天狗」と「ピノキオ」の違いは何なんでしょうか?
「高い」というのは、顔の面を「地面」として、そこから突起(隆起)したものを、
「垂直方向の距離」
として捉えているということですね。それに対して、「長い」というのは、
「鼻の長さの絶対値を見ている」
ということですね。
「(顔と)水平方向の距離」
として見ていると言ってもいいかもしれませんが。
あ、それと「鼻」の場合は、芥川龍之介の『鼻』に出て来る「禅智内供(ぜんちないぐ)」のような鼻は、
「鼻が長い」
と言いますし、その場合の「鼻」の方向は、
「顔と並行」
ですので、「高い」とは言いませんね、垂れているので。「ゾウの鼻」と同じです。つまり、
「ゾウの鼻が高い」
とは言いません。「ゾウの鼻は長い」です。
「天狗の鼻」がもし、突き出ていなくて垂れていたら「長い」と言うかもしれません。
でもなぜ、「ピノキオの鼻」は「顔から突き出ている」のに、「高い」ではなく「長い」なんだろうか???宿題だな。
(2015、6、8)
2015年6月30日 12:44 | コメント (0)
新・ことば事情
5月28日、テレビでコマーシャルを見ていたら、
「痛いと私は、ブチャくなる」
という言葉が聞こえて来ました。「生理痛の薬」のコマーシャルでした。(バファリン・ルナ)
「ブチャくなる」
というのは、インパクトのある言葉ですね。子どもっぽい「拗音」ではなく、ハッキリと表現するならば、
「ブサイクになる」
ということだと思います。でも、それだとダイレクトすぎるので、少しかわいさを装った、
「拗音」
にして、
「ブチャくなる」
にしているんでしょうね。
「ブサイク」
という言葉も、漢字で書くと、
「不細工」
ですが、カタカナにすることで、少しニュアンスが変わります。また、
「ブス」
と言うと、かなり差別的・侮蔑的な響きを持つ言葉になりますが、
「ブサイク」
だと、「ブス」よりは、文字数が少し多い分「丁寧な感じ」がします。「ミヤネ屋」でも以前、「ブス」という言葉が出て来た際に、「ブサイク」に置き換えたことがありますが、「ブチャくなる」もそういった婉曲表現の一つとして、ボキャブラリーの一つとしましょうか。
グーグル検索では(6月30日)、
「ブチャくなる」=1680件
「ブチャクなる」= 39件
「ブチャい」 = 777件
でした。
(2015、6、30)
2015年6月30日 11:36 | コメント (0)
新・ことば事情
6月22日、和歌山電鉄・貴志川駅のネコの駅長「たま」が死にました。メスで16歳、人間で言うと80歳ぐらいだそうです。
そのニュースを伝えた6月25日の新聞各紙の記事で、
「死んだ」
というのをどう表現しているかを見てみると、
(見出し) (本文)
(読売)たま駅長 天国へ 動物病院で死んだ
(朝日)たま駅長 天国へ 急性心不全で死んだ
(毎日)たま駅長 天国へ 22日夜死んだ
(産経)たま駅長 天国へ旅立つ 22日に死んだ
(日経)たま駅長大往生 駅長の三毛猫「たま」が死んだ
読売・朝日・毎日の見出しが全く同じ。"たまたま"でしょうか、「たま」だけに。産経と日経は、ちょっとだけ工夫が凝らされていますが、要は、
「死亡」「亡くなる」
という言葉は、人間に対してのみ使われるものなので、三毛猫の「たま」には使わないと。それを避けるために、どう表現するかという話ですね。
同じ日のスポーツ紙も見て見ると、
(見出し) (本文)
(デイリースポーツ)たま駅長死す 駅長の雌の三毛猫「たま」が死んだと発表
(サンケイスポーツ)たま駅長死ぬ 三毛猫「たま」が死んだと発表
(スポーツニッポン)たま駅長天国へ 駅長の雌の三毛猫「たま」が24日、
死んだことが分かった
(日刊スポーツ)たま駅長死す 駅長の雌の三毛猫「たま」が死んだと発表
(スポーツ報知)たま駅長天国へ 動物病院で死んだことが、24日分かった
やはり「死亡」は使われていません。かなり徹底されている感じです。以前は、動物にも平気で「死亡」が使われていたのですがね。そのあたりの話は、
「平成ことば事情0138海くん、死亡」
「平成ことば事情0271犬、死亡」
「平成ことば事情0489死亡牛・廃用牛」
「平成ことば事情4068スナメリ死亡」
を、お読みください。
(2015、6、29)
2015年6月29日 18:55 | コメント (0)
新・読書日記 2015_093
『私の息子はサルだった』(佐野洋子、新潮社:2015、5、20第1刷・2015、6、10第2刷)
故・佐野洋子さんの"新発見原稿"を集めたもの。(一部は新発見じゃないけど、大体は新発見)。
タイトルがもう、すごいです。ホント!?サルだったの?息子さん?
