Top

『道浦TIME』

新・ことば事情

5605「『イスラム国』」

 

シリアとイラクで勢力を拡大している、イスラム過激派組織「イスラム国」。

これを放送でスーパーする際には、「必ずカギカッコを付け」て、

 

「イスラム国」

 

と表記することになりました。理由は、

 

(日テレ系列が「国家」として認めている)と本当の国家と誤解されるのを防ぐため」

 

です。また、彼らの「資料映像」も、出どころが断定できないので、

 

「『イスラム国』とされる映像』

 

という表現になります。また、原稿でも、

 

「『イスラム国』への渡航を計画」

 

などの表現も、「国ではない」「場所ではない」という理由から使わずに、

 

「『イスラム国』に加わる」

 

などに言い換えることにしました。 

2014年11月29日 12:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5604「質量と重量」

 

11月27日の「ミヤネ屋」で、今月30日に打ち上げが予定されている「はやぶさ2」のスペック(サイズ・性能)の紹介で、

「『量』600kg」

とあり、

「『量』ではないのか?」

と確認したところ、JAXAの資料などにも量」とありました。

考えたところ、そもそも「重量」(重さ)とは、

「引力のある地球上での言葉」

であり、

「『引力のない無重力の宇宙』では『重量』とは言わない」

のではないか?しかし「その物の本来の重さ」は存在し、それを、

「質量」

と専門家の間では呼ぶのではないか?と思い、テロップはそのまま量」としました。

『広辞苑』によると、

量」=【物】(mass)物体が有する固有の量。物体の重量とは区別される。力が物体を動かそうとする時に物体の慣性によって生じる抵抗の度合いを示す量(慣性質量)として定義され、他方万有引力の法則から2物体間に働く引力がおのおのの質量(重力質量)の積に比例するとして定義される。実験によれば、両質量は同等である。単位はキログラム、またはグラム。」

*「量」=「重さ」に同じ。日常的には質量と同義に用いる。

 

うーん、難しいがやはり「重量」と質量」は厳密には違うのですね。でも、

「日常的には、質量と重量は同じ」

とあります。勉強になりました!

(2014、11、27)

2014年11月28日 11:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5603「馬油の読み方」

 

11月25日、ASKA元被告の元愛人・栩内(とちない)香澄美被告の第5回裁判で出て来た、

馬油

の読み方ですが、

マーユ」

でしょうか?それとも、

バーユ」

でしょうか?

この日の放送では、

バーユ」

にしました。両方の読み方があるようですが、

バーユ」は日本語読み、「マーユ」は中国語読み

のようです。しかしなぜ、

「バユ」

ではなく「バーユ」と伸ばすのか?それは、わからないんですが、おそらく中国語読みの「マーユ」に引かれて伸ばしているのではないかな?と思います。「商品名」でも、

バーユ」

とカタカナで書かれているのが、いくつか見つかりました。売ってるんだ・・・。

(2014、11、26)

2014年11月27日 22:46 | コメント (0)

新・読書日記 2014_168

『後妻業』(黒川博行、文藝春秋:2014、8、30第1刷・2014、9、25第4刷)

こわい!

タイトルは「ごさいぎょう」と読む。つまり、「後妻さん」に納まって、その後、"旦那の財産を奪う仕事"を、その筋の業界ではそう呼んでいるらしい。

小説だけど、今、進行中の事件のノンフィクションとちゃうのか!?と思わせるほど、「よく似ている」のだ。そう、ちょうど一週間前に逮捕された、京都府向日市の筧(かけひ)千佐子容疑者の事件である。読めば読むほど、「よく似ている」。しかし初出は『別冊・文藝春秋』2012年3月号~2013年11月号に連載されたもので、今回の千佐子容疑者の事件が発覚するより前の話。つまり・・・「他にもいる」である、「後妻業」に携わる者は・・・闇は深い。

著者は今年の直木賞受賞作家で大阪出身。この小説の舞台も、大阪及びその近辺である。この本は「直木賞受賞第一作」として発表された。週刊誌『FLASH』誌での著者へのインタビューによると、この小説の"モデル"となった人物は実在する。4年前にある知人姉妹から「93歳の父が、とんでもないおばさん(78歳)と付き合っている。どうすればよいか?」と相談を受けたのがきっかけだそうだ。その父の死後、公正証書遺言を楯に、全財産(遺産)をぶん取ろうとする78歳の女は、過去に少なくとも4人の男性と結婚し、夫は次々と不審死していたという。

小説では、9年間に「名城小夜子→黒澤小夜子→津村小夜子→武内小夜子」と結婚を繰り返して名字が変わり、最後は内縁関係の中瀬耕造が死亡。その前にも多くの男が事故死や病死している・・・という。しかもこの小説では、「結婚相談所」もグルだというのである・・・うーん、読めば読むほど怖くなってくる一冊。8月30日の発売から1か月で「4刷」である。今読んでおく一冊だろう。帯の言葉は、

「爺(じじい)をだますのは功徳や」

つまり小説の主人公の女は、「悪い」とは、これっぽっちも思っていないのである・・・。


star5

(2014、11、25読了)

2014年11月27日 19:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5602「集結と結集」

 

11月26日の「ミヤネ屋」で、アメリカ・ミズーリ州で黒人少年が白人警官に殺害された事件が不起訴となったことでデモが起こっているというニュースを伝えました。いったんは解散させられたデモ隊が、また集まって来ているというニュースでした。

その見出しのテロップを放送前にチェックしていたら、

「デモ隊 再結集」

となっていましたが、発注書を見ると、

「デモ隊 再集結」

でした。

「集結」と「結集」の違いは何でしょうか?辞書を引いてみたら、

*「集結」=1か所に集まる(める)こと

*「結集」=たくさんのものを、一つに集めること

つまり、

「『集結』した人たちの力を『結集』して、相手に立ち向かう」

というような違いですね。

漢字の順番が入れ替わることで、意味も微妙に変わって来るのですね。

(2014、11、26)

2014年11月27日 17:45 | コメント (0)

新・読書日記 2014_167

『教誨師』(堀川惠子、講談社:2014、1、30第1刷・2014、4、14第3刷)

 

「きょうかいし」

と読む。『精選版日本国語大辞典』を引いてみると、

「刑務所で受刑者や在監者に、悪を悔い正しい道を歩むように教えさとす人。仏教僧またはキリスト教の神父、牧師、伝道師などが、法務省の任命により当たる」

とある。

本書は、元広島テレビのディレクターで現在はジャーナリストの堀川惠子氏が、半世紀にわたり死刑囚の教誨を行った渡邉普相氏に、生前、聴き取りを行ったもの。帯には、

「この話は、わしが死んでから世に出して下さいの」

という渡邉普相氏の言葉が記されている。

渡邉氏が教誨を行った多くの死刑囚の中から、特に記憶に残った死刑囚との話が記されている。いずれの死刑囚も、そして渡邉氏も、もうこの世には、ない。

「死」を前にして人間はどう変わるのか?なぜ「死刑」に当たるような罪を犯すようになったのか?また実際に「死刑」直前、人生最後の「教誨」を行って、死刑に立ち会った際にはどのようなことが、目の前で展開されたのか?など、普通は知ることのできない「死刑囚」を巡る問題、つまりは、多くの「生と死」の問題に直面した人のみが知る世界の一端を、知る(感じる)ことができる。死刑囚の中には、世間で「重い犯罪」とされること、つまり「殺人」などを、悪いとは分かっていても「殺したい!」という衝動が抑え切れない者もいた。自分でそれが分かっていても抑えられない、だから早く死刑にしてくれ、それが世の中のためだ、と話す者。自分を捨てた母を振り向かせたい、そのために次々に犯罪を犯し、母に注目されたかったという屈折した人生の終わりに、ついに振り向いてもらえなかった者・・・。「人間の性(さが)」という言葉が頭をよぎる。

