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『道浦TIME』

新・ことば事情

5154「聖路加の読み方」

 

以前、

「『聖路加病院』の読み方は『せいろか』ではなく、正しくは『せいルカ』だ」

と聞いたことがありました。日野原重明先生のインタビュー記事か何かでも、「聖路加」の横に、

「せいルカ」

とルビが振ってあった記事を読んだ覚えもあります。

 

2013年3月19日、「ミヤネ屋」パネルコーナーのゲストとして、

「聖路加病院」

の先生が来てくださいました。そこで、チャンスとばかり、担当ディレクターに、

「『聖路加病院』の読み方は、本来は『せいルカ』だと聞いたことがあるので、先生に確認してみて」

とお願いしたところ、その先生は、

「『せいろか』でいいです」

と答えられたとのことでした。

2010年5月4日に放送していた、NHKの番組で、「二本の木」というのを竹下景子さんが朗読をしていた番組で、男性ナレーターは「聖路加病院」を、

「せいろか」

と読んでいたというメモが出てきました。

なお、「聖路加」の「路加」は、聖書の四つの福音書「マタイ」「ルカ」「マルコ」「ヨハネ」の「ルカ」で英語では「ルーク」なのだそうです。

海外ドラマの「ER」に「ルカ」という名前のお医者さんが出てきますね。

 

 

 

(追記)

20105月に書いた「平成ことば事情3985竹下景子さんと片岡仁左衛門さんのナレーション」で、2010年の5月4日の午前10時から1120分までNHK総合テレビで放送していた「二本の木」という朗読とドキュメンタリーをあわせた番組の中で、ナレーターの竹下景子さんと片岡仁左衛門さんが共に、

「『聖路加病院』を『せいろか』(「せいるか」ではなく)と読んでいた」

と記していました。

(2013、7、5)

 

(2013、6、27)

2013年6月30日 19:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5153「『ルッコラ』のアクセント」

日本テレビの『ZIP!』の人気コーナー・速水もこみちの「モコズ・キッチン」を見ていたら、この日は「ルッコラ」を使った料理でした。「ルッコラ」、おしゃれな野菜ですね、なんとなく名前が。「ピッコロ」みたいでかわいい感じだし。

辞書(『広辞苑』)を引くと、「イタリア語」らしく(どおりで「ピッコロ」と似ているはず。音楽的な響きです)

「アブラナ科の草本。地中海地方原産。アブラナに似た4弁の花は黄・白・ピンクなど。ゴマの香りがする葉をサラダにして生食。ロケットサラダ。」

とありました。「ロケットサラダ」?これも初耳ですが。まあ、いいか。

この「ルッコラ」を、もこみち君は、

「ル/ッコラ」

「平板アクセント」で言っていました。ナレーターの日本テレビ徳島アナウンサーも同じように「平板アクセント」で「ル/ッコラ」と言っていました。

しかし、私はこれまで「平板アクセント」で「ル/ッコラ」と言ったことはありません。いつも、

「ル\ッコラ」

「頭高アクセント」です。アクセント辞典に載っているか調べましたが、載っていません。『新明解国語辞典』でアクセントを調べたところ、(1)と書いてありましたから、これは「第1音節にアクセントがくる」、つまり、

「頭高アクセント」

ということで安心しました。

「平板アクセント」の中には、「専門家アクセント」と呼ばれるものがあります。これは、

「そのことばをよく使う人たちの間では、アクセントは『平板化』する」

というものです。もしかしたら、もこみち君たちは「ルッコラ」に接することが多いので「平板アクセント」になったのかもしれません。

(2013、6、27)

2013年6月30日 12:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5152「こときれる」

 

先日、東京芸術劇場(池袋)で、合唱曲「水のいのち」を、小林研一郎先生の指揮で歌いました。

この曲を「自らのもの」にして「自分の哲学を歌う」ということのために、改めて歌詞の言葉について考えていたら湧いてきた疑問。

「こときれた梢(こずえ)

という言葉の、

「『こときれた』の『こと』とは、一体なんだろうか?」

ということ。そしてまた同時に、

「この『こと』は、『気音(きおと)』からの『音韻転化』で『こと』となったのではないか?」

ということです。合唱団同期のK君に、

「『こときれた』の『こと』は、どういう意味だと思う?俺は『気音』が『こと』になったんじゃないか?と思ったんだけど」

と言うと、彼は、

「俺は『言葉』の『こと』かと思っていたよ」

とのこと。そうか、「ことば」の「こと」も、「気音」から来ているのかもしれないぞ!

「『ことば』『ことのは』は、『気音の葉』では?」

辞書で「こと」「こときれた」を引いても、そういった意味のことは書かれていませんでしたが、「音」を引くと、上省略の「と」には、「風の音」の意味で、

「かぜのと」

という用例がありました。

ついでに考えは広がって行って(脇浜アナウンサーによると、これは「エンハースト」っていうのかな)、「こと」の「こ」は「声」の略かも。「声」も「気の響き」、「え」は「響き」かも!「震え」の「え」と「声」の「え」は語源的には同じでは?「息」は「生きる」。「生きている気」が「息」では?・・・などと"妄想"が広がりました。

武庫川女子大学言語文化研究所所長の佐竹秀雄先生「こときれる」について伺ったところ、

「『こときれる』の語源としては『事』が『切れる』ということのようです。したがって、『こと』の語源が何かということになります。これは確定したものかないようです。『気音(きおと)』説の弱点は、『気』が漢語なので、古くからあると考えられる『こと』の語源には認められにくい点です。そこで、たとえば『息音(いきおと)』の『い』が脱落した『きおと』からというのなら、可能性はあるかもしれません。『こと』の語源説の一つに『小音(こおと)』の約というのがありますから。また、最初の『い』が脱落するのは、『いばら→ばら』『いだく→だく』などの例があります。」

というお返事を頂きました。ありがとうございます。

そうか、「気音」ではなく、

「息音」

から来ている可能性はあるのか!

最近、「『息』って大事だよなあ」となんとなく感じています。当たり前なのだけれど、

「息をしなくなると、死ぬ。『息』は『生きている』証拠」

だなあと感じています。

(2013、6、27)

2013年6月29日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

5151「献花と供花」

<2011年5月30日に書きかけました。当時は「平成ことば事情4354」>

 

東日本大震災関連のニュースを見ていて出てきた言葉「似ているが違う」というものに、

「献花」と「供花」

があります。パッと見ると、同じように思えます。どう違うのでしょうか?

イメージで言うと、「献花」は、

「慰霊碑などに花束や花輪を供える感じ」

で、「献花台」が用意されていたりします。しかも亡くなった方(故人)は、

「事故や戦争など、不慮の出来事で亡くなった」

ような気します。一方の「供花」は、

「お墓や仏壇に花を手向ける感じ」

で、亡くなった方は、

「ごく自然に亡くなった感じ」

がします。辞書を引いてみました。『広辞苑』。

*「献花」=「霊前などに花を供えること。またその花」

*「供花(きょうか)」→「くげ」に同じ。

*「供花(くげ)」=「(クウゲとも)仏前または死者に花を供える事。また、その供えた花。

とありました。うーん、あまり区別はないけど、「献花」が「霊前」なのに対して「供花」は「仏前」というイメージがあるな。

『精選版日本国語大辞典』では、

*「献花」=「神前や霊前などに花を捧げそなえること。また、その花。」

*「供花(きょうか)」→「くげ」に同じ。

*「供花(くげ)」=「死者や仏前に、花を供えて供養すること。または、そなえる花。くうげ。きょうか。」

ふーむ、「献花」は「霊前」に加えて「神前」も出てきましたね。「神道」は可、ですか。また「供花」は「仏前」だけでなく「死者」も出てきました。そして「献花」は「花を捧げそなえる」ですが、「供花」は「花を供えて"供養する"」んですね。ここ、ちょっと違いますね。ニュアンスの違いは分かってきた気がします。

『新明解国語辞典』も引きました。

*「献花」=「神前、死者の霊前などに花を供えること。また、その花」

*「供花」=「仏(霊)前に花を供えること。またその花」

と、やはり「献花」には「神前」が含まれるのに「供花」には含まれていませんね。これ、ポイントかな。

(2013、6、27)

2013年6月29日 08:22 | コメント (0)

新・読書日記 2013_114

『宇宙兄弟21』(小山宙哉、講談社:2013、6、21)

 

ムッタが、"おばちゃん"の考案した「月面電波望遠鏡」実現を、自らの手で宇宙飛行士として達成したい!という思いを遂げようとするのを阻む、上司の差し金・・・チャンスを自ら考え出して頑張るムッタの奮闘ぶりが感動!

前の巻が出て、もう4か月もたったんだな。


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(2013、6、25読了)

2013年6月28日 21:26 | コメント (0)

新・ことば事情

5150「使い倒すと使いまくる」

 

「使い倒す」と「使いまくる」

 

この違いについて、昔、書いたことがあったなあ。

検索したら、「平成ことば事情11のりたおす」、「平成ことば事情141楽しみつくす」で書いていました、それもかなり詳しく。(辞書にもこの意味での「~たおす」が載っていました。)まあ、そちらをしっかりと読んでいただくとして、一つだけ、新しい発見を。

ある日、突如として「使いまくる」と「使い倒す」の違いがわかったのです。つまり、

「使い倒す」

の場合は、

「『一冊の辞書を』ならば『使い倒す』」

であるが、もしこれが、

「使いまくる」

ならば、その際の「辞書」は、

「『次々と』と『複数』」

なので、

「『一冊の辞書』ような場合には『使いまくる』は使えない」

つまり、

「『使い倒す』のほうが『深く』、『使いまくる』は『浅く、広い』」

ということではないでしょうか?いかが?