佐野さんは昭和13年(1938年)生まれだから、うちの母とほぼ同世代。つまり息子さんは、私と同世代だ。その息子さんが子供のときのお話。
「あとがきのかわり」で、その息子さんが書いています。「自分のことを書かれるのがイヤだったので、『やめて』と頼んだ」と。それで母(佐野さん)は書くのをやめた...というか、書いていたのだが、それを発表しないでためておいた。それが今回見つかって、出版に至ったと。これはやはり「子どもの成長日記」だったんだよなあ。子供への「愛情表現」に他ならなかった。
でも、息子さんから言うと「実物大の自分」を誇張して、ちょっと粉飾して書かれた姿がイヤでたまらなかったと。
母が亡くなって5年がたち、
「でも、もしかしたら、母にとってはそう見えていたのかもしれないな。母にとっては誇張も粉飾もない"事実"として書かれていたのかも」
と思えるようになったのは、やはり「時間」が経過したからかなあ。
2015読書日記087『子どもはみんな問題児。』(中川李枝子、新潮社)と、あわせて読みたいですね。
(2015、6、22読了)
2015年6月26日 12:40 | コメント (0)
新・ことば事情
先日、小学5年生の子どもの参観に行ってきました。久しぶりに小学校に行ってみたら、廊下の掲示板に張られた壁新聞に、運勢占いの「あみだくじ」が。
注目は左端。「小吉」の左側に書かれている、
「区」
です。「区」?たしかに「区」と書かかれていますが、これはきっと「区」ではないと思います・・・・
「田」
の右側の縦棒が、1本足りないのではないでしょうか?
いや、失礼しました。これはやはり、
「寝ころびながら書いた『凶』という字の祟り」
なのではないでしょうか?
いやいや、もしかしたら、幻に終わった、
「大阪都構想の『特別区』の将来を示唆したもの」
では?いろいろ考えられますね。
(2015、6、5)
2015年6月25日 19:01 | コメント (0)
新・読書日記 2015_092
『小林カツ代と栗原はるみ~料理研究家とその時代』(阿古真理、新潮新書:2015、5、20)
「まえがき」の最後の所に、グラフというかチャート表というか、本書に登場する「料理研究家」たちを分類した図が載っている。横軸(X軸)の「左」に「ハレ」、「右」に「ケ」、縦軸(Y軸)は「上」に「本格派」、「下」に「創作派」と記され、それぞれの料理研究家が、縦軸と横軸で4つに区切られた第1~4のどの分野に属するかが一目で分かる。その表がツイッターに上がっていた。それを見て私の目に留まったのは、図の左上(つまり「本格派」で「ハレ」の料理研究家)に載っていた「飯田深雪」という名前。あれ?この人は料理研究家だったのか!私は「アートフラワー」の「特定商品名」の権者だと思っていた!ということでした。江上トミ、土井勝など懐かしい名前から、小林カツ代、栗原はるみというなじみのある名前、そしてその息子の世代にあたるケンタロウ、コウケンテツなど、特に料理に詳しくない私でも目にしたことがある、耳にしたことがある(つまりテレビや本屋さんで見かけたことがある)料理研究家たちが、どのように表れ、どのように浸透していったのか、またその時代背景は?というようなことを分析しつつ、記されている。日本人の食生活の歴史(流れ)と、自分自身の食生活の歴史を重ね合わせながら読むと、大変興味深い。
また、この本の後半、ケンタロウやコウケンテツといった男の若い人たちが出て来た頃から使われ出したという「料理家」という言葉、やはりあったか!と思った、今年の春に初めて気づいたこの言葉、詳しくは「平成ことば事情」で書くつもりです!
