新・読書日記
2013_229
『東海村・村長の「脱原発」論』(村上達也・神保哲生、修正者新書:2013、8、26)
村上達也さんは、日本原電・東海第二原発のある「東海村」の前村長。この本が出た時点では現役の村長で、原発立地自治体の首長ながら「脱原発」、東海第二原発の「廃炉」を主張してきた。そして、神保哲生さんは(私と同い年だが)、日本の「ビデオジャーナリスト」の草分け的存在だ。その二人の対談集。
東海村の「原発」は、1999年に重大な「事故」(臨界事故)も起こした。しかし、原発を持つ多くの地方自治体は、原発なしではやっていけない状態になっていて、なかなか「脱原発」とは言えない。言ったら「選挙」で市長やら町長やらに当選しないということが、これまで続いてきた。「3・11」以降は、生活するための「経済」はもちろん大切だが、それよりも「いのち」が大切だという考えの下で、「脱原発」を主張する人たちが増えてきた。とは言え、やはり「生活」は大事。
実際に「原発」のある村がどのような選択肢を取るのか、全国的に注目されてきた。その「脱原発」を主張する村上村長は、2013年9月の東海村の村長選挙には、結局、出馬しなかった。その結果、村上村長の後継と目された候補が敗れ、原発「中立派」の村長が誕生した。
この本では、その選挙の結果は(当然)収められていないが、その選挙前の様子を読み取ることができる。その流れを受けた「さあ現実は・・・」ということに注目していかなければならない。
ことは「原発」に限らない。きのう(1月19日)行われた沖縄・名護市長選挙も「米軍基地」を巡る選挙。「必要」とされるプラスの面が大きければ、その代償の「マイナス面」も大きい。どちらを取るかという判断は、どこの自治体でも大なり小なり抱えているのではないか?ということを思った。
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(2013、10、14読了)
2014年1月23日 18:38
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新・読書日記
2013_228
『他人を攻撃せずにはいられない人』(片田珠美、PHP新書:2013、12、2)
著者の片田さんとは面識はないのですが、これまでに何冊かたまたま著書を読んで、この「読書日記」に感想を書いたところ、新しく出された本も送って来てくれました。この本も、その一冊です。ありがとうございます。読むのが遅くなってすみません。
このタイトルのような人、いますよね。困ったものです。できるだけそういう人とは接触しないようにしていますが、接触せざるを得ないこともありますからね。それと、実は私自身が、この本のタイトルの様な状況に陥ることもあります。ですから、攻撃と防御、両方の意味でこの本を読んで、「そうだそうだ!」と攻撃的に思う面と「いや、そうは言ったってさ・・・」と防御する面があったという意味で、ちょっと変わった体験をさせていただきました。
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(2013、12、30読了)
2014年1月22日 22:03
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新・読書日記
2013_227
『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?~ワードハンティングの現場から』(飯間浩明、ディスカヴァー携書:2013、12、30)
去年12月に「第7版」が出た『三省堂国語辞典』=『三国(さんこく)』。その編纂を担当した早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんによる、「三国」の解説書とでもいえる一冊。それも単なる解説書ではなく、面白くてためになる解説書だ。(飯間さんから1冊、贈呈していただきました。ありがとうございます。)
サブタイトルは「ワードハンティングの現場から」とある。飯間さんは、そういった言葉を本や雑誌・新聞・テレビ・インターネットなどのメディアからも、もちろん「ハンティングする」のだが、もっと人々の生活の中からも"獲物"を捕まえる。それは「街中から」だ。実際に街に出て、店の看板やメニューなどなどから「言葉」を拾ってくる。まさに「ワードハンティング」だ。その「狩猟場」は、「秋葉原、渋谷、銀座、原宿」など「流行を発信する街」から、「アメ横、戸越銀座、高円寺、巣鴨」という「ふだん着の街(お年寄りの街?)」、水道橋、深川、浅草~押上、月島~佃島など「昔の面影を残す街」、高田馬場~早稲田、新橋、神田、大久保という「混沌と熱気の街」、池袋、新宿、麻布十番~六本木、日本橋という「高層ビルのある商業地区」、千住、吉祥寺、柴又、舞浜という「都心を離れた街」を歩いて拾い集めた言葉を紹介。「辞書を作るのには、こんなに歩かなければならないのか!」と、皆さんビックリするのではないか?まあ、私なども似たようなことをやっていますが、これほど徹底してはやっていません。できません。さすが、プロ!ですね。
なおこの「ワードハンティング」のエッセイは、NHKラジオのテキスト「英語5分間トレーニング」に「街角ことば探検」というタイトルで、2年に亘って連載されていたそうです。知りませんでした!