(2013、6、27)

2013年6月28日 18:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5149「待てど暮らせどの期間は?」

 

20104月に、タイトルだけ書いてそのままでした。当時の番号は「4111」でした。)

「ミヤネ屋」のスタッフから受けた質問です。

「『待てど暮らせど』という言葉がありますが、あれはどのくらいの期間なんでしょうか?」

・・・さあ・・・・知らんな。

考えたこともなかったな。

考えてみるか。

・・・・・

・・・・・・

待てど暮らせど、答えが出ません。

ああ、これを書き始めてからもう3年2か月もたってしまった。

どうでしょう?この位の期間を「待てど暮らせど」の期間ということでは?

えーっと、誰だっけ、この質問をしてきたスタッフは???

(2013、6、27)

2013年6月28日 13:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5148「子宮頸がん征圧」

 

「『征圧』って、そんな言葉、使うの?」

と、先日、「ミヤネ屋」のWプロデューサーから疑問の声が上がりました。

原稿を見ると、

「子宮頸がん征圧」

とありました。その文字を見て、子どもの頃の記憶がよみがえってきました。昔、たぶん昭和40年代に、

「がん征圧週間」

とかなんかの「記念切手」が出たのを覚えています。「切手少年」でしたからね、私。今も持っていますよ。

でも、「せいあつ」の文字は、

「制圧」

ではなかったかな?思ったのですが、辞書を引くと「病気を抑え込む」のは、

「征圧」

で良いのですね。久々に、当時出た「がん征圧」の記念切手の映像をネットで検索してしまいました。ネットで見ると、当時この切手のデザインを公募したら、「盗作疑惑」が相次いで、結構大変だったみたいですが・・・。

(2013、6、27)

2013年6月28日 10:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5147「ささやかのささ」

 

「ささやか」と「ささやき」の「ささ」って何?

と、ふと思いました。よく「ふと」思うんですが、これは実は、

「見上げてごらん夜の星を」

というおなじみの曲を合唱で歌っていて、そのなかに出て来る歌詞の、

「ささやかな しあわせを」

という部分を歌う時に「ふと」思いついたんですね。

例えば、「つややか」の「つや」は「艶」ですね。「やか」「そういった様子を示す接尾語」的なもの。

「あざやか」「はなやか」「ひそやか」「あでやか」

などなど、ありますね。

一方、「ささやき」の「やき」は、「ささやく」の名詞化。「つぶやく」が「つぶやき」になったみたい。「つぶやき」の「つぶ」は、「ぶつぶつ言う」の「ぶつぶつ」と同じかな?

やはりそう考えると、「ささやか」と「ささやき」の「ささ」は同じ語源でしょう。

「ささ」は「佐々木」の「佐々」?いやいや、「小小」で「ささ」。

「ちいさい」

という意味ではないでしょうか?

(2013、6、27)

2013年6月27日 21:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5146「中の人」

 

いつごろからだろう、

「中の人」

という言葉が一般的に使われるようになってきたのは。たぶん、

「ゆるキャラ」

がブームになってきた頃からかなあ。つまり、

「着ぐるみの中に入っている人」

のことですが。中には、

「中の人などいない」

という方針を固く貫いているキャラクターもいるようですが。

そうそう、吉田戦車の漫画『伝染(うつ)るんです』の「カワウソくん」などが、

「中の人などいない」

と、真剣に怒って言っていたような気がしますね。だとすると、もう25年以上前の話になるのですが・・・。

先日、家の近くのショッピングモールに、小学3年生の娘と一緒に行った際に、地元の大阪・枚方市の「ゆるキャラ」、

「くらわんこ」

という「イヌ」のキャラクターの着ぐるみが来ていました

枚方と言えば淀川の「三十石船」、通称、

「くらわんか舟」

が有名(なんですね)。そこで「くらわんか」と、犬の「ワンコ」をかけて「くらわんこ」バンザーイ!というネーミングですが、結構かわいい茶色のワンちゃんの着ぐるみなんです。

しかしこの日は、着替えの場所がちゃんと取れなかったのでしょう、エレベーターの横のデッドスペースに隠れるようにして休憩していましたが、その時、衝撃的なシーンが!

なんと「くらわんこ」が「頭の部分を脱いでいる」ではありませんか!思わず、

 

「あ、『くらわんこ』の『中の人』が・・・」

 

と口に出してしまったので、娘も、見なくてもいいものを見てしまいました・・・。

 

「見なかったことにしなさい」

と言ったのですが、娘は、

「ウッシッシ」

というような顔をして笑っていました。イヌなのにウシ・・・。

この場合は、まあ、「くらわんこ」がそんな所で脱ぐからいけないんですが、やはり無理やり脱がせたりしてはいけません。今年3月26日の読売新聞の夕刊の記事によりますと、

「G大阪サポーター3人に入場禁止など」

という見出しで、本文を読むと、

「J2のG大阪は25日、熊本戦(20日 熊本)の試合前に熊本のマスコット『ロアッソくん』に対して卑劣な行為をしたサポーターを特定し、無期限入場禁止などの処分を科すと発表した。」

え、「卑劣な行為」って何やねん?と続きを読むと、

「この問題は、サポーターがロアッソくんの着ぐるみの頭部を脱がせたとされる」

これはいけません。

やっぱり品位が必要なんですよ。プロレスでも、マスクマンのマスクを脱がせるのは、(あれは演出もあるし)、卑劣な行為でしょう、だから、プロレスの場合は「脱がせる」こともありますが、やっぱり駄目なんですね、こういった行為は。サッカーはプロレスではないですからね。サポーターは、ちゃんとサッカーの応援をしてください!

(2013、6、27)

2013年6月27日 21:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5145「足の親指」

 

「ミヤネ屋」で、足のトラブル対策を特集しました。その際に、

「足の人さし指」

という表現を使ったところ、視聴者の方から、

「足の指は『親指』『人さし指』などとは言わない」

というご指摘を頂きました。

たしかに「人をさす」のは「手の指」ですね、足で指すような横着なことは、まあ、ない。では、「足の指の正式名称」は?というと、「親指」は、

「母趾」第一趾。俗に言う「親指」。「外反母趾」の「母趾」)

「人さし指」は、

「第二趾」

以下、第三趾、第四趾、小趾(第五趾、コユビとも)だそうです。

まあ、「足の親指」と言っても、「絶対間違い」とまでは言えないのでは?とは思うのですが・・・。

なお、「指」という字は「手」だから「手へん」。「足のゆび」は「足へん」で「趾」。でもこれは表外字(常用漢字ではない)なので、書きにくいわなあ。ちょっと難しい字ですね。

(2013、6、25)

2013年6月27日 18:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5144「マッチは死語か?」

 

6月25日に、ニコニコ動画の生放送で「第3回 道浦俊彦のことばのことばかり」を放送しました。今回のテーマは「死語」。ということで、一つ思いついたのが、

「マッチ」

です。昔は喫茶店に入ったら必ずマッチがおいてあって、そのデザインがおしゃれだったりして、マッチ(箱)を必ずもらってきて集めたりしました。

しかし、「喫煙者の減少」に伴って、また「オール電化住宅」の増加に伴って、生活の中から「マッチ」というものの存在が、消えて来ているのではないでしょうか?

子どもの誕生日のケーキのロウソクに火を点けるのも、「マッチ」ではなくて、

「チャッカマン」(商品名)

だったりしませんか?夏に「花火」で遊ぶときも、マッチは使わなくなっているのではなりませんか?うちは、そうです。

でも、マッチを擦る練習をしておかないと、ひ弱な大人になってしまいはせぬか?と、ちょと心配です・・・。

「マッチ」が消えたら、

「火の用心 マッチ一本 火事の元」

という標語の意味も伝わらなくなる。でも、「マッチ」が消えたら「火」もつかないから、かえって「火の用心」になるのかな?

(2013、6、27)

2013年6月27日 14:17 | コメント (0)

新・読書日記 2013_113

『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹、新潮新書:2013、5、20)

 

えっ!と驚くタイトル。そうなの?と思わず本書を手に取って読みだしてしまいます。

著者は刑務所で「受刑者の更生プログラム」などに関わっていたと。その際に、素晴らしい反省文を書くヤツが再犯でつかまる。本当に改心しているわけでなく、納得していない。その気持ちを無理やり押し込めるのが「反省文」であると。一度スッキリ思いのたけを出させてから考えさせるプログラムでないと、百害あって一利なし、というような感じ。読めば読むほど、確かにそうだなあと納得。別に「犯罪者」に対してだけでなく、「教育の現場」でも、同じことが行われているのではないでしょうか。応用の範囲は広いです。


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(2013、6、21読了)

2013年6月27日 11:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5143「OLは死語か?」

「OL」

という言葉は、もちろん、

「オフィス・レディー」

の略ですが、そもそもはオフィスで働く事務職の女性のことを、

「BG(ビジネス・ガール)」

と呼んでいたのですが、それが、いわゆる「夜の女」と言いますかそういった意味合いであるので良くない、他に良い呼び名はないか?と募集されて決まったのが、昭和30年代前半だったという風に書かれているのを読んだことがあります。たしか米川明彦先生の『明治・大正・昭和の新語・流行語事典』(三省堂)だったのではないか?本を開くと、やっぱり載っていました。

「OL」=OLが使われる以前にBGが使われていた。BGはビジネスガールの頭文字である。BGは1949年女性雑誌『スタイル』に使われて広まった語であったが、東京オリンピックを控えた1962年、BGはアメリカ俗語で売春婦(バーガール)を意味するので良くないと識者から指摘され、NHKは1963年9月、放送禁止用語にした。そこで、雑誌『女性自身』編集部が11月にBGに代わる語を公募したところ、1位が『オフィスレディ』だったところから、『OL』と頭文字化されて使われた。」

と記されていました。NHKの人から「放送禁止用語ではなかった。」と言われそうな記述ですが、まあ「好ましくない言葉だった」ということでしょう。「昭和30年代前半」ではなく「東京オリンピックを控えた年=昭和30年代後半」でしたね。