(2015、6、6読了)
2015年6月22日 11:44 | コメント (0)
新・ことば事情
5月29日、テレビを見ていたら、「横綱・白鵬」が、歌舞伎俳優の中村獅童の披露宴で、こう、コメントしていました。
「昭和の男を演じてほしい」
白鵬ったら、
「モンゴル生まれ」
なのに、「昭和の男」がどんなものか、わかっているんですねえ。
こういう「元号」で表す時代の雰囲気では、
「明治の男(女)」
という言葉がよく使われました。(その時代の人たちが去って行くにつれて、使われなくなってきましたが。)しかし、それに対して、
「大正の男(女)」
というのは、あまり耳にしませんでした
これは、「明治時代」が45年続いたのに対して、「大正時代」はその「3分の1」の15年しかなかったためではないでしょうか?そうだとすると、64年あった「昭和時代」ですから、かなり長く、
「昭和の男(女)」
という表現を引き継ぎそうな気がしますね。
ちなみに、夏場所(5月場所)で見事優勝を飾り、大関昇進を手にした、「照ノ富士」関、
「平成生まれ初の大関」
と、うち(ytv)も含め、報道各社が報じていました。
「モンゴル生まれ」なのに「昭和」?「平成」?
もうこの人たちは、
「国籍が日本かどうかは関係なく、日本の人」
なんですよね。そんな気がしたのでした。
(2015、6、18)
2015年6月22日 10:27 | コメント (0)
新・読書日記 2015_091
『この言葉の「違い」、説明できますか?』(日本こだわり雑学倶楽部、講談社+α文庫:2012、9、20)
この手の本にしては(すみません)、しっかりとしたことが書かれているように思いました。つい、このあいだ買ったと思ったのに、実はもう3年も前に出た本だったのか。
「ニュース編」の「重体と重傷の違いは?」「死体と遺体の違いは?」「軟禁と監禁の違いは?」といったものから、「生活編」で「プラスティック袋とビニール袋はどう違う?」「ジューサーとミキサーの違いは?」、「常識編」で「近畿と関西の違いは?」「ディスコとクラブはどう違う?」、「食べ物・健康編」では「焼きめしとチャーハンとピラフはどう違う?」「クッキーとビスケットはどう違う?」など、「似ているけど違うもの」を丁寧に説明している。だから読んでいると「そうだったのか!」あるいは「そうそう、そうだったな、思い出したわ」ということが、いっぱい出て来る。役に立つ本だと思います。「雑学」をバカにしてはいけない。「雑学」とは「社会を生き抜く基礎力」なのです。
(2015、6、15読了)
2015年6月21日 18:43 | コメント (0)
新・読書日記 2015_090
『ヘイトスピーチ~「愛国者」たちの憎悪と暴力』(安田浩一、文春新書:2015、5、20)
著者は、『ネットと愛国』で知られる「ヘイトスピーチ」と闘うフリージャーナリスト。いや「闘う」というか、
「こんな理不尽な"愛国者"たちの行動が起こる原因・心理は何なのか?それを生み出した社会情勢は何なのか?」
ということが知りたくて、取材を続けて来たのだと思う。帯にも、
「なぜ彼らは暴発するのか?」
とある。こういった連中はいつの時代にも、ある程度の数(少数だが)はいたと思う。それが、これほどの数になったのは何が原因なのか?またそれを"培養"してしまう"大衆"へも、著者の矛先は向かう。この本を読んでいる読者で、「ヘイトスピーチ」を容認している人たちに対して、
「あなたたちが、ヘイトスピーチを育ててしまったんですよ!」
と指摘しているようにも思う。
「『ヘイトスピーチ』といえども、憲法が保障する『言論の自由』の範囲内」
