新・ことば事情
5384「そもそも、ですから、いずれにしましても」
2月25日の二ニコ生放送「道浦俊彦のことばのことばかり」ではゲストとして、竹中平蔵さんの秘書を務めた兵庫県立大学の真鍋雅史准教授をお迎えして、「政治のことば」について話しました。
「真鍋に学(まな)べ!」
ということですね。真鍋先生の話によると、
「衆議院と参議院では、"質問の持ち時間の勘定の仕方"が違う」
のだそうで、「衆議院」の質問者の持ち時間は、
「質問と答弁の時間を合わせて、持ち時間に数える」
のに対して、「参議院」は、
「質問者の質問の時間だけを、持ち時間とする」
のだそうです。この「ルール」によって、答弁の仕方も変わってきたり「駆け引き」が行われることになるんだそうです。それは知りませんでした。大変勉強になりました!!
そしてその中で真鍋先生が、
「衆議院の答弁の際によく使われる便利な言葉が『3つ』ある」
として紹介されたのが、
「そもそも、ですから、いずれにしましても」
でした。
「そもそも」
は、「イエスか?ノーか?」と質問されたときに、「時間を稼ぐため」に「そもそも・・・」ととき起こして初めから話す場合に使い、質問者が、
「そんな話を聞いてるんじゃない!イエスか?ノーか?で聞いているんです!」
と突っ込んで来たら、
「ですから・・・」
と言ってから、またゴニョゴニョと回りくどい話に持ち込む。そしてラストに、
「いずれにしましても・・・」
でまとめるというのが、
「永田町文学の手法」
だというのです。うーむ、「いずれにしましても」でまとめるなら、これまでの論争は全く無意味ではないか!「いずれ」でもいいんだから。まさに、
「結論ありき」
なんですねえ・・・。それだと「議論」ではなく、
「議論の真似事」「議論もどき」
なのではないでしょうか?「永田町の言葉」はその「文法」をよく学んでから、聞かないといけませんね。
真鍋先生、ありがとうございました!
(2014、2、27)
2014年2月28日 14:38
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新・読書日記
2014_023
『漂流者~野球さえあれば、世界のどこでも生きていける』(マック鈴木、三交社:2014、2、1)
「マック鈴木」が、日本のプロ野球を経ずにメジャーへ行くと聞いた時、もう20年ほど前になりますが、かなり衝撃的でした。野茂秀雄投手のメジャー挑戦が1995年、それに先立つこと3年です。遂に「大リーグ」ではなく「メジャーリーグ」が、日本人選手の視野に入って来たか、それも高校を途中でやめた若者がメジャーへと言うのは「ビッグニュース」だと思ったものです。その後、いつブレークするか?と期待していたのですが、あまり噂を聞かなくなったなあ・・・と。
日本に戻って来てからも、それほどブレークしないまま「もう引退したんだろう」と思っていました。その辺の当時の状況が、本人の口から語られているので、興味深い。
アメリカからプエルトリコ、ベネズエラ、ドミニカ、メキシコ、台湾、カナダ、そして日本。今は、兵庫・淡路島に住んでいるという。
サブタイトルの「野球さえあれば、世界のどこでも生きていける」というのは、「実力があれば」ということと「野球をやっている国であれば」とういう制限はあるが、高校中退の少年が、力強く世界を股にかけて生きて来た、そしてもう、あと1年ちょっとで「不惑」を迎えようとしている、その数奇な半生を、じっくりと読んでみてほしい。
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(2014、2、17読了)
2014年2月21日 11:55
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新・読書日記
2014_022
『ミツバチの大量死は警告する』(岡田幹治、集英社新書:2013、12、22)
ミツバチが不足しているという話は、以前聞いた気がしていた。だから「ミツバチ泥棒」(ミツバチの巣箱を盗む)のニュースも、何度か耳にし目にし、
「そんなものを盗む人がいるんだ」
と思っていたが、事態はもっと深く静かに深刻に進行していたのだ。
これが若いライターさんが書いたのだったら「へえー」程度だが、1940年生まれ、70歳を超えた超ベテランのフリージャーナリストの方が書いているので、
「え!そうだったの」
と思ってしまった。
ミツバチが減った原因は「ネオニコチノイド系」の「新しい農薬」にあったというのだ。ミツバチの減少は、受粉・授粉ができなくなるので、作物の減収につながる。しかもこれは日本に限った問題ではなく、世界的規模の話だと。私たちに今、できることは?