今でも一般の会話の中では「OL」「OLさん」と使われていますが、男女雇用機会均等法の施行から四半世紀、いわゆる「事務職」の「女の子」が減って、みんな「大卒」で男女とも一緒の「一般職」(呼び方は会社によって「専門職」だったりするみたいですが、つまり、短大卒の事務職の、"お茶くみの女の子""結婚までの腰掛け"的な人ではないということ)になった現在、「OL」という呼称は、古くなってきたのではないか、耐用年数が過ぎて来たのではないかな?と思うわけです。

そう感じたきっかけは、先日、「ゴビンダさん」に無罪判決が出た、

「東電OL殺人事件」

です。あの事件の名称の中には、「OL」が入っています。佐野眞一さんの作品のタイトルでもあります。事件の発生は、

「1997年3月」

でした。そして「再審無罪判決」は、

「2012年11月7日」

東京高裁で言い渡され、検察は上訴を放棄し無罪判決が確定。2013年5月、補償額いっぱいの6800万円余の賠償金が支払われました。

当日、あの事件を報じた報道機関の中には「OL」を使わずに、

「東電女性社員殺人事件」

などとしたところも、少なからずあったのでした。

事件発生から16年余の間に、時代も動いてきたということではないでしょうか。

「OL」の行方にも注目したいと思っています。別に「放送禁止用語」ではないですが。

(2013、6、27)

2013年6月27日 11:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5142「おばちゃんの自ら笑い」

 

道で、2人のおばちゃんが立っていました。そのうちの一人のおばちゃんが、

 

「ほんまにわたし、アホやろ、アハハハアハアハハ!!」

 

と、朝から元気に力いっぱい笑っていました。その笑い声につられて、もう一人のおばさんも笑っていました。

それを見て、ふと思いました。

友達で、自分で何か自分の失敗話を言って、自分で笑うヤツがいます。周りもその笑う様子を見て、そんなに面白い話でもないのに、つられて笑うことがあります。あれって"テクニック"なのかなあと以前から思っていたのですが、今回は、こう思ったのです。

 

「意外にも、このおばちゃんは、"自分"を客観的に見ているのではないか?」

 

と。自分で"自分"を笑い飛ばせるということは、"自分"を客観視しているということですよね。それが大阪のおばちゃんは、できている人が多いのではなかろうか?とふと思ったのでした。おしまい。

(2013、6、27)

2013年6月27日 09:15 | コメント (0)

新・ことば事情

5141「具体化する言葉」

 

きのう(6月25日)、午後7時からニコニコ動画で放送した『第3回道浦俊彦のことばのことばかり』。テーマは「死語の世界」でした。ご覧いただけましたか・・・・あ、ありがとうございます!

その中で挙がった言葉の一つに、

「喫茶店」

があります。まあ、そういう形態の店が減って、みんな「カフェ」になってしまったと。それに伴って「喫茶店」という言葉も「死語の世界」に片足を突っ込んでいるのかな、と。相方の山本隆弥アナウンサーに、

「最近は『カフェ、行こうか』って言うの?」

と聞いたら、

「言いません、言いません!具体的に『スタバ、行こうか』という風に言いますね。以前は『CDショップ』とか『レンタルビデオ店』と言っていたものも、『タワーレコード』とか『TSUTAYA』とか、具体的な店名を言うことが多い気がします」

というのです。

ここから導き出される答えは何か?「正解」ではないかもしれませんが、もしかしたら、

「喫茶店」「CDショップ」「レンタル屋さん」

といった、「大きな業務のくくり方」が一部、ほどけて来ているのではないか?それは嗜好・興味の多様化も影響しているのではないか?

もう30年ぐらい前に電通だったか博報堂だったかの広告代理店が、

「これからは『大衆』の時代から『分衆』『個衆』の時代になる」

というような分析をしていたように思いますが、まさにそうなったんじゃないかなと感じました。

「ウィキペディア」によると、

「分衆」(ぶんしゅう)=1985年に博報堂生活総合研究所編の「分衆の誕生」にて定義され、同年の新語に選ばれた語。ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることをいう。たとえば自動車やテレビのように1世帯に1台だったものが1世帯に2台ないしは11台のように状況が変化することである。

あ、そういう意味だったのか。でも、「モノ」が「家族」の所有ではなくなってくることが考え方・嗜好も当然変わってきますよね。

また「個衆」については、電通が出した『消費潮流2008 新塊の時代』というパンフレットに、

「1960~70年代の大量生産・消費の『大衆』時代、80年代からは差異化を重視し始めた『少衆』時代。そして近年では、インターネットや携帯電話などのコミュニケーションのパーソナル化も手伝って、『個衆』という言葉が実感として感じられる時代になりました。しかしこの個衆化、はたして幸せなのでしょうか。(中略)個衆化を後押ししてきたネットでも、コメント書き込みやチャッティングを通じて不特定多数がつながり触れ合うサイトが人気です。人々は個衆化を経て、再び大衆化を志向しているという理解もあながち間違いではないでしょう。しかし、かつての大衆とは異質なものになりそうです。電通消費者研究センターでは、そのようなネット時代の新大衆像をひとまず『新塊』と呼び、研究しています。」

とありました。

「大衆」→「少衆」→「個衆」→「新塊」

という分析ですね。「新塊」も、店の名称の呼称に関しては「個衆化」しているのではないでしょうかね?

(2013、6、26)

2013年6月26日 23:59 | コメント (0)

新・ことば事情

5140「高齢者は」

 

朝の通勤時。京阪・京橋駅で降りようとしたときの車内放送。

「押し合わずにお進みください。高齢者は・・・」

と聞こえたので、

「高齢者は、先にお通しください」

と言うのかと思ったら、

「高齢者は、淀屋橋行きです」

と言うではないですか!なんだって!?

・・・・あ、そうか、「高齢者」ではなくて、

「この電車」

だったんだ!ああ、聞き間違い!念のため、ローマ字で書いてみましょう。

「高齢者」 =「KO REISYA」

「この電車」=「KONODENSYA」

たしかに似ていると言えば似ている。

「高齢者」の「こう」と「この電車」の「この」の違い「U」と「NO」、「高齢者」の「齢」と「電車」の「電」の違いは「REI」と「DEN」で、「レイ」「デン」。似ていると言えば似ています。舌の動きとかがね。そして最後に「高齢者」の「者」と「電車」の「車」は全く同じ発音。アクセントも、今回の車掌さんは

「コノデン\シャハ」

大阪弁アクセントだったので、

「コーレ\イシャハ」

というアクセントパターンと同じでした。

こういったことが、聞き間違いを誘発したのではないかと思われます。

(2013、6、26)

2013年6月26日 18:29 | コメント (0)

新・読書日記 2013_112

『維新漂流~中田宏は何を見たのか』(田崎健太、集英社インターナショナル:2013、5、24)

 

著者は19683月、京都市生まれのノンフィクション作家。早稲田大学卒。『週刊ポスト』編集部などを経て、ノンフィクション作家。現在は早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当しているそうです。

橋下徹について書いているのかなと思ってタイトルの「維新漂流」につられて買ったのだが、中身は「維新」が中心ではなく「中田」中心。あまり中田さんという政治家については知らなかったが(週刊誌レベルでしか)、これを読んで、少しわかった気がする。また、「中田の目」を通じて映し出される「維新」像、「橋下」像もよくわかった。


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(2013、6、14読了)

2013年6月25日 11:46 | コメント (0)

新・読書日記 2013_111

『民王』(池井戸潤、文春文庫:2013、6、10)

 

「たみおう」と読むようです。

主人公は、総理大臣とその息子。舞台は政界。あまり書いちゃうと面白さが減っちゃうので書けないんだけど、ひとことで感想を言うと、映画『転校生』を思わせる「入れ替わり」。ドタバタ度合いは「筒井康隆」的。『俗物図鑑』を思い出しました。おもしろかったです。これまでに私が読んだ池井戸潤の作品にはない「おもしろさ・軽さ」があったが、「おもしろうてやがて・・・」という感じで、考えさせられる内容だった。


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(2013、6、23読了)

2013年6月24日 12:20 | コメント (0)

新・読書日記 2013_110

『ヘタウマ文化論』(山藤章二、岩浪新書:2013、2、20)

 

洒脱なイラスト・漫画で著名な著者は、昭和12年(1937年)生まれで、今年76歳。

プロとして「うまさ」を求めてきたであろう中で、時代が「ヘタさ」を求めだした。天才落語家・立川談志は、その「うまさ」を極める中で、「ヘタ」な者が人気を博する様子を見て「俺はなれねえ」と。そして別の系統であると認めることになる。

(ここからは私の考えですが)「面白くなければテレビじゃない」というキャッチフレーズから30年以上、プロの世界に素人が顔を出し、「うまさ」だけでは満足できない人たちが"素人の新鮮さ"に価値を見いだした。一時の「おバカ」ブームなどは、まさにその究極の形だったのかも知れないが。(以上、私の考えでした)

そういった「想い」の断章が本書。取り留めないと言えば、取り留めない書き物。

最後に著者が「うまさ」と「ヘタさ」という"相反するもの"を同時に持ち得ているという"天才"として「東海林さだお」を挙げているが、それは同感である。「ミヤネ屋」ファミリーの「松尾貴史さん」の名前が出て来るのも、親近感がある。松尾さんは「山藤ファミリー」でもあるんだなあと。


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(2013、6、20読了)

2013年6月21日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2013_109

『伝え方が9割』(佐々木圭一、ダイヤモンド社:2013、3、1)

 

とっても売れているみたいだから、一応目を通しておこうかなと。タイトルからして「人は見た目が9割」みたいで、この手のタイトルを付ければ売れるのか?という「柳の下のドジョウ」みたいだが・・・。実際に売れているからすごい。

著者はコピーライターなのだが、元々は全然そういった職種に向いていなかった、と。それが「コツ」をつかむことで、数々の賞をもらう売れっ子コピーライターになった!というサクセス・ストーリー、その「コツ」を伝授してくれます。

でも、実はこの手の本はあまり好きではないのです、私は。でも、購入した以上は何かつかみ取らないとソン!と思って読みました。

読み終わりました。

そして3日後、なんと家の本棚の下の方に、読みかけたまま冬眠(?)していた、

「もう一冊の本書」

を発見・・・2冊も買っていたのか・・・。「伝え方が9割」を、買う気もないのに2冊も買ってしまった人は、何割でしょうか?