また、昔の「死刑執行」は、今のように3つ並んだボタンを3人で押して、誰のスイッチが実際に絞首刑につながっているか分からなくする、などということはなかったそうだ。鉄道の「線路の切り替え機」のようなものを、バッタン!と倒すと足元の床が開いて・・・というダイレクトなものだったという。それは死刑執行人にとっては、ものすごく辛い仕事なのではないか・・・。

死刑判決を受けた後、法務大臣が執行の署名をすることで死刑は執行される。それは法務大臣の仕事の一つなのではあるが、短期間に実に、20数人の執行書にサインした大臣がいたという・・・。「死刑」という刑罰についても、考えさせられる一冊。

(本の雰囲気とタイトルは、ちょっと見た感じは「湊かなえ」の本みたいな雰囲気だが、全然違います。)


star4

(2014、11、12読了)

2014年11月27日 15:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5601「挫傷と挫創」

 

男子フィギュアスケート中国でのグランプリシリーズの「6分間練習」で、中国選手と衝突してけがをした羽生結弦選手が、大阪行われるNHK杯に出場するかどうか、注目されています。(結局、11月26日の夜7時に「出場する」と発表されました)そのニュースを「ミヤネ屋」でお伝えした際に、羽生選手のけがの状況を示すフリップがありました。そこには、

「頭部挫創」「下顎挫創」「腹部挫傷」「左大腿挫傷」「右足関節捻挫」

徒言う漢字ばかりの難しそうな言葉がありました。

この、「挫創」と「挫傷」の違いは何でしょうか?ともに「挫」が付きますが、その意味は「打撲」「打ち身」のようです。「挫く」と書いて、

「くじく」

とも読みますよね。「捻挫」の「挫」です。調べてみると、

*「挫」=打ち身で皮膚の内側に何らかの傷が出来た状態。内出血など。

*「挫」=打ち身で皮膚の内側に何らかの傷が出来た状態プラス、外側にも切り傷などがある状態。

ということでした。たしかに「頭」と「顎」は「血が出ていました」からね。そういえば

「絆創膏(ばんそうこう)」

に使われる「創」は「キズ」のことでしたね。

また、事件などで出て来る「刃物から身を守るとき」にできる、

「防御創」

というのも、「創」は「キズ」ですしね。

勉強になりました。「創」関連では、「平成ことば事情4410 満身創痍と注入」も、お読みください。

(2014、11、26)

2014年11月27日 12:44 | コメント (0)

新・読書日記 2014_166

『プライドが高くて迷惑な人』(片田珠美、PHP新書:2014、10、29)

 

著者は精神科医。同い年ぐらい。この本と同じPHP新書から出ている『他人を攻撃せずにはいられない人』は、25万部を超えるロングセラー・ベストセラーになっている。非常にわかりやすい文章と、「キャッチー」なテーマで、ついつい引き込まれて読んでしまいます。2度ほど、御著書を送ってもらいまいた。この本は買いました。

タイトルのような人が周囲にいると本当に迷惑だが、でも「プライド」は必要だとは思う。また、実はそのような「迷惑な人」に、自分がなっているのではないか?という危惧もあって、その「病状診断」という意味合いで、本書を買って読んでみたのだ。だから普段は表紙を隠したりしないのだけど、ちょっと今回は恥ずかしくて、カバーを外して持ち歩いて読みました。

一番迷惑なタイプは「周囲を操作しないと気の済まない人」。あ、いるいる、そういう人。困るよねー。これは、俺は当てはまらないな。

なぜそういった人が生まれるのか?

それは「幼児的な万能感にとらわれたまま大人になってしまった」から。

そうなのか。ま、それ以外にも原因はあるようですが。

そういうふうに「自分の主張を曲げないプライドの高くて迷惑な人」への対応は!?

→相手の顔をつぶさないように気を付けながら、こちらの意見や助言を押し付けずに、ほのめかす程度にとどめておく、と。つまりは、そういう人には、近づかないことね、できるだけ。それが出来ないケースがあるから、困るんですよ!!ハーッ・・・。


star3_half

(2014、11、14読了)

2014年11月27日 10:49 | コメント (0)

新・読書日記 2014_165

『現代用語の基礎知識2015』(自由国民社:2014、11、20)

 

今年も「日本語事情」のページ、4ページだけと少しさびしいですが、書きました。

ページ数が少ない分、文章が"筋肉質"のような気が自分ではしています。これで「2006年版」から、いつの間にか「10年連続」で書いてるなあ。「継続は力なり!」ですね。

内容もそうですが、今年は「表紙」が画期的!とにかくこんな分厚い本(辞書・事典)を手に取って「めくってもらう楽しみを!」ということで、キラキラのブルーの表紙。ワクワクしますね。「ブルー」というと「青色発光ダイオード」がノーベル賞を取ったなあ・・・などということも思い浮かんだりして。私はこのキラキラ、大好きなんですね。いいです、これ!キラキラの紙の開発には、偶然巡り会ったというようなことも「編集後記」に書いてありました。

巻頭の森永卓郎さんと小島よしおの対談もおもしろいね。

巻末の外来語事典、これまでもあったのだろうけれども、こんなに充実した外来語事典であったのか!と、改めて認識しました。

「音楽」の項目は中川右介さんが書いていますが、新しい事項を取り入れながら、基本的なことも押さえるという感じで9ページ。さらにことしは例の「ゴーストラーター事件」の佐村河内の件についても「2014年の特記事項」で書いてらっしゃいます。去年、中川さんは、

「佐村河内はCDなどの売り方がえげつない。音楽の内容もそれほど目新しいものではない」「今年は真価が問われるだろう」

と"予言"している。まさにその"現代のベートーベン"の「化けの皮」がはがれた今年の出来事は、中川さんの「先見の明」を裏付けたと言えます。

それとともに、「本来の値打ち」ではない「周辺の情報(="全盲"であること、被爆地・広島をテーマにしたとされる楽曲など)」に惑わされない生き方の大切さを、改めて教えてくれている気がします。真実を見抜く目、リテラシーが求められていると。ボヤッと生きていると騙されるのか。いやはや、大変、生きにくい世の中になりましたねえ・・・。


star5

(2014、11、20読みました!読了はしていない)

2014年11月26日 17:48 | コメント (0)

新・読書日記 2014_164

『ゴッホが挑んだ「魂の描き方」~レンブラントを超えて』(尾崎彰宏、小学館101ビジュアル新書:2013、4、6)

 

半分ぐらい読んでほったらかしでしたが、読み切りました。新書なのに値段が1100円+税!と高い!でも納得のカラー写真での図版が豊富にあるで、このぐらいの値段は仕方がないかな、と。

ゴッホは、レンブラントを目指していた。そして、それを超えた世界に羽ばたいていったという証拠とその流れを、図版と共に解き明かしていく。また、そのゴッホに、日本の「浮世絵」が、どういう影響を与えたのかも記されている一冊。


star3_half

(2014、11、16読了)

2014年11月25日 11:07 | コメント (0)

新・読書日記 2014_163

『家族の悪知恵~身もフタもないけど役に立つ49のヒント』(西原理恵子、文春新書:2014、5、20)

 

西原理恵子の「悩み事相談」をまとめた新書第2弾。改めて読んでみると、まあ突拍子もない、ブッ飛んだ人生相談だわな。なかなかここまで開き直れる人は少ないが、打開策としては、そのぐらい開き直った方がいい!と、物凄くブッ飛んだ相談に対する回答です。パチパチパチ。ま、これでいける人は、そもそも悩まないと思うけどね!


star3_half

(2014、11、15読了)

2014年11月24日 11:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5600「健さん死す」

 

11月18日、映画俳優の高倉健さん(83歳)が今月10日に悪性リンパ腫のため亡くなっていたことが報じられました。「ミヤネ屋」でも18日と19日、そのニュースを扱いました。