うーむ、深い問題である。
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(2014、1、25読了)
2014年2月20日 18:54
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新・読書日記
2014_021
『辞書になった男~ケンボー先生と山田先生』(佐々木健一、文藝春秋:2014、2、10)
著者はNHKのディレクター。去年この本の元となった作品『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男』を撮り、BSプレミアムで放送、「第30回ATP賞・最優秀賞」を受賞した。番組のその書籍化。
実は、その作品を私は見ていない。年末に再放送があったが、これも見逃がしてしまった・・・。著者の佐々木さんとは一度お会いしたことがある。以前、『みんなでニホンGO!』という番組を彼が作っていた時に、その番組のブレーンでもあった飯間浩明さんとのつながりで、居酒屋で会った。その後、彼は「ニホン語」の魅力に取りつかれたらしい。
本書にも飯間さんは頻繁に登場するし、その意味でも、とても親しみを持って読むことができた。
本書の内容は、同じ三省堂から出ている『三省堂国語辞典』(三国)と『新明解国語辞典』(新明解)。その編者は、「三国」が見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)、「新明解」が山田忠雄。二人は東大の同級生であった。その二人が、最初は協力して辞書の編集をしていたのに、なぜ袂を分かつことになったのか?「1月9日」という日付に隠された謎は?用例に潜んでいる思いとは?ドキュメンタリー番組のように(って、元が「ドキュメンタリー番組」なんだから当たり前なのですが)丹念に関係者に話を聞き取りながら話が進む様子は、推理小説のようでもある。
「国語辞典なんて、どれでも同じでしょ?」
と思っている人には、ぜひ読んでほしい一冊。なんと人間臭いドラマが、辞書の中に潜んでいるか、辞書とは「人間」が作っているものであるということが感じ取れる一冊です。
これを読んだら、武藤康史さんの『明解物語』も読んでくださいね。(と書いてネット検索したら、今品切れらしい。古本だと結構高い。6000円以上の値も付いている。もともと定価が3400円(プラス税)と高かったし。図書館で捜してくださいね。)
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(2014、2、9読了)
2014年2月19日 21:18
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新・読書日記
2014_020
『すべてのJ-POPはパクリである。~現代ポップス論考』(マキタスポーツ、扶桑社:2014、1、30)
マキタスポーツという「人」をご存知ですか?私がこの人の名前を知ったのは、半年ほど前です。「ミヤネ屋」に出演してもらった時に「ふ-ん、こんな人なんだ」と知った。
その「マキタスポーツ」さんが、刺激的なタイトルの「音楽」に関する本を出した!たまたま出張で出かけた東京で、神保町の東京堂書店で見つけて購入。芸名は、山梨の実家が営む「スポーツ店」の名前なのだそうだ。PRも兼ねた芸名か。(これは今週の『週刊文春』の水道橋博士の連載「藝人春秋」で知った。)
さて、本の内容は、4つの章立て。「ヒット曲の法則」「なぜCDが売れなくなったのか?」「モノマネから発するオリジナリティー」「日本のポップスはすべてノベルティー・ソングだ」という、かなり「マジ」な内容。特に第1章の「ヒット曲」の分析で、ヒット曲は「カノン進行」が取り入れられているという指摘は鋭い!「目からウロコ」である。「カノン進行」の例に挙げているヒット曲は、「クリスマス・イヴ」(山下達郎)、「ひこうき雲」(荒井由実)、「大阪で生まれた女」(BORO)、「愛は勝つ」(KAN)、「壊れかけRadio」(徳永英明)、「浪漫飛行」(米米CULB)、「真夏の果実」(サザン・オールスターズ)「何も言えなくて・・・夏」(J-WALK)、「TOMORROW」(岡本真夜)・・・・・。うーん、たしかに、全部「似ている!」。だんだん音階が下がってくる感じが!それが「カノン進行」なのか!
