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『道浦TIME』

新・ことば事情

5408「エアリー」

 

小学3年生の娘が、料理教室の体験学習をすると言うので、エプロンを買いに行きました。いやあ、かわいらしいエプロンがいっぱい!でも、男性は、なかなか入りにくいお店です。

子どもが選んでいる間、他のコーナーをぶらぶらしていて見つけたのは、トートバッグの説明書き。そこには、

「持っているのを忘れるほど、エアリーな軽さ」

とありました。この、

「エアリー」

という言葉は、初めて見ました。直訳?すると、

「空気のような(軽さ)」

ということなんでしょか?女性誌などには出て来そうな言葉ですね。私は少し前まで、

「ガーリー(girly)」

という言葉も知らなかったし、この方面の言葉には弱いです。

「エアギター」

など、本当は持っていないのに、さも持っているように装うことを、

「エア○○」

というのは知っていますが、「エアリーなバッグ」は、

「エアバッグ」

なのでしょうか?「エアバッグ」は別の物になってしまいますね。自動車の衝突緩衝装置。

新しい言葉をいち早く載せることで知られる『三省堂国語辞典・第7版』を引いてみると・・・ありました!

「エアリー(airy)」=(ふんわりとした)空気のような。(例)「エアリー感を出したヘアスタイル」

ふーん、やはり「ファッション」関係でよく使われるようですね。

グーグル検索では(3月31日)

「エアリー」=13万5000件

「エアリー」という言葉を使っている物には、

「カラーコンタクトレンズ」「寝具」「ウイッグ」

といった物がありました。

(2014、3、31)

2014年3月31日 23:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5407「伊勢神宮『正殿』の読み方」

 

きのう(3月26日)、天皇皇后両陛下が、三重の伊勢神宮を参拝されたニュースの原稿に、伊勢神宮の、

「正殿」

という言葉が出て来ました、その読み方について、「ミヤネ屋」のナレーターのNさんから

「『せいでん』でしょうか?『しょうでん』でしょうか?」

という質問を受けました。その時は、国語辞典(『広辞苑』)には、

「せいでん」

しか載っていなかったこともあったのと、「しょうでん」と読むと、

「昇殿」

と間違うのではないか?と思い、

「放送では『せいでん』でいいでしょう」

と答えました。実際、そのように放送されました。

ところが、その晩のTBS「ニュース23」で、膳場さんは、

「しょうでん」

と読んでいたのです。それで改めてネットで調べてみると、「伊勢神宮」のサイトでは、

「しょうでん」

と載っているではないですか!どうも「伊勢神宮は特別」なようですね。

「内宮「外宮」

も、「宮」が「神宮」のように「ぐう」と濁るのではなく、

「ないくう」「げくう」

と濁らずに読みますし、読み方が難しいです・・・。

今後「伊勢神宮」の「正殿」に関しては、

「しょうでん」

でお願いします。

2014年3月31日 22:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5406「大幅な小型化」

 

2月20日のテレビ大阪(テレビ東京)の番組『カンブリア宮殿』で、

「イグレット」

という名前の全方位スピーカーを開発した「オオアサ電子」という会社を取り上げていました。「イグレット」とはイタリア語で「白サギ」のことだそうです。

その際に、ナレーションで、

「大幅な小型化」

という言葉が出て来て「おや?」と思いました。何か違和感が。

「小型化」

という言葉は「極小に近づく」ので、その規模が「大幅」であっても、物が小さくなるのだからあまり「大幅」な感じがしないな・・というところに「違和感」があったのでしょう。

では、どう言えばいいのか?

うーん、難しい・・・。

「極端な小型化」

うーん、なじまないような。たしかに他に言い方があまり思いつかないですね。

「大幅に小型化した」

これならどうでしょう?ほぼ同じなんだけど「名詞化」しなければ、違和感はやや薄れる気がします。なかなか難しい表現です。

(2014、3、31)

2014年3月31日 21:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5405「引き上がる」

 

いよいよ、あす4月1日から消費税が17年ぶりに引き上げられて、現在の5%から8%になります。それを伝えた3月25日の読売テレビの夕方のニュース関西情報ネット「ten.で、ナレーターさんが、

「消費税が引き上がった」

という原稿を読んでいました。これはもちろん、正しくは、

「引き上げられた」

ではないでしょうか?そう思って、チーフプロデュ-サーで元キャスターのS君にその旨を伝えたところ、

「そのとおりですね。気を付けます」

と言っていました。しかし、それから約1週間たった先ほど(3月31日)のナレーションでも、

「消費税が引き上がれば」

という文章が2回も出てきました!

消費税が上がることも問題と言えば問題ですが、私にとっては、こんな言葉使遣いが放送に出てしまうことのほうが、よっぽど問題です。

「引き上がる」のではなく「引き上げられる」

のです。そこんとこ、よろしく!

(2014、3、31)

2014年3月31日 20:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5404「袴田死刑囚か元被告か?」

 

3月27日、「袴田事件」で「再審開始」が決定したニュースで、「肩書」が各社異なりました。読売テレビでは、「服役中」の再審申請の場合は、

*再審開始決定までは「死刑囚」

*再審開始決定以降は、原則「被告」

となっていて、無罪推定が強い場合は、「肩書」あるいは「敬称」 も可。「元被告」という呼称はありません。ただし「死刑囚」と鳴ると「服役しているわけではない」ので、その意味では「空白」になっている部分です。各社どうだったかと言うと、

 

*「元被告」=日本テレビ(静岡第一テレビ)、NHK、共同通信、産経新聞、日経新聞

*「死刑囚」=テレビ朝日、読売新聞、毎日新聞

*「死刑囚」→「元被告」=TBS(静岡放送)、朝日新聞

 

その袴田さんが釈放された3月27日午後5時ごろの「NHK」ニュースでは、

「袴田さん」

と「さん」付けでした。

また、その5分後ぐらいに報道局内で流れた読売新聞社からの「音声連絡」では、

「袴田元死刑囚」

でした。日本テレビの夕方のニュース「every.」でも、

「袴田さん」

で放送していました。翌日(28日)の朝刊各紙は、

*「元被告」=読売新聞、毎日新聞

*「さん」=朝日新聞、」産経新聞、日経新聞

でした。さらに、28日のお昼のニュースでは、

*「元被告」=フジテレビ

*「さん」=日本テレビ、TBS、テレビ朝日、NHK

でした。

(2014、3、28)

2014年3月29日 12:39 | コメント (0)

新・読書日記 2014_042

『ヤクザ式相手を制す最強の「怒り方」』(向谷匡史、光文社新書:2014、3、20)

 

うーん、だいたい既にやってるね、と思った部分もありましたが、読み物としては面白かったです。

それと、ちょうどこの本を読んでいる時に見たDVDが、北野たけし監督の『アウトレイジ・ビヨンド』。ヤクザの映画です。なんか、雰囲気、染まってしまったゼ。『アウトレイジ・ビヨンド』は、想像していたより面白かった。ハリウッドのマフィアの映画や、タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』のような感じ。今、検索したら『レザボア・ドッグス』は、1992年の映画なんだね!ついこのあいだ・・・と思ったのが、もう20年以上前の映画!?信じられない。「アウトレイジ・ビヨンド」は、2012年。あ、これはついこの間だ。たったの1年半前です。


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(2014、3、25読了)

2014年3月28日 20:15 | コメント (0)

新・読書日記 2014_041

『ヤンキー化する日本』(斎藤環、角川oneテーマ21:2014、3、10)

 

2014読書日記040で書いた『ヤンキー経済~消費の主役・新保守層の正体』(原田曜平、幻冬舎新書:2014、1、30)を読んでいる最中に見つけて、『ヤンキー経済』を読み終わるやいなや、すぐに続けて読んだ。なんと著者の斎藤環は、1月30日に出たばかりだった『ヤンキー経済』を読んでいて、この3月10日に出た本書の中で言及している!凄いな!

