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『道浦TIME』

新・ことば事情

5116「大和政権」

65日の「関西情報ネットten.を見ていたら、

「大和政権」

という言葉がナレーションで出てきました。え?それって、

「大和朝廷」

ではないのか?と思いながら見続けていると、VTRの中で出て来た若一さんは、

「大和朝廷」

と言っていました。

インターネット検索をしてみたら、「デジタル大辞泉」の解説が載っていました。.

「やまと‐せいけん 【大‐和政権】」大和および河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権。大王(おおきみ)とよばれる首長を盟主に、畿内地方から4世紀中ごろには西日本を統一し、4世紀末には朝鮮に進出。種々の技術を持つ渡来人を登用し、5世紀末から6世紀ごろには部民制・氏姓制度による支配機構が成立し、国・県(あがた)による地方統治組織が整えられ、大化の改新を経て律令国家へとつながっていった。大和朝廷。大和王権。」

とありました。一応、「大和政権」という呼び方もあるようだな。知らなかったけど。

グーグル検索(6月5日)での件数は、

「大和政権」= 9万6200件

「大和朝廷」=42万2000件

「大和王権」= 5万6400件

で、やはり「大和朝廷」のほうが圧倒的に多く使われています!

「ウィキペディア」で「ヤマト王権」を見ると

「ヤマト王権(ヤマトおうけん)とは、3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されているが、近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる。」

『近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる。』のか!知らなかった。さらに、この時代の「名称」については、

1970年代前半ころまでは、4世紀ころから6世紀ころにかけての時代区分として「大和時代」が広く用いられ、その時期に日本列島の主要部を支配した政治勢力として「大和朝廷」の名称が用いられていた。しかし1970年代以降、重大な古墳の発見や発掘調査が相次ぎ、理化学的年代測定や年輪年代測定の方法が確立し、その精度が向上したこともあいまって古墳の編年研究が著しく進捗し、「大和時代」という時代を設定することは必ずしも適切ではないと考えられるようになり、かわって「古墳時代」の名称が一般的となった。

古墳研究は文献史学との提携が一般的となって、古墳時代の政治組織にもおよび、それに応じて古墳時代の政権について「ヤマト王権」や「大和政権」等の用語が使用され始めた。1980年代以降は、「大和政権」、「ヤマト政権」、それが王権であることを重視して「ヤマト王権」、「大和王権」、あるいは東アジア世界とのかかわりを重視して「倭国政権」、「倭王権」等さまざまな表記がなされるようになっている。しかし、引き続き「大和朝廷」も研究者によって使用されている。これは、「大和(ヤマト)」と「朝廷」という言葉の使用について、学界でさまざまな見解が並立していることを反映している。』

とありました。つまり、

(時期)    (時代名)    (政権名)

1970年代前半 「大和時代」   「大和朝廷」

1970年代後半~ 「古墳時代」   「ヤマト王権」「大和政権」

1980年代~            「大和政権」「ヤマト政権」

       (「王権」重視)   「ヤマト王権」「大和王権」

(東アジアとの関連で)「倭国政権」「倭王権」

というような流れということですね。これによると、小・中・高校時代を1970年代に過ごしてしまっている私は、「大和時代」「大和朝廷」でほぼ止まってしまって、ちょっとだけ「古墳時代」をかじっているかな、というぐらいですなあ。もうそれからあとは、専門的過ぎてよく分からないというところが実情です。でもネット上でも「大和朝廷」が、まだ勢力を振るっているようですから、ちょっと安心しました。

(2013、6、6)

2013年6月 7日 16:40 | コメント (0)