まあ、「カノン進行でヒットした曲」を集めたのであって「カノン進行であれば必ずヒットする」訳ではない。これにプラス「J-POPらしい言葉」も分析している辺りがスゴい。これと同じような分析は、言語学的にも行われたことがあるが、「どうやったら売れるか」という視線からのこれほど詳しい分析というのは、なかったのではないかと思う。すごいです。一読をお勧めします。
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(2014、2、9読了)
2014年2月19日 18:17
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新・読書日記
2014_019
『その日本語、ヨロシイですか?』(井上孝夫、新潮社:2014、1、15)
著者は新潮社校閲部・部長さん。マンガも挟み込まれたこの本、そのマンガも書いているとい器用さ!著者略歴をみると、マンガの賞をいくつも取っている本格派だ。中身も大変わかりやすくまた、興味深い。
新潮社の校閲ということは、小駒さんとも同僚なわけですね。1954年生まれと言うから、私よりは7つ先輩だ。
大変勉強になったし、読みやすい。誰でも手軽に読めて、勉強になる一冊です!
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(2014、2、6読了)
2014年2月19日 15:16
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新・読書日記
2014_018
『余生返上』(大谷晃一、ノア工房:2014、1、10)
「情けない男」の話である、「素晴らしい"夫の愛"」の話である。こんな夫婦は滅多にいない。貴重な記録である。「連理の比翼」という言葉、よくわかんないけど、こういうことか。(調べたら、白居易の「長恨歌」でしたか。)
大谷晃一先生、90歳。今から20年ほど前に『大阪学』という書物を出されたときに、初めて取材に行った。それ以降も何度か取材に伺った。最後にお邪魔したのは、今から13年前。はっきり覚えている。2001年の9月12日に、兵庫県伊丹市のお宅にお邪魔したのだ。そう、アメリカの同時多発テロ「9.11」の翌日だったのである。今は亡き奥様が、2階の書斎まで、お茶を持って来てくれた。暑い日だった。
その後、奥様が亡くなって、大谷先生は「老人ホーム」に入られた。毎年、年賀状を頂いていて、それは知っていた。老人ホームに入られた時に、「筆を措く」決意をされたようだが、奥様を亡くして、その心の空白を埋めるためにか、また筆を執った。この本は、大谷先生の自叙伝である。そしてご本人いわく、「最後の著作」だそうだ。奥様を失って、本当に魂が奪われたようになる大谷先生。しかし、「余生を返上」して書き上げた一冊である。心して読むべし。
(☆5つ)
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(2014、2、6読了)
2014年2月19日 10:15
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新・読書日記
2014_017
『言葉と歩く日記』(多和田葉子、岩波新書:2013、12、20)
芥川賞作家の多和田葉子さんは1982年早稲田大学卒ということで2年先輩。1980年代初期の2年間ほどは、同時期にキャンパスの空気を吸っていたのだ、面識はなかったが。その後、多和田さんは渡独して31年。日本語とドイツ語で作品を物している大作家である。改めて奥付を見たら、芥川賞の後も、泉鏡花文学賞、ドゥマゴ文学賞、谷崎潤一郎賞、伊東整文学賞、紫式部文学賞、読売文学賞、文部科学大臣賞、野間文芸賞と、まあ、賞という賞を"総なめ状態"ではありませんか!スンゴイ!その多和田さん創作の秘密を垣間見ることが出来るかも・・・というこの「日記」、言葉についてのことが、たくさん記されているが、「1年間の物」ではなくて、
「1月1日から4月14日まで」
のもの。ということは、この後、続編が「4月15日から8月末まで」「9月~12月まで」が出るのではないか?と期待してしまう。季節と文章は、やはり関係あるでしょう?