11月19日のスポーツ紙は、どの新聞も健さんの訃報を1面トップで報じていました。各紙の見出しを見たら、こんな感じでした。

(サンケイスポーツ)健さん死す

(日刊スポーツ)  健さん死す

(スポーツ報知)  健さん死す

(デイリースポーツ)健さん逝く

(スポーツニッポン)健さん旅立つ

ということで、5紙中3紙が「健さん死す」と見出しが揃っていて、「デイリー」が「逝く」で、「スポニチ」が「旅立つ」でした。

こういったときに「口語」であれば、

「死ぬ」

なのに、なぜか「文語」の、

「死す」

が使われるのですね。たしかに、

「『文語』の方が"かしこまった感じ"がして『訃報』にはふさわしい」

気がします。

「死す」で思い出すのは、やはり、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画

「ヴェニスに死す」

ですね。それと、大藪春彦の原作の映画

「野獣死すべし」

でしょうか。主演の松田優作さん、映画「ブラック・レイン」では健さんと共演していますね。大阪でのロケ、昨日のことのように・・・とは言いませんが、「少し昔」という感じで。でももう、「キリンプラザ」も閉鎖されたし、「大阪府警」のビルも新しくなっちゃったし、ロケで使った建物も変わっていますね。だってあれは、

「昭和の最後の頃」

のロケでしたもんね。今はもうすぐ、

「平成27年」

ですし。松田優作さんも、健さんより先に若くして逝っちゃいましたし・・・。なんか、しみじみと"時代の流れ"を感じます。生涯現役の健さん、お疲れ様でした!合掌。

(2014、11、19)

2014年11月19日 20:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5599「アジアゾウとインドゾウ」

 

11月17日の読売テレビのお昼のニュースで、ラオスから京都市動物園に贈られた「アジアゾウ4頭」が、関西国際空港に到着したと伝えていました。

それを聞いて、

「アジアゾウって、インドゾウって、どう違うんだろう?」

という疑問が出ました。調べてみると、『精選版日本国語大辞典』で「インドゾウ」を引くと、

*「インドゾウ」→アジアぞう(象)

と、「空見出し」になっていました。そこで「アジアゾウ」を引くと

*「アジアゾウ」=ゾウ科の哺乳類。アフリカゾウより小形で、特に耳が小さい。牙は普通雄だけに見られる。インドからマレー半島、スマトラ島に分布。飼育され、運搬等に使われる。インド象。」

とありました。ということは、昔は「インドゾウ」と呼ばれていたものが、今は「アジアゾウ」と呼ばれることになったのか、もしくはインドにいるゾウが「インドゾウ」で、それ以外のアジアにいるゾウが「アジアゾウ」なのか?

子どもの頃に読んだ絵本で、戦争中、東京の上野動物園で飼育していた猛獣が、もし空襲で動物園が焼けて逃げ出したら危険だということで毒殺されたという悲しいお話がありましたが、あの時に、賢くてなかなか毒入りのエサを食べなかった「ゾウの花子」は、

「インドゾウ」

だったような気がします。調べてみたら、

1941年(昭和16年)811日には、陸軍の指示に応えて、上野動物園が『動物園非常処置要綱』を作成し、空襲の危機があれば動物を察処分にすることになり、一連の殺処分の中で、3頭のインドゾウの処分は特に著名である。」

とありました。やっぱりあれは「インドゾウ」だったんだ!

ネットで検索してみると、「札幌市円山動物園」のホームページでは、

「インドゾウ(アジアゾウ)」

という表記が。「富士サファリパーク」では、

「アジアゾウ」

とだけ表記。面白かったのは、ここにはアフリカゾウとアジアゾウがいるそうですが、どちらのゾウも、

「ゾウゾーンでご覧いただくことができます」

と書かれていました。「ゾウゾ-ン」って・・・。

また、『ブリタニカ国際大百科事典』の「ゾウ」の解説では、

「アジアゾウ」

が使われています。また「百科事典マイペディア」では「ゾウ」の項目の中に、

「アジアゾウ(インドゾウはアジアゾウの亜種)」

と書かれています。

他の国語辞典を引いてみたのですが、なんと『新明解国語辞典』には「アジアゾウ」「インドゾウ」はおろか、「アジア」「インド」「アフリカ」が見出しにありませんでした!ついでに「アメリカ」も「造語(要素)」としてしか載っていなかった!つまり「アメリカ合衆国」の意味での「アメリカ」は載っていないのです。これにはビックリですね。そんな基本的な言葉はきっと引かないだろうからと、落としたのか?

そして同じく小型辞典の『三省堂国語辞典』を引きましたが、さすがに「アジア」「インド」「アフリカ」は載っていましたが、「アジアゾウ」「インドゾウ」「アフリカゾウ」は載っていませんでした。残念。

『広辞苑』で「インドゾウ」を引くと、

「インドゾウ」=アジアゾウの別称。

とありました。やっぱりそうか!「アジアゾウ」も、もちろん載っていて、

*「アジアゾウ」=ゾウ科の一種。アフリカゾウより小形で耳も小さいが、肩高2,5~3,3メートルに達する。スリランカ・インド・タイ・マレー半島・中国南部・スマトラなどに生息。東南アジア各地で労働用に飼育。また、象牙を採るため乱獲され、絶滅に近い地域もある。インドゾウ。」

なのだそうです。グーグル検索では(11月17日)、

「アジアゾウ」= 21万9000件

「インドゾウ」=  9万9500件

「アフリカゾウ」=34万4000件

でした。

 

(追記)

NHKの原田邦博さんから、メールで情報を頂きました。

「ことし、スリランカに行った際、説明では『アジアゾウ』を使っていました。専門的には『スリランカゾウ』という言い方もあるようです。『インドゾウ』も、種類はほぼ同じということですが、最初の頃、インドから日本に贈られたゾウが多かったことから『インドゾウ』という言い方が広まったのではないでしょうか。なお、江戸時代に見世物になったのは『ベトナム』あたりから来たゾウで、上野動物園には明治21年(1888年)に『シャム王国』(今の「タイ」)からゾウが贈られています。ただ『シャムゾウ』という言い方はないようです。『タイゾウ』だと『原田泰造』みたいですが・・・。

最近、山口の徳山動物園に来たのは『スリランカゾウ』です。以前は『アフリカゾウ』の1つの『サバンナゾウ』がいたそうです。」

たいへん詳しい「ゾウ報」・・・ではなく「情報」、ゾウもありがとう・・・どうもありがとうございました!(ゾウ致しまして。)

(2014、11、19)

 

 

(2014、11、17)

2014年11月18日 19:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5598「グルジアとジョージア」

 

(2009年4月10日にこのタイトルを書いた際には「平成ことば事情3708グルジアとジョージア」)でした。

 

元ソ連の一員であった「グルジア」が、その名称を、

「ジョージア」

にしてほしいと主張しているのを私が知ったのは、2009年の4月でした。その際にメモしただけでほったらかしにしていたのですが、あれから5年半、どうやら「ジョージア」への「国名表記変更」が現実味を帯びて来ました。

10月下旬に、グルジアのマルグベラシビリ大統領が来日した際、大統領は安倍首相に、「ジョージア」へ国名の表記変更を依頼し、安倍首相もそれを受け入れる方向で検討することを約束したという報道が流れました。

「ジョージア」への国名表記変更に関しては、2014年10月7日の読売新聞夕刊「よみうり寸評」でも取り上げられたほか、11月13日の読売新聞の国際面でも、寺口亮一記者が、

「『ジョージア』の波紋」

と題して記事を書いています。それによると寺口記者は10月下旬にマルグベラシビリ大統領にインタビューしたとのこと。大統領は、安倍首相の対応に関して、

「我々の立場への敬意と思いやりの表明だった」

と喜びを隠さなかったそうです。

そもそも、なぜ「グルジア」ではなく「ジョージア」と読んでほしいのか?というと、

「『グルジア』は『ロシア語の読み方』だから」

です。「グルジア」国民は「反ロシア感情」が強いために、

「『ロシア語での呼び方』は、受け入れられない」

というのです。しかし・・・英語読みの「ジョージア」というと、どうしても、

「アメリカのジョージア」

を思い浮かべてしまいますよね。「缶コーヒーの名前」にも「ジョージア」ってありましたし、

「ジョージア・オン・マイ・マインド」

なんて曲もありました。なんだか、場所のイメージが変わって来るなあ。

「グルジア・ワイン」

も有名なのに、これが、

「ジョージア・ワイン」

になると、コーヒーっぽく感じますよね?

