新・ことば事情
5652「朝に道を聞かば」
昨年12月1日、菅原文太さんの訃報が届きました。
その際に、妻の菅原文子さんがFAXで発表したコメントは、以下のようなものでした。
「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち、
『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』
の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。
1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。
もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。
すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」
この中に出て来る、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」
これは、『論語・里仁』にある孔子の言葉で、
「朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても悔いはない」
という意味ですね。この冒頭の「朝」の読み方ですが、普通に漢字を読めば、
「あさ」
ですが、この場合は、
「あした」
が正解。また「夕」は、
「ゆうべ」
と読みますね。子どもの頃に覚えた『浜辺の歌』の歌詞に出てくる、
「あした浜辺をさまよえば」
「ゆうべ浜辺をもとおれば」
で、古語では「朝」を「あした」と言うことがあり、(「昨夜」の意味の「ゆうべ」ではなく)「夕方」の意味で「夕」を「ゆうべ」と言うことがあるのを私は覚えていました。
このコメントを「ミヤネ屋」で川田アナウンサーが紹介するにあたって、そのまま渡したら「あさ」「ゆう」と読まれてしまうかも・・・と思って、
「あした」「ゆうべ」
とルビを振って渡しました。
翌日、朝の別の情報番組でも、このコメントを紹介していましたが、その際は「朝」を「あさ」、「夕」を「ゆう」と、間違って読んでいました・・・。