多和田さんは、とにかくいろんな本を読んでるのだなということも感じられた。その中の何冊かは、私も読んだことがある本で、「やはり言葉に興味のある人は、読んでいるのだなあ」と共感。また、講演などで世界中を飛び回っているというのも驚きだった。「作家」というと、あまり外に出ないイメージが、どうしてもあったので。「そんなに忙しいのに、よく創作が出来るなあ」というのも驚きである。
「2月11日」(91ページから92ページ)に書かれていた出来事、ある大学の雑誌から頼まれて書いた文章の、
「普通高校で教える視覚障碍のある高校教師が遭遇する様々な『事件』は、大変痛い思いをながら読んだ」
という一文に対して、その雑誌の編集者が、
「『大変痛い思いをしながら読んだ』ではわかりにくいので『心が痛んだ』という表現にしてはどうか、と言ってきた」
という出来事が記されている。多和田さんは苦笑しながら「心が痛い」では通俗的過ぎて伝わらないと。そしてこの「視覚障碍のある高校教師」は、多和田さんの学生時代の友人なので、「読んでいて本当に痛かったのである」
と記している。この雑誌の編集者、勇気があるのか、身の程知らずというか、よく多和田さんに対してそんな提案をしましたねえ・・・。そしてこの「視覚障碍のある高校教師」とは、私の大学時代グリークラブの先輩である。その「雑誌」での多和田さんの書評も、去年、私は読んでいました。裏でそんなことがあったとはねえ・・・などと思いながら、読み進めました。多和田さんが、
「ある表現が頻繁に使われると、その表現は身体から離れていく。そんな時は、ずらすしかない」
と書いているのは、つまり「常套句」の扱い方ですね。「文学者」「クリエイター」としては当然だと思います。そういう意味では「編集者」は「クリエイター」ではなく「エディター」だから、「枠の中に収めよう」とするのが「プロ」なのかもしれないな。でも。本当のプロのエディターであれば、「クリエイター」の想像力をきっちりと認めて収める度量が必要なのではないかと思いますけど。
228ページの記述も面白かった。
「トルチェロ(イタリア・ベネチア)のビザンチン教会を見てびっくりした。これは(中略)イスタンブールの聖ソフィア教会そっくりではないか。ちょっと目眩がした。つながっている。イスタンブールとベネチアがつながっている。鏡のこちら側と向こう側。東ローマ帝国と西ローマ帝国。東側諸国と西側諸国。東日本と西日本。東洋と西洋。世界をそのようにとらえてしまうところをみると、ひょっとしたら脳には右脳と左脳がある訳ではなく、東脳と西脳があるのかもしれない。」
この飛躍はさすが作家!と思いましたが、目眩はしたんでしょうね。
あ、私は、知り合いに「宇野君」と「佐野さん」がいます。右脳と左脳。
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(2014、2、1読了)
2014年2月18日 23:13
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新・読書日記
2014_016
『邪悪なものの鎮め方』(内田樹、文春文庫:2014、1、10)
「内田樹氏の文章は、なんとなく好きではない」とさんざん書いておいて、それでも読んでしまうのは、やはり内容が興味深いからだとしか言いようがない。今回はタイトルにも惹かれた。気の短い私は、「どうやったら、我慢することなく怒りを鎮めることが出来るのか?」に常に興味を持っていて、「怒らない」とかいうタイトルがあるとついつい読んでは、「また騙された!」と怒ることが多いのだが、今回は「怒らない」のではなく「邪悪なものの鎮め方」。「邪悪なもの」とは「自らの内にあるもの」なのか?はたまた「周囲の人にあるもの」なのか?その辺りも興味があった。なんか「宗教的」な臭いもするしね。
「まえがき」によると、
「『邪悪なもの』をめぐる物語は古来無数に存在します。そのどれもが『どうしていいかわからないときに、正しい選択をした』主人公が生き延びた話です。主人公はどうして生き延びることができたのでしょう。私自身がみつけた答えは『ディーセンシー(礼儀正しさ)』と、『身体感度の高さ』と『オープンマインド』ということでした」
とありました。なるほど。「世の中の大衆の流れに流されずに、高貴な精神を持つことが大切」ということかな?