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(2013、6、15読了)

2013年6月20日 21:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5139「オランド大統領のアクセント」

先日、来日したフランスのオランド大統領。その名字のアクセントは、ニュースで読むときには、

(A)「オ\ランド」(頭高アクセント)

でしょうか?それとも

(B)「オ/ラ\ンド」(中高アクセント)

でしょうか?

読売テレビアナウンス部で聞いてみたところ、

(A)「オ\ランド」=9人

(B)「オ/ラ\ンド」=1人

と、圧倒的に「頭高アクセント」の、

(A)「オ\ランド」(頭高アクセント)

という結果が出ました。でも、たぶん「自信がない」人は「答えなかった」と思いますが、そういう人も数人いたようですが・・・。

どちらで読まれていても、おそらくそれほど気にならずに、皆さん耳に入っていると思います。こういう言葉って、よっぽど集中して注意していないと、聞き逃してしまうんですよね。

(2013、6、19)

2013年6月20日 17:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5138「空気感」

 

2013年4月12日の読売新聞夕刊で、女優の宮﨑あおいさんが紹介されていました。映画『舟を編む』のPRですね。その文章の中に、

「宮﨑あおい独特の空気感を漂わせているのだろう」

とありました。この、

「空気感」

という言葉、それほど違和感はないのですが、「ちょっと待てよ」と立ち止まりました。これは、これまでは、

「雰囲気」「オーラ」

と言っていたものではないか?「空気感」って、辞書に載っているのか?載っていなさそうだけど・・。「くうきかん」で打ち込んで変換したら、

「食う期間」

って出て来たし・・・。グーグル検索では(6月19日)、

「空気感」=324万件

も出て来たぞ!トップで出て来た「ウィキペディア」には、

「空気感(くうきかん)とは芸術表現に用いられる形容の一つ。そのものが直接的に表現されていなくても、間接的な情報のみで存在することが示唆されている様子を表す。写真表現で用いられる場合は、二次元である写真がまるで立体のように見えることを指す。(以下略)」

とありました。もともとは「芸術表現」、「写真」等の世界で使われていたのか?

同じくネットの「実用日本語表現辞典」には、

「空気感(くうきかん)=空気の存在を感じさせる様子などを意味する表現。芸術の側面では、空気や雰囲気をかもし出している表現技法を指すことが多い。また、髪型や服装などが広がりを持ち、多量の空気をはらんでいるような様子を指すことも多い。」

とありました。「髪型」や「服装」、つまり「ファッション分野」にも進出しているのですね。

『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』 『新明解国語辞典』『新選浅国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』には、「空気感染」や「空気銃」「空気枕」等は載っていましたが、「空気感」は載っていませんでした。

『現代用語の基礎知識2013年版』にも載っていませんでした。・・・・・ということは、「2014年版」には書かかねば!

(2013、6、19)

2013年6月20日 11:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5137「天使の分け前」

2013年4月12日の日本経済新聞夕刊の最終麺「シネマ万華鏡」で紹介されていた映画のタイトルが、

「天使の分け前」

というものでした。スコットランドを舞台に、「スコッチウイスキー」を準主役に据えた映画なんだそうです。そして、タイトルの「天使の分け前」とは、

「ウイスキーが熟成樽の中で年2%ほど蒸発して失われること」

を言うのだそうです。なんとなく聞いたことはありました。これって「ワイン」でも言うような気がします。

でも、ここで疑問が。

「『年2%』ずつ蒸発して行ったら、50年経ったら、樽はからっぽになるのではないか?」まあ、スコッチウイスキーと言ってもせいぜい、20年物とか25年ものだからその心配はないのか?いや、「年2%」と言うのは、「最初の量の2%」ずつではなくて、当然、最初の年に2%減ったら、元の量の98%になるのだから次の年は「98%の2%」で、「1,96%」減るので、「96,04%」、次の年はそれの2%だから・・・と考えると、カラになるには50年以上かかるとか、いやいや、減った分は少しずつ少しずつ足していく、ほら、焼き鳥や串カツや「秘伝のたれ」はもう何十年も継ぎ足して使っているではないか、みたいなことがあるのではないか?とか、疑問とその解答は、際限なく広がるわけですが。

きっと、元々はこの「天使の分け前」というのは「英語」だったのでしょうね。英語ではなんというのだろうか?

「エンジェルズ・シェア」

とかそんな感じなのかな?手元の英和辞典には載っていなかったので、「ウィキペディア」を見ると、ありました!やはり、

Angel's  share

でした。

「天使の取り分」

とも言うようですね。それも耳にしたことがありますが、「分け前」のほうがいいかなあ。

翻訳がうまいですよね「天使の分け前」。「ウィキ」には、

「一説によると、コニャックの原産地であるフランスのコニャック地方では、一日にボトル2万本にも及ぶ量の『天使の取り分』が発生していると言われている」

と書かれていました。え、一日にボトル2万本!ちょっと、天使、飲みすぎでないかい?ちょっと、そのおすそ分けに授かってみたいような・・・と思っているうちにこの映画の公開終わっちゃったのかなあ・・・まだ見ていないのですが・・・。

 

 

(追記)

「お酒全般」にお詳しいNHKの原田邦博さんから、すぐにメールをもらいました。それによると、「スコッチモルトウイスキー」の場合は、樽の中身が減っても足すことはなく、そのまま少しずつ蒸発していくのだそうです。出荷する段階で、ほかの樽と混ぜて「質を均一」にすることはあって、これを「バッティング(vatting)」というそうです。あ、そういえば、

「VAT69」

というお酒のラベルを見たことがあるけど、あれも関係あるのかな?

また、「バー」での話では、

「棚に並んでいるボトルの酒が少しずつ"蒸発(?)"することがある」

のだそうです。原因は、

「オーナーが、客のいない間にそっと飲んでいる」

のですが、これを俗に、

 

「店主(てんしゅ)の分け前(owner's share)」

 

と呼んでいるそうです。うまい!山田くーん、原田さんに座布団一枚!!

たしかに、ボトルキープしていたボトルに、まだだいぶん残っていたはずなのに、次に店に行ったときには恐ろしく減っていたり無くなっていたということは、これまでに何度もありましたが、証拠はないし酔ってるから記憶はあやふやだし・・・。

「キッチンドリンカーの奥さん」が台所に隠しておいたお酒がちょっとずつ減ることがあり、実は「旦那さんがこっそり飲んでいた」と、これを、

「亭主の分け前」

・・・って話はないか。山田くーん、わたしの座布団、全部持ってっちゃいなさい!

(2013、6、21)

 

(2013、6、19)

2013年6月19日 17:49 | コメント (0)

新・ことば事情

5136「書けたですよ」

 

<2009年12月24日書き始めました。当時の数字は「平成ことば事情3952」>

NHKの番組『日米電波戦争・第2回』(2009824日に放送されたもの)を見ていたら、当時の「ラジオ東京」(NHK=日本放送協会の国際放送)の原稿を書いて読んでいた住友公一氏(アメリカ生まれ。インタビュー当時88歳)にインタビューしていました。仕事は、日本語の原稿を英語に書き換える作業だったそうです。そして、昭和20年8月10日の英語放送で「ポツダム宣言受諾の用意あり」という政府声明を放送したと、放送した当人の住友氏が話しています。住友氏は、

「ポツダム宣言を受諾する用意がある、と自分の意志で書けたですよ。」

と話していました。その後も記者として活躍し1976年に引退したそうです。

私がこのコメントで引っかかったのは、

「書けたですよ」

という言い方。これって「九州方言」ではないでしょうか?住友氏はアメリカ生まれだそうですが、もしかしたらご両親かご家族が、「九州のご出身」だったのかもしれません。あ、引退後、住友さんが暮らしていたのが「九州」だった可能性もあります。

番組ではこのほか、

「米英支蘇四国」

という表現が出てきましたが、この「蘇」=「ソ連」なんでしょうね。

また、「東京ローズ」の本名は「アイバ戸栗」だとか、「へえー、知らなかった」という興味深い話が。また、日本国憲法草案に参加した「ベアテ・シロタ」さんという女性もインタビューに応じていました。シロタさんは当時まだ22歳!(1923年10月生まれ)つい先日(2012年12月30日)、亡くなられましたね。

 

そのNHKの番組から4年が経過して、2013年6月7日に放送していた読売テレビ「秘密のケンミンSHOW」で、

「書けたとですよ」

九州弁(博多弁)で、博多の人は、

「○○とですね(とですよ)」

「敬語」だと思っていると放送していました!

