新・読書日記 2014_121
『自分でつくるセーフティーネット』(佐々木俊尚、大和書房:2014、8、5)
すごく読みやすい調子なのは、「語りおろし」なんじゃないか?と思うくらいの「話し掛けの文体」のせいか。
「はじめに」は「猛獣になれないわたしたちが生き残るには」という共感を呼ぶタイトルから始まり、そのためには「セーフティーネットは自分でつくる時代~一生安泰はもう終わり」と続き、それはそうだなあとゆるく共感。次の「総透明社会の時代~自分を丸見えにすることで得られるもの」については、「監視社会」は別に困らない、もっとコワイのは「黙殺社会」だと言うのだが、それはどうかな・・。世の流れはたしかにそうだけど、メリットと背中合わせのデメリットもあるので、一概に「うん」とはうなずけないような感じ。そして、「ゆるいつながりの時代~強すぎる『きずな』は『同調圧力』を生み出す」は、「あ、東浩紀の『弱いつながり』とい同じじゃないか!」と思った。そして『見知らぬ人を信頼する時代~だからフェイスブックがある』は、うーん、フェイスブックやってないからなあ、と。知らないおじさんから、アメをもらってはいけないし。そして『「善い人」が生き残る時代~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え』と。うーん、いいんだか悪いんだか。この第5章の最後の「寛容であること」は大事だと思うのですが、なかなか、なれないんだよなあ・・・。
最後は「生き方そのものが戦略になる時代~善悪は宗教や道徳を超える」とあります。「いつまでも若者ではいられない」「成熟するとは、汚れを引きうけること」と来ると、なんだか「処世訓」と言うか「宗教」と言うか、うーん、そうなんですけど・・・。ねえ。
「生き方」は「宗教や倫理を超えた生存戦略」というあたりには、しっかりと「戦術を立てて生きる」という「生き方」を感じさせますね。つまり「弱いつながり」で、自分でセーフティーネットを作るには、「自分が強くなきゃダメだ」ということですかね。自分の身は、自分で守る。「戦略」なんか考えもせずに生きている私としては、なんだか難しいなあ・・・という感じです。