また「被害者意識」について書かれた「被害者の呪い」には、
『「本来私に帰属するはずのものが不当に奪われている。それを返せ」とうのが権利請求の標準的なありようである。それで正しい。困ったことに、私はこの『正しさ』にうんざりし始めているのである』(91ページ)
とあった。たしかに「被害者意識の蔓延」は、ちょっと困った風潮である。正当ではあるが、詩人の吉野弘が『祝婚歌』の中で言うように、
「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい」
なのであろうなあ。また、こんな一節も。
『以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は『こだわり・プライド・被害者意識』と教えていただいたことがある。『オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ』というようなことを口走り、『なめんじゃねーぞ、コノヤロ』とすぐに青筋を立て、『こんな日本に誰がした』というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを『個性』だと思っているのであろうが、実は『よくある病気』なのである。』(93ページ)
『健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。病とはある状態に『居着く』ことである。私が言っているわけではない。柳生宗矩がそう言っているのである。(澤庵禅師も言っている。)』(93ページ)
ふーんなるほどとも思いつつ、過激だなあと。それに「個性」=「病気」でもあるなら、問題ないのではないか?それも「平凡な個性」なんだから。「病気で」片づけられるのか?とも思うし、「病とはある状態に『居着く』ことである」という「着地の言葉」が「本人の言葉」でなく「借り物」であるというのは、ちょっとキツイことを言ったので「私じゃないもんねー、言ったのは昔の偉い人だもんねー」と逃げているようにも見えるのだが、いかがなものか。たとえ柳生宗矩や沢庵和尚が言ったとしても、それをわざわざここに引っ張り出してきて持論の補強に使ったのは内田さん案なのだから、
「私が言いたいことと同じ」
なのであるからして、なんだか最後で逃げた感じがあるのは嫌だなあ・・・そう!ここなんです、私が「なんとなく好きではない」という部分は。言ってる内容はすごく「へえ、なるほど!」なのに、そこで逃げちゃってるところが「残念!」と言うしかないのです。わかったわ、今回。
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(2014、2、4読了)
2014年2月18日 21:12
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新・読書日記
2014_015
『おつまみワイン100本勝負』(山本昭彦、朝日新書:2013、12、30)
ありとあらゆる食材に「これでもか!」とマリアージュ(=ワインと料理の組み合わせ)を求める100本は、まるで「ワインの武者修行」のようにも感じられる。「そんなものにワインを合わせなくても、日本酒でええやん!」「ビールでええやろ」と思わないこともないが、これはつまり「ワインの可能性を追求したもの」であると考えれば、「なるほどなあ」とも思える。以前「キムチに合う赤ワイン」というのを飲んでみて「たしかに合わなくもない」と感じたが、「でも、ビールの方がいいし、マッコリなら、なおさら」と思ったものだった。
こんな本を読んでいると、ついつい、またワインを飲みたくなるのだ。
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(2014、1、16読了)
2014年2月18日 18:19
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新・読書日記
2014_014
『ビッグコミックオリジナル~「あぶさん」最終話』(水島新司、小学館:2014年第4号)
41年の長きにわたる連載が遂に終了した。もう「あぶさん」も70歳近いのだから仕方がないか。最後は、お世話になった人たちのところへ、一生分を以てお礼に回る。佐埜前の会は、草野球。シーズンオフだからというのもあるが、静かにバットを置いたという感がる。一般紙の社会面にも「あぶさん連載終了」の記事は出ていたが、思っていたより小さな扱いだったなあ。子どもの頃「南海ホークス」のファンだった私としては、感無量である。いつ見ても載っている、という安心感があったなあ、「あぶさん」には。水島新司さん、お疲れ様でした!
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(2014、2、7読了)
2014年2月18日 16:18
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新・読書日記
2014_012
『ポエムに万歳!』(小田嶋隆、新潮社:2013、12、5)
ピンクに銀色の文字と派手な表紙!