著者の斎藤環は、冒頭に「なぜ今ヤンキーを語るのか」を書いた後は、村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、与那覇潤、海猫沢めろん、隈研吾という6人との「ヤンキー」についての対談を収めた一冊。

どの対談も興味深かったが、私が刺激を受けたのは、村上隆、与那覇潤、隈研吾。

斎藤環の冒頭の「ヤンキー論」によると「ヤンキー」とは、

「バッドセンスな装いや美学と、『気合い』や『絆』といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの"文化"を指すことが多い」

としている。そして「ヤンキー」の特徴をキーワード的に、

「バッドセンス」「キャラとコミュニケーション」「アゲアゲのノリと気合い」「リアリズムとロマンティシズム」「角栄的リアリズム」「ポエムな美意識と女性性」

というように挙げている。

うーむ、誰でも少しは「ヤンキー」的な要素を持っているとは思うけれども、それが「濃い人」と「薄い人」がいるということかなあ・・・。私は部分的には「濃い」が、全体から言うと「薄い」です。勉強になりました!


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(2014、3、15読了)

2014年3月28日 18:13 | コメント (0)

新・読書日記 2014_040

『ヤンキー経済~消費の主役・新保守層の正体』(原田曜平、幻冬舎新書:2014、1、30)

 

少し気になっていて、「読んでみようかな」と思っていた一冊。著者は、写真によるとスキンヘッドでヒゲをはやして、いかつい風貌だが、1977年生まれの「まだ30代半ばの若造」(?)、失礼、「若者」と言えるような年代。博報堂のブランドデザイン若者研究所のリーダーを務めている。この年代ぐらいまでが、ギリギリ「若者」に直接接して理解できる上限なのかもしれない。

私は余り「ヤンキー」の気持ちが理解できない。しかしどうも一般的日本人は、本人はヤンキー」「不良」ではないけれども、「ヤンキー」「チョイワル」「ちょっと不良」に憧れている人が多いように感じていた。以前「ヤンキー文化」について書かれた本を読んで「ヤンキー文化」なるものが、日本人のひとつの大きな文化の流れであるという主張を知り、「あ、そうだったのか!」と目からウロコが落ちたことがある。この本は、その「ヤンキー」が昔の「ヤンキー」とは違って最近は"マイルド化"していて、しかも人数が多いので、これからの消費の主役になる・商売のターゲットとなる(もう、なっている)ということについて書かれている、と感じた。しかも、「マイルド化したヤンキー」は、「保守的」なのである。「若者っぽくない!」と感じるのは私だけではないだろう。意外と(失礼!)しっかりしているのだ。でも「それでいいの?」と言いたくなる部分もある。

また、「地元志向」が強いのもヤンキーの特徴。たしかに。「地元」がキーワードになっているのは、例の宮藤官九郎「あまちゃん」でも、さんざん描かれていたではないか!

21世紀に入って十数年たった"現在の日本の位置"を見定めるには、是非、読むべき本だと思った。


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(2014、3、13読了)

2014年3月28日 14:12 | コメント (0)

新・読書日記 2014_039

『ドラえもんのことば』(横山泰行、幻冬舎:2012、4、10)

 

本が出てすぐに購入していたが、読みかけたままになっていた。

今回、中川右介『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか』(PHP新書)を読んだことで、「そういえばこんな本があったはず」と思い出して読んでみました。

なかなか「名言集」になってますね。その「名言」だけを読んで行っても勉強になります。中川さんの『源静香は...』と合わせて読むと、より深く、理解できる気がします。

表紙のドラえもんをイメージした「青色」と、鈴が付けられているリボンの「赤」が、まるで「サッカー日本代表のユニホーム」みたいです。


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(2013、3、23読了)

2014年3月28日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2014_38

『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか~『ドラえもん』の現実(リアル)』(中川右介、PHP新書:2014、3、4)

 

最近、とても積極的な執筆活動を続けていらっしゃる中川右介さんの著作。音楽関係の、非常に博識な高尚なものを書かれる中川さん。「クラシック・ジャーナル」の編集長が、なぜ「ドラえもん」?どういうように書くの?という興味があった。まあ、テーマが「ドラえもん」ですから、親しみやすい。

しかし「ドラえもん」が、実はこれほど深いものであったのか!ということで、「ドラえもん」を見る(読む)姿勢が変わってしまうかもしれない一冊。

一見「アホな(?)」「どうでもいいような(?)」テーマのようなタイトルだが、その後ろには、大変広大な世界が広がっていることを知る。タイトルは、"とっかかり"に過ぎないのだ。

当時の子どもの類型を、全てパターンとして秘めていた登場人物たち。彼らが体現したものはどのような「世界」だったのか?その意味するところは?

私(1961年生まれ)は、中川さん(1960年生まれ)とほぼ同世代なので当然、当時は「子供」ではあったが、微妙に「ズバリど真ん中」からはズレている世代。「ドラえもん」を読んではいたが、長編のアニメ映画などは見ていない。藤子不二雄先生は、学年誌に"並行して"(=パラレルワールド)「ドラえもん」の話を描き分けるという"超人的なワザ"で連載を続けていた。「ゴーストライター」など、当時はいなかったろう。アシスタントはいたかもしれないが、それすら怪しい。それがまた、スゴイよな。「ドラえもん」のポケットから何か道具を出してもらっていたかもしれないが(冗談)。「ドラえもん」から読み取る「スクールカースト」いじめ問題や、「郊外の家に住む」核家族問題、近郊都市問題、いろいろな視点から読み解けるんだよと示してくれたことが、すごく刺激的であった。


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(2014、2、20読了)

2014年3月27日 22:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5403「剣璽」

 

天皇皇后両陛下が三重県の伊勢神宮に向かわれました。去年、20年に一度の「式年遷宮」を終えた伊勢神宮に「三種の神器」のうち、「剣」と「勾玉」を持って行かれたのです。

この「剣と勾玉」のことを、

「剣璽」

と呼ぶそうです。難しい言葉ですね。しかしこの、

「璽」

という漢字は、「常用漢字」なのです!しかし、めったに出て来ないし難しい漢字なので、きょう(3月26日)の「ミヤネ屋」では「ルビ」を振りました。

×「剣璽」→○「剣璽(けんじ)」

なぜ、こんなに難しくめったに出て来ないのに「常用漢字」なのか?と言うと、

「憲法の交付文」

に、

「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」

という言葉が出て来て、この中で「璽」という漢字が使われているからです。これは、

「天皇の名前(=御名)」「天皇の印鑑(=御璽)」

という意味です。

そして、憲法に出て来る言葉は「常用漢字に入れる」というのが原則なのです。これは、

「憲法の文章は、全ての国民が読めるべきである」

という姿勢に基づくものでしょうね。

(2014、3、26)