寺口記者がインタビューで、

「もし、対露関係が改善されたら、また『グルジア』に戻すのですか?」

と聞いたら、大統領は、

「その可能性はない。ジョージアの名は、歴史的な選択だ」

ときっぱり答え、親欧米路線を歩む「強い決意」のほどを見せたそうです。

今後も「グルジア」が、いつ「ジョージア」になるのか、注目していきたいと思います。

"気分はジョージア"

ですね。

(2014、11、14)

2014年11月17日 11:19 | コメント (0)

新・読書日記 2014_162

『殉愛』(百田尚樹、幻冬舎:2014、11、5)

 

今年1月3日に亡くなった「やしきたかじん」さんの闘病の様子を、奥さんの「さくらさん」が、作家の百田尚樹さんに語り、百田さんがさくらさんへの取材と、さくらさんとたかじんさんの手による詳細なメモなどを基に書いたもの。

たかじんさんの闘病生活がどういったものだったのか?ということには興味があった。私は、たかじんさんとは面識はないが、本に出て来る番組関係者などの中には、知っている人も結構いる。間接的には知っている部分もあるという感じか。もちろん、詳しい事は何も知らないのだけど。

特に先入観なしに読み始めると「そうか、そうだったのか」という内容が出て来て、先へ先へと読み進める。しかし、途中で疑問が。この本は体裁としては「ノンフィクション」の分野になると思うが、著者の百田さんは「奥さんのさくらさん」への取材のみで書き進めているように思える。ものによっては、ノンフィクションであってもそれでいい(仕方がない)場合もあるが、この本では明らかに「奥さん側vs.以前からたかじんさんのスタッフだった人・親族」という"対決"の構図になって話が進んでいくにもかかわらず、「以前からたかじんさんのスタッフだった人・親族」側に対する取材がなされていないように感じる。つまり「奥さん側の言い分のみ」に立脚して書かれているのである。これは「報道」とか「ノンフィクション」「ドキュメント」の立場から言うと「公正さ」に欠ける。もちろん「物語・フィクション」であればそれでもいいかもしれないが、「物語」にしてはあまりにも生々しく、「実在の人物」がたくさん出てくるので、「虚虚実実」といった感じ。もし、最後のページに、

「この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません」

とあれば、「そうかあ」と思えるが、そういうスタンスではないようである。それならば、両サイドに取材して書いた方が良かったのではないか。

普段「アマゾン」は使わないので見ることもないが、その「アマゾン」のレビュー(書評)を見たら、☆が1つ~5つで評価できる欄は、なんと「☆1つ」と「☆5つ」の両極端に真っ二つに割れていて、真ん中(☆2つ~4つ)はほとんどない。有名人を主人公とした「フィクション」として読めば正に「純愛・殉愛」の物語であり「星5つ」になるが、「ノンフィクション」の「有名人の闘病・看病記」として読むと、「余りにも一方に偏った記述で読むに値しない」となって「☆1つ」になるのだろう。

私は、事実はわからないので、ちょうどその中間の「☆3つ」だが、読み物としてはおもしろかった(興味深かった)ので、半分だけ☆を増やして「☆3つ半」という評価にしました。


star3_half

(2014、11、11読了)

2014年11月16日 12:08 | コメント (0)

新・読書日記 2014_161

『日本人も悩む日本語~ことばの誤用はなぜ生まれるのか?』(加藤重広、朝日新書:2014、10、30)

サブタイトルの「ことばの誤用はなぜうまれるのか?」は大変興味深い。正に興味津々で読み始めた。

著者は1964年生まれ、現在北海道大学の言語文学専攻の教授。富山大学の助教授をされていたこともあるらしい。著書の中の一つ『その言い方が人を怒らせる』(ちくま新書)を読んだことがあるような気がする。

「学者」のスタンスから言うと、ことばは時代と共に変化するものだから、「揺れ」はあってもそれは変化であって「間違い」ではないということになるが、一般の人はそうは考えないで「正しい日本語」を求める。そのすれ違い。これは仕方がないよね、バランスを取りながら行くしかないな。

具体的に「こんなことばの"間違い"があります」とたくさん挙げてあり、勉強になる。また、江戸時代には「だうな」という言葉があって、意味は「無駄遣い、空費して無益な様」。それに「目」が付いた「目だうな」が「目で見ても無駄で、何の得る所もない」という意味で、さらにそれが訛って「面倒な」になったという、まさに「目からウロコ」の話も!知らんかったー!勉強になるー!

ただ、何か所か気になった点があった。

まず、77ページ。「看護婦」が「看護師」に変わったのは「保健婦助産婦看護婦法」が2001年末に改正されたというくだりで、

「施行は2002年4月」

とあるが、これは間違い。確認のため調べたが、

「施行は2002年3月1日」

である。私も以前「平成ことば事情」で「看護婦・看護師」について書いた時に、

「法律の施行は『年度初め』の4月からだろう」

と思い込んでいて「4月」と書いたことがあり、その後「3月1日から」だと知ったことがあった。

それと88ページ~90ページあたりの「送り仮名は論理よりも『感覚』で決まる」のところで書かれている「送り仮名」のルールは、当然、現在の「常用漢字表」のものであるが、私たち世代は「当用漢字表」で漢字を学んだので、「送り仮名」も「当用漢字」のものだった。「当用漢字」では、例えば「おこなう」は「行なう」と送るのが正しかった。小学校のときに、そう習った。しかし、既に大学生になっていた「1981年」から、「当用漢字」が「常用漢字」に変わり、送り仮名が「行う」となった。しばらくは、この送り仮名の表記に慣れなかった思い出がある。そのあたりの事情も書いてほしかったと思いました。

さらに、245~246ページの「だらしない」の語源が、「しだら」の「音位転換(メタテシス)」と書いてあるあたり。もう一歩、踏み込んで、「しだら」の語源についても書いてほしかったなあ。私も「平成ことば事情935 ふしだらとだらしない」に書きましたが、荒川惣兵衛の『外来語辞典』には「シダラは梵語sutra(修多羅)から」とあり、また中村元編『仏教語散策』(東京書籍)によると、「スートラ」というのは「経(きょう)」のこと。つまり「縦糸」のことなんだそうです。さらに、堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書)では、『「ダラシ」は、手拍子のことをいうシダラが転じたとする説がある』『サンスクリット語の「スートラ(sutra 修多羅)」からとの説もある。また「自堕落」が転じてシダラとなったと見る説もある。しかし、シダラとその倒語であるダラシは、「締まり」のことであると見るのがよい。節度がない、また体力がなくて弱々しいのがダラシナイなのである。』

という記述もあります。そのあたりにも触れてほしかったな、と思いました。


star4

(2014、11、5読了)

2014年11月15日 12:03 | コメント (0)

新・ことば事情

5597「ひとケタ台」

 

関西情報ネットten.」で気象予報士の蓬莱大介さんが、

「あしたは気温が『ひとケタ台』になるので、暖かくしてお出かけください」

と言っていました。この、

「ひとケタ台」

が引っかかりました。

「気温がひとケタになります」

でいいのではないでしょうか?これが

「ふたケタ台」

ならば、まだ許せる気がします。

「学力テストで、全国でふたケタ台」

という場合は、

「10番から99番」

ということですよね。つまり選択肢が多い。「20番台」「30番台」「40番台」・・・・・「90番台」までありますしね。それの総称として

「ふたケタ台」

はOKだと思うのです。それに対して「ひとケタ台」は、

「1番から9番」

で、それを細分化しようがありません。そういった意味でも「台」は付かないのではないか?と思うのですが、いかがでしょうか?