小田嶋さんと言えば、舌鋒鋭い評論家として胸のすく文章を書かれるが、この「ポエム」とは一体、何なのか?そもそもこのド派手な表紙は、小田嶋さんらしくない気がする。なぜ???そういう興味でもって購入、読んでみた。
私の解釈では、「偽善的なにおいのするもの」を「ポエム」と呼んでいるようだ。「偽善」と言い切ると「悪い」イメージがあるが、それはちょっと違う。
「世の中の多くの人たち(=大衆)に好まれる心温まる、でも無責任な言葉や事象」
のことで、これを真っ向から否定するのは、一般的には、はばかられる。しかし、客観的・冷静に、シニカルに考えると、
「そんなの無理だろ。できるもんなら、みんな既にやってるよ」
というように、斜に構えた者は見てしまうようなもの。まあ、ちょっと思い切って言っちゃうと、「世の中の『あいだみつを』的な物もの」が「ポエム」的であると。たしかに「あいだみつをの言葉」は、本来の意味で「ポエム」そのものだよなあ。そういうポエムを「否定」するのか?それとも、それを実現すべく、力を注ぐべきなのか?タイトルの「万歳」の意味は、そのまま取っていいのか?悪いのか?本書をお読みください。
1月の半ばぐらいに、NHKの「クローズアップ現代」で、小田嶋さんをゲストに呼んでこの問題を取り上げていたが、その番組終了直後に流れた「花は咲く」のVTRは、まさに「ポエム」的なものであった。わざとああいう編成にしたのか?たまたまか?もしくは、そういったことに反発した「クローズアップ現代」のスタッフが、ああいうネタを取り上げたのか?その辺りは謎です。
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(2014、1、3読了)
2014年2月18日 12:16
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新・読書日記
2014_011
『昭和十年生まれのカーテンコール』(鴨下信一、幻戯書房:2013、12、15)
元TBSプロデユーサーの著者は、1935年=昭和10年の早生まれ。「昭和ヒトケタ」にかぎりなく近い「フタケタ」。うちの両親も「昭和十年生まれ」なので興味を持って読んだ。奥付には「1925年」と書いてあるが、誤植であろう。そうでなければ、タイトルが意味をなさない。最近しばしば、こういった誤植を見つけてしまうのは「職業病」か。あまり、うれしくない。
内容は・・・言葉に関する話なども満載のエッセイ集で、読みごたえがある。タイトルに「カーテンコール」とあるのは、「もうそろそろ現役も引退して、表舞台からは去ったけれども、好評にお応えして、また登場してしまいました」というような感じだろうか。そのあたりに「謙虚さ」が感じられて、好ましい。
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(2014、1、18読了)
2014年2月17日 21:15
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新・読書日記
2014_009&010
『暗殺者の森(上)(下)』(逢坂剛、講談社文庫:2013、9、13)
逢坂剛の「イベリア・シリーズ」。これまでに全て単行本で読んできた。しかし、『暗殺者の森』は、単行本が講談社から2010年9月に出ていたのに、気付きませんでした・・・。
遅ればせながら、正月休みに読みました。大分、これまでの流れは忘れていたけれど、読んでいくうちに、記憶がよみがえるというか、きっちりその辺りも著者がフォローしてくれているので、それほど違和感なく、登場人物の人物像(顔かたち)をイメージしながら読むことが出来ました。読み出すと一気に読んじゃうね。タイトルは「カチンの森」を思い浮かべそうな感じです。さあ、最終章へ!(これも買ったけどまだ読んでいません。)
☆3つ半
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(上・2014、1,4読了)(下・2014、1、6読了)
2014年2月17日 18:13
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新・読書日記
2014_008
『カネを積まれても使いたくない日本語』(内館牧子 、朝日新書:2013、7、12)
「~でよろしかったですか」「~なカタチ」など、 違和感のある日本語が巷に溢れている。
いまや、キャスターや政治家・企業幹部も無意識で使うこれらの言葉について、内館牧子さんが、その「おかしさ」を正しく喝破! "美しい日本語"を指南する。
目次と前書きを読んだら、大体、内容は分かる気がします。ちょっと抜き書きすると、
「ら抜き」「~させて頂く」「さん、様」「歴史上の人物への敬語」「教え子に敬語」「品物に敬語」「マジ」「ヤバイ」「やっぱ」「チョー」「ぶっちゃけ」「(笑)(泣)(怒)」「全然オッケー」「メイン」「思いっきり」「イケメン」「あげる」・・・
もう「撫で斬り」ですね。
そのほか「あいまいにぼかす言葉」として挙げられた、「かな」「みたいな」「感じ」「とか」「かも」「~のほう」「~というふうに」「~してみたいと思います」「~したいと思います」に関しては、私も全く同感なので、きっちり読んでください。
おなじく、あいまい表現で「ピンポイントで言わない」傾向についても厳しく追及。「ある意味」「結構~します」「~ですかね」「~とは思う」・・・これは使っちゃダメではないが、あんまり連発されると、イライラしますね。何を恐れているのだ!と。
そして「ジョークめかして逃げる」のも「あいまい表現」「自信のなさ」「周りに気を使いすぎ」の表れだと思います。たとえば「(笑)」「~だったりして」など。
「へんな問いかけ」は、「やはり、そうだったか!」と膝を打った言葉。「大丈夫ですか?」「普通に」「よろしいですか」。「大丈夫ですか」は、私も大っきらいです。
さらに「ヘンなあいづち」も、ここ10年ほどでよく耳にするようになりました。
「ホントですか」→疑ってんのか!
