新・読書日記 2014_178
『創価学会と平和主義』(佐藤優、朝日新書:2014、10、30第1刷・2014、11、30第5刷)
ものすごく精力的に本を書き、対談を重ねる著者が、「創価学会」に斬り込んだ!
そもそも、同志社の神学部出身で宗教に造詣の深い著者である。そんじょそこらの人が、ちょこちょこっと取材して書いたような「創価学会論」でないことは想像が付く。読んでみると、「宗教」という側面から、創価学会の成り立ちを説明し、「公明党の平和主義」の根本は何であるか?ということを明らかにしたいという思いが伝わってくる。
創始者の経歴から言うと、牧口常三郎と戸田聖城は、1943年治安維持法と不敬罪容疑で検挙・投獄され、牧口は1944年に東京拘置所の病監で病死している。つまり創価学会は、「権力である国家」と闘ってきた歴史があると。その上で、「信教の自由」を「国家」から勝ち得るには、「その権力」を手中に収めることが必要だということで、「政治」に参画するようになってきたと。
そういった歴史を踏まえた上で、ことし7月の「集団的自衛権容認の閣議決定」に、与党である公明党は、どういう態度を取ったのか?一般的には「平和主義の公明党が、それを放棄した。与党の立場を失うこと惜しさに、安倍・自民党の言いなりになった」というような意見がある。たしかに、以前、「自社さ」政権から社会党が降りたのは、そういった問題が起きたときに、ついには自民党の主張に対して党内を調整できなかったことによる。それを踏まえて、「政権与党の立場を守るために日和(ひよ)った」と見られるのは、仕方がないかもしれない。
しかし、著者はこれを否定する。
実は、既に湾岸戦争の後、日本がイラク戦争・アフガニスタン戦争で「後方支援」として自衛隊を海外に派遣した行為は、海外の国から見れば、紛れもない「集団的自衛権の行使」であると。国内的には「紛争地域には行かないから、集団的自衛権の行使ではない」と「言い訳」が一応は通用しても、国際的には通用しないと。だから、今回の「集団的自衛権容認の内閣決議」を巡る問題も、「何をいまさら・・・」というふうに国際的には見られているのだという。そして、今回の閣議決定で「『集団的自衛権』を行使するケース」として挙げられているのは、全て「『個別的自衛権』で対応できることばかり」で、かえって「『集団的自衛権』を行使するには、憲法を改正するしかない」ということを際立たせてしまったという見方なのである。そういう状態にしたことを、公明党は認識しているという話なのだ。一度、じっくり読むことをお勧めする。