(2014、11、13)

2014年11月14日 22:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5596「オーロラ観光が盛んなこの街」

 

先日の「ミヤネ屋」で、カナダで日本人女性が行方不明になっているニュースをお伝えしました。場所はカナダのイエローナイフ。「オーロラ」が見られることで有名・人気の街ですね。そのニュース原稿に、こういった一文が。

「オーロラ観光が盛んなこの街」

この「オーロラ観光が盛ん」がちょっと引っかかりました。

「○○産業」「○○工業」

のように、

「その場所で生産しているもの」

には「~が盛ん」と使えますが、「観光」は、その場で何かを作っているわけではなく、お客さん(観光客)が来てくれることで初めて成り立つので、この表現にはそぐわない気がするのです。主体は「お客さん」の様に感じるのですよね。そこで、

「オーロラ観光でにぎわうこの街に」

という文章に直しました。「産業」を付けて、

「オーロラ観光産業が盛んなこの街」

ならば、大丈夫なのかもしれませんが。

(2014、11、13)

2014年11月14日 18:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5595「ほぼほぼ」

 

最近、会議などでよく耳にする言葉に

「ほぼほぼ」

があります。アクセントは、「ほぼ」が「ホ\ボ」と「頭高アクセント」なのに対して、「ほぼほぼ」は、

「ホ/ボホボ」

と「平板アクセント」です。意味は、「ほぼ」と同じだと思うんですが、「ほぼ」でさえ「断定的」だと言うのでしょうか、その「一歩手前」というようなニュアンスがあると思います。「内定」ではなく、

「内々定」

みたいな感じですかね。私はこの言葉、使わないのですが。

グーグル検索では(11月13日)

「ほぼほぼ」=47万4000件

でした。そのトップに出て来た「実用日本語表現辞典」というサイトによると、

*「ほぼほぼ」=「ほぼ」を強めて言う表現。完全ではないが大体そうだと言える様子を意味する語。

とありました。また読売新聞の「発言小町」でも2011年の6月に、

「『ほぼほぼ』は正しい表現なのでしょうか?社長をはじめ、上司がやたらと使います。

意味は『ほぼ』と同じです。『ほぼほぼ』と聞くと、なんかイライラしてしまいます。」

という投稿が。それに対する回答としては、

「強調したい時にたまに使いますよ。『ほぼ』が99%だとすると『ほぼほぼ』は99.9999999999999...%というニュアンスです。他にも、『ごく少数』を『ごくごく少数』と言ったりしませんか?これも気になるのでしょうか。」

「同僚にも(使う人が)います。なんとなくですが、『ほぼ』だと『詰めが甘い』との批判を受けると心配していて、それをかわすために重ねているような気がしています。」

というように「強調のために使う」というな意見がある一方で、2011年6月の時点では、まだ「知らない」という意見も、たくさんあります。例えば、

「『ほぼほぼ』って言わないですよ。変!でも、どうやら妙なビジネス語(?)として一部で流行っているみたいですね。」

「ここで始めて知りました。驚きがありネットで見てみましたが、『あり』な言葉のようですね。」

というような意見です。

さっきの会議でこの「ほぼほぼ」を使っていた後輩のSデスクに、

「『ほぼほぼ』って、どんな意味で使ってる?」

と聞いたところ

「『ほぼ』と同じような意味だと思います。『強調』か?『婉曲』か?って言うと・・・うーん、どうだろう?」

「『内定』って言おうと『もう、決まり』って感じだけど、『内々定』と言うと『その一歩手前』という感じだと思うけど、それと同じような感じかな?」

「そうですね。それは言えると思います。ボクも10年前には使わなかった表現ですが、今は使っていますね」

という答えが返って来ました。

念のため『三省堂国語辞典』を引いてみると、「ほぼほぼ」という「見出し語」はなかったのですが「ほぼ」の語釈の中に、こんな一文が。

「俗に重ねて使う。」

あ!これは、ほぼほぼ、「ほぼほぼ」のことだ!

さすが飯間さん、"ほぼほぼ"目配りが届いていますね!

(2014、11、13)

2014年11月14日 15:47 | コメント (0)

新・ことば事情

5594「恩恵にあずかって」

 

先日の「ミヤネ屋」で原稿をチェックしていたら、こんな表現が出て来ました。

「恩恵にあずかっているという声は、なかなか聞こえて来ず・・・」

この中の、

「恩恵にあずかる」

という表現。なんか違和感があります。これは正しくは、

「恩恵にさずかる」

ではないでしょうか?もしくは、

「恩恵を受ける」「恩恵を蒙(こうむ)る」「恩恵に浴する」

といったところか。グーグル検索では(11月13日)、

「恩恵にあずかる」   = 6万0200件

「恩恵に預かる」    = 2万7400件

「恩恵に与(あずか)る」= 2万22400件

「恩恵にさずかる」=************

「恩恵に授かる」 =************

「恩恵を受ける」    =48万8000件

「恩恵を蒙(こうむ)る」=   9870件

「恩恵に浴する」    = 2万6000件

「恩恵を授かる」    = 2万0100件

「恩恵をさずかる」   =    371件

とういうことで、正しくは

「恩恵に与(あずか)る」

のようですね。勉強になりました。

(2014、11、13)

2014年11月14日 10:46 | コメント (0)

新・ことば事情

5593「マリーか?マレーか?」

 

ご存じのようにテニスの「ATPワールドツアーファイナルズ」に、世界ランク現在5位の錦織圭選手が出場しました。この大会は、その年のランキングで8位までの選手しか出られない、まさにトップオブザワールド、世界の強豪しか出られない大会です。出られるだけで、ものすごーくスゴイことなので。

その初戦、錦織選手は、何とこれまで3戦全敗だったロンドン五輪の覇者・イギリスのマレー選手に6-4、6-4のセットカウント2-0のストレートで勝ってしまったのです!スゴイ!!

さて、この相手選手の名前の表記が揺れています。

新聞は、「読売・朝日・毎日・産経・日経」の全国紙5紙とも、

「マリー」

でした。地方紙も「マリー」のようですが。これはおそらく「共同通信」が「マリー」なので、その記事のためだと思われます。

ところが、「テレビ」は私が見た限りでは、「日本テレビ・NHK・テレビ朝日」は、

「マレー」

なのです。この違いは???ネットで検索すると、

「フジテレビ」=マリー

「TBS」  =マリー

「時事通信」 =マリー

というように「マリー」派のようですね。「テレビ東京」「テレビ大阪」は検索しても出て来ませんでした。

また、ネット検索の中では、

「現地音に近いのは『マリー』」

という記述も。きっっと「リ」と「レ」の中間なんでしょうけどね。

外国人の人名をカタカナにするのは、本当に難しいですね。

テニスに詳しいMプロデューサーに聞いてみると、

「テニス関係者は『マレー』と言ってることが多いですねえ。でも、ああいう世界の一流選手は一年中、世界を転戦しているので、"どこに住んでいるか""どこが地元か"わからないぐらいですね。もちろん、それぞれ"出身国"はありますけど。転戦する国によって発音が違ったりするから、本人たちは特に気にしていないのかもしれません。でもその昔、『エドバーグ』選手は、アメリカを中心に世界中でそう呼ばれていたんですが、地元の呼び方である『エドベリ』にしてくれと要望して、変更されたことがありましたね。」

とのことでした。なるほどね。しかし、日本語の場合は、

「真理」

さんが、

「マレ」

さんになったら、別人ですけどね。

(2014、11、11)

(追記)

フジテレビ、ネットでは「マリー」でしたが、けさ(11月12日)の「とくダネ!」では、

「マレー」

で放送していました。

あとTBSとテレビ東京については、どちらを使っているか聞いてみたところ、「TBS」は、

「マリー」

で放送したとのこと。一方「テレビ東京」は、

「マレー」

でスポーツニュース(の原稿)も、実況ずっとやっているとのことでした。

テレビ朝日の中継に出て来た「松岡修造さん」も、

「マレー」

と言っていたと思います。

そうすると

新聞=「マリー」

放送=「マレー」(TBSのみ「マリー」)

と、ほぼきっぱりと分かれているんですね。おもしろいですねえ。

「本人」に、「どっち?」って、聞けないかな?