2014年3月27日 21:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5402「火元のアクセント」

 

お昼のニュースの下読みをしているYアナウンサーの声が耳に入りました。火事のニュースです。その際に、

「火元とみられる部屋」

という一文の

「火元」

のアクセントが、

「ヒ/モトトミラレ\ル」

「平板アクセント」になっていましたが、「火元」は『NHK日本語発音アクセント辞典』によると、「尾高アクセント」です。つまり、

「ヒ/モト\ト・ミ/ラレ\ル」

2語に分けて読まなくてはなりません。

しかし「尾高アクセント」の名詞というのは、後ろに助詞の「の」が来た場合には、

「ヒ/モトノヘヤ」

というように、

「平板アクセント」

変化します。正確に言うと、助詞「の」によって、

「後ろに来る名詞の修飾句の一部に組み込まれる」

ために、

「コンパウンドして『平板アクセント』になる」

のです。それをもって「火元」という単語のアクセントを全て「平板」にすることはできません。そして、そもそも「尾高アクセント」は、

「その『名詞』と『助詞』を区別して、『名詞』を際立てるため」

にも必要です。「形容詞句の一部分」になる場合は、あまり単独の名詞を際立ててしまうと文全体がぎくしゃくするので、「平板アクセント」にして形容詞句の一部分にするのですから、使われ方が違います。そういう作用が「コンパウンド」です。複合語や修飾節を、滑らかなつながりにするために、「かんな」を掛けているようなものですね。

「アクセント辞典にそう書いてある」というだけでは"単なる丸暗記"で、

「同じ単語なのに、アクセントが変わるなんて、おかしいよな!」

という疑問と不満を抱えたままになると思います。理屈好きの私はそう思います。

こういった理解・意識を持てれば、同じ単語でも文脈の中でアクセントが変わることに関して納得して習得できると思うのですが、いかがでしょうか?

(201、3、26)

2014年3月27日 19:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5401「日露か?日ロか?3」

 

3月19日、ロシアによる、ウクライナ「クリミア編入」を受けて日本で開かれていた、

「第6回日露投資セミナー」

の会場の周囲には、在日のウクライナ人たちが、

「ロシアとの商取り引きは、戦争に加担することだ」

などと抗議のアピールを行っている様子を、NHKのニュースで放送していました。

そのセミナーの表記は、漢字で、

「日露」

でした。またセミナーの主催者は、

「経済産業省、ロシア経済発展省、日露貿易投資促進機構」

で、この団体も、

「日露」

「漢字」で「露」と書かれています。

しかし、インタビューに答えていた経団連の人(住友商事・岡素之相談役)の所属は、

「経団連・日ロ経済委員会」

の委員長ということで、

「日ロ」

という「カタカナの混じった表記」でした。

やはり、ロシア関係の団体でも、両方の表記があるようです。

(2014、3、19)

2014年3月27日 16:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5400「シューホン、サンポン」

 

2月25日の二ニコ生放送「道浦俊彦のことばのことばかり」ではゲストとして、竹中平蔵さんの秘書を務めた兵庫県立大学の真鍋雅史准教授をお迎えして、「政治のことば」について話しました。

その際に、永田町の言葉というか、国会の専門用語で、

「シューホン、サンポン」

というのがあると教わりました。「シューホン」というのは、

「衆議院本会議」

のこと。そして、これで想像がつくかと思いますが、「サンポン」というのは、

「参議院本会議」

のことを略してそう呼ぶのだそうです。わかりやすい略語のはずですが、突然聞かされたら、意味が分かりませんよね!

この話を聞いて、私が反応したのは、

「サンポン」

の方でした。というのは、助数詞の「本」の数え方が、「1本」は「イッポン」と「ポン」、「2本」は「ニホン」で「ホン」、「3本」は「サンボン」で「ボン」というように、同じ「本」という助数詞なのに、前に付く数字によって、

「ポン」「ホン」「ボン」

と変わる、という興味深い話があるのです。

そして「3本」は「サンボン」と「ボン」になるのですが、この「三本」が、例外的に「ポン」と読まれるケースがあると。それが、野球で「三塁と本塁の間」を指す、

「三本間」

という言葉、これは「ポ」になって、

「サンポンカン」

となるんですね。「参議院本会議」の略語(業界用語)の「サンポン」を聞いて、私が思い浮かべたのは、まさにことだったのでした。

 

おお、あれからもう1か月、きょう(3月27日)午後7時から、

「第12回道浦俊彦の言葉のことばかり」を「ニコ生」で放送(配信)でーす!

ぜひおご覧ください。きょうは「業界用語」について話します!

 

(2014、3、24)

2014年3月27日 11:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5399「『特異な』のアクセント」

 

「特異な」

という場合の「特異」のアクセントは、

「ト\クイ」(頭高アクセント)

なのでしょうか?それとも、

「ト/クイ」(平板アクセント)

なのでしょうか?悩みました。両方あるような気がします。

迷ったら「アクセント辞典」を引く!引いてみました。すると、

「ト/クイ」(平板アクセント)、「ト\クイ」(頭高アクセント)

「平板アクセント」が先ですが、両方載っていました。

この「特異」という言葉の場合、同音異義語の、

「得意」

があります。このアクセントは「アクセント辞典」によると、

「ト/ク\イ」(中高アクセント)、「ト/クイ」(平板アクセント)

の2つが載っていました。もし「特異」「得意」ともに「平板アクセント」で発音すると、区別がつきにくくなります。ここは、

「同音忌避」

で言った方が、間違いが減るのではないか?そうすると、「特異」は「頭高アクセント」で

「ト\クイ」

とした方がいいのではないかなあと感じました。

(2014、3、24)

2014年3月26日 22:17 | コメント (0)

新・読書日記 2014_037

『にげましょう 特別版~災害でいのちをなくさないために』(河田惠昭、共同通信社:2014、2、10)

絵本です。河田先生が書かれた「災害時の対応」=「にげましょう」なので、わかりやすい。文言も、ひたすら平仮名で「にげましょう」で、小学生にもわかりやすい。

引っかかった点は、「火砕流」への対応。「ものすごいスピードで迫ってくる」と書いてあるのですが、対応は「にげましょう」だけ。これは・・・どうやって逃げるねん!と思わず突っ込みを。追いつかれてしまうがな。もう少し具体的に指示してほしい。

それと、一番なるほど!と思ったのは、巻末の文章で、

「夜の雨はなかなかやみません」

という所。夜は気温が下がるので、雨が降る。気温が下がると空気中の飽和度がいっぱいになってしまって、なかなか止まない。だから「川の増水・氾濫」などが起きるのは「夜」であると。なーるーほーどー!納得です。勉強になりました!


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(2014、3、17読了)

2014年3月26日 19:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5398「『現在』か?『時点』か?」

 

最近、「データの日時・時刻」を表すスーパーで、

「午後2時時点

「きのう時点

というものが目立ちます。これらはチェックの段階で、

「午後2時現在

「きのう現在」(あるいは「今月11日現在」など)

と直していますが、どうも若いスタッフの中には、

「『きのう現在』というと、『きのう』なのか『現在』(つまり『きょう』)なのかが分からない」

という考え方があるようです。

たしかに「過去・現在・未来」という場合の「現在」は、

「きょう」「たった今」

になりますが、「データの時刻・日時を言う場合」には、

「『時点』の意味で『現在』という言葉を使う」

のです。気象情報などではよく出て来ます。

『精選版日本国語大辞典』には「現在」の3番目の意味として、

「変動するもの状態をある時点で記述する際、その時点を示す語に添える。

(例)一月一日現在」

と載っています。まさにこの使い方なのです!

