新・ことば事情
5205「ひもじい」
神戸の女子大で教えている人から頂いたメールに、こんなことが書かれていました。
「最近の若者は『ひもじい』の意味を『空腹』ととらえているのは少数派らしいというのはご存知でしょうか。授業で、3年連続で合計200人を超す学生に聞いた結果ですので
多分、傾向としては間違いないと思います。多いのは『貧しくて食べ物がない』『貧しい』という解釈で、『ひもじい』という語を知らないという学生も一定程度います。つまりは、『ひもじい』という状態に縁がないということなのだと思います。学生の思う使い方の例として『戦争中はひもじい生活をしていた』と書いてあると、意味の理解に齟齬があることに気づかないのですが、『給料前なので今日のおかずはひもじい』あたりになると『??』です。」
とのことなんです。そうかあ、ある意味では、いいことですよね。だって「ひもじい」に縁のない生活ができているわけだから。
でも、経験していないから知らないということでは、あまりにも即物的ですし、想像力がない、ということでもあります。でも「貧乏」にまでイメージを膨らませるということは、逆に想像力が豊かということかも?
入社2年目のNアナウンサーに、
「『ひもじい』の意味を知ってる?」
と聞くと、即座に、
「空腹で死にそうなくらい」
と答えた後に、続けて、
「貧乏、貧しい」
と付け加えました!やっぱり!正解を言うと、
「そうなんですか!?」
と言っていました。ついでに、
「『ひもじい』というのは元々女房詞。もともと『ひだるし』と言ったのを、その頭文字の『ひ』を取って『ひ文字』と言った。それが形容詞化したものが『ひもじい』。『杓子』を『しゃ文字』、『髪・鬘(かつら)』を『か文字』、『寿司』を『す文字』、『櫛』を『く文字』というのと同じ構造だよ。」
と言いましたが、伝わったかどうかは定かではありません。まず「女房詞」(御所言葉)の説明からしなくてはなりませんね。
本当の意味での「ひもじい」という言葉を、意外な所で聞くことができました。宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』を見ていたら、夜遅く仕事帰りの主人公の堀越二郎が、お菓子(?)の「シベリア」を買った際に見かけた幼い兄弟に向かって、こう言うのです。
「君たち、ひもじくない?これを食べなさい」
でも、知らないおじさんに声を掛けられた子どもたち(特にお姉ちゃんのほう)は、結局「シベリア」を食べずに、逃げるように走って行ってしまうのですが。
時代は昭和の初め。「ひもじい」という言葉が、実態を伴って普遍的にあった頃でした。