新・ことば事情
5141「具体化する言葉」
きのう(6月25日)、午後7時からニコニコ動画で放送した『第3回道浦俊彦のことばのことばかり』。テーマは「死語の世界」でした。ご覧いただけましたか・・・・あ、ありがとうございます!
その中で挙がった言葉の一つに、
「喫茶店」
があります。まあ、そういう形態の店が減って、みんな「カフェ」になってしまったと。それに伴って「喫茶店」という言葉も「死語の世界」に片足を突っ込んでいるのかな、と。相方の山本隆弥アナウンサーに、
「最近は『カフェ、行こうか』って言うの?」
と聞いたら、
「言いません、言いません!具体的に『スタバ、行こうか』という風に言いますね。以前は『CDショップ』とか『レンタルビデオ店』と言っていたものも、『タワーレコード』とか『TSUTAYA』とか、具体的な店名を言うことが多い気がします」
というのです。
ここから導き出される答えは何か?「正解」ではないかもしれませんが、もしかしたら、
「喫茶店」「CDショップ」「レンタル屋さん」
といった、「大きな業務のくくり方」が一部、ほどけて来ているのではないか?それは嗜好・興味の多様化も影響しているのではないか?
もう30年ぐらい前に電通だったか博報堂だったかの広告代理店が、
「これからは『大衆』の時代から『分衆』『個衆』の時代になる」
というような分析をしていたように思いますが、まさにそうなったんじゃないかなと感じました。
「ウィキペディア」によると、
「分衆」(ぶんしゅう)=1985年に博報堂生活総合研究所編の「分衆の誕生」にて定義され、同年の新語に選ばれた語。ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることをいう。たとえば自動車やテレビのように1世帯に1台だったものが1世帯に2台ないしは1人1台のように状況が変化することである。
あ、そういう意味だったのか。でも、「モノ」が「家族」の所有ではなくなってくることが考え方・嗜好も当然変わってきますよね。
また「個衆」については、電通が出した『消費潮流2008 新塊の時代』というパンフレットに、
「1960~70年代の大量生産・消費の『大衆』時代、80年代からは差異化を重視し始めた『少衆』時代。そして近年では、インターネットや携帯電話などのコミュニケーションのパーソナル化も手伝って、『個衆』という言葉が実感として感じられる時代になりました。しかしこの個衆化、はたして幸せなのでしょうか。(中略)個衆化を後押ししてきたネットでも、コメント書き込みやチャッティングを通じて不特定多数がつながり触れ合うサイトが人気です。人々は個衆化を経て、再び大衆化を志向しているという理解もあながち間違いではないでしょう。しかし、かつての大衆とは異質なものになりそうです。電通消費者研究センターでは、そのようなネット時代の新大衆像をひとまず『新塊』と呼び、研究しています。」
とありました。
「大衆」→「少衆」→「個衆」→「新塊」
という分析ですね。「新塊」も、店の名称の呼称に関しては「個衆化」しているのではないでしょうかね?