(2013、6、17)

2013年6月18日 22:03 | コメント (0)

新・読書日記 2013_108

『怒れるおっさん会議inひみつ基地』(田尾和俊・勝谷誠彦、西日本出版社:2013、6、15第1刷)

 

タイトルに魅かれ、対談?形式で読みやすそうだからつい買ってしまいましたが。勝谷さんは知ってるけど、対談相手の「田尾さん」という「おっさん」のことを知らない。麺通団団長で、四国学院大学の教授らしいが、そもそも「麵通団」を知らない。香川で、例の「讃岐うどんブーム」を起こした張本人らしい。「讃岐うどんブーム」は知っているが、それに乗れなかった私としては「ふーん」で終わってします。とっても楽しくやってる感じは伝わってきますが、うーん、私は乗り切れませんでした。ごめんなさい。最後に二人の「マドンナ」である歌手の岩崎宏美さんが出て来て対談というのも、二人の(というか田尾さんの)マドンナが岩崎宏美さんであると知っている人にとっては「ええー!」だけど、そのサプライズも、それほど伝わって来なくて・・・"仲間内"向けという感じがしたなあ。

でもやはり、ところどころに"いぶし銀"的な言葉が出て来る。香川県の「うどん県」PRや、全国に広がる「ゆるキャラ」ブームも、結局それで「利益」を生み出せていないという指摘。税金を使って「賑わい」を創出しても「費用対効果」を行政は考えないから、結局失敗に終わっているという指摘は「確かに!」と思った。その辺り、納税者で有権者である我々こそ、「頭がゆるキャラ」だと反省。

ただ「日本は戦後、危機が少なな過ぎたから、たるんでいる」というのは「?」。そんなことないでしょ、他国に武力で攻め込まれることこそなかったけど、いろんな危機があったと思いますよ。交通戦争、公害、冷戦、湾岸戦争、阪神大震災などなど。なかったことにするのかな?と不思議に思いました。

春の高校野球(センバツ)での石巻工業の主将の選手宣誓で、「感動、勇気、笑顔を、日本全国に届けます。見せましょう、日本の底力を」と言った言葉に、「笑顔」という具体的なことを入れていることを、勝谷さんが物書きとして脱帽したというのは「いい話だなあ」と感じました。評判になりましたもんね、センバツ選手宣誓は。橋下さんの事も、ちょろっと出てきます。

(☆3つ)


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(2013、6、14読了)

2013年6月18日 17:44 | コメント (0)

新・読書日記 2013_107

『過労死のない社会を』(森岡孝二編、岩波ブックレット:2012、12、6)

 

講演や対談などを収めたブックレット。

タイトルにつられて購入。木津川計さんの話が興味深かった。

ところが!この本の後に、夏目漱石の『私の個人主義』という講演録を読んでいたら・・・あ、木津川さんのネタ本は「夏目漱石」だったのか!というように感じましたとさ。


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(2013、6、5読了)

2013年6月18日 12:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5135「姑はしゅうとか?しゅうとめか?」

 

素朴な疑問が。

「姑」

 と書いて「しゅうと」とも「しゅうとめ」とも読みますね。

 これはなぜでしょうか?そもそも「しゅうと」の漢字は、

「舅」

なのではないでしょうか?「め=女」の意味でしょうから、

「しゅうと」=男 「しゅうとめ」=女

 が原則かと思いますが、

「しゅうと」=女

 という意味もあるのは、なぜなんでしょうか?

こんな質問を、NHK放送総文化研究所の塩田雄大さんにぶつけてみました。すると、こんなお返事が。

『「しうとめ」の語源が「しうと」+「め(=女)」であることは疑いないでしょうから、下記のように想像されます。

「医師」:男女両方指す  ← かつての「しうと」と同様

「女医」:女性のみ    ← かつての「しうとめ」と同様

で、「しうと」という「和語」に漢字をあてるときに、それが「男性」であれば、

「舅」

を、「女性」であれば、

「姑」

を用いていたのだと思います。

その後、「しうと」が男女両方を指すという意識が薄れ、「男性専用」になったのが現代の状況です。

つまり、「しうと」には、(現代語ではそうはなっていませんが)「医師」といったら「男性医師」を指す、といったような意味変化(意味の縮小)が起こったのではないでしょうか。ただし「『しうと』が男女両方を指す」という用法は、複合語には生きています。「小姑」は女性ですが、ふつう「こじゅうと」と言うものであり、「こじゅうとめ」とは言わないのではないでしょうか。』

たしかに!

「小姑(こじゅうと)」=「女」

ですし、「こじゅうとめ」とは言わないですよね!もともと「しゅうと」は男女両方を指していたのに、それがのちに男女で別の漢字をあてて、「しゅうとめ」という言葉も生まれたということですね。

『精選版日本国語大辞典』「しゅうと」を引いてみると、

「しゅうと」

=「(1)(舅)配偶者の父。夫の父、または妻の父。しゅうとお。しゅうとおや。」

とあって、用例はなんと『日本書紀』(720年)!そこでの表記は、

「舅氏(シウト)」

となっています。「しゅうとおや」って聞いたことがないけど、「しゅうと」で「おや」ということは、「しゅうと」にも「父親」と「母親」がいても不思議がないということか。

そして2番目の意味で、

=「(2)(姑)配偶者の母。夫の母、または妻の母。しゅうとめ。」

とあって、用例は『日本書紀』より時代が下った『運歩色葉』(1548年)です。やはり「舅(しゅうと)」のほうが古いのか。さらに3番目の意味も載っていました。

「(3)配偶者の兄弟姉妹。こじゅうと」

こちらの用例はさらに時代が下って『歌舞伎・幼稚子敵討』(1753年)になっています。意味が分化していったのですね。それだけ家族関係が複雑になったということでしょうか?

それにしてもこんなことにこだわるのは「小姑」みたいでしょうか?・・・あ、怒られる。(誰に?)

こんなことを気にしながら、曽野綾子の本を読んでいたら、「姑」に「はは」というルビが振ってありました。

このように、「漢字」と「和語の意味」は、「一対一対応とは限らない」ということですね。勉強になりました。

(2013、6、17)

2013年6月17日 17:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5034「伝統」

 

2013年2月18日の読売新聞のコラム「翻訳語事情」で、東京大学教授の齋藤希史(まれし)さんが、

tradition(伝統)」

について書かれていました。それによると、今ではどんな辞書も、

「伝統」

と訳しているが、明治から大正にかけての英和辞典では「tradition」は、

「口伝」「伝説」「交付」「引渡し」

等を充てるのが一般的で、大きな辞書によると、

「慣習」「因襲」

も見られたが、

「伝統」

という訳語は、まず見られなかったそうです。

ここまで読んで、「へー」と思いました。

そもそもtradition」はラテン語の、

tradere(渡す、伝える)

に由来するそうです。

一方で、「伝統」という漢語自体は、『後漢書』東夷伝にも出て来る古い言葉で、意味は、

「血統や学統を伝えること」「伝えられた血統や学統のこと」

だそうで、いわば、

「系図に示すことができるようなもの」

を指す「系統」の意識の強いものなんだそうです。

その両者が結びつくのは、大正も半ば以降のこと。「自然主義」に対する「伝統主義」や、「民族の伝統文化」のような使い方が目立ってきて、

「守るべき価値のあるものであることを強調するため、単なる伝承や伝説を越えたもの」

として、

「伝統」

が登場したと考えられると。そして、昭和に入ってからますます使われるようになったのは、日本の「伝統」が連綿と続くものとして強く意識された時代だったからだと、齋藤教授は記します。現在でも「伝統」と言えば「守る」イメージが強いですが、本来は「伝える」ことにあるんだそうです。さらに、

「その『伝統』は伝えるに値するものなのか?『統』を守ることにこだわって、本当に伝えなければならないことを見失っていないか?その問いを忘れてはならない」

齋藤教授は結んでいます。

改めて「伝統」という漢字を見つめると、

「伝える」「統(す)べる」

という二つの意味を持つ漢字の組み合わせなんですね。

「伝統とは『伝える』ものなり」

「伝承」に近い意味合いだったのかなあ。

読売テレビアナウンス部でも「言葉の意味や背景について考える態度」を「伝統」にしたいと思います。

(2013、6、14)

2013年6月17日 10:46 | コメント (0)

新・読書日記 2013_106

『従軍慰安婦』(吉見義明、岩波新書:1995、4、20)

 

1995年に出ている。当時、すぐに買ったが読んでいなかった。橋下発言を機に、読むのは「今でしょ!」と頑張って読んだ。大変「学術論文的」にデータが出て来る。読み物・・・という感じではない。そもそもこの書物によって「従軍慰安婦」という言葉が定着したかのように記憶している。それまでは単なる「慰安婦」という言い方だったのではないか?そして「従軍」という言葉はイコール「強制連行」というニュアンスを含んだ。ところが「強制連行」とは銃剣を喉に突き付けて連れて行ったようなことを指すのか?それとも「良い金になるから」とだまして連れて行った詐欺的なものも含めるのか?というあたりがゴチャゴチチャになってしまって、この言葉の持つ「従軍」というあたりの定義も、きっちりとできなくなってしまったまま、今日に至っているように感じた。

全部人のせい、世の中のせいにするわけではないが、これとほぼ並行して読んだ、『それでも彼女は生きていく』(山川徹、双葉社)で、東日本大震災をきっかけにAV女優の道を選んだ東北出身の女性たちが出て来る様子を読んで、70年もの時を経ているにもかかわらずオーバーラップしたものがあった。慰安婦問題、難しいです・・・・。


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(2013、6、5読了)

2013年6月16日 11:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5133「体罰」

 

大阪市立桜宮高校2年のバスケットボール部主将の男子生徒が、部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺したことを受け、

「体罰」

に関する関心が、また高まっています。2013年1月10日の産経新聞「産経抄」では、

「指導と体罰の違いはどこにあるのだろう」

という疑問を投げかけています。でも、

 

「この中で体罰をされた奴はいるか?いたら一歩前に出ろ!・・・いないな。」

 

こういった問いかけでは、絶対に本当のことは出てきません。

「『一歩前に出る人がいないこと』が、つまり『体罰があること』の証明」

とさえ言えます。

 

さらに2月9日の読売新聞には、「柔道の女子選手15人が、日本女子前監督らによる暴力行為を告発した問題」に関して、日本オリンピック委員会(JOC)は「五輪加盟団体に聞き取り調査」をした結果、31競技団体すべてが、「日本代表クラスの選手、指導者等の間での暴力行為やパワーハラスメントなどはない」と回答したという記事が載っていました。その記事には、「聞き取り調査を受けた競技団体のおもなコメント」の一覧表も載っていました。それを見ると、質問は、

「暴力、パワハラなどはあったのか」「どんな対策を考えているのか」

でした。そして、表に載っている31団体のほとんどは、

「一切ない」「倫理委員会を設置している」(陸上競技連盟)

「全くない」「文書で注意もした」(ハンドボール協会)

というような答えでしたが、いくつか気になることろも。たとえば、

「ボート協会」と「自転車競技連盟」は、

「ノーコメント」

です。これで「暴力行為はない」と答えたと言えるんでしょうか?

