新・読書日記 2014_179
『内側から見たテレビ~やらせ・捏造・情報操作の構造』(水島宏明、朝日新書:2014、11、20)
著者は元札幌テレビの記者で、その後、海外の特派員を長く勤めて日本テレビに移り、テレビの最前線で取材・リポートを続けて来た。系列の先輩(4つ上)だから、もちろんお名前とお顔は存じ上げているが、お会いしたことはない。例の「住む家がないのでネットカフェで寝泊まりする若者たち」の現状をリポートした「ネットカフェ難民」の名付け親でもある。2012年からは法政大学社会学部の教授だそうだ。
そのテレビの内側を知り尽くした著者が、"テレビへの愛"をベースに持ちつつ、その病巣を描いていく一冊。
「なぜセシウムさん事件が起きたか」「根底にある視聴率第一主義」「進むNHKの民放化」等々、具体的な事例を挙げながらその背景につて述べていく。私たちテレビ局の内部にいるものとしては、全て見てきたこと、知っていることばかりであるが、改めてこうやって一冊の本としてまとめられると、その流れを整理することができる。
最終章「テレビの希望はどこにある?」では「テレビは『しょせんマスゴミ』か?」と、あえて提示している。これは「反語」だ。
そのほか、
「日々のニュースは、ますます『東京目線』になっている」
ことや、視聴者も、
「物事の背景事情を理解しようとしたり、理詰めで考えたりせず、『好き嫌い』で瞬時に判断する傾向もどんどん顕著になっている」
「(テレビ番組を)『見てない』という人たちが、テレビのっ外側では増加している。その増加ぶりはテレビで働く人たちの想像以上だ」
「想像力が乏しい、反知性的な若い世代が広がっているとつくづく思う。」
だという。これを読んでいたら、先日読んだ『なぜ世界は不幸になったのか』(適菜収)につながって来る。そこには、こう書かれていた。
「民主主義の本質は、反知性主義である」
つまり「反知性主義」とは「民主主義が進んだことを表す」ということか。
うーむ、テレビは間違いなく、「民主主義」を推進・加速させてしまったのである。