という主張も聞こえるが、「言論の自由」といえども、他人の生存権・基本的人権を侵してはいけないのは当然。欧州各国では「ヘイトスピーチ」は法律で禁じられている。自由は、「他人の自由を侵さない」ということが、その大前提にあるのだ。
(2015、6、1読了)
2015年6月21日 11:41 | コメント (0)
新・読書日記 2015_089
『キラキラネームの大研究』(伊東ひとみ、新潮新書:2015、5、20)
タイトルに「大研究」と、「大」が付いてる辺りに、ちょっと"遊び心"が感じられる「怪獣大研究」のような・・・。
わたしも日頃から気になっている「キラキラネーム」。でも、変わった「キラキラネーム」を否定したくても、その名前の付いた子どもに責任はないので、なかなか「ダメ」とは言い難い。せいぜい「読みにくいなあ」と言うぐらいで。そのぐらい「名前」と「その人」の結びつきは強く、「キラキラネーム批判」ってやりにくい中で、「大研究」というタイトルの下、著者はやってくれました。
著者も「読めない名前」に度々ぶち当たる中で、「読みにくいなあ」と思いつつ「なぜ、そんな名前を付けるのか?」を調べ、「キラキラネームの方程式」を見つける!しかし、さらに名前の歴史をたどっていくと、実は、キラキラネームに使われているような「無理読み」は「日本の伝統」であったことに気付く。「言われて見れば、確かにそうだ」というような「歴史上の人物」の名前も出て来る。
でも、それとこれとは...と思いつつも、さらに先を読み進めると、現代のキラキラネームは「感性」で漢字を用いる「感字」だと。そして、その行き着く先に待ち受ける「日本語の運命」とは??あとは実際に読んでみてね!!
って、書いていたら、きょう(6月17日)の「かんさい情報ネットten.」で、キラキラネームの反対で、「晋作」(「高杉晋作」から)「陽之助」(「陸奥宗光」の幼名から)といったちょっと、古い漢字の名前(「明治維新」あたりの)が、じわじわ流行っていると。名付けて「しわしわネーム」ですって。知らんかったなあ。
(2015、5、22読了)
2015年6月20日 21:40 | コメント (0)
新・読書日記 2015_088
「じみへん」で知られる漫画家のコラム。
漫画も変わっていて面白いが、この人の性格も変わっていておもしろい。「じみへん」というか「へんじん」ですね。あ、そうか、「じみへん」は「地味でヘな人」と「ジミー・ヘンドリックス」をかけたものかと思っていたが、「変人(へんじん)」を逆から読んだものでもあるのか!今、気付いた、何十年も愛読していて、単行本まで買っていたのに。
「購買欲」はあるが、「所有欲」はない。「所有欲」はない、というか、「捨てたい欲」が一番強いと。「捨てる」には、一旦「所有」しなくてはならない。ほら、いわゆる「ゴミ屋敷」の人は「所有欲=捨てられない」という状況に陥るのだが、この著者はその"裏返し"で、捨てたくて仕方がない。ある意味「ビョーキ(病的症状)」ではあるが、それを自覚していて客観的に自分を見つめているので、考察はとても"哲学的"になる。そうか、こういうことがあって、あのマンガが生まれていたのか!あの漫画の「おもしろみ」「哲学的理屈っぽさ」は、ここから生まれていたのか!というのが分かると同時に、読んでいる私自身についても、いろいろと考えさせられる(内省させられる)一冊。
捨てる。便利と無駄のせめぎ合い。便利とは?便利のために犠牲にするものとは?という問いかけである。
(2015、6、8読了)
2015年6月20日 17:39 | コメント (0)
新・読書日記 2015_087
『子どもはみんな問題児。』(中川李枝子、新潮社:2015、3、30第1刷・2015、5、25第6刷)
なんと、発売3か月で6刷!めちゃくちゃ売れてますやん!