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(2013、12、30読了)
2014年1月22日 18:02
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新・読書日記
2013_226
『紅白歌合戦と日本人』(太田省一、筑摩選書:2013、11、15)
大晦日までに読もうと。でも感想を書くのが年明けになりました。
こういうような視点で書く人は、例えば京都大学の佐藤卓己先生などがいらっしゃる(やはりNHKの「青年の主張」や「のど自慢」等の「素人参加番組」を分析されたりしている)が、私は好きですね。著者は1960年生まれの社会学者。テレビ文化論がご専門だそうです。(たしか佐藤先生も1960年生まれだった!)
第1章「復興の中の『紅白歌合戦』」、第2章「豊かさの中の『紅白歌合戦』」、第3章「喪失の再生――80年代後半―2000年代の『紅白』」、そしてまとめとして、終章「3・11以後の『紅白歌合戦』」と、いうように流れを追っている。私が、子ども心に紅白を意識し始めたのは、「第2章」の途中ぐらいのフォークソングあたりからだが、それは、それまでに「創成期」があっての「中継ぎ投手的」な歴史の1ページだったわけですね。
「『紅白』というホームドラマ」「ワイドショー化する『紅白』」あたりで「歌謡曲の衰退」を感じ、第3章で「紅白」で中島みゆきや長淵剛の「生中継」(NHKホールの外からの)が始まったことや、「J-POP」の台頭、「トリ」の意味の変容、パロディなど「遊び場」になった「紅白」、アイドルたちの現在など、興味深い分析が続く。
そして最後に「3・11以後」という時代の、2011年&2012年の紅白(美輪明宏の「ヨイトマケの唄」まで)の分析。
350ページの本書の分析の結論は、実は、帯に書いてある、
「それは『心のふるさと』だった」
と。安住の地として、バーチャルな存在の「ふるさと」、今は存在位しないかもしれないが、記憶の中に残る「故郷」「ふるさと」を、「歌」で提示することだと。
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(2013、11、30読了)
2014年1月22日 14:00
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新・読書日記
2013_225
『就活のコノヤロー~ネット就活の限界。その先は?』(石渡嶺司、光文社新書:2013、12、20)
石渡さん、このところ、たてつづけに著作を出しています。元気です!(去年11月には、『教員採用のカラクリ~「高人気」職のドタバタ事情』(新井立夫+石渡嶺司、中公新書ラクレ)が出ています。読書日記 206参照)
最初の「就活にあたふたする学生たち」のところは学生のタイプ別9分類、イラストも入っているけど、私にとってはそんなに面白くない。くどい。これは章末の「まとめ」を読んでサラッと飛ばす。第2章の「反就職額講座」は、「お、ちょっとおもしろいね、これは視点が」となって来て、第3章「就活協定の歴史」(いま、章のサブタイトルを見て「就職協定」では?と思ったが、本文はちゃんと「就職協定」となっている。「就活戦線」は、編集者が付けたサブタイトルか?)は、私には勉強になる。(「私には」と書くのは、本来、この手の本は「就活学生」向けか、「採用担当者」か、そういった人が読者対象で、私などはそのカテゴリーからは外れているため。)
最終章、「就活ビジネス」も岐路に立っているというような分析など、「どうすれば就活戦線に勝ち残れるか」というノウハウ本ではなく、「就職戦線」について現状と歴史について書かれた一冊なので、私のような就活に直接携わっていない「一般の人」が読んでも、タメになる。
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(2013、12、25読了)
2014年1月22日 01:59
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新・読書日記
2013_224
『一度、死んでみましたが』(神足裕司、集英社:29013、12、18)
サブタイトルは「スーパー闘病エッセイ!」。
ひとまず、「よかった」と。以前、「ミヤネ屋」のレギュラーコメンテーターとしてお世話になっていた方だけに、本当に良かった。本当に死の淵まで行かれていたのだなと。これを機に、神足さんのツイッターもフォローし始めました!同じく以前「ミヤネ屋」コメンテーターだった水道橋博士のツイッターも。
タイトルは「一度、死んでみました」ではなく、最後に「が」が付いている。つまり「死んでみたが、生き返った。死の淵から蘇った」という「生の喜び」を表しているように感じる。
ただ、第2章のこの文章は悲しい。
「取材して、歩いて歩いて稼いだ記事は、ボクにはもう書けないのかと思うと、さびしい。誰かがボクの脚と眼になり、現場合を歩いて、見てきてほしい。そして、ボクに、その話をしてほしい。ただ、本当は自由に飛び回る脚と眼と頭脳がもう一度、ほしい。できることならば・・・・。」
涙・・・・・・・・・・。
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(2013、12、20読了)
2014年1月19日 10:44
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新・読書日記
2013_223