(2014,11、13)

2014年11月13日 21:44 | コメント (0)

新・読書日記 2014_160

『熱狂なきファシズム~ニッポンの無関心を観察する』(想田和弘、河出書房新社:2014、8、30)

タイトルの付け方がうまいと思った。なるほど「ファシズム」で想起される「熱狂」が「ない」。だからファシズムの進行に気付かない・・・という視点ですね。ツイッターで、この本の存在を知りました。書き下ろしかなと思ったらそうではなかった。いろんなところに書いたものを集めたもの。でも上手く編集・まとめているので、このタイトルのもとに「一冊」にまとまっている。まえがきのところに書いてある比喩が分かりやすい。

「敵を作って正面からやっつける『橋下政治』は『大火傷』、じわじわと民主主義を壊していく『安倍政治』は『低温火傷』」。

なるほど、そういう比喩ですか。

ドキュメンタリー映画の監督(ディレクター)である著者は、「観察映画」を標榜している。この本のサブタイトルでも「ニッポンの無関心を観察する」と「観察」を使っている。「ジャーナリスト」の語源「ジャーナル」とは、「日記・日誌」。それを記録する人が「ジャーナリスト」。日記や日誌を書くには「観察」が必要だと思いました。


star4

(2014、10、25読了)

2014年11月13日 18:29 | コメント (0)

新・読書日記 2014_159

『金田一家日本語百年のひみつ』(金田一秀穂、朝日新書:2014、8、30)

 

「かねだ・いっか」ではなく「きんだいちけ」です。お間違いなく。

ことし6月に、甲南大学で金田一先生の講演を聞いた。楽しかったけどね。

そういう"縁"もあって、読んでみたいなと。特に「ひみつ」ということは出て来ないけど、著者18歳のときに亡くなった祖父・京助の生活での一面や、父・春彦の人柄やエピソードなどが興味深く読める。やはり祖父よりは、父・春彦の方が、接していた期間が長かったので、詳しい叙述になっています。


star3_half

(2014、11、10読了)

2014年11月13日 15:28 | コメント (0)

新・読書日記 2014_158

『仏果を得ず』(三浦しをん、双葉文庫:2011、7、17)

 

単行本は2007年11月に出ているそうです。『舟を編む』以降、三浦しをんの本をいろいろと読もうと、この本も以前に購入していたが読んでいなかった。しかし、ここへきて「大阪の本屋さんが一番売りたい本」として注目されているのと、大阪市が文楽への補助金をカットしたというタイミングでもあるので「読むなら、今!」と読んだ。おもしろかった!

「仏果」とは、「仏道修業によって得られる成仏の結果。さとり」(『広辞苑』)とある。それを「得ず」ですから、「悟りを開いていない」「まだまだ」ということですね。三浦しをんの本のタイトルは『舟を編む』でもそうですが、ひとひねりありますよね。

文楽の「大夫」は「語り」、歌うほうの人。高校の修学旅行で「人形浄瑠璃・文楽」を見て人間国宝の大夫の語りに「ビビビッ!」と来て弟子入りをするという、まあ、まれな体験をして10年ほど立つ若手が主人公。仕事に一途な中での恋や友情、お茶目で型破りな先輩たちとの交流、住んでいる"家"が、なんとラブホテルという、なんとも奇想天外な設定も面白い。楽しく読めて、ちょっと若返った気がする物語。

 


star4_half

(2014、10、30読了)

2014年11月13日 10:27 | コメント (0)

新・読書日記 2014_157

『国家が個人資産を奪う日』(清水洋、平凡社新書:2013、5、15)

この本も、去年出たときに買って「読みさし」になっていたら、もう1年半もたって、「タイムリー」とは言えなくなってしまったが、その「時差」を考えながら読むのも、乙なもの。つまり1年半たって、著者の書いていることが「当たっているかどうか」の答え合わせをしながら読めるのだ。かなり意地の悪い読み方だが、最初からそうしようと思った訳ではない。帯の文字は、

「来(きた)るべき『その日』に いかに備えるか」

たしかにこの本が出たときと状況は変わっているが、かえって現状は、この本を読むのに適しているかもしれない。先日の日銀の80兆円まで市場に出す(国債を買う)という金融政策なんて、正に「国家が個人資産を奪う」につながるかもしれない。インフレで資産価値を目減りさせるという意味で。また「消費税」も同じく「個人資産」を奪う。「復興特別税」も既に払っているし、じわじわと「税金」が私たちの首を絞めて来ている。ゼイゼイゼイゼイゼイゼイゼイゼイと、あえぐ声が聞こえるようである。

また、気になったのは148~149ページの「いつか来た道」の話。

「戦前の例をひもとけば、太平洋戦争に突入した日本は、1942年に所得税と法人税の大増税を行った。そして敗戦と同時に国民の財産を奪い、さらに前述したように、47年に『財産税』の強化に打って出た。つまりあの太平洋戦争は、国民の税金によって遂行され、その敗戦処理も国民の税金で賄われたのだ。国民は、たとえ戦争によって生命は奪われなくても、敗戦によって丸裸になったことになる。今日の政府の政策も、すでに2014年からの消費税増税を決定したのは周知のとおり。さらに述べてきたように相続税や所得税、固定資産税の大増税も予定され、その先には『財産税』も見え隠れしている。すべては『いつか来た道』だ。」

気を付けよう。

 


star3_half

(2014、11、6読了)

2014年11月12日 22:26 | コメント (0)

新・読書日記 2014_156

『だからこそ自分にフェアでなければならない。~プロ登山家・竹内洋岳のルール』(小林紀晴、幻冬舎:2014、9、10)

 

「14(フォーテーィン)サミッター」

この地球に存在する「8000m級」の山「14座」すべてに登った人のことを、そう呼ぶらしい。竹内洋岳さんは日本人で初めて、世界でも29人目の「14サミッター」なのだ。その竹内さんと一緒に2600メートルほどの天狗岳に登りながら話を聞き、その山登りの様子を観察して書いたのが、この一冊。著者も山登りはしているそうだが「14サミッター」とは比べモノにならない。別世界の登山であると、思い知る。しかし、そこから学び取る教訓は多かったように思う。

読んでいて「そうなのか!」と思ったのは、

「山登りの経験は、積み上げるものではない。横に並べるものだ」

という言葉。「経験」というものは、まさに「山」のように「積み上げる」のかと思っていたが、8000メートル級の山は一つとして同じ山はないので、「経験」でこなせるものではない、と。ただ、全く経験がなくてはやはりダメ・・というあたり。難しいなあと思った。

それと、竹内さんはどこか「宗教家」のような、そんな空気を、本書を読んでいて感じた。


star4

(2014、10、28読了)

2014年11月12日 20:32 | コメント (0)

新・読書日記 2014_155

『日本代表はなぜ敗れたのか』(湯浅健二・後藤健生、イースト新書:2014、8、15)

 

今頃読むのは・・・と思いつつ。ブラジルワールドカップで、1次リーグで一つも勝つことなく敗退した日本代表。その「分析本」は、ワールドカップ終了直後の8月に出ていて、すぐに買ったのだが、少しだけ読みかけてほおっておいた。少し時間が経って、新しい日本代表(アギーレ・ジャパン)も始動したので、改めて、気を取り直して読んでみた。

同じ1952年生まれの湯浅健二さんと後藤健生さん。(「健」の字が同じだ。)湯浅さんは読売サッカークラブのコーチなどを務めた。後藤さんはスポーツライターとして1974年西ドイツ大会以降の全てのワールドカップ11回を現地観戦しているという。すごい!この二人の対談集。

タイトルの「日本代表はなぜ敗れたのか」の答えとしては、読んでいて私が「これが一番の原因かな?」と思ったのは、

「監督が一番臆病だった」

という点かな。

それより、決勝トーナメントの部分の対談を読んでいて、ワールドカップの記憶がよみがえって来て、ワクワク・ドキドキしました。


star4

(2014、10、23読了)

2014年11月12日 17:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5592「いつぶり」

 

11月8日の夜、テレビを見ていたら、嵐の大野君がハワイでバカンスを楽しむ、という「仕事」の様子を撮影していました。大野君は「釣り」が趣味らしく、「フィッシング」に行く様子をカメラは捉えていました。その際にディレクターが、こう質問しました。

「釣りはいつぶりぐらいですか?」

出た!「いつぶり」!