それもそのはず、「いやいや園」「ぐりとぐら」「そらいろのたね」など、名作絵本を書いた著者の子ども(子育て)に関するエッセイ。お母様方は読みたいと思うだろう。しかも、"あの絵"が、イラストでふんだんに入っているのだから。
タイトルは、子どもはみんな「問題児」となっているが、これはつまり「問題児」なのは「問題ではない」ということ。子どもはみんな「天才」なんだよ、と優しい目で語りかける。うち(の子ども)も、もう「読み聞かせ」をする時期は、あっという間に過ぎてしまったなあ・・・。
(2015、6、14読了)
2015年6月20日 10:14 | コメント (0)
新・ことば事情
平成ことば事情5598「グルジアとジョージア」の続編です。
ことし(2015年)4月22日、ついに、日本政府も「グルジア」の国名変更を認めて、
「ジョージア」
とすることになりました。その件に関して、4月24日に行われた新聞用語懇談会放送分科会でも議題に上りました。
「『在外公館の名称、位置、給与に関する法律』の改正案が可決され、旧ソビエトの国『グルジア』の呼び名を『ジョージア』に変更することが決まりました。この法律は4月22日に施行されました。変更の発端は、旧グルジア政府からの要請によるものです。JNNはこれに伴い、『グルジア』を『ジョージア』に変更することにしました。各社、どうされていますか?」(毎日放送)
これに対する各社の対応は、
(共同通信)4月22日夕刊向けから「ジョージア」に変更した。「ジョージア」は英語なので、個人的には「グルジア語でやれば・・・」と思うが。表記としては「ジョージア(旧グルジア)」が良いと思う。そうでないと「米・ジョージア州知事がジョージア訪問」みたいなことになってしまって、なんかヘン。
(NHK)米・ジョージアとの区別が問題。当面「旧ソビエトのジョージア」「ジョージア、かつてのグルジア」「ジョージア(旧名グルジア)」などにする。「グルジア語」「グルジア文化」「グルジア料理」も「ジョージア語」「ジョージア文化」「ジョージア料理」に変更した。
(TBS)当面は「ジョージア、旧グルジア」でいく。似たような変更例としては、国名・地名で言うと、「スリランカ(旧セイロン)」「ムンバイ(旧ボンベイ)」などもある。
(ytv)同様の地名・国名変更は「コルカタ(旧カルカッタ)」「ジンバブエ(旧ローデシア)」などもある。
(読売新聞)4月22日から「旧ソ連地域のジョージア」とした。毎日新聞は「ジョージア(グルジア)」にしている。
(テレビ朝日)外務省のHPは、4月23日に全部変わった。過去の「グルジア」としていたのを、そのまま全部「ジョージア」に置き換えていたが、それはいかがなものかと思う。
それに関して言えば、「ジプシー」という呼称は、
「ロマ」「ロマ民族」「ロマ人」
などに変わりましたが、
「ジプシー音楽」
などは、そのまま使われているという例もありますからね。
この会議は、ちょうどポール・マッカートニーが来日していた時期に開かれた会議でしたが、テレビ朝日の委員の方から、
「ビートルズの『Back In the USSR』という曲の中にも『グルジア』の意味の英語で『ジョージア』が出て来るけど、あの曲は『Georgia On My Mind(我が心のジョージア)』のパロディーで作られた曲なんですよ。」
と教えてもらいました。そうだったのか!あとで「ウィキペディア」を見ると、
「タイトルとテーマは、チャック・ベリーの『バック・イン・ザ・USA』のパロディーで、同作品のアメリカをソビエト連邦(USSR)に置き換えたものである」
「歌詞に出てくる"Ukraine girls"や"Moscow girls"に続く"Georgia's always on my mind."は、ホーギー・カーマイケルとスチュワート・ゴレルの『Georgia on My Mind』のパロディーであると共に、グルジアの英語での綴りがジョージアと同じ(Georgia)であることを掛けている」
とありました。そうだったのか!全然知らなかった!