『おしゃべりの思想』(外山滋比古、ちくま文庫:2013、10、10)
1980年6月に毎日新聞社から刊行された『ことばの四季』を精選・再編集したものです。30年以上たっても、色あせていないですね。字が大きくて、老眼でも読みやすい。
軽いエッセイだが、含蓄がある。
一つご紹介。外山さんが子どもの頃に覚えた言葉、
「オーヤマゲッセン・ドン!」
「大山」は関係なくて、これは「走り出す時」つまり「かけっこ」のスタートの合図の言葉だったという。おまじないの言葉か?と思うでしょ?当時はわからなかったが、実はこれは「英語」で、
「On Your Mark」「Get Set」「Don!」
なんだそうだ!まあ、「ドン」は「日本語」ですが。
東京や、大正10年頃には広島でも使われていた言葉なんだそうです。勉強になった!
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(2013、12、28読了)
2014年1月18日 10:42
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新・読書日記
2013_221
『中村勘三郎 最期の131日~哲明(のりあき)さんと生きて』(波野好江、集英社:2013、12、10)
一昨年12月、食道がんの手術後約4か月で亡くなった歌舞伎役者・中村勘三郎さんの奥さんが、死後1年が経って、勘三郎さんの闘病の様子を事細かに綴ったもの。大体は、死の直後に雑誌などにも出ていたが、身内の一番近い人の言葉で綴られていることに価値がある。
これを読むと、手術そのものは成功したが、術後に「嘔吐」した際、吐しゃ物が肺に入ってしまったこと、そしてその後の処置が遅れたことが、死の大きな要因であったという風に読める。「医療ミス」ではないかもしれないが、余りにも若い死を悔やむ人は、未だに多いと思う。
勘三郎さんが「食道がん」の手術を受けた病院は、同じ病気で手術を受けた歌手の桑田佳祐さんと同じ病院だった。面識のない桑田さんの事務所に連絡を取って、手術した病院を教えてもらったのだという。
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(2013、12、21読了)
2014年1月15日 22:00
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新・ことば事情
5330「『バカにされる』と『バカと思われる』のアクセント」
ふと、バカなことが気になりました。
(1)「バカにされる」
(2)「バカと思われる」
の「バカ」のアクセントは違いますよね。
(1)は「平板アクセント」で「バ/カに」
(2)は「頭高アクセント」で「バ\カと」
になります。その違いは、「品詞の違い」によるのでしょうか。
アクセント辞典で、名詞の「バカ」を引くと、
「バ\カ」(頭高アクセント)
で載っているほか、副詞の「ばかに暖かい」の「バカニ」も、
「バ\カニ」(頭高アクセント)
同じ「頭高」です。ところがアクセント辞典には、これ以外に、
「バカニスル」「バカニナラナイ」
も見出しとして載っていて、そのアクセントは、
「バ/カニスル」(平板アクセント)、「バ\カニスル」(頭高アクセント)
「バ/カニナラ\ナイ」(中高アクセント)、「バ\カニ・ナ/ラ\ナイ」(2語アクセント)
というように載っています。単独の名詞の「バカ」のアクセントは「頭高」に固定されていますが、「連語」として使われる場合は「コンパウンド」が生じていると考えたほうがいいのでしょうね。
(2014、1、14)
2014年1月15日 17:36
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新・読書日記
2013_220
『ユーミンの罪』(酒井順子、講談社現代新書:2013、11、30第1刷・2013、12、3第2刷)
40代~50代の私ら世代には"キャッチ―"なタイトル。バブルの時代にはよく聞いたユーミン。え?なんでそれが「罪」なんだ?「ユーミンの罪」って一体???と思って思わず購入してしまった。280ページほどの、やや分厚い新書。
1973年の荒井由実時代の「ひこうき雲」から始まって、「MISSLIM」(1974年)、「COBALT HOUR」(1975年)、「14番目の月」(1976年)、この辺りはレコードは持ってなかったんだよね。曲は知ってるけど、ラジオで聴いていたような気がする。
そして「SURF&SNOW」(1980年)、「REINCANATION」(1983年)、「NO SIDE」(1984年)、「ダイアモンドダストが消えぬまに」(1987年)」、「天国のドア」(1990年)、「DAWN PURPLE」(1991年)、ここまではCDを持っているのが多い。聴いてたなあ。その後もユーミンの活動は現在に至るまで続いているのだが、酒井さんが書いたのは、この1991年までのユーミン。確かに「時代を切り取る」のはここまでかもしれない。その後、私は(と言うか「時代」は、ユーミンを聴いていたような人たちも)「ドリカム」に流れたような気がします。
酒井さんはこれらのアルバムを一つずつ丁寧に、ユーミンと時代を重ね合わせ、「時代と寝た女」というか、まさに「時代そのもの」の「ユーミン」を読み解いていく。「ユーミンの罪」はすなわち「時代の罪」、「その時代を作って来た我々の罪」なのだ。21世紀になって13年もたった現在位置を、改めて確認する作業をコツコツとやり遂げた著者に、敬意を表する。名著です。これで840円は安い!
