新・ことば事情
5540「洗礼」
(2012年4月12日にこのタイトルを書きました。当時の番号は「平成ことば事情4685」。その後ほったらかしでした)
2014年6月の新聞用語懇談会放送分科会の会議で、関西テレビの委員から出た質問が、
「洗礼を受ける・浴びる」
という言葉に関してでした。
「スポーツ原稿で『プロの洗礼を浴びる』『受ける』という言い回しがありますが どちらもOKでしょうか?また宗教的な用語が含まれることから使用しないという社はありますか?」
という質問です。これに関して各社の意見ですが、まず、
「洗礼を"浴びる"」
としている社は「ありません」でした。その上で、
(NHK)比喩としては使わない。キリスト教関係者からクレームがあったこともある。しかし現場では、田中将大投手がホームランを打たれた場面で「大リーグの洗礼を受けました」とアナウンサーが使ってしまったことはある。
(テレビ朝日)ガイドラインはないが、基本的に宗教用語(の比喩)は避ける。しかし「田中将大投手」に関しては「メジャーの洗礼を受けました」と先日出たことがあったので、「注意するように!」と紙を回した。言い換えとしては「~の厳しさ(怖さ)を知らされた(知った・味わった・思い知らされた)」など。
(日本テレビ)禁止はしていない。昔のスポーツ実況などでは、よく出て来た。宗教関係の言葉の使用に関してスポーツアナウンサーに聞いたところ「~のメッカ」はもちろん使わないが、「~の聖地」も気を付けようと話しているという。
(朝日放送)夏の高校野球の中継では「甲子園」を「高校野球の聖地」と使っている。比喩の「洗礼を受ける」も許容。「洗礼を浴びる」は使わない。
(共同通信)実態は「洗礼を受ける」はかなり使われている。禁止していないが「宗教関係の用語は慎重に」と注意を喚起している。「他力本願」「三位一体」「メッカ」は比喩には使わない。「洗礼」は2文字で見出しに取りやすい。
とのことでした。
その話をちょっと忘れていたところ、きょう(2014年8月25日)の読売テレビの夕方のニュース「関西情報ネットten.」で、京都大学野球部のプロのスカウトも目を付けている有望な投手が、阪神タイガースの2軍とプロとアマの交流試合で登板したというニュースの中で、この投手が初回・2回で、6安打5失点を喫したことを受けて、
「プロの洗礼を浴びました」
と出て来ました。このピッチャーは、
「まだプロには入っていない」
ので、「明らかな誤用」ですね。
それと「洗礼」はあくまで「受ける」ですから、「浴びる」としたのは「二重に間違い」と言えるでしょう。
「洗礼を浴びる」という誤用が生まれた背景について考えてみると、おそらく「洗礼を受ける」という事例が「野球」の場合には、多くは、
「新人ピッチャーが、ホームランを打たれる(浴びる)など、ボコボコに打ち込まれたケース」
に使われます。そこで「洗礼を受ける」と「ホームランを浴びる」の「混交表現」から生まれたのではないでしょうか?あ、昔々(1958年=昭和33年)、
「デビューしたての長嶋茂雄選手が、国鉄スワローズの金田正一投手に『4打席4三振』させられたこと」
も、「プロの洗礼を受けた」出来事でしたね。
ちなみに「ホームラン」以外に「浴びる」ものとしては、
「水(などの液体)」「シャワー」、「放射線」「光(スポットライト、太陽光線、月のあかり、カクテル光線など)」「称賛」「罵声」
などを思い浮かべます。
それで「洗礼を受ける」場合の「行為そのもの」は、
「その世界に所属している人にとっては『ごく当たり前』で『どうということはないこと』だが、素人や部外者にとっては『とてつもなくレベルが高く難しいこと』」
ですね。