新・読書日記 2014_162
『殉愛』(百田尚樹、幻冬舎:2014、11、5)
今年1月3日に亡くなった「やしきたかじん」さんの闘病の様子を、奥さんの「さくらさん」が、作家の百田尚樹さんに語り、百田さんがさくらさんへの取材と、さくらさんとたかじんさんの手による詳細なメモなどを基に書いたもの。
たかじんさんの闘病生活がどういったものだったのか?ということには興味があった。私は、たかじんさんとは面識はないが、本に出て来る番組関係者などの中には、知っている人も結構いる。間接的には知っている部分もあるという感じか。もちろん、詳しい事は何も知らないのだけど。
特に先入観なしに読み始めると「そうか、そうだったのか」という内容が出て来て、先へ先へと読み進める。しかし、途中で疑問が。この本は体裁としては「ノンフィクション」の分野になると思うが、著者の百田さんは「奥さんのさくらさん」への取材のみで書き進めているように思える。ものによっては、ノンフィクションであってもそれでいい(仕方がない)場合もあるが、この本では明らかに「奥さん側vs.以前からたかじんさんのスタッフだった人・親族」という"対決"の構図になって話が進んでいくにもかかわらず、「以前からたかじんさんのスタッフだった人・親族」側に対する取材がなされていないように感じる。つまり「奥さん側の言い分のみ」に立脚して書かれているのである。これは「報道」とか「ノンフィクション」「ドキュメント」の立場から言うと「公正さ」に欠ける。もちろん「物語・フィクション」であればそれでもいいかもしれないが、「物語」にしてはあまりにも生々しく、「実在の人物」がたくさん出てくるので、「虚虚実実」といった感じ。もし、最後のページに、
「この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません」
とあれば、「そうかあ」と思えるが、そういうスタンスではないようである。それならば、両サイドに取材して書いた方が良かったのではないか。
普段「アマゾン」は使わないので見ることもないが、その「アマゾン」のレビュー(書評)を見たら、☆が1つ~5つで評価できる欄は、なんと「☆1つ」と「☆5つ」の両極端に真っ二つに割れていて、真ん中(☆2つ~4つ)はほとんどない。有名人を主人公とした「フィクション」として読めば正に「純愛・殉愛」の物語であり「星5つ」になるが、「ノンフィクション」の「有名人の闘病・看病記」として読むと、「余りにも一方に偏った記述で読むに値しない」となって「☆1つ」になるのだろう。
私は、事実はわからないので、ちょうどその中間の「☆3つ」だが、読み物としてはおもしろかった(興味深かった)ので、半分だけ☆を増やして「☆3つ半」という評価にしました。