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(2013、12、19読了)
2014年1月11日 21:53
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新・読書日記
2013_219
『上岡龍太郎話芸一代』(戸田学、青土社:2013、10、7第1刷・2013、11、15第3刷)
「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、上岡龍太郎です」
という語り口でおなじみの上岡龍太郎さん。
もう引退して十数年たつのだろうか?つい、この間の様に思えるのだが・・・その、上岡龍太郎さんの「話芸」の記録を収めた本を、放送作家の戸田さんがまとめた。
今思えば、上岡さんは60歳を前に引退した。(58歳)
本書を読むと、落語や歌舞伎などの演劇などの芸能には『型』がある。『型』があるものは受け継いで『伝統』ができる。しかし『一人の話芸』にはそういった『型』はない。一代限り。だから伝統にならない。一人語りの『話芸』に『型』を求めていろいろな試みに挑戦したのが上岡さん。しかし試行錯誤の結果に得たものは、一人語りの話芸は、「型」がないことがそのレーゾンデートルであり、もし「型」が出来てしまったら、それは、追い求めていたものではなくなってしまうという"矛盾"。それを悟って、上岡さんは引退したのではないか。タイトルの「話芸一代」にも、それは表れているような気がした。
なお本書は、このお値段(2310円)で、なんと上岡さんの漫談「ロミオトジュリエット」のCDが付いている。本と、実際の上岡さんの「しゃべくり」を楽しむ(勉強する)ことができる。
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(2013、11、20読了)
2014年1月10日 21:52
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新・読書日記
2013_218
『成長から成熟へ~さよなら経済大国』(天野祐吉、集英社新書:2013、11、15)
2013年10月20日に80歳で亡くなった、広告批評家の天野祐吉さんの、最後の著作(遺作)と言っていいのではないか。「遺言」のようなもの。
天野さんはこの本の最後のゲラ直しを終え、バイク便で送ったことを電話連絡し、その夜に入院、帰らぬ人となったという。亡くなる3日前にレコーディングをした島倉千代子さんと言い、そのプロ意識の高さに敬服する。文字通り「生涯現役」ですね。合掌。
194ページ、「中央集権」を生むのは「地方」だと。だから「地方分権」は、「中央集権」の呪縛から逃れられない。「地方」ではなく「地域」にしなくてはならないという主張には、ハタと膝を打った。「地方分権」「道州制」は、下手をすると、新たに「小さな中央集権」を生むだけだと、前から考えていた。
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(2013、12、8読了)
2014年1月 9日 08:32
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新・読書日記
2013_217
『世界と闘う「読書術」思想を鍛える一○○○冊』(佐高信、佐藤優、集英社新書;2013、11、 20)
いろいろな出来事に対する「読書」、おすすめの本を交えながら語り合う対談だが、まあ、8割がた、佐藤優が主導している。90年代には、そういった役割を佐高信が担っていたのだが、代(世代)が変わったんだなと感じざるを得ない。それにしても佐藤優の読書量はすごい。これはとてもかないません。
参考資料として挙げられた本が、なんと1000冊!そのすべてについてコメントしているわけではないが、それにしても、"普通"こういったガイドでは「100冊」とするのが「普通」なのに、ケタが違うなあ。
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(2013、11、23読了 )
2014年1月 6日 12:47
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