 

 

(追記)

と、ここまで書いたところで、

「『現在』と『時点』では、使い方が違うのではないか?」

という意見が出て来ました。

ポイント・ポイントしか観測をしていない場合は「現在」でいいけれども、「ずーっと記録している」ものの中の「まさにピンポイントでその時刻」を表すのであれば「時点」の方が良いのではないか?という考え方です。

うーん、難しい。

これについて他社にも聞いてみたところ、関西テレビの知り合いから、

「1月に開催されたFNSアナウンス用語統一部会の総会で、『時間的な概念で現在と近い場合は「~現在」、遠い場合は「~の時点」という方がふさわしいのではないか?たとえば、お昼の『スピーク』で、"最新情報"という意味で『午前11時現在の情報』とするのはよいが、『午前9時現在の情報』とするのは情報が古く、ふさわしくないのではないか」

というような意見が出たと教えてもらいました。「古い時刻」に「現在」というのが合わないのではないか?というご意見のようです。これは少し私が考えていたポイントとは違うような気がしますが、貴重なご意見ありがとうございます。もしかしたら「時点」という言葉を使いたがることと、つながるかもしれません。

この「時点」を使う傾向は広がっているのでしょうかね?どうでしょうか?「現"時点"」において。

(2014、3、12)

2014年3月26日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2014_036

『覆す力』(森内俊之、小学館新書:2014、2、8)

 

将棋と言えば「羽生善治」のイメージが強すぎるが、同世代のこの森内名人も「竜王・名人」の2冠。むっちゃ強い!(当たり前)そして、歴史に残る名人の一人であろう。ちょっと地味だけど。

将棋のことをよく知らない私でも知っているのだから、まず、間違いあるまい。将棋や囲碁を知らないくせに、棋士の書いた本を読んでみたくなるのは、将棋というゲームの闘い・生き方が、人生に似ているように感じるからではないか。勝てない時、スランプの時に、どう気持ちを持ってどう戦ったのか?うまくいった時はどうなのか?どんな努力をしているのか?そういった事を知りたいからこそ、この手の本を読むんだと思います。皆さんはいかがでしょうか?一遍、読んでみてください。森内名人の人柄を感じることができますよ。


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(2014、3、15読了)

2014年3月25日 10:46 | コメント (0)

新・読書日記 2014_035

『円卓』(西加奈子、文春文庫:2013、10、10)

 

単行本は2011年3月刊。

あの芦田愛菜ちゃんが主演で、ことし6月21日に映画が公開されます。読売テレビも力を入れています。なんと私もワンシーン、出演しているそうです。(まだ見てないんですが、試写会も)去年8月に撮影したけど使われるかどうかわからなかったので。原作を読んだらそのシーン、ありました。154ページあたりです(後半の方)。

さて、「円卓」と聞いて思い浮かぶのは「円卓会議」だが、この円卓は「中華料理店にある、真ん中がクルクル回って大皿を他の人へ回す」、あの円卓。それが狭い公団住宅の居間にある家庭。4部屋で8人が住んでいる。三つ子の姉、両親、祖父母。主人公は小学3年生の琴子=コッコ。小学3年生の目線で描かれる世界。そのコッコを愛菜ちゃんが演じるというわけ。「三つ子」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、「魔法使いサリー」に出て来る「よしこちゃん」の「弟の三つ子」ですが、映画で「女の子の三つ子」はどう演じるのか?オーディションで見つけたか?あるいは「双子」にしているのか?CG?一人三役?わからんが、注目!

言われ尽くしているかもしれないが、やはり「小学3年生の目線」を、著者の西加奈子さん(1977年生まれ=36歳かな)が持ち続けていることに驚きがありますね。

どんなふうに映画で仕上がっているのか、テレビドラマ「明日、ママがいない」とはまた違った、素晴らしい子どもの演技を、愛菜ちゃんがしているのではないかなあと(テイストが違うからね)期待して映画を見たいと思います!


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(2014、2、27読了)

2014年3月24日 19:46 | コメント (0)

新・読書日記 2014_034

『ふたりの笑(ショー)タイム~名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏』(小林信彦・萩本欽一、集英社:2014、1、29)

 

平野甲賀さんによる表紙の文字のデザインが印象的。

欽ちゃんの方から、小林信彦に対談を求めたのだという。

以前から「笑いについて詳しいことを聞ける人」として欽ちゃんが頼りにしていたという小林信彦。「笑い」の総仕上げを欽ちゃんはしようとしているのだろうか?自分より先輩の「記録者」としての小林の話を聞いて、「記録」を残しておきたいという気持ちに駆られたようだ。小林としても欽ちゃんの話をきっちりと聞いて、自分の知識の中で抜け落ちているピースを埋めておきたいという気持ちがあったのだろう。二人の気持ちが合致して実現した対談。その意味では貴重だと思います。

テレビのヴァラエティ番組の創成記の話、コント55号の話、笑いとジャズ、エノケン、浅草コメディアンたち、渥美清、森繁、三木のり平などなど。全体の印象としては、森繁が、コメディアンたちにとっていかに大きな存在であったかということが、改めて感じられた気がしました。


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(2014、2、24読了)

2014年3月24日 13:45 | コメント (0)

新・読書日記 2014_034

『死からの生還』(中村うさぎ、文藝春秋:2014、3、1)

 

えらい、マジなタイトル。内容も重い。まるで「哲学書」だ。「週刊文春」での連載コラムをまとめたもの。「週刊文春」の中村うさぎさんのこらむは、昔は面白くて読んでいたが、ある時期から、あまり読まなくなった。だから毎週のように「週刊文春」は買っていたのに「え?中村うさぎさんって、死にかけてたの?」と驚いて、ついこの本を買ってしまったのである。2010年3月~2013年12月までの連載をまとめたもの。中村さんは、何でも入院中に3回も死にかけたそうです。

第1章が「まさかのセカンドバージン!?足掻いてたら、想定外の入院、三回も死にかけた!」という長いタイトルで、これが2013年1月から12月のコラム。私が読んでいなかった時期。でも、死に直面しただけあって、大変哲学的な深いコラムが続く。

すこし読まない間に「女王様」とか「民よ」という呼び掛けが無くなっている所に注目した。そんなカッコつけている余裕がなくなったというか、「中村うさぎ」という仮面を取った「本人の心の声」のように感じた。

第2章は「閉経、ババアってタブー用語なの?ツイッター始めて 個と全体の問題にハマる」というのは2010年3月から2011年3月まで。つまり「東日本大震災の前」の時期。あきらかに「東日本大震災の前」と「後」で、中村さんの意識は変わっているので、ここで区切ったのだろう。

第3章は「3・11のあとの幸福とは何か 気がつけば、女王様はデビュー二十周年 もう『欲しいもの』がなくなった!」(2011年4月から12月)。「東日本大震災」によって変わった意識の中でのコラム。

