新・読書日記 2014_144
『サバイバル宗教論』(佐藤優、文藝春秋:2014、2、20)
「イスラム国」の問題を挙げるまでもなく、「宗教問題」が21世紀の世界を見る上で重要であるということは、よく分かっている。しかし、イスラム教やキリスト教のことをちょっとかじったぐらいでは、なかなか理解できない。同志社大学・神学部出身の著者は、外交のプロでもあり、理論と実践の両輪で持って宗教を理解している。ゆえに、なんと「仏教」の相国寺で、お坊さん相手に講演を行った。その講演録が本書です。だから、話しかける口調で書かれているので、親しみやすい。内容は難しいけれど。
冒頭の挨拶のひと言目が、キャッチー!
「前科一犯の佐藤優です」
これって笑っていいの?ムズカシイ「ボケ方」するなあ・・と。
大変勉強になったが、それを全部は書きだせない。いくつか。
*「危機=クライシス」というのは、ギリシャ語で「峠」あるいは「分かれ道」の意味。
*「終わり」のことをギリシャ語で「テロス」。「目的」「完成」という意味も持つ。
*時間には「出発点」があり「終わり」がある。「直線的」に流れている。これはユダヤ・キリスト教の伝統。これに対してギリシャの時間は「円環」をなしている。「危機」という概念は明らかに「終わり」ということと関係している。(以上、46ページ)
*アメリカというのは思想史的に19世紀がない国。ヨーロッパの特徴を作っているのは19世紀のロマン主義。18世紀に出来た啓蒙主義だけでは、人間の問題は解決しない。ヨーロッパは、多くの戦争を経験することで、人間には非合理な要素があることを感じるようになり、森の生活とか中世とか、後ろ向きのロマン主義的な発想が出て来る。(82ページ)
*アメリカ人は、九鬼周造が言うような「いき」という感覚は分からない。「いき」は微分法的な考え方。何かに到達できるんだけど、到達する手前でとどまる。接近はするんだけど、そこには行かない。あくまで近付くという考え方。アメリカは野暮。(83ページ)
*自分の命を捨てることが出来るというのは、一見、美しいことのように見えるが、実は非常に怖いこと。なぜならば、自分の命を捨てることができるということは、他人の命を奪うことに対するハードルも著しく低くなるから。
などなど。大変勉強になりますよ!