新・読書日記 2014_098
『愚民文明の暴走』(呉智英+適菜収、講談社:2014、6、24)
呉智英と適菜収の対談集。
最近、こういった親子ほども年の離れた論客の対談が流行っているのか?
呉智英は1946年生まれで今年68歳、適菜収は1975年生まれで今年39歳。年の差は29歳。まさに「親子ほどの年の差」である。実は、その後に読んだ『日本劣化論』(ちくま新書)という対談集も、笠井潔(1948年生まれ・今年66歳)と白井聡(1977年生まれ・今年37歳)という組み合わせである。論壇の「世代交代」の儀式なのか?「知恵」の伝授なのだろうか?
大体、司会と言うか話を進めるのは若い方で、先輩の話を引き出しつつ、先輩の記憶力がやや衰えている部分は若者が補って、という感じであるが、ちょうど「その中間の世代」である私などは、どちらからも吸収するものがあって、大変、勉強になる。
以前から呉智英の本は面白いのでよく読んでいるが、適菜収のほうは、例の『B層の研究』など興味深いのだが、文章に品がないというか、ユーモアがないというか、「攻撃的」なので「ちょっとどうなのかな...」と思う部分があったのだが、さすがに適菜が尊敬する先輩・呉智英の前では(表現形としては)その過激さは、ややマイルドになっていて、品よく読める・・・と言っても、すぐに「バカ」とか、出て来るんですけどね。呉さんだって『バカにつける薬』とか書いているから、同じ穴のムジナか。大体、本書のタイトルが『愚民文明の暴走』ですからね。「上から目線」の手厳しいものになるのは仕方がないか。
しかし、大変勉強になる一冊であるのは間違いない。チャーチルの言葉として紹介された、
「民主主義は最悪の政治形態ということができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」
という、シニカルな冷めた目線の中でも、次善の策を取らざるを得ない苦悩も感じられる。そういう意味で「選挙免許制度のすすめ」などということも話しているが、私もふだん、半分冗談で、
「3回連続して投票に行かなかった人は、次の投票権を剥奪するとよい」
とか言っているので、それもアイデアとしては面白いかもしれない。