4章「女は女を救えるのか?木嶋佳苗と『ヘルタースケルター』のりりこにおける美のヒエラルキーと欲望」(2012年1月~2013年1月)では、「女の業(ごう)」「人間の意識」へと深く深く潜っていく。その後の「第1章」に通じる所で、このコラムの構成って「輪廻」じゃないの?と感じさせる。

「書くことは考えること」だということを感じさせるコラム集。

で、「週刊文春」での中村うさぎさんのコラムが終わるらしい。深く掘り過ぎたか?読者がついて来られなくなったのか?編集部がついていけなくなったのか?残念である・・・。


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(2014、3、10読了)

2014年3月24日 10:43 | コメント (0)

新・読書日記 2014_037

『にげましょう 特別版~災害でいのちをなくさないために』(河田惠昭、共同通信社:2014、2、10)

 

絵本です。河田先生が書かれた「災害時の対応」=「にげましょう」なので、わかりやすい。文言も、ひたすら平仮名で「にげましょう」で、小学生にもわかりやすい。

引っかかった点は、「火砕流」への対応。「ものすごいスピードで迫ってくる」と書いてあるのですが、対応は「にげましょう」だけ。これは・・・どうやって逃げるねん!と思わず突っ込みを。追いつかれてしまうがな。もう少し具体的に指示してほしい。

それと、一番なるほど!と思ったのは、巻末の文章で、

「夜の雨はなかなかやみません」

という所。夜は気温が下がるので、雨が降る。気温が下がると空気中の飽和度がいっぱいになってしまって、なかなか止まない。だから「川の増水・氾濫」などが起きるのは「夜」であると。なーるーほーどー!納得です。勉強になりました!


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(2014、3、17読了)

2014年3月24日 01:48 | コメント (0)

新・ことば事情

5397「なぜ笑い声はハ行とカ行なのか?」

 

ふと思ったのです。

「笑い声」

というものは、全て、

「ハハハ」「ヒヒヒ」「フフフ」「へへへ」「ホホホ」

という「ハ行」の音。あるいは、

「カカカ」「キキキ」「ククク」「ケケケ」

という「カ行」の音であって、それ以外の音で笑うことは、普通はないのではないでしょうか?

「マママ」とか「メメメ」とか「ソソソ」とかないでしょう?あ、

「シシシ」

はありそうだな。

最初から見ていくと、まず「ア行」母音はありませんね。「カ行」は「コ」以外の音は「あり」。「サ行」は「シ」以外は「なし」。「シ」も、

「ウッシッシ」

というような笑い方ですよね。

「タ行」は「タチツテト」、「ない」な。「ナ行」は「ナニヌネノ」、ありません。「ハ行」は全部「あり」。「マ行」は「マミムメモ」、ありませんね。「ヤ行」は「ヤユヨ」。「ヨヨヨ」と泣くことはあっても、笑うことはないでしょう。「ラ行」「ラリルレロ」。「ランラン」と言うことはあっても「笑い声」ではありません。「ワ行」は、

「ワハハハ」

「ワ」は入っているが基本的に「ハ行」ですね。「ワワワ」とは笑いません。

ということは、「ハ行」全てと、「カ行」の「コ」以外。あと例外的には「シ」といったところでしょうか。やはり基本的には、

「ハ行とカ行」

ということでいいでしょう。「なぜ」そうなのか?考えました!

まず、基本は「ハ行」。

息を多く流して声を出すと、「ハ行」の音になるということですね。唇は基本的に使いません。(「フ」は使うな。)開放的。笑う時には、息がとてもよく出ますから。それをやや抑えようとしたときに、喉の状態が「カ行」になるのではないか?だから、「カ行の笑い」は「ハ行」に比べると、やや意識的には抑制された笑いになっているのではないでしょうか?

また、人間以外の動物は笑わないというのを聞いたことがありますが、犬なんかは常に口で息をしていて「ハアーハアー」言っているので、ある意味では常に笑っているとも言えますが、逆に「笑い」ができないのかもしれない。「口」で息をしなくちゃいけないから。

人間は「鼻」で呼吸ができるからこそ、「ハ行」で笑うことができるのではないかなあと考えたところで、今夜はおしまい。

(2014、3、23)

2014年3月23日 23:50 | コメント (0)

新・読書日記 2014_032

『ガンコロリン』(海堂尊、新潮社:2013、10、20)

表題作ほか5編の短編集。「チームバチスタ」シリーズなどでおなじみの海堂尊先生。チラッと、そんなシリーズでおなじみの人も出てきたりして。うまいこと、世界を構築しているなあ。

「ガンコロリン」は、がんの特効薬ができたというお話。ちょっとオボカタさんのことを思い浮かべたりしながら。TPP推進に対して海堂先生は大反対なんだな、と。皮肉を込めた「A病院からC病院というランク付け」の物語など。楽しめます。

(☆3つ半)


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(2014、3、17読了)

2014年3月21日 11:56 | コメント (0)

新・読書日記 2013_031

『動的平衡ダイアローグ~世界観のパラダイムシフト』(福岡伸一、木楽舎:2014、2、15)

 

著者の提唱する「動的平衡」という概念には全く同意したい。また「動的平衡」という言葉にも親近感を覚える。人間において、体の細胞は新陳代謝で1年もすれば全て入れ替わってしまう。そんな中で、「自分が自分であること=アイデンティティー」を保つためのものは何か?著者は「記憶」であると述べている。各界の著名人との対談の中で「動的平衡」が普遍的であるかどうか、その問いを投げかけ、確認作業をしているように感じた。

私の母校・早稲田大学の校歌「都の西北」の3番の歌詞に、

「集まり散じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光」

という一節がある。これが「動的平衡」なのではないかな、と私は感じた。


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(2014、3、3読了)

2014年3月20日 21:55 | コメント (0)

新・読書日記 2014_030

『改訂版・ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(福田和也、PHPビジネス新書:2014、3、4)

 

福田和也さんが、「ひと月」に「100冊」読んで「300枚」書く方法を述べる。読むこと・書くことに興味のある人なら、「どれどれ・・・」と覗いてみたくなるのではないか。そんなに読めるんかいな?書けるんかいな?と思うだろう。

結論から言うと、「100冊」全部を「精読」しているわけではないみたい。ああ、それなら・・・という気もするが、速読で内容を把握するというのも経験と技術がいることである。書くほうは、うーん、プロだからなあ。気力と構想と体力が必要だなあと。まあ、当たり前と言えば当たり前ですね。高校生や大学生の「勉強法」の参考になるのではないか。


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(2014、2、24読了)

2014年3月20日 17:53 | コメント (0)

新・読書日記 2014_029

『昭和元禄 落語心中①』(雲田はるこ、講談社:2011、7、7第1刷・2013、3、12第7刷)

 

こんなマンガもあるんだな。とんでもなくヒットしているわけではないだろうが、2年で「7刷」ということは、そこそこ・・・かなり人気があるみたい。たしかに落語好きだと読むね、これは。


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(2014、2、22読了)

2014年3月20日 14:52 | コメント (0)

新・読書日記 2014_028

『人は死ぬとき何を後悔するのか~2500人を看取った医師が知る「間際の心」』(小野寺時夫、宝島社新書:10、24)

 