「ホッケー協会」=「問題点はない」

「ウエイトリフティング協会」「トライアスロン教会」=「ない」

という「ひとこと言い切り型」も「本当に調べたの?」と感じます。また、

「アーチェリー連盟」=「特になし」

も、答え方がちょっとあやしい。「特に」って、何?

「馬術連盟」の「ない。起こりえない」

と断言するのも、「想定していない」ということでしょうから「万が一」が怖いのでは?と危惧してしまいす。

もう、この記事が出てから4か月経つのですが、肝心の柔道連盟が上村会長の続投を決めてしまいました。うーん、うやむやになってしまわないか、大変気になります。

(2013、6、14)

2013年6月15日 17:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5132「英語の嫌いなあなた」

テレビを見ていたら、

「英語が嫌いなあなた、ぜひ●●●をお試しください!」

というコマーシャルが。その文句を聞いて思ったこと・・・。

 

「『英語が嫌いなあなた』は英語の教材は買わないし、興味ないと思う」

 

ということでした。

これ、前に書いた気がしてきた・・・。検索しても出て来なかったけど。

これ、「英語が嫌いなあなた」ではなくて、

「英語が苦手なあなた」

なら分かるんだけどなあ。それじゃあインパクトがないってことかなあ・・・

どうなんでしょうか?

(2013、6、13)

2013年6月15日 11:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5131「二、五世帯住宅」

 

『東京から郊外が消えていく!~首都圏高齢化・未婚化・空き家地図』(三浦展、光文社新書:2012820

の中に、

「二、五世帯住宅」

と言う表現が出てきました。

「娘が子供を連れて出戻りした両親の家のこと」

だそうです。

その後ちょくちょく、新聞記事などでも見かけることがありました。2012年9月27日の毎日新聞「くらしナビ 住まい リビング」のコーナーには、

「2・5世帯住宅とは」「親・子世帯と独身の子同居」

という見出しが出ていました。

「かつては嫁姑の気疲れもあり、敬遠されがちだった2世帯住宅。だが最近は積極的に同居を望む家族も増えている」

として、住宅メーカーが注目している住居形態として挙げられているのが、「2・5世帯住宅」で、

「親世帯と子世帯に加え、独身の子(子世帯の兄弟姉妹)も同居する住宅」

と説明されています。『東京から郊外が消えていく!』で三浦展さんが説明したように「出戻り」でなくても、「2・5世帯住宅」なんですね。

旭化成ホームが2012年6月に、両親と、結婚した弟がいる38~42歳の独身女性約100人に意識調査したところ、2・5世帯での同居について「検討の余地がある」と答えた人が60人と、全体の6割を占めたそうです。「同居」に魅力を感じる点は、「急病時に頼れる」がトップだったと言います。

色々な「家族の形態」や「住まい方」が出て来ているということですね。

(2013、6、13)

2013年6月14日 20:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5130「モモ農家」

 

6月13日の日本テレビ「every.を見ていたら、日本海側や近畿地方などで「猛暑」、関東は涼しいという状況を報じていました。その中で、

「モモ農家」

というスーパーが出て来て、違和感がありました。でも漢字で書いて、

「桃農家」

というのも、なんだか「桃太郎」みたいだし。平仮名で書くと、

「もも農家」

ですか。これは農協・JAらしい感じで、いいかもしれません。

でも、ほかの果物でいうと、

「ミカン農家」

は、違和感なし。平仮名の、

「みかん農家」

もいいですね。漢字は難しいかな、

「蜜柑農家」

あ、難しい。

グーグル検索(6月13日)

「モモ農家」 = 6万0400件

「桃農家」  = 6万0400件

「もも農家」 =20万0000件

「ミカン農家」= 3万6200件

「みかん農家」=16万3000件

「蜜柑農家」 =16万3000件

あれ?「モモ農家」と「桃農家」、「みかん農家」と「蜜柑農家」が、まったく同じ件数・・・と思ったら、

「モモ農家」は「次の検索結果を表示しています"桃農家"」

「蜜柑農家」は「次の検索結果を表示しています"みかん農家"」

ということでした。つまり「グーグル」では「基本となる表記」は、

「桃農家」「みかん農家」

であるということですね。しかし、「件数での多さ」で言うと、

「もも農家」「みかん農家」

と、共に「平仮名」の圧勝でしたね。

 

(2013、6、13)

2013年6月14日 16:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5129「ジャカランダ」

皆さんは、

「ジャカランダ」

という花をご存じですか?

紫色・藤色の小さな花が木にいっぱい咲いています。

ポルトガルの春を代表する花「ジャカランダ」の写真が送られてきました。

何を隠そう、私は十数年来、大阪日本ポルトガル協会の会員でもあるので、定期的にこういった通信が送られてくるのです。

こんなことでもないと、この花を知ることはなかったかもしれません。

「春の花」と言えば、日本ではなんと言っても、

「桜=ソメイヨシノ」

ですけれど、異国情緒と言うか、まさにお国柄。国それぞれなんでしょうねえ・・・と思っていたら、翌日、大阪ポルトガル協会からの写真を見た、大阪・寝屋川市の会員の森本佳明さんという方が、

「我が家のジャカランダも今満開です」

というメールを写真つきで送られてきました。きれいですねえ。

ジャカランダ写真

あ、本当だ。おんなじ花だ!

日本でも見られるんですね、ジャカランダ。辞書(『広辞苑』)を引くと、

「ノウゼンカズラ科の一属。熱帯アメリカ原産。ブラジル産の一種は高さ10余メートルの落葉高木。(中略)青紫色で長鐘形の美花を多数つける。熱帯地方で街路樹や庭樹として広く栽培。ハカランダ(スペイン語読み)」

とありました。

(2013、6、13)

2013年6月14日 13:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5128「いただけますよう」

 

酒井法子が、主催者側の都合でイベントに出られなくなったことを受けて、所属事務所がコメントを出しました。そのコメントは、

「何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます」

という一文で締めくくられていました。この中の、

「御理解いただけますよう」

が引っかかりました。本来これは、

「御理解いただきますよう」

なのではないでしょうか?つまり「いただ"け"ますよう」ではなく「いただ"き"ますよう」ではないか?という話です。

「いただ"き"ますよう」「通告」であると同時に「お願い」ですが、「いただ"け"ますよう」は、相手の行為ではなくまず「いただける」という「自分の利益」を主張。「ますよう」で一応「お願い」はしているようですが、その意識は薄いです。

「いただける」のは、そう発言している側の「利益」。「いただく」はそう発言している側の行動から見て「相手への敬意」。そこの違いが、へりくだっているように見えて実は自分のほうしか考えていないように感じられて、不愉快になるのではないでしょうか?

もし「いただ"け"」を使うなら、

「御理解いただけると大変助かります」

とするのなら納得できますが。そこを省略している所が「ズボラ」です。

「き」から「け」への微妙な変化は、

「相手を立てているように見えて、実は自分のことを第一に考えている」

という心理の変化を表しているように感じるのですが、いかがでしょうか?

(2013、6、13)

2013年6月14日 11:11 | コメント (0)

新・読書日記 2013_105

『それでも彼女は生きていく』(山川徹、双葉社:2013、3、3)

 

東日本大震災をきっかけに、AV女優の道を選んだ東北出身の女性たちにインタビューした記録。「職業に貴賤はない」ということはそうだとしても、貴賤ではなく、やりたい仕事と、やりたくない仕事・できたら避けたい仕事などはあるのが現実であろう。どうしても、明治三陸大地震や昭和三陸大地震の後、天候不順で飢餓状態となった時代に、生きていくために娘を売ったという東北での事例を思い出してしまう・・・。そして、橋下発言で久々に脚光を浴びた「"従軍"慰安婦」の問題も頭には残っていて、過去のそういった問題が現代ではあり得ないのか?いや、そうではないのではないかと、改めて考えさせられてしまう一冊でした。


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(2013、6、4読了)

2013年6月14日 10:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5127「靴足袋」

 

夏目漱石の講演録『私の個人主義』(講談社学術文庫)を読んでいたら、

「靴足袋」

という言葉が出て来て目に留まりました。なんと読むんでしょうか?

「くつたび」

でしょうね、きっと。意味はこれもおそらく、

「靴下」

のことなのではないでしょうか?

講演は、明治44年8月、兵庫県の明石で行われた「道楽と職業」というもの。「明治44年」というのは、西暦に直すと「1911年」です。日露戦争も終わって韓国併合の翌年であります。今から102年前。その頃はまだ「靴下」という言葉はなかったのでありましょうか?(ありゃ?文体がヘン!)