「そうなんですね」→そうなんだよ!
「ですよね~」→媚び、売っとんのか!
「はあー?」=あ、これ、私も時々使います・・・。
政治家や官僚の言葉にも、厳しい鞭(ムチ)を。
「汗をかく」「遺憾」「しっかり、きっちり」「を」「~してございます」「認識しております」「把握しております」「緊張感をもって」「スピード感をもって」「重く受けとめる」「不退転の覚悟」
もうね、この本を読んだら、みんな「怖くて、しゃべれなくなる」こと、請け合いです!
いかに普段、無自覚にしゃべっているか。自らの言葉を見直すための一冊です!
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(2014、1、11読了)
2014年2月17日 09:08
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新・読書日記
2014_007
『怒らないで生きるには』(アルボムッレ・スマバサーラ+しりあがり寿、宝島新書:2013、12、23)
この著者「スマナサーラ」さんの本は、これまでに似たタイトルの本を読んだ覚えがあるが、いつも肩透かしを食らわされた気がする。
今回は、漫画家の「しりあがり寿」さんが、我々に代わって疑問点を聞いてくれるというので、期待して読んだ。
前半のしりあがりさんの漫画は、まあそれなりに楽しめた。後半の「1問1答式」の部分は、質問はいいんですが、答えは、やはり肩透かし感が・・・うーん、怒るに怒れないですう。
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(2014、2、2読了)
2014年2月16日 22:58
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新・読書日記
2014_006
『ラジオマン~1974~2013僕のラジオデイズ』(吉田照美、ぴあ:2013、11、28)
ラジオパーソナリティー・吉田照美さんの自叙伝のような本。真っ白い表紙に、縦書きの明朝体で「ラジオマン」というタイトル。ここに、吉田さんの「信念」が表れていると思う。40年にわたる「ラジオマン人生」をここに全て・・・とは言わないが、かなりの部分の思いをぶつけた一冊。
「ラジオマン」とはいえ「テレビ」の仕事もやってきた吉田さん。「放送人」「アナウンサー」としての大先輩の話なので、興味津々で読んだ。中に、現在やっている番組の出演者として、「ミヤネ屋」にも出演してもらっている「春香クリスティーンさん」の名前も出て来たので、「ミヤネ屋」終了後に、コピーして春香さんご本人に「吉田照美さんの本の中に出て来てますよ」とお渡ししたら、喜んでいた。
文化放送のアナウンサーとしてスタートした吉田さん。先輩には「みのもんた」さんや「土居まさる」さん、「梶原しげる」さんがいる。そういった先輩に、もまれながら、自分のやるべきこと、得意なことを見つけていく過程が、つぶさに記されていて、勉強になりました。
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(2014、1、9読了)
2014年2月16日 19:56
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新・読書日記
2014_005
『迷わない。』(櫻井よしこ、文春新書:2013、12、20)
必ずしも櫻井さんの主張に賛成というわけではないが、芯のしっかりした、人間としては素晴らしい人だと思う。
しかし、その昔「きょうの出来事」で、水中カメラマンの中村征夫さんがゲスト出演した時に、「このお魚はなんとおっしゃるの?」「まあ、かわいい」と言っていた櫻井さんが、今のようなバリバリの愛国活動をされるようになったのはどういった経緯があったのか?興味のあるところだが、この本は「自叙伝」のように、その辺りの経緯についても包み隠さず記されている。櫻井さんの生き方の芯にあるのは、この本のタイトルどおり「迷わない」なのだなあ。
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(2014、1、16読了)
2014年2月14日 15:34
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新・読書日記
2014_004
『かないくん』(谷川俊太郎・作 松本大洋・絵:東京糸井重里事務所・ほぼにちの絵本)
発行日が書かれていない絵本。あの『ピンポン』の漫画家松本大洋が絵を描いているが、絵本に合う。前半は懐かしいタッチの絵本だが、後半は日本画のようなイメージの絵になっていて、驚いた。帯には、
「谷川俊太郎が、一夜で綴り、松本大洋が、二年かけて描いた」
「死ぬとどうなるの」
とキャッチコピーがある。赤いマフラーをした主人公の見つめる先にあるものは?
