新・ことば事情
5333「貴賤群衆」
鴨下信一さんの『昭和十年生まれのカーテンコール』(幻戯書房)という本を読んでいたら81ページに、桜の花に関する記述の中にこんな一節が。
「昔の本の花見の記事には必ず『貴賤群集』という言葉が出てくる。(何故だか知らないが、くんじゅと濁らず読む。)長屋の花見で、家主さんも八公も熊公も、会社の花見で、課長さんも部長さんも平社員も、みんないっしょにワイワイというのは日本の花見の正しい伝承で、この日だけは貴賤の隔てもなく群集しての無礼講だから、女性の性的解放もあったのだろう。」
この中の、
「貴賤群衆」
という言葉に見覚えがありました。新人アナウンサーの研修を受けた時に繰り返しやった、
「外郎売り」
の中の一節に確かあったぞと、当時のアナウンス教本を引っ張りだして来たら、ありました、ありました。ただ、ちょっと漢字が違う。
「隠れござらぬ 貴賤群衆の 花のお江戸の 花ういろう」
漢字が「集」ではなく「衆」なんです。そして「読み」も、鴨下さんが言うような、
「何故だか知らないが、くんじゅと濁らず読む」
ではなく、その「群衆」には、
「ぐんじゅ」
と濁ってルビが振ってあるのです。当時、濁って覚えました。鴨下さんの言うように、確かに「花」にかけて使われていますけどね。
この言葉、小さな辞書や中型辞書には載っていなくて、『精選版日本国語大辞典』には載っていました。
「きせんくんじゅ(貴賤群集)」=身分の高い者も低い者も寄り集まること。また、その人々」
用例は、「明宿集」(1465年頃)から、
「神事にしあれ、臨時にしあれ、きせんくんじゅをなす衆生を」
とありました。同じく「くんじゅ」を引くと、
「くんじゅ(群集・群衆・群聚)」(後世は「ぐんじゅ」「ぐんしゅ」とも)=人が多くむらがり集まること。また、むらがり集まった多くの人々。ぐんしゅう。
で、用例は省略しますが、『将門記』(940年ごろか)と古い。でも、振り仮名は付いていない「群衆」。それと、尾崎紅葉『三人妻』(1892年)の用例は、
「群集(グンシュ)」
という読み方が付いています。「語誌」も読んでみると、
「『群』の漢音クンと『聚』の漢音シュ(「衆」の音シュは呉音とみるのが普通)が複合し、連濁したと考えるのが一般的で、『群集』と書いてもそのようによまれたが、江戸後期から明治頃にかけて『ぐんしゅう』のよみが普通になった。」
と書かれていました。たしかに今は「群集」「群衆」ともに、
「ぐんしゅう」
と読むのが「普通」ですよね。私が覚えた「外郎売り」のセリフは、
「『クンジュ』から『グンシュウ』に読み方が変わる途中だった」
というわけですかね。