『精選版日本国語大辞典』「くつたび(靴足)」を引くと、

「(1)足袋くるぶしから下だけのもの。(2)→くつした(靴下)」

とあり、(2)の用例は「風俗画報63号(1898年)」からでしたので、漱石のこの講演(1911年)と年代も近いです。(1)の方の用例は「仮名草子・都風俗鑑」(1681年)と、江戸時代のものでした。また、インターネットの辞典『デジタル大辞泉』に載っている「靴足袋」一番目の意味として「靴下」を挙げて、用例は二葉亭四迷の翻訳小説「かたこひ【片恋】」(明治29年=1896年)が載っていました。ツルゲーネフの中編小説「アーシヤ」(1858年作)が原作だそうです。

「靴足袋」でグーグル検索をしてみますと(6月12日)、

「靴足袋」=3万2400件

でした。ただ、そこに出て来る「靴足袋」の映像は・・・『精選版日本国語大辞典』の(1)でも(2)でもなく、

「いわゆる『地下足袋』のような形状のもの」

だったのです!「地下足袋」が脛(すね)の辺りまであるヤツです。

うーん、でも漱石の時代はやはり、現在の「靴下」の意味で「靴足袋」が使われていたようですね。

(2013、6、12)

2013年6月13日 21:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5126「拇印」

 

ちょっと昔の話になりますが「外国人登録制度」で、「指紋押捺」が、「拇印」を押すか押さないかが問題になったことがありました。最近は、あまり取り上げられないんですが。(指紋押捺は無くなったようですね。)そういった時などに、「拇印」を押す指は、どの指でしょうか?私は、ためらわずに、

「親指」

だと思いますが、どうも最近は、

「人さし指」

で「拇印」を押す人が増えているのではないでしょうか?聞くところによると、「指紋押捺制度」では、

「人さし指」

の指紋を押さされたそうです。また、「指認証」で部屋に入るときには、おそらく一番多いのは、

「人さし指」

だと思います。あまり「親指」で「指認証」をしている人は見かけません。銀行のATMの「指認証」も、「人さし指」が基本なのではないでしょうか?そういった影響もあるのかな?

そもそも「拇印」の「拇」は常用漢字ではない(表外字)なので、『新聞用語集2007年版』を見ると、

「拇印→指印、母印、つめ印」 =表外字

と言い換えることになっているようです。また、読売新聞社の『読売スタイルブック2008を見ても、

「拇印→指印、母印、爪印」=表外字

と言い換えることになっているようです。

同じ「拇」という字を使う、

「外反拇趾」

の場合は、

「外反母趾(ぼし)

と、「拇」の代わりに「母」を使って熟語にルビを振ったりしますが、『読売スタイルブック』「拇趾」を見ると、

「拇→親指、母指(外反母趾ぼしは別)」=表外字

とありました。そうするとやはり、

「『拇』は『親指』」

を指すのですね。だから「拇印」を押すのは「親指」であるべきなのでしょう。しかし、この、

「『親指』は、『お父さん指』」

で、

「『お母さん指』は『人さし指』」

なのではないか?「お父さん指」が「拇」ならば、

「『お父さん』が『お母さん』になってしまわないだろうか?」

という疑問が。「お父さん指」「お母さん指」というのは、「童謡」から出て来たのかな?

「おはなしゆびさん」 香山美子作詞・湯山昭作曲)

という曲名のようですね。

「♪このゆび パパ ふとっちょ パパ」

という歌詞でしたね。

でも、太いからって「お父さん」とは限らないんじゃないかなあ・・・。

(2013、6、11)

2013年6月13日 15:19 | コメント (0)

新・読書日記 2013_104

『早稲田大学八十年の歩み』(1962早稲田大学校友会編、編集者・滝口宏:1962年)

早稲田出身の父が「これ、いるか?いらんかったら、捨てようと思うんやけど」と言って差し出した本。アルバムのようなものか。私も早稲田出身。在学中に「創立100周年」を迎えた。そこですぐに「いる!」と言って、もらった。ことし早稲田大学は創立131年。ということは、ほぼ半世紀前に出た本だ。今となっては、とても貴重な写真の数々が・・。1ページ1ページ、大変興味深く、丁寧に写真を見て、そのキャプションの文章を読んでいった。そこには「歴史」が閉じ込められていた。もちろん読み終わっても、捨てないで持っていようと思う。


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(2013、6、3読了)

2013年6月13日 10:21 | コメント (0)

新・ことば事情

5125「おとつい」

 

夕方のニュースのスタッフが、

「『おととい』と『おとつい』の違い、使い分けの基準ってなんだっけ?」

と言っているのが聞こえたので、

「『おととい』が放送では基本。『おとつい』は方言!」

と言ったところ、

「ええ!そうだったんですか!『おとつい』はどこの方言ですか?」

と聞かれたので、

「たしか関西弁で『おとつい』って言うんだよ」

と答えてから、ちょっと自信がなかったので、調べました。

『精選版日本国語大辞典』を引くと、「おとつい」は、

「おと(遠)」「つ」は「の」を表す格助詞、「い」は「ひ(日)」の意の「をとつひ」の変化したもの。

とありました。つまり、

「『遠つ日』と書いて『おとつい』」

と言っていたんですね!「とおつひ」が「音韻転換」で「おとつひ」→「おとつい」ということですか。そうすると、「おととい」よりも「おとつい」のほうが古いのか。どうやら、「おとつい」は8世紀の『万葉集』にも出て来る「古い言い方」のようです。それが時代の流れと共に「おととい」に変わっていったと。

『精選版日本国語大辞典』「おととい」のほうの「語誌」を読むと、

「(1)『万葉集』に用例の見えるオトツイにかわる語形として、平安朝以降に用いられるようになった。近世に入ると、再び文献の上に復活するオトツイと併存する形となる。(2)17世紀頃までは上方でもオトトイの方が規範的な語形と認識されていたが、19世紀ころには逆転した。その後、上方はオトツイ、江戸を含む東日本ではオトトイが広く用いられたため、明治以降オトトイが標準語として定着した。」

とありました。これを読んでも、「オトツイ」のあとに「オトトイ」が出来たとわかります。やはり、明治以降の「現代」においては、

「西=オトツイ」「東=オトトイ」

という住み分けがなされ、「標準語」としては「オトトイ」となって来たのですね。

しかし、万葉の時代から1300年で考えると、こんなに行ったり来たりの変遷があるんだなあと、改めて・・・。「言葉は時代と共に変わる」ものなのですね。

(2013、6、11)

2013年6月12日 17:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5124「激おこぷんぷん丸」

教えに行っている甲南大学の学生たちに、

「あなたの周囲で使っている、あるいは目に・耳にしたことがある若者言葉を教えてください」

と問うたところ、何人かが書いてきたものに、この、

「激おこぷんぷん丸」

がありました。なんでも、

「怒りの6段活用」

というのがあるらしく、

「おこ」→「まじおこ」→「激おこぷんぷん丸」→「ムカ着火ファイアー」→「カム着火インフェルノォォォオオウ」→「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんどりーむ」

という順序で、「怒り」の程度が上がっていくのだそうです。

そういえば、読売新聞の夕刊の特集で見たことがあるような気がしてきた。4月ぐらいかな。(2013年4月24日夕刊でした)

それぞれの使用頻度をネット上でグーグル検索で調べてみると(6月11日)、

「おこ」       =791万0000件

「まじおこ」     =  5万0800件

「激おこぷんぷん丸」 =981万0000件

「ムカ着火ファイアー」= 30万9000件

「カム着火インフェルノォォォオオウ」=2850件

「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんどりーむ」=2290件

ということで、一番よく使われているのは、

「激おこぷんぷん丸」

そして、一番程度の軽い

「おこ」

ですね。「ムカ着火ファイアー」以上の怒りは、名前が長いせいか(?)それほどは使われていないようです。

(2013、6、11)

2013年6月12日 11:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5123「『桑の実摘み』のアクセント」

 

お昼のニュース本番前のWアナウンサーから質問を受けました。

「『桑』のアクセントは頭高で『ク\ワ』ですが、『桑の実』はどうでしょうか?さらに『桑の実摘み』や『桑の実嚢園』のアクセントは、どうでしょうか?」

「うーん、『桑の実』は、『赤とんぼ』の歌でも『ク\ワノミ』と歌っているし(それが根拠になるかどうかわからないけど)『頭高アクセント』でいいんじゃないかなあ。でも『桑の実摘み』『桑の実農園』は複合語だし、コンパウンドして『中高アクセント』の、

『ク/ワノミ\ツミ』『ク/ワノミノ\ーエン』

じゃないかな。」

と答えました。

『NHK日本語発音アクセント辞典』にも載っていないのですが、ただ、巻末の「複合語アクセント類型」のところに「~農業」というのがあって、これはコンパウンドして、

「○/○○○ノ\ーギョー」

となると記されていたことから「~農園」も同じアクセントパターンではないかなと推測しました。

あ、そうか、「みかん」も、単独だと「ミ\カン」で「頭高アクセント」だけど、「刈り」が付くと、

「ミ/カンガリ」と「平板」=「コンパウンド」するから、複合語の場合のアクセントは、必ずしも元の単独の名詞のアクセントが残るわけではないですよね。これって基本なのに、実際に出て来ると、迷うケースはありますね。特に「桑(ク\ワ)」のような「2拍」の短い名詞の場合に、迷うケースが多いようです。

(2013、6、10)

2013年6月11日 11:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5122「ねこんかつ」

<2012年1月23日に書き始めました。当時は「平成ことば事情4390」>

 

2011年6月20日の産経新聞朝刊に、

「男女の縁 猫が結びます」

という犬見出しの記事が・・・いや、大見出しの記事が出ていました。「ネコ」です。

その「ネコ」の縁結びの名前が・・・・

 

「ねこんかつ」

 

なるほど、「ネコ」を通じた「こんかつ(婚活)」だから、「ねこんかつ」・・。うーん。どうでしょうか?

ちなみに、「イヌ(犬)」が仲人となる同様の活動は「いぬこんかつ」ではなく、

 

「ワンコンパ」

 

だそうです・・・ニャンだかなあ。

でも、愛犬家・愛猫家の方にとっては、

「イヌやネコは、人間と同等かそれ以上」

に愛情を注いでいますから、「人間と人間」の「婚活」になる前に、「ネコとネコ」「イヌとイヌ」にの「婚活」になってしまわないんですかねえ?どうでしょうか?

