新・読書日記 2015_050
『櫻史』(山田孝雄・山田忠雄 校訳、講談社学術文庫:1990、3、10第1刷・2006、3、10第11刷)
「さくらし」ではなく「おうし」と読む。日本における桜の歴史書。「櫻」は「桜」の旧字体。かの山田孝雄(よしお)先生が、昭和16年に出された、文字通り、日本人と桜の付き合いを、時代順に「上古」「中古」「近古」「中世」「現代」と追って来ている。つまり、そんなに昔から、日本人は「桜」を愛で、桜と共に生活して来たのだなあということを、改めて知ることができる一冊。
しかし、旧字体で口語体ではない文章の上、500ページ近い文庫本なので、読み通すにはハードルが高い。何年か前に購入して、桜の季節が近づくたびにちょっと読んでは挫折し、ちょっと読んでは挫折し、、、つまり咲いては散り、咲いては散り・・・咲いてないけど、散ってばっかりだったが、「今年は絶対に読み通すぞ!」と覚悟して読んだ。大分、読み飛ばしましたが。
「桜」に関して一番有名ともいえる、本居宣長の、
「敷島の やまとごころを 人とはば 朝日に にほふ 山ざくら花」
という歌に出て来る「桜」は、「ソメイヨシノ」ではないし、日本人にとって古代から「桜」として親しんできた「桜」は「ソメイヨシノ」ではないということ。「ソメイヨシノ」では「朝日にのほふ」とはならない、とも。
山田孝雄博士の文章の、口語訳というか解説を各章ごとに加えているのは、息子の山田忠雄先生。1941年(昭和16年)に出た本を、半世紀近く経った1989年(平成元年)4月に出している。
「あとがき」を見ていてたら、和歌や漢文の口語訳の礎稿作成を、「今野真二」先生が担当されたと記されている。たしか、今野先生は、山田忠雄先生のお孫さんだ。昭和63年(1988年)11月22日から平成元年(1989年)3月7日までと、スケジュールも具体的に書き残されている。そういう交流もあったのだなあと、本編とは関係のないところで、感心した。
あ、でも、「父・孝雄」の作品を現代に復活させよう、後世に伝えようと考えた「忠雄」の試みに、「孝雄」にとっては「曾孫」にあたる「今野真二」を加えたということが、つまりこの本の「精神」でもあったのではないかなあとも思いました。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」(芭蕉)