新・ことば事情
5479「受肉」
中村うさぎさんと佐藤優さんの対談集『聖書を語る』(文春文庫)を読んでいたら、佐藤さんの発言の中に、こんな一節が出て来ました。
「村上さんの思想にしっかりと受肉されているからでしょうね」
この、
「受肉」
という言葉、見慣れませんね。『広辞苑』を引いてみると、やはり「キリスト教用語」のようです。
「受肉」=(Incarnation)キリスト教で、三位一体である神の子(ロゴス・ことば)が人間イエス(肉)として生まれたこと。托身。
うーん、これでもわかりにくい。英語は「インカーネーション」か。もしかして、花の「カーネーション」は関係あるのかな?「カーニバル」は「謝肉祭」だから「肉」に関係ありますよね、「カルネ」が「肉」だから。
ほかの辞書を引いてみましょう。『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』は載っていない。大きめの辞典で『精選版日本国語大辞典』は載っていました。
「受肉」=キリスト教で、神は、父・故・聖霊という三つの位格と、ひとつの実態において存在するというのが三位一体であるが、その第二位格の子が、ナザレのイエスという歴史的人間性をとったという教理をいう。託身。インカーネーション。
詳しくなったら、よけいに難しくなっていませんか?しかも『広辞苑』は「托身」と「手へん」の「托」だったのに、『精選版日本国語大辞典』は「言(ごん)べん」の「託」ですね。なんでだろか?