(2013、6、7)

2013年6月10日 11:41 | コメント (0)

新・ことば事情

5121「はしごだか」

 

「たかい」

を漢字で書くと、

「高(い)」

ですが、これが「人名漢字」となると、もう一種類の「高」が加わります。

「なべぶた」の下が「口」ではなくて、下とつながっている、いわゆる、

「はしごだか」

と呼ばれる字体の、

「髙」

という字です。これは本来、「手書き」で使われていた、ちょっと略した字体の「俗字」だったのですが、印刷字体にまで「『高』とは違う」と主張される方が結構いらっしゃいますし、

「そうか、違う字なんだ」

と思われる方もいらっしゃいますが、「同じ字」です。

百貨店の、

「髙島屋」

「髙」も、この「はしごだか」で、そのロゴ(マーク)も「はしごだか」ですが、ポイントはそこなんです。つまり、

「文字とロゴ(デザイン)は違う」

という当たり前のことです。それがなかなか理解されないのは、歯がゆいです。

「高」か「髙」か、そこに「プライド」がかかって来るので、「人名」(「名字」だけど)の漢字は難しいですが、有名人で言うと、

「高」=高田郁(かおる=作家)、高島忠夫(父・俳優)、高嶋政伸(弟・俳優)

「髙」=髙橋大輔(フィギュアスケーター)、髙嶋政宏(兄・俳優)

ということです。「たかしま」さんちは、一家で同じ名字でありながら、みんな名字の字体が違うというのは、ややこしいですねえ。「長嶋茂雄」さんのところも、父であるご本人と長男の「長嶋一茂」さんは「嶋」で、娘の「長島三奈」さんは「島」ですが、「高」「髙」のほうが、差が小さいだけに分かりにくいです・・・。

(2013、6、7)

2013年6月 9日 18:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5120「貸し切りか?借り切りか?」

サウジアラビアの王子が、フランスのディズニーランドを3日間貸し切りにしたと。その総額は、なんと20億円というニュースが、スポーツ紙に載っていました。

その際にチラッと気になったのは、

「貸し切り」

という言葉。王子は「借りた」のだから、

「借り切り」

なのではないでしょうか?でも、あまり「借り切り」ってのは聞かないなあ。「動詞」で、

「借り切る」「借り切った」

というのは聞くけど、体言止めの「名詞形」の「借り切り」は、なじみがありません、やはり「貸し切り」でしょう。

きっと、

「貸し切り(状態)にする(した)」=「貸し切り」

という「省略語」として扱っているのではないでしょうか?

「貸し切り」(貸切)は、貸した側の言葉なんだけれども、それを「業界用語」として「借りている側」も使っているということなんでしょうね。

それならまあ、「許容」かなあと思うわけです。グーグル検索では(6月7日)、

「貸し切り」= 374万0000件

「貸切」  =2690万0000件

「借り切り」=   6万7700件

「借切」  =     7040件

でした。

「借り切り」という言葉は、『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『死因調現代国語辞典』には載っていますが、『広辞苑』『明鏡国語辞典』『岩波国語辞典』『NHK日本語発音アクセント辞典』には「借る切る」という「動詞」は載っていますが、「借り切り」という「名詞」は載っていませんでした。

また、『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』は、見出し語は「借り切り」だけですが、その語釈の中に「名詞形」として「借り切り」が載っていました。

辞書の用例などを見ていると、昔(明治時代ぐらいまで)はは、「貸し切り」と「借り切り」は対等に使われていたが、その後「名詞形」は「貸し切り」が「借り切り」を駆逐してその分の意味を占めてしまい、動詞形の「借り切る」だけが残っているというのが現状ではないか?というふうに感じました。

(2013、6、7)

2013年6月 9日 12:40 | コメント (0)

新・読書日記 2013_103

『グラフで見ると全部わかる日本国の深層』(髙橋洋一、講談社:2012、7、5第1刷・2012、7、20第2刷)

 

買ってすぐに読めば良かったのだが・・・2年近く経って読むと、状況がかなり変わってしまっていて・・・という漢字。其れと明らかに私が勉強不足なので、難しくて理解できない部分が多かった。グラフがあって分かりやすいかと言うと・・・これを理解するのは難しい。でも、この本が出た当時は「民主党政権」で、去年12月に自民と安倍政権に代わったことで、ものすごく状況が変わったということはよく分かった。


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(2013、6、3読了)

2013年6月 9日 06:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5119「バセドー病かバセドウ病か」

<2009年4月に書き始めました。当時は「平成ことば事情3717」>

 

歌手の絢香さんが水嶋ヒロさんとの結婚会見で、自らが、

「バセドー病」

を患っていると発表しました。

 

<ここから、4年たった2013年6月に書きました>

もう絢香さん、復帰してますけど、当時は、結婚を機に治療に専念して休業すると発表。

その際の病気の表記が、

「バセド-病」「バセドウ病」

2通りあったのです。その後も、どうもこの2種類の表記を見かけます。

グーグル検索では(6月7日)、

「バセドー病」=12万7000件

「バセドウ病」=76万1000件

でした。昔は「バセドー氏病」と言っていた気がしますが。

「バセドー氏病」=4万3600件

「バセドウ氏病」=2万9900件

でした。もともとは「ドイツ語」の名前で、

Basedow Krankheit

でした。「国語辞典」では『広辞苑』『明鏡国語辞典』『NHK日本語発音アクセント辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』『新選国語辞典』『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』の表記は、全て、

「バセドー病」

でした。でも、ネットでは「バセドウ病」の方が6倍も使われてるんだなあ。

(2013、6、7)

2013年6月 8日 18:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5118「民営化」

 

ことし(2013年)4月、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相が亡くなりました。87歳でした。

先年、認知症を患っていることが娘さんから発表され、また去年は自伝のような映画も公開され、話題になりました。サッチャー元首相を演じた女優・メリル・ストリープが「よく似ている」と評判でした。そういえば、アウンサン・スー・チーを描いた映画も、主演女優が「似ている」と評判になりました。存命の人の映画をやるときは、やはりかなり「似ていない」と問題があるというか、真実味がないと思われるのでしょう。その意味では吉田茂を描いたテレビドラマは・・・あ、横道にそれすぎたので、この辺にしておきましょう。

そのサッチャー元首相の「葬儀」が「国葬」になると聞いたスコットランドの人たちの中には、

「葬儀も民営化しろ!」

という声もあることを、電車の中で読んだ4月10日読売新聞朝刊で知り、電車の中であるにも拘わらず、思わず笑い声をあげてしまいました。

たしかに!

しかし、よく考えると彼女の半生が映画化されたときにも、イギリスの元炭鉱労働者たちは、かなり批判的でしたし、「中興の祖」的に称える国民が多い一方で、英国の復活のために犠牲を強いられた人たちは、ひとかたならぬ恨みを持っているということでしょう。

そして、そういった称賛と怨恨の両方を甘んじて受ける覚悟がなければ、「政治家」なんていう職業は、やっていけないのですね。因果な商売ですな、政治家も・・・。

(2013、6、6)

2013年6月 8日 11:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5117「後ギレ」

 

これは宣伝ではありません。

いつものように缶コーヒーを買おうと社内に置いてある自動販売機に向かったら、見慣れない缶コーヒーが。綺麗な青い小さな缶の、

「キリン キリマンブルー」

その下に書いてある、

「アイスクリア製法」

にも目を引かれ、さらにその見本の缶の横に記されていた、

「すっきりした後ギレ」

という文字を見て、つい、買ってしまいました。しかし、

「『後ギレ』っておかしくないか?」

と思いました。だって、

「『前ギレ』という言葉はない」

でしょう。この場合の「味のキレ」は、「飲んだ後」にしかないので、「後ギレ」に決まっているんだし。

しかし、よく考えるとこの言葉は、「幕切れ」と「後味」がくっついてできたのではないかな?うーん、そのあたりは「キリマンブルー」を飲みながら考えるか。

おととい、サッカーの「サムライブルー」の試合を見た後だし、つい「ブルー」という文字に魅かれたのかもしれませんが。

(2013、6、6)

2013年6月 7日 21:41 | コメント (0)

新・読書日記 2013_102

『漢字再入門~楽しく学ぶために』(阿辻哲次、中公新書:2013、4、25)

 

著者である京大の阿辻先生から頂きました。ありがとうございます。でも実は、送っていただいた前日に、本屋さんの店頭で見かけて購入していたのでした。読むのが遅くなってすみません。

漢字入門の本は数々あるからこそ、「再入門」というタイトルなんでしょうね。

一番「うん、うん!」と力を込めて読んだのは「2時間目 とめ・はね・はらい、って、そんなに大事なの?」の項目。つまり「手書き字体」と「印刷字体」の字体は違うという当たり前のことが分からない「先生」が中学校や高校に多くて大変困る(そうは書いてないけれど)字体・・・じゃなくて事態が出て来ている、特に「試験」に関して・・・というような話。阿辻先生、実は学校の先生だけじゃなくて、銀行やお役所にもいるんですよ、そういう人。うちの会社の後輩で、そのために、えらい迷惑したって人がいるんです。「鈴」の字体の右側(つくり)の字体が違うので書き直してくださいって言われた人が。

何年か前に長野県の高校生が、書き順やとめ・はねに関しての各学校の先生方の基準の違いと文部科学省の意見を取材したビデオがあって、とっても面白かったです。梓川高校でしたっけ。あれには阿辻先生も登場されましたっけ?(2007年「漢字テストの不思議」)


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(2013、6、2読了)

2013年6月 7日 19:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5116「大和政権」

65日の「関西情報ネットten.を見ていたら、

「大和政権」

という言葉がナレーションで出てきました。え?それって、

「大和朝廷」

ではないのか?と思いながら見続けていると、VTRの中で出て来た若一さんは、

「大和朝廷」

と言っていました。

インターネット検索をしてみたら、「デジタル大辞泉」の解説が載っていました。.

「やまと‐せいけん 【大‐和政権】」大和および河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権。大王(おおきみ)とよばれる首長を盟主に、畿内地方から4世紀中ごろには西日本を統一し、4世紀末には朝鮮に進出。種々の技術を持つ渡来人を登用し、5世紀末から6世紀ごろには部民制・氏姓制度による支配機