また、
「グルジアワイン」
の表記が、どうなっているか?が気になったので、会社の帰りに、豊富な種類のワインをそろえていることで知られる大阪・梅田の阪神百貨店に行って、
「『グルジア・ワイン』はありますか?」
と聞くと、なんと1本だけ残っていました!さっそく日本語で書かれた「輸入元」の記述を見ると、すでに、
「ジョージア(グルジア)」
また、
「アメリカのジョージ州で、ワインは作られているのか?」
もネット検索してみたところ、なんと、これもあったんです!
ジョージア州の「バロウ郡ブラゼルトン」と「グイネット郡」にまたがっている、
「シャトー・エラン」
というワイナリーがあるそうです。これこそ、
これも、
「ジョージア・ワイン」
ですね!表記は、
「米 ジョージア・ワイン」
かな?「米(コメ)」で作ったワインのようですね。「日本酒」のような・・・。
一度、飲んでみたいです!
なお、国名変更後、初めて(私が気付いた)「ジョージア」がニュースで出て来たのは、6月15日。ジョージアの首都・トビリシが洪水で、動物園から動物たちが逃げ出したというニュースでした。この際、日本テレビ『スッキリ!!』のニュースの中のナレーションは、
「旧グルジア・ジョージア」
として、サイドスーパーは、
「ジョージア洪水で動物たち逃げ出す」
でした。「ミヤネ屋」でもナレーションは同じで、スーパーは、
「ジョージア(旧グルジア)」
としました。
(2015、6、17)
(追記)
6月18日朝の「NHK国際部」のツイッターでは、
「旧ソビエト・ジョージア」
となっていました。例の洪水のトビリシの動物園から逃げ出したトラに、男性が襲われて死亡したというニュースでした・・・。
(2015、6、18)
(追記2)
大相撲5月場所を見ていて気付いたのですが、大相撲の幕内力士の中に「グルジア出身」の力士が二人います。
「臥牙丸(ががまる)」と「栃ノ心(とちのしん)」
です。この二人の、新聞での番付表に出ている「出身地」が、今場所から
「ジョージア」
になっていました。呼び出しは、どういう風に紹介しているか、気を付けて聞いていたら、やはり、
「ジョージア・トビリシ出身」
のように、先の春場所(3月場所=大阪場所)での「グルジア」から、
「ジョージア」
に変わっていました。
それから、きょう(6月18日)の日本テレビのお昼の「ストレイトニュース」では、NHKのツイッターと同じく、
「旧ソビエト・ジョージア」
と原稿がなっていましたが、「ミヤネ屋」では、月曜(15日)に放送したのと同じ形で、
「旧グルジアのジョージア」
にしました。
(2015、6、18)
2015年6月19日 15:00 | コメント (0)
新・読書日記 2015_086
『ヒトラー対スターリン 悪の最終決戦』(中川右介、ベスト新書:2015、6、20)
"音楽家"という"メーン料理"を作る過程で出てきた政治家、特に独裁者に注目。前作『悪の出世学』で詳しく書かれた。その独裁者2人、ヒトラーとスターリンの「その後」を記した本。独裁者が出て来た80年ほど前の状況が、現代の状況に類似しているように感じるから、二度と愚かな戦争に日本が飛び込まないようにしたいというのが、この本を書いた動機ではないか?と読み始めてすぐに感じた。著者の中川さんから送って頂いた。ありがとうございます。
タイトルは、ちょっと「ゴジラ対キングギドラ」的なゲテモノ風なのだが、内容はドキュメンタリータッチ。でも時々「はたしてヒトラーの野望を抑止できるのか」(172ページ)とか「世に言う『バトル・オブ・ブリテン』(英本土航空決戦)の始まりであった」(195ページ)など、「講談調」のあおり文句が出て来て、ワクワクする。