お彼岸ですねえ・・・。

2500人もの患者さんを看取って来たお医者さんですから、いろんな"死に際"を経験されたことだろう。ホスピスで亡くなる人にも、いろんな人がいるのだな。争いながら死ぬのは嫌だな、静かに安らかに、周囲も穏やかに死んでいきたいな。そのためにはどうすればいいか?「がん」の治療、抗がん剤や放射線治療、この著者のお医者さんも、あまり勧めてはいない。本人もがんにかかったらしいし。うーむ。他人の場合と自分や身内の場合はまた違うのかもしれないな。それだけに難しいのだな。


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(2014、3、12読了)

2014年3月20日 10:05 | コメント (0)

新・読書日記 2014_027

『三省堂国語辞典のひみつ』(飯間浩明、三省堂:2014、2、20)

 

『三省堂国語辞典』の編纂者である飯間浩明さんが、昨年末に出た「第7版」を編纂するうえで、「どのような苦労をして、どのような想いで、辞書を編纂しているか」、その舞台裏を綴った興味深い一冊!ちょうど東京出張の時に、三省堂本店で飯間さんのトークショーが開催されていたので、それにも出席して「サイン本」を購入しました!100人限定!それにしても飯間さん、めちゃくちゃ精力的に、お仕事されていますなあ。

同じ三省堂から出ている「新明解国語辞典」と「三省堂国語辞典」=「三国(さんこく)」は、ひとことで言うと、どう違うのか?飯間さんは、

『「にやり」の新明解、「すとん」と三国』

と表現しています。なるほど。

そして、この本のキモはと言うか、「三国」のキモは、

「誤りと決めつけてはいけない」

ということでしょう。従来「『的を得る』は間違いで、『「的を射る」が正しい」「『汚名挽回』は間違いで、『汚名返上』『名誉挽回』が正しい」とされてきましたが、飯間さんは(「三国」)は、そういった表現にも愛情を持って接しています。というか、「言葉は変化するものである」という大原則、そして「辞書とは"鑑"(かがみ=手本)であると同時に、時代を映す"鏡"である」という「三国」の精神・見坊豪紀さんの言葉を忠実に守っているような気がするのである。でも私は、これらの言葉(「的を得る」「汚名挽回」)に関しては、「鑑」を優先してほしい気がしますが・・・。

とにかく、まずは読んでください!!!


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(2014、2、19読了)

2014年3月19日 18:04 | コメント (0)

新・読書日記 2014_026

『フード左翼とフード右翼~食で分断される日本人』(速水達朗、朝日新書:2013、12、30)

 

『ラーメンと愛国』の著者。1973年生まれ。ちょっと軽いタイトルなので、普段なら買わないが、著者に惹かれて購入。いわゆる「二元論」的なタイトルのものは、眉唾モノが多い気がするが、世の中ではそういうタイトルが好まれているんだから仕方がないか。

表紙の「返し」の部分の惹句は、

「『食べるものを選ぶ』それだけで政治思想がわかる」

帯にも同様の見出しで、

「政治思想を"食"で見抜く」

とあります。ドキッ!そうなの?なんで?というところは、帯に分類が書いてあって、

*「フード左翼」=自然食、ベジタリアン、有機野菜、ビーガン、スローフード運動、ミネラルウォーター、地産地消、マクロビオテック、ファーマーズマーケット

*「フード右翼」=メガフード、ジロリアン、遺伝子組み換え作物、牛丼つゆだく、ファストフード、水道水、B級グルメ、ジャンクフード、コンビニ。

ハハーン、なんとなく見えて来たぞ。でもみんな、全部が全部「左」や、「右」、ではなく、バランスよく混ざっているのではないかな?

しかし「食べ物」が「ライフスタイル」と密接に関連していること、そこから導かれる「政治思想」=「生き方」という切り口は、斬新だと思った。


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(2013、1、20読了)

2014年3月19日 10:50 | コメント (0)

新・読書日記 2014_025

『直観を磨くもの~小林秀雄対話集』(小林秀雄、新潮文庫:2014、1、1)

 

531ページの分厚い文庫本。

三木清、三好達治、梅原龍三郎、五味康祐、横光利一、折口信夫、大岡昇平、今日出海、湯川秀樹、福田恆存、永井龍男、河上徹太郎という12人と小林秀雄(19021983)との対談集。時期は昭和16年(1941年)の三木清から、昭和54年(1979年)年の河上徹太郎まで、時代も感じさせるが読みごたえがある。表紙の小林秀雄の写真、カッコイイ!シブいですねえ。

一番、小林の姿勢が顕著に出ているのは、物理学者で日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹(19071981)との対談であろう。ともにこの時は40代。今の私よりも若いが、成熟した感がある。この対談自体は、湯川がノーベル賞を受賞する(1949年)よりも前に(19488月号『新潮』に掲載)行われている。まだ「原子爆弾」の惨禍から3年しかたっていないという意味では、対談当時と、東日本大震災による福島第一原発の事故から3年たった現在の日本は、「原子力」に対する関心の高さの状況では似ているのかもしれない。

その中で小林は、太陽のエネルギーの元は原子力であり、我々は知らずにその恩恵に浴していたと。しかし、

「高度に発達する技術に対して人間が・・・安定したオーガニズム(有機的組織体)が何億年と変わらない人間が対立する、何かおかしなことが起こるような気がするのです」

と述べている。これに対して湯川は「おっしゃる通り」としながら、

「原子力という物を人間が利用すると、全体的に集団的な自殺などができるようになったわけですから、そうなれば道理とか道徳とか、いろんな問題が起こって来ます。(中略)ほかのあらゆる問題より平和を永続さすことを優先的に考えなければならない。これは絶対的な問題です」

と答えている。「原子力」を「兵器」として使うことに関しての話。また、

小林「理性が因果律を要請するという性質は、これは神様から授かった贈物だ。もう一つは自由というような一つの絶対感情も神様からの賜物(たまもの)だ。ところがそういう二つのものからいろんな混血児が生まれて来る。エントロピーの原理というのはやはりそういう混血児みたいなものじゃないかと思うのですよ(以下略)。」

湯川「混血児かもしれんけれども、混血児だからと言って、それだけで排斥すべき筋合いじゃないと思うのです。」

小林「排斥しようとはちっとも思わない。むしろ尊重するのです。」

などという禅問答のような会話も、「混血児」という言葉も時代を感じさせる。

また、折口信夫(188871953)との対談(19502月『本流』に掲載)で小林は、

「昔の人にとって瀬戸物の美しさとは、それを日常生活で使用することの中にあった。利休の美学は、そこから生まれております。現代では瀬戸物の美しさを硝子(ガラス)越しに眺めている。それで十九世紀西洋美学には抵触しないのです。瀬戸物の美しさが観念だけのものになっている事に気がついていないのです」

などなど、勉強になりました!


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(2014、2、14読了)

2014年3月18日 17:46 | コメント (0)

新・ことば事情

5396「『木くず』のアクセント」

滋賀県高島市の河川敷に、放射性物質「セシウム」に汚染された「チップ」「木くず」が放置されていた問題。その中に出て来る、

「木くず」

のアクセントが、「平板アクセント」で、

「キ/クズ」

と言うのをよく耳にします。きょう(3月6日)のNHK大津からのお昼のニュースを読んでいた男性アナウンサーも、そのように発音していました。

しかし『NHK日本語発音アクセント辞典』を引いてみると、

「キ/ク\ズ」(中高アクセント)

「キ\クズ」(頭高アクセント)

2種類しか載っていません。次回の改訂で「平板アクセント」が載るのかどうか、注目したいですが、とりあえず、現在は載っていません。しかも、うち(読売りテレビ)のアナウンサーも「平板アクセント」で読んでいるケースを散見します。

「モ/ズク」

のような感じになっています。これってどうなのかなあ?