このところ気になっていた表現です。やはり、使われているようですね、比較的若い人の間で。

2006年に「平成ことば事情2722 いつぶりですか」で書き、その後ことし9月にも、「平成ことば事情5551 小学生ぶり」で「~ぶり」については書きました。ということで、

「『いつぶり』に関して書くのは『いつぶり』ですか?」

と問われたら、

「8年ぶり」(あるいは「2か月ぶり」)

ということですね。グーグル検索してみたら(11月11日)

「いつぶり」=40万1000件

でした。

そして、家に帰って『ビッグコミック』(20141125日号)に連載されている、石塚真一の漫画『ブルージヤイアント』で、ジャズのサックスに魅入られた若き主人公・大(だい)の友人・玉田のセリフで

「文化祭の時ぶりだけど・・・なんか・・・全然違うっつーか・・・」

というのが出て来ました。

「文化祭の時ぶり」

いろんな「~ぶり」があるんですねえ。

(2014、11、11)

2014年11月12日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5591「監視カメラか防犯カメラか?」

 

水泳の冨田尚弥選手が、今年9月の韓国・仁川で開かれたアジア大会で、報道カメラマンのカメラを盗んだとされる事件で、11月6日、冨田選手が「僕は盗んでいない」という会見を行いました。その会見で、冨田選手がカメラを盗んだ様子を記録した映像があるか、ないで論争になっていますが、そのカメラの映像を指して、

「監視カメラの映像」と呼ぶのか?それとも「防犯カメラの映像」と呼ぶのか?

11月6日の「ミヤネ屋」では、

「プールは物販などの商業施設ではないので、『防犯』ではなく『監視』で」

ということで、

×「防犯カメラ」→○「監視カメラ」

としました。しかし、翌7日の「ミヤネ屋」では一転、

×「監視カメラ」→○「防犯カメラ」

となりました。理由は、

「今回は、『カメラが盗まれた』わけで、その犯人を探るという意味では『防犯カメラ』ではないか」

というものでした。そういう見方もあるのか。

実は以前、「防犯カメラと監視カメラ」というタイトルで書きかけたままになっている文章があります。以下のような途中までのメモのようなものですが。

20091123日に書きかけました。そのときの番号は『平成ことば事情3918』でした。

『安心をPRする』なら『防犯カメラ』。『抑止力を重視する』なら『監視カメラ』。

『天網恢恢疎にして洩らさず』。

「監視カメラ」=監視の目が、監視網の人の目からカメラの眼に変わった背景は?イギリスは?他国は?また日本各地は!?

『監視の目』の『網の目』は、『広辞苑』に載ってる『目』の7つの意味のうちの4番目。『点状のもの。①縦横に並んだ線の交わる所。また、そのすき間。』

とある。『交わった点』を『目』というのはわかるが、『すき間』も『目』というのはなぜか??」

という本当にアイデアの「目モ」、いや「メモ」段階のものですが、要は、同じカメラを指して「監視カメラ」と呼ぶのか?「防犯カメラ」と呼ぶのか?に関しては、

「カメラの『防犯』というメリットを強調すれば『防犯カメラ』、監視される立場から不自由さを考えれば『監視カメラ』」

だと思っていたのです。しかし今回それとは別に、

「犯罪を監視したり、プールで溺れる人がいないか見守る」

という意味でメリットを強調して「監視カメラ」と呼ぶこともできるのだな、と思いました。そして「防犯カメラ」は「犯罪を未然に防ぐ」というメリットがありますが、

「犯罪が起きた際に、犯人を特定する(つまり、捕まえることにつながる)のに役立てる」

という面があって、「証拠写真」みたいな役割があるのだなと改めて感じました。

監視する対象が「犯罪」「悪事」なら役立つんですけど、「悪事ではない場合」は、

「自由を縛る」

ことになりますね。やはり両面あるんだなあ。

余談ですが、「防犯カメラ」とキーボードに打ったつもりが、出て来た文字は、

 

「棒ひゃんカメラ」

 

でしちゃ・・・。おお、吉本の諸見里みたいになってる!

(2014、11、7)

2014年11月11日 18:10 | コメント (0)

新・読書日記 2014_152

『誰がタブーをつくるのか?』(永江朗、河出書房新社:2014、8、30)

 

永江朗さんと言うと、以前はわりと軽いネタを書くライターさんというイメージがあったのだけど、その後早稲田の教授になり、「広辞苑」の本なども書かれて、どんどん先鋭化しているような気がします。

1970年代のような表立った「ことば狩り」的なものはなくなってきたものの、現在の言論の自由は、どんどん地下に潜って・・・というか、組織の内部に浸透して「自粛」の方向に走っている。その鬱憤は、匿名のネットなどに向かっているのではないか?

その辺りの「タブー」に関する事情を分析して書いている。その中で、「ビジネスにまつわるタブー」では、「クライアントのタブー」についても書かれているが、「商業マスコミ」の限界と言うか、「配慮」という名前の自粛・タブーは絶対にある。仕方がない面もあると思うし、それは読者・視聴者も「メディアリテラシー」として分かっている人も多いのではないか?著者も「タブーと規制」の問題を最終章で取り上げているが、「タブー」は全部なくさなければいけない、とは考えていない。「良いタブー」と「悪いタブー」があるということか。いろいろと考えさせられる一冊。


star4

(2014、10、16読了)

2014年11月11日 10:16 | コメント (0)

新・読書日記 2014_151

『9条どうでしょう?』(内田樹・小田嶋隆・平川克美・町山智浩、ちくま文庫:2012、10、10第1刷・2013、7、5第4刷)

 

小田嶋さんと、特に町山さんがこんな内容で何を書いているのかが知りたくて、去年買って読んだ。町山さんのを読んでから、しばらくほったらかしだったが、そろそろ読み切らなきゃと思って読み切りました。

そもそもこの本の単行本は2006年に出ているので、書かれた内容は、もう8年も前のものなのだけれども、当時よりも今の方がその必要性は高まって「真剣に読める」と思った。

タイトルは、北海道のテレビ局の『水曜どうでしょう?』からもらったんだろうな。それも「おもしろいな」と思って購入に至った動機一つでした。『水曜どうでしょう?』、実は見たことないのだけれども。

 


star4

(2014、10、13読了)

2014年11月10日 18:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5590「弁明か?釈明か?」

 

水泳の冨田尚弥選手が今年9月、韓国・仁川のアジア大会で、報道カメラマンのカメラを盗んだとされる事件で、11月6日、冨田選手が「僕は盗んでいない」という会見を行いました。その会見を指して、「弁明会見」と呼ぶのか?「釈明会見」と呼ぶのか?

辞書で「弁明」と「釈明」を引いてみましょう。(「広辞苑」)

 

*「弁明」=(1)説明して事理を明らかにすること。

(2)自分の立場や事情をはっきり述べること。弁解。

*「釈明」=(1)ときあかすこと。

(2)誤解や非難などに対して事情を説明して了解を求めること。

 

とありました。今回のケースはどちらか?