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(2014、2、5読了)
2014年2月14日 10:33
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新・読書日記
2014_003
『勇者たちへの伝言~いつの日か来た道』(増山実、門川春樹事務所:2013、12、15)
西宮市民と阪急ブレーブスファンは、すべからく読むべし!「フィールド・オブ・ドリームス・オブ・ブレーブス」!
「ビーバップ・ハイスクール」「探偵!ナイトスクープ」や「ミヤネ屋」等、関西を中心にテレビ番組の構成を担当してきた放送作家・増山実(ますやま・みのる)氏が先月、初めての著作である小説『勇者たちへの伝言~いつの日か来た道』を上梓しました。この作品は、第19回松本清張賞の最終候補(4作品)に残った小説です。
舞台は、兵庫県西宮市。そしてタイトルからも想像されるように、「勇者」というのは、
「阪急ブレーブス」
のことを指しています。
少年の頃、「阪急ブレーブス」ファンだった、五十路に入った放送作家である主人公が、たった一度だけ父に連れて行ってもらった「西宮球場」の思い出の地を歩くうちに、不思議な記憶のつながりの中で、自らと家族、父の初恋の人などのルーツをたどることになり、意外な歴史の荒波にもまれて波瀾万丈の人生を送ることになった人たち、同じく歴史の波間に消えていった「ブレーブス」の魅力に改めてはまっていくという、ファンタスティックな物語です。おそらく、一度読み出すと、読み終わるまで眠れないことでしょう。
本書は12月中旬の発売以来、舞台となった西宮球場の跡地に建った「西宮ガーデンズ」の書店(「ブックファースト」)では、文芸部門ランキング2位を記録。また、「ジュンク堂西宮店」でも、文芸部門1位を記録するなど、「地元小説」として、西宮ではブームとなり始めています。
この小説は、単なる「地元・西宮」や「阪急ブレーブスファン」のみならず、「昭和」の時代に青春を過ごし、その後の平成の時代を生き抜いてきた人たちへの「応援歌」として、強く心に響く、良い作品だと思います。
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(2014、1、13読了)
2014年2月13日 21:28
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新・読書日記
2014_002
『英国のOFF~上手な人生の休み方』 (入江 敦彦、とんぼの本:2013、9、20 )
新聞の書評で見つけて購入。手にとって、「あ、とんぼの本か」と。久々だなあ。一時よく、スペイン物とかガラスの本とか買って楽しみました。著者は京都出身で、私と同い年ですね。イギリス在住だったとは知りませんでした。これまでに「京都本」を何冊か読んだことがありましたので。
「OFF」の考えが、日本とイギリスでは、全然違うんだなあと。「豊かな生活」とは何かについて、改めて考えさせられる、写真も美しい一冊です。
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(2013、1、12読了)
2014年2月13日 15:26
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新・読書日記
2014_001
『養老孟司特別講義 手入れという思想』(養老孟司、新潮文庫:2013、11、1)
養老先生の8つの講義録。単行本は2002年11月に白日社から『手入れ文化と日本』というタイトルで出ているもの。2014年の1冊目。大変勉強になりました。
「知る」ことなく、一度も自分が変わったことがない人が多くなっている。その根本にあるには「都市化」「情報化」だと。養老先生は、その流れに疑問を呈しています。疑問を呈しつつ、
「人間というのは、固まったもの、固定したもの、安定したものを非常に欲しがる。文明社会になると、なんだか知らないけれども、カチンカチンに固まったものを好むようになる」
と指摘しています。東大で教えていた頃に尋ねて来た学生が「オウム」の信者で、東大の、それも医学部の学生であるにもかかわらず、「空中浮遊」やら「水の中で何分も息を止めて死なないでいられる」ということに何の疑問も持っていない様子に、養老先生は驚き、
「これは時代が(人間が)変わってきているのだ」
と、危機感を抱いたそうです。
養老先生の話は、脳の話から文明の話、歴史の話へとつながっていきます。大変おもしろい、知的好奇心を刺激する本でした。
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(2014、1、2読了)
2014年2月13日 10:10
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