新・読書日記 2013_155
『日本サッカーに捧げた両足~真実のJリーグ創世記』(木之本興三、ヨシモトブックス:2013、7、13)
サブタイトルは「真実のJリーグ創世記」となっていて、確かにそうなんだけれども、私がサブタイトルを付けるとしたら、「愛すべきサッカーバカ一代記」という感じです。
木之本さんの名前は、昔サッカーの取材をしていたころにはよく目にしたように思うし、たぶん、スタジアムですれ違ったりしていたのではないかと思う。こちらもサッカー取材をしなくなったので、目にしなくなったのだと思っていた。ところが・・・Jリーグ専務理事にまでなった男が、こんな人生を歩んでいたなんて、知らなかった。
帯の言葉は、「Jリーグ創設、日本代表W杯出場の立役者が初めて明かす『真実』」。
1949年1月生まれ、いわゆる「団塊の世代」になりますね。東京教育大学から古河電工に進み、あの「赤き血のイレブン」のモデル永井良和の先輩で、上司は川淵三郎。日本サッカー界の「中心」を歩んでいたはずだった。ところが・・・26歳の時(1975年6月)突如告げられた病名は「グッドパスチャー症候群」という、聞いたこともない病気。これで、腎臓を2つとも摘出する手術を受けて、人工透析を必要とする体に。実は、Jリーグ創設に向けて一番活躍するのは、そんな大変な状況の中でだった。
そして2002年6月、日韓ワールドカップの決勝トーナメントに進出した宮城でのトルコ戦、敗戦後、右足が"爆発"する。激しい痛み。「バージャー病」という、これも聞いたこともない病だった。「振り返ると両足で大地をしっかりと踏みしめ、元気に歩き回れたのは、日本中が異様な熱気に包まれた2002年日韓ワールドカップの日々が最後だった。これも何かの運命だったのだろう。」
2007年7月に右足の切断手術を受け、その後左足も失う・・・。
タイトルの示す衝撃的な意味が、ここでわかる。
元気に歩き回ることはできなくなっても、木之元さんはサッカーに携わる仕事を、今も続けている。真に「サッカーバカ・一代記」であると思う。