改めて読売テレビのアナウンス部のみんなに聞いてみたところ、

(1)「キ/クズ」(平板アクセント) =14人

(2)「キ/ク\ズ」(中高アクセント)= 0人

(3)「キ\クズ」(頭高アクセント) = 3人

 という結果が出ました」。圧倒的に「平板アクセントで読む」という人が多いのです。

『NHK日本語発音アクセント辞典』の改訂作業に携わっている、NHK放送文化研究所の塩田雄大さん聞いてみたところ、

「『木くず』は、あいにくアクセント調査の対象語になっておらず、改訂の可能性は現時点では薄いと思われる」

という返事が。そのメールには、

「『おがくず』が、現行では『オ/ガク\ズ』のでみあることを考えても、『キ/ク\ズ』は、さほど無理のあるアクセントではないように感じますが(だからといって『平板アクセント』の『キ/クズ』を否定することには、つながりませんが)いかがでしょうか。」

とありました。

(2014、3、17)

2014年3月18日 10:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5395「『あかり』と『ひかり』」

2008年開催の「コイコン」という「やしきたかじん」さんと「松山千春」さんのコンサート。その映像を見ながら考えたことです。

ゲスト出演(?)で、やはり今は亡き、桑名正博さんが、名曲『月の光』を歌っていました。その歌詞の中に「ひかり」と「あかり」が出て来るのです。

名詞「ひかり(光)」動詞「光る」は、擬態語「ピカリ」から生まれた言葉だと思われます。その「ひかり」と、「あかり」は、

「『かり』が同じ」

なんです!いまさらながら。

名詞「あかり」は、形容詞「明るい」から来たのでしょう。

そして「明るい」と、色の「赤」は関係があるのではないでしょうか?

また、日本の色の根源は、

「赤・青・白・黒」

4色。このうち「あか(赤)」と「あお(青)」は、最初の音「あ」が同じ。そのあと「か」と「お」。

一方、「くろ(黒)」と「しろ(白)」は、2音目の「ろ」が同じで、語頭・1音目は「し」と「く」という違い。これも何か語源的に関係があるんでしょうか?

『月の光』を聴きながら考えたのは、そんなところです。

(2014、3、17)

2014年3月17日 22:41 | コメント (0)

新・読書日記 2014_024

『古池に蛙は飛び込んだか』(長谷川櫂、中公文庫:2013、9、25)

 

去年の年末に読み終わっていたが、記録するのを忘れていました。

俳人・長谷川櫂さん、「東日本大震災の歌集」は2011年5月に読んだが、「俳句」に関しての書物を読むのは初めて。しかも、タイトルが刺激的。芭蕉の生地・伊賀上野が故郷の私としては、読まざるを得まい。

如何に芭蕉が画期的な存在であったか。それは「切れ字」にあった。「古池や」の「や」である。この「や」が、空間と時間を切っているのである。だからタイトルの、

「古池に蛙は飛び込んだのか?」

とういう疑問の答えは、

「古池には、飛び込まなかった」

それを、その後の句を分析しながら読み解いていく。スリル満点の一冊である。


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(2013、12、29読了)

2014年3月17日 19:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5394「ヘギョンか?ウンギョンか?」

 

拉致被害者の横田めぐみさんの娘、

「キム・ヘギョンさん」

に、めぐみさんのご両親である横田滋さんと早紀江さんが初めて、モンゴルで会っていたことが分かりました。

その「ヘギョンさん」の名前ですが、日本テレビは「ウンギョン」に統一したようです。

NHKは、今朝(3月17日)の7時のニュースで「外務省の方針に従ってウンギョンとした」と言っていたようです。

外務省のホームページを見ると、3月16日付の報道発表で、

「横田ご夫妻とキム・ウンギョン氏の面会」

という見出しで、

「横田滋・早紀江ご夫妻は、3月10日から14日までモンゴルのウランバートルにおいて、孫娘であるキム・ウンギョン氏およびその家族との時間を過ごされました」

と記されていました。

けさの新聞各紙は

(読売)ヘギョン

(朝日)ウンギョン(ヘギョン)

(産経)ウンギョン(ヘギョン)

(毎日)ヘギョン(ウンギョン)

(日経)ヘギョン(ウンギョン)

と、どちらを先に出すかはわれていますが、読売新聞を除いては、

「ウンギョン」

を採用しているようです。2006年当時に変更されていたのかもしれません。

朝日新聞は、

「ウンギョンさんの名前をめぐっては、めぐみさんの夫だったとされる韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さんが06年6月に北朝鮮で記者会見した際、『本名はウンギョンで、ヘギョンは幼名だ』と説明している」

と記しています。これは「ウンギョン(ヘギョン)」という表記が、

「一応、金英男(キムヨンナム)の発言に基づいて『ウンギョン』としているが、それは以前に『ヘギョン』としていた人のことだよ」

と分かるような書き方になっているということですかね。逆に「ヘギョン(ウンギョン)」とした毎日と日経は、

「金英男(キムヨンナム)は『ウンギョン』と言っているが『ヘギョン』さん」

というスタンスなのでしょうかね。

なお、3月17日のお昼のニュースではNHKとテレビ朝日も「ウンギョン」で放送していました。

 

 

(追記)

読売新聞は3月17日の夕刊で、

「読売新聞ではこれまで、拉致被害者の横田めぐみさんの娘の名前を『キム・ヘギョンさん』と表記してきましたが、政府の発表などに基づき、今後は『キム・ウンギョンさん』と表記します。」

という「おことわり」を出しました。

(2014、3、18)

 

 

(2014、3、17)

2014年3月17日 16:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5393「歪む」

 

佐村河内守さんの「偽ベートーベン問題」というか"ゴーストライター"問題。

先週金曜日(3月7日)の会見で出て来た言葉の中に、

「(音が)歪む」

がありました。この漢字は常用漢字ではない(表外字)ですが、読み方は、

「ゆがむ」

でしょうか?それとも、

「ひずむ」

でしょうか?どちらの読み方もあります。でも使われる場面が違うと思います。

「音」 に関しては「ひずむ」

「映像」に関しては「ゆがむ」

と読む気がします。

「聴覚」=ひずむ

「視覚」=ゆがむ

ともに「本来ある形ではない形」になっている場合です。

「きく」(KIKU)→「ひずむ」(HIZUMU

「みる」(MIRU)→「ゆがむ」(YUGAMU

ということで、「きく」が「ひずむ」となるのは「き」と「ひ」、ともに「イ段」の音ですが、「みる」が「ゆがむ」になるというのは、「イ段」が「ウ段」になっています。これは何か関係があるのかな?

「ひずむ」「ゆがむ」ともに「む」で終わっているのも、何か関係があるのかな?

2音目が「ず」と「が」というともに「濁音」になっているのも、何か関係があるのかな?