1939年8月31日夜、ドイツのポーランド国境近くの町の放送局がポーランド軍の兵士によって襲撃され、占拠される事件が起きたが、これはポーランド兵になりすましたナチス親衛隊の仕業だった。これを受けて翌9月1日、ドイツのポーランド侵攻が始まった。満州事変(1931年)の発端となった「柳条湖事件」と同じではないか!また同じ1939年11月26日、ソ連赤軍の将兵がフィンランド軍によって砲撃され死傷する事件が起きたことを受けて、11月30日、ソ連赤軍はフィンランドに攻め込んだのが、これもヒトラーの手口をまねた"自作自演"であったと。戦争は、"戦争をやりたい国"のほうがが、「相手にやられた」と言って始めることも、よくあるのだ。ナチスの軍隊の名前は「国防軍」。しかしほとんどは「国外」に攻め込んでいた、とも。
ヒトラーとスターリン、二人とも自分以外を信じない点では同じだが、その理由は「正反対」だと。スターリンは"猜疑心が強く"誰も信じず、ヒトラーは"自信過剰"で誰も信じない。その結果は、スターリンは"慎重・用意周到"になり、ヒトラーは"大胆"になったと。(182ぺージ)結果もまるで逆。似た者同士と言っても、似てないじゃない。
本書では折々にショスタコービッチやカラヤン、フルトヴェングラーなどの音楽家が顔を出す。ショスタコービッチの交響曲第7番「レニングラード」を、改めて聴いてみたくなった。また、カラヤン指揮のベルリン・フィルによる、ショスタコービッチ交響曲第10番(1969年5月29日モスクワでの演奏・ライブ録音盤)も聴いてみたい。
本書の中では、同盟や協定などの外交政策、つまり「集団的自衛権」が、戦争を防ぐための手立てとして出て来るのだが、結果としては、それを結んだことで、「局所戦争」で済んだものが「世界大戦」になってしまったという教訓を示している。こういう「過去の教訓」についても、日本の国会で説明してもらいたい。
(2015、6、15読了)
2015年6月18日 22:10 | コメント (0)
新・読書日記 2015_085
『家族という病』(下重暁子、幻冬舎新書:2015、3、25第1刷・2015、5、1第9刷)
「家族」という「思想」「思い込み」は「病」であると。人間、一人で生まれて一人で死んでいくのだ。著者の「生き方」が記されているのだが、物凄く売れているベストセラー。3月に出て、私が買った時点(6月2日)で、もう「9刷」である!今年のベストセラー本に入ること、間違いなし。ということで、一応、目を通しておこうと思って買いました。
世の中の流れに流されず、強く生きる「個人」を感じるが、「血」を否定して「家族」の悪い面を否定して、
「別に『家族』でなくてもいいんだよ」
と説いているわけである。しかし、日本人の究極の「家族」と言えば「皇室」ではないか。だって、その「父」が「国民統合の象徴」なんだから。とすると下重さんは「天皇制」は否定しているということになるのか?
いや、その後、読み進めると、著者は「家族」自体を否定しているのではなく、「家族」というのは、必ずしも「血のつながり」を重視する必要はない、養子でもいい、というようなことを説いていると思う。そうすると、やはり「万世一系」は否定しているような・・・。
それはさておき、著者は、いかに突っ張って生きて来たのか、そして現在につながっているのかが、よく分かる一冊ではある。ちなみに著者は何年生まれかは書いていないが、
「終戦時に小学校3年生」
とあるので、おそらく昭和11年か12年生まれ。まもなく「傘寿」を迎えるぐらい。私の「母」世代である。
(2015、6、3読了)
2015年6月18日 18:09 | コメント (0)
新・読書日記 2015_084
『アウトサイダー・アート入門』(椹木野衣、幻冬舎新書:2015、3、25)
ツイッターでフォローしている美術評論家の椹木野衣さんの新著。と言っても、もう出てからだいぶ経ちましたが。すぐに買ったけど、読むのに時間がかかった。340ページぐらいなんだけど。カタカナの名前の人が多いので、しかも不勉強な私は良く知らない人たちなので、なかなか頭に入って来なかった。
「アウトサイダー・アート」とは?
