新・ことば事情
5487「平等」
<2013年1月21日に書き始めました。当時の番号は「平成ことば事情4945」>
『仏教漢語50話』(興膳宏、岩波新書:2011、8、20)という本を読んでいたら、「平等」
という言葉について書かれていました。それによると、
『『金剛般若経』には仏の教えについて、
「是の法は平等にして、高下有ること無し」
といい、だからこそ「この上なく正しい覚り」なのだといっている。
「高下有ること無し」とは、「差別がない」ことである。かくて「平等」は、仏教の教理そのものを象徴する語になっていたといってもよい。仏教は「平等」の教えなのであり、全ての衆生はみな均しく覚りに至る資格を備えている。』
と出ていました。
「平等」はそもそも「仏教語」だったのですね。
そして、2013年の6月と9月に、小林研一郎先生の指揮で、男声合唱組曲「水のいのち」を歌いました。そこに出て来る1曲目の「雨」の歌詞をよく読んでハッとしました。
「降りしきる雨」「分け隔てなく」
これってまさに「平等」の思想の表れなんじゃないでしょうか?「水のいのち」は作詞家も作曲家もクリスチャンだということが知られていますが、キリスト教も、仏教も「平等」という概念を大切にしているのでしょうか。
また、われわれがよく耳にする言葉に、
「自由と平等」
があります。これは「フランス人権宣言」などに出て来るイメージですが、この並列された2つのことば、よく考えると、
「『自由』と『平等』は対立する概念」
ですよね。
だって、完全に「自由」な競争に任せると「結果の平等」は得られないんですから。また、「平等」も旨としたら「自由」は制限されます。
つまり「自由と平等」という言葉は、同類の言葉を2つ並べたのではなく、
「『自由』と『平等』のバランスをよく考えるべきだ」
ということを示しているのではないでしょうか?
この言葉を知ってから40年近くたって、初めて気づいたのでした。