新・読書日記 2013_167
『心づかいの技術』(鈴木健二、新潮新書:2013、6、20)
もう「鈴木健二」と言っても若いアナウンサーは「誰ですか、それ?」という感じで...。「え!鈴木健二を知らないの?」と驚く人は、もう45歳以上でしょうなあ。四半世紀前に引退(定年)した、昭和の時代のNHKの国民的大アナウンサーです。『クイズ面白ゼミナール』での「さあ、書きなさい!」というセリフや、『紅白歌合戦』の司会での「私に1分間だけ時間をください」など、そういう言葉のなかった当時でも「上から目線」と感じられた物言いは、決して気持ちの良いものではありませんでした。でも、おもしろかったから、見たんでしょうね。あの大ベストセラー『気くばりのすすめ』から、もう30年かあ。そういえばNHKアナウンサーを定年になって熊本の県立劇場の館長を10年ほどやってどうしたのかなあと思っていたら、なんとその後は青森の県立図書館の館長さんをしていたと。知りませんでした。地道に色々とやっていらしたのですね。
その「教え」はまっとうですが、ところどころ、お話しになっていることの内容が破綻している部分が気になりました。「~なんです」という言い方は、断定的で偉そうに聞こえるからダメだ(78~79ページ)と言っておきながら、「品格が落ちるのです」と「受け入れられていくのです」と、断定的な「のです」は使っている"のです"!「なんです」と「(な)のです」は(ほぼ)同じではないのか?と、ついつい突っ込みを入れてしまいます。しかも「私は民放さんを見る機会がほとんどない」(78ページ)と言っているのに(「なのです」の例として)、「相棒」での水谷豊さんの話し方を挙げています(81ページ)。いつから「相棒」はNHKで放送されるようになったのでしょうかね?ほとんど民放は見ないけど、「相棒」は見るということか?うーん、どやさ。それと41ページの「こんにちわ奥さん」(なぜか「は」ではなく「わ」であったそう)という番組の、今でいうキャスターを「丸6年勤めましたが」は、「丸6年務めましたが」の変換ミスでしょう。
こんな揚げ足取りばかりしても失礼なので、「なるほど」と思った点を挙げておくと、
「科学文明は十八世紀以来、戦争がある度に飛躍的に進歩しましたよね。そして人間社会に、例えば自動車や列車のように素晴らしい『善』をもたらしました。しかし科学は善と同時に全く同じスピードで『悪』も広めましたよね。原子力がその典型です。たぶんこの器械(=携帯電話)も人間に通信を手段に限りない恩恵を与えるでしょうが、同時にこれまでになかった『悪』も『善』に等しい分量だけぶつけるのではないでしょうか。」
原子力を全面的に「悪」とは言えないと思いますが、東京電力福島第一原発の事故を見れば、今取り返しの付かない『悪』の面が発揮されていると言えるでしょう。「携帯電話」も確かに"負の側面"を持たないとは言えない。そもそもどこへ行っても「つながる」ということは「縛られている」ということだし。一面の真理を含んだ警句の本です。好きか嫌いかは、意見が分かれると思いますが。