「歪」という漢字に「和語」の「ひずむ」「ゆがむ」を充てたということは、やはり共通した特徴があるということでしょう。

なんとなく関連がありそうな、2つの言葉でした。

(2014、3、11)

2014年3月13日 12:44 | コメント (0)

新・ことば事情

5392「トースターのアクセント」

 

何かのコマーシャル(たぶん「パン」ではないかな)の声がテレビから耳に入って来ました。その若い女性の声は、

「ト-スターが当たる」

というプレゼントの告知でしたが、その「トースター」のアクセントが、

「ト/スーター」

「平板アクセント」だったのです!ビックリ!だって、「トースター」のアクセントはどう考えても、

「ト\ースター」

という「頭高アクセント」しか、私は考えがつかなかったからです。

NHK日本語発音アクセント辞典』でも、

「ト\ースター」

という「頭高アクセント」しか載っていませんでした。

「平板アクセント」の「ト/ースター」はイヤだなあ・・・。

(2014、3、11)

2014年3月12日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5391「歩いて20~30メートルの距離」

 

千葉・柏市の無差別殺傷事件の容疑者が逮捕されました。それを伝えた某局の中継で、こんなコメントが。

「驚いたのは容疑者と被害者が同じマンションの住人で、現場が歩いて20~30メートルの距離だったということです」

うん?「歩いて20~30メートルの距離」?じゃあ「走ったら」距離は変わるのか?

「歩いて○○○の距離」

という表現の場合に、「○○」の中には「時間」が入ります。

「歩いて1~2分の距離」

ならば問題ありませんね。

「車で5~6分の距離」

というケースもあるでしょう。でも、

「車で500~600メートルの距離」

とは言いません。そこに「距離」が入るのであれば、

「歩いて」

という言葉は「不要」です。

これも混交表現のひとつ、間違いですね。でも確かに、つい使ってしまいそうな気がしないでもありません。うちの系列局ではないキー局の中継でしたが、「他山の石」として、きっちりと言葉を使うようにしましょうね!

(2014、3、6)

2014年3月11日 17:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5390「高設栽培」

 

先日、読売テレビの夕方の番組『関西情報ネットten.』で、「イチゴ狩り」の取材をしていました。そのビニールハウスの中の「イチゴ」の植え方は、腰の高さぐらいの所まで台座と言うか、土を入れたコンクリートの囲いがあり、そこでイチゴを栽培しているものでした。

これだと、しゃがまなくてもいいし、イチゴの果実も土に直接付かずに汚れないので、イチゴ狩りには向いているという話でした。普通のイチゴ狩りだと、土が付いたイチゴを洗うために、水の入ったカップを持ってイチゴを採ったりしますもんね。

この栽培方式を、

「高設栽培」

と言うそうです。先日、お天気担当の蓬莱さんのイチゴ狩り中継でも、この栽培方法の名前を聞いたのですが、その際は同時に「たわわに」という表現に違和感を抱いたので(この件は、平成ことば事情5353「たわわ」に書きました)この栽培方法の名前を忘れてしまっていたのですが、また出てきたいうことは、最近、この方法は広まっているということでしょうね。

グーグル検索では(3月6日)、

「高設栽培」=87万3000件

も出て来ました。『デジタル大辞泉』には、

「こうせつさいばい【高設栽培】」地面より高い位置に棚を組み、イチゴなどの作物を栽培する方法。土の代わりにピートモスやもみ殻などの人工的培養土を使用する。土壌病害の心配が少なく、栽培作業の負担が軽減されるなどの利点がある。

と載っていました。『三省堂国語辞典・第7版』には、まだ載っていませんでした。残念。

(2014、3、6)

2014年3月 7日 10:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5389「関西弁の『そこで』と『外で』」

 

先日、眼科検診に行った時に、「外の待合室」でしばらく待たされた後に、「中の検査室」で視力検査を受けました。そのあとに先生の診察があるのですが、それまでまたしばらく待たされます。検査室のスペースにもソファがあってそこで待っている人もいるのですが、検査を行った看護師さんは、こう言いました。

「では、『そ○で』お待ちください」

この「○」が聞き取れなかったのです。彼女は果たして、

「『そこで』と言ったのか?それとも『外で』と言ったのか?」

これが「共通語アクセント」であるならば、

「そ/こで」(平板アクセント)

「そ\とで」(頭高アクセント)

は、アクセントが違いますから「こ」か「と」かが聞き取れなくても間違わないのですが、関西弁の場合は、

「そ/こ\で」「そ/と\で」

「同じアクセントパターン」(「そこ」「そと」が共に「尾高アクセント」)なので、聞き取れなかったのです。

「え?『そこ』ですか?『外』ですか?」

と聞き返したところ、「外」を指さしながら、

「あ、外です」

と言われて、一件落着です。

(2014、3、5)

2014年3月 6日 19:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5388「日露か?日ロか?2」

 

「す・またん」の担当者から電話がありました。

「日本とロシアの略称の表記は『日ロ』でしょうか?『日露』でしょうか?」

「ソ連が崩壊してからしばらくは『日ロ』と表記していたけど、最近は『日露』に変更されたね。日露戦争の頃の露西亜(ロシア)と違うというのはもう分かるし、カタカナの『ロ』は『口(くち)』に見えてしまって分かりにくいというのが、変更の理由だったと思うよ。」

と答えてから、昔書いたものを検索したら、2009年2月19日に、

「平成ことば事情3514日露か?日ロか?」

というのを書いていました。それによると、新聞表記はバラバラだが、日テレは、

「日ロ」

だと書いています。

あれ?では、その後に変更されたことは書いていなかったか?

また調べてみたら、「2010年11月10日」に、当時の日本テレビの用語担当者に出した質問に対して、以下のようなメールを頂いていました。

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『昨日(2010年11月9日)、かって用語統一した「口」を「露」に変更しました。

     ↓

   新:ロシアの略称は「露」

   (旧:   「ロ」  )

 ロシアの略称は、これまで「ロ」を用い、「日ロ首脳会談」などと表記してきましたが、今後は「露」を使い、「日露首脳会談」などと統一使用します。

本日(2010年11月9日)の編集会議で承認いただきましたので、即時発効といたします。現時点で既に完パケ作業をしてしまったものについては、許容します。

【理由】

①旧ソ連崩壊後、新生ロシアと帝政ロシアを区別するため、多くのメディアが「ロ」を用いた。

②新生ロシア発足から18年経ち、「日露」を使用しても、帝政ロシアを想起する視聴者が減った。

③主要国でカタカタを略称にしている国はなく、新聞・通信なども「露」を使用している(読売新聞等)。

 【使用例】

日露首脳会談、日露間の貿易統計(スーパーなど)、中露関係、河野駐露大使など。

ただし、「日本・ロシア当局者による協議」、「駐ロシア大使」などのように

「ロシア」を略さない表記を禁じるものではありません。

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その後出された『日テレ放送用語ガイド2011』には、これが反映されて、「ロシア」の略称表記は、漢字で、

「露」

とすることになっていますので、ここ3年以上、日本テレビ系列での表記は漢字で、

「日露」

ということですね。でも、こういうのって、気にしていなければ案外、気付かないものなんですよね。忘れないように記しておきます。(こういう記録も、うちではたぶんどこにも残っていないと思います。「平成ことば事情」が、ちゃんと「アーカイブ」となれるように。)

(2014、3、6)

2014年3月 6日 11:12 | コメント (0)