「アール・ブリュット」とも呼ばれていたものだが、従来の流れのアーティストではなく、どちらかと言うと「外道」だったものですね。最近、光が当たって来ていると。
この本で出て来たのは、シュヴァルの宮殿、ロディアの奇妙な塔(これは何となく聞いたことがあったが、背景は知らなかった)、日本で言うと、有名なところでは「裸の大将」の山下清。また、郵便局長で火山学者、北海道の有珠山の火山活動の研究をしながら絵も残した三松正夫。あ、行ったことあります、有珠山の火山博物館。あれの人なのか。また、大本教の出口なお・出口仁三郎。壮絶な生涯だったんだな。
そして、亡くなった老人ヘンリー・ダーガーが残した絵画の山は、ゴミの山に埋もれていた・・・え?それって「ゴミ屋敷」やんか!「ミヤネ屋」で藤村リポーターが取材した名古屋のゴミ屋敷。あの名古屋のおじさんも、「実はアーティスト」だって、自分で言ってたし、空き缶を溶かして作品を作ってるって言ってたし。もしかしてあれも「アウトサイダー・アート」!?と思いました。全国のゴミ屋敷、実は素晴らしいアートの宝の山かもしれない。でも「理解者」がいないと「単なるゴミの山」になってしまうんだけど。
ことし3月に行った、スペインのビルバオにある「グッゲンハイム美術館」で特集していた、「ニキ・ド・サンファル」の名前も出て来た。ビルバオの「グッゲンハイム」に行っていなければ、私にとって何の関心もなく過ごしていたはずの画家である。そして、その「ニキ・ド・サンファル」の展覧会が、東京の国立新美術館で9月に開かれる!見に行かなくちゃ!
(2015、5、20頃読了)
2015年6月18日 14:39 | コメント (0)
新・読書日記 2015_-83
『「過剰反応」社会の悪夢』(榎本博明、角川新書:2015、5、10)
著者の本は、過去に、『「上から目線」の構造』 (日経プレミアムシリーズ)などを読んだことがある。
今回は、昨今の何にでもクレームを付ける世の中=クレーマー時代に対応して、何でも事前に「あれは、もしかしたらこうなるから、ダメじゃないか」など「空気を読んだ対応」をすることで、ものすごく生きにくい、窮屈な世の中になって来ていることに対する"警告の書"だ。帯には、
「不快な人もいる、自重しろ!」
とある。つまり、「自粛」の世の中。「KY」(空気が読めない)ことが嫌われる世の中だ。本書はそれを批判し、警鐘を鳴らしている。
「気配りのすすめ」で鈴木健二アナウンサーが「気配り」を説いたのはもう30年以上前だと思うが、みんなに「気配りしろ、気配りしろ!」と強制する世の中って、とっても窮屈だ。もちろん、わがままなやつばかりの世の中も嫌だけど。日本人って、なんだか「全体が同じ方向を向かないとイヤがる感じ」なのだが、それが行き過ぎるのではないかなあ・・・。
(2015、5、30読了)
2015年6月17日 21:37 | コメント (0)
新・読書日記 2015_082
ことしのゴールデンウィーク、土・日以外はずっと仕事だったのだっが、番組終わりでいつもより早く会社を抜け出して、滑り込みで京都国立博物館へ。閉館間際の1時間しか見られなかったが、屏風好きの私には、屏風も掛け軸も大変勉強になる展覧会でした。狩野永徳の後継者に当たる人たちの絵画。狩野派の後、例の「琳派」につながる。なんでも今年は「琳派400年」だそうだ。その原点には、桃山時代の狩野永徳の流れも、当然影響を与えているのだろう。