実は11月7日の「ミヤネ屋」では、

「弁明」

としたんですね。「無実」を主張する彼としては、「釈明」よりも「弁明」の方が近いのかな。「釈明」の(2)の、

「誤解や非難などに対して事情を説明して了解を求めること。」

だと、

「本当は、やったけど、いろいろ事情があってしょうがなかったんだよ」

というニュアンスも出て来るかなあという気がします。

「絶対やってない。説明させてほしい!」

という場合は「弁明」かなあ。

難しい"ことばの選択"になります。

(2014、11、7)

2014年11月 9日 15:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5589「不信と不安」

 

11月4日(現地時間)アメリカのオバマ大統領の民主党が、中間選挙で敗北した原因として挙げられているのが、

「不信と不安」

だそうです。いわく、「公約の実現ができていないこと」、「エボラ出血熱や『イスラム国』問題への対応が遅れたこと」に対して、「不信と不安」が生まれたのだそうです。

それを見て思ったのは、食品偽装事件や建築偽装事件等のときによく出て来た

「安全と安心」

という言葉でした。「安全」を確保するために努力するのは、どんな仕事でも当然だと思いますが、「安心」のほうは、たとえ「安全」が確認されてもすぐに達成できるとは限りません。「安全」を続けた実績があって初めて「安心」は醸成されます。

それと同じように考えると、「公約の達成がされない」という具体的な事実が「不信」につながり、その「不信」を土壌として「不安」が広がるのではないでしょうか?

まずは「不信」を取り除く努力を重ねることが、やがては「不安」を解消することにつながるのではないか?と考えます。

これは、何もオバマ大統領に限った話ではないと思います。

(2014、11、7)

2014年11月 8日 18:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5588「燃料棒の数え方2」

 

平成ことば事情5582「燃料棒の数え方」の続報です。

あれを書いた11月5日の夕刊を読んでいたら、「読売新聞」は、

「使用済み核燃料1331本」

と「本」を使っていたのです。次に「日本経済新聞」を見ても、

「使用済み核燃料1331本」

と、やはり「本」を使っているのです。ほかの新聞も見てみると、「本」と「体」、表記が分かれていました。

(読売)本

(日経)本

(朝日)体

(毎日)体

(産経)体

つまり、「読売・日経」は「本」、「朝日・毎日・産経」は「体」だったのです。

ふーん、この違いは何だろうなあ。また、次の用語懇談会の会議のときにでも、聞いてみたいと思います。

(2014、11、7)

2014年11月 7日 18:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5587「凝られている方」

 

先日の「関西情報ネットten.」で、気象予報士の蓬莱さんが、

 

「肩、凝られている方」

 

と言っていました。それを聞いて、

 

「『凝られている方』は、ちょっとヘンだなあ」

 

と話していたら、

 

「じゃあ、『お凝りになっている方』?」

 

と周りから声が上がりました。それじゃあ、「怒っている」みたいですね。ここはやっぱり、

 

「肩が凝って(い)らっしゃる方」

 

で良いのではないでしょうか?

敬語は本当に難しいですねえ・・・と改めて思いましたが、考えていたら、肩が凝って来ました。

 

(追記)

さっき蓬莱さんと話していたら、

「肩凝りの人」

が一番無難なんじゃないか?ということになりました。

「凝られた」

と言うと、

「来られた」

に聞こえちゃうんだよね。

(2014、11、7)

 

(2014、11、6)

2014年11月 7日 00:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5586「姉妹の絆を描いた映画」

 

11月6日のお昼のニュースで、恒例となった「世相ブラ」の発表のニュースが流れていました。「変わりびな」のような感じになって来ましたね。ことしのテーマは

「仲の良い姉妹」

だそうですが、見てみると、「色」と言い「雰囲気」と言い、どう見ても

「アナと雪の女王」

をモチーフにしていると思われるのですが、「その名前」は、ついぞ出て来ませんでした。その代わり

「姉妹の絆を描いた映画」

をモチーフにした、と言っていました。やっぱり「アナ雪」じゃないか!なぜ、そう言わないのか?と考えたときに思いつきました。

当然のことながら「アナと雪の女王」は「ディズニー」のアニメーション映画ですから、著作権を「ディズニー」が持っています。それを「(世相)ブラジャー」という「商売の道具」に使う時には、当然「使用料」が発生しますし、場合によっては、使用が許されないこともあります。

今回は、使用料の発生を防ぐために「アナ雪」を名乗らなかったのか、許可を求めたが許されなかったのかは知りませんが、背景にはそういった問題があるんだと感じました。

(2014、11、6)

2014年11月 6日 21:09 | コメント (0)

新・ことば事情

5585「女の古」

 

いつも、言葉の新しい情報を教えて報告してくれる、Mアナウンサー。きょうもエレベーターで会った時に、

「あ、道浦さんに言おうと思ってたんです!」

と言って「新ネタ」を提供してくれました。Mアナによると、

「ある主婦のブログで『おんなのこ』を『女の古』と書いていたんで、これはご報告せねばと・・・」

「え?『女』に『古い』?それは『姑(しゅうとめ)』では?」

と言うと、

「そうじゃないんです、『女の古』と書いて『おんなのこ』と読むんです。でも確かに『女へんに古い』と書くと『姑』ですね」

これはきっと、あれですよ、皆さん。何歳になっても、

「女子」

と言う傾向の"分派化"ですね。「女子」という音の響きが硬いから、

「おんなのこ」

にするんだけど、さすがに文字で書く時には「子ども」ではないので、同音異義語で意味もまあ「エイジング」にふさわしい、

「古」

を充てたのではないか?日々、こういった言葉は進化していますねえ・・・。女性の言葉に関する感覚は素晴らしいです、ハイ。

それにしても「姑」と書いて「しゅうと」とも、「しゅうとめ」とも読むのは、何でかなあ?「しゅうと」には、

「舅」

という漢字もありますが、

「ネズミ男」

みたいな感じの漢字ですね、これ。

(2014、11、5)

2014年11月 6日 18:09 | コメント (0)

新・ことば事情

5584「化粧水のアクセント」

 

いま、テレビで流れている化粧水のコマーシャルで、滝川クリステルさんが、

「化粧水」

を「平板アクセント」で、

「ケ/ショースイ」

と言っているのを聞いて、違和感を持ちました。

アクセント辞典で確認すると、やはり「中高アクセント」の、

「ケ/ショ\ースイ」

しか載っていません。「アクセントの平板化」は、いわゆる「専門家アクセント」と言われるもので、

「その言葉をよく使う人たちの間で"平板化"する」

という傾向があります。それで言うと、「化粧水」をよく使う「女性」の方が、男性よりも「平板化しやすい」のかもしれません。

「化粧」と「水」の複合語である「化粧水」のような言葉には、たとえば、

「幹事会」「交差点」「雑貨店」

等があり、そういった言葉が、本来のアクセントは「中高アクセント」なのに「平板化」している様子は観察できますが、「○○水」も平板化しているとは知りませんでした。

(2014、10、23)

2014年11月 5日 23:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5583「RCPM」

カナダのイエローナイフで、日本人女性の吉窪昌美(あつみ)さん(失踪当時45)が行方不明になっている事件で、カナダの地元警察は、現地時間の11月4日、

「事件性はなく、吉窪さんは自ら姿を消そうとして森の中に入って行った」

と断定し、捜索を打ち切りました。

その際に提供される映像に「クレジット」が付くのですが、それが、

Yellowknife RCPM

というものでした。この、

RCPM

とは一体何の略なのか?念のため調べてみました。するとこれは、

Royal Canadian Mounted Police

の頭文字を取った物でした。直訳すると、

「カナダ王室山岳警察」

といったところでしょうか。

なるほどねー。

(2014、11、5)

2014年11月 5日 22:04 | コメント (0)

新・ことば事情 (2014、11、5)

5582「燃料棒の数え方」

11月5日、福島第一原発・4号機建屋内の燃料プールに保管されていた「使用済み燃料」の取り出し(建屋近くの共用プールへの移送)が終わったというニュースをやっていました。その際にアナウンサーは、

「燃料棒1331体」

と読んでいました。核燃料の「棒」ですから、」普通は、

「本」

で数えるのではないかな?と思ったのですが、たしか以前のニュースでも、

「燃料棒は『体』」

で数えていたような気がします。

飯田朝子さんの『数え方の辞典』を引いてみましたが、

「燃料棒」

は載っていません。私も所属している新聞用懇談会放送分科会で2008年9月に作った『放送で使用する助数詞』という冊子にも「燃料棒」は載っていませんでしたので、両方の本の「ね」のところに、

「(核)燃料棒=『体』  ×『本』」

と書き入れておきました。

2014年11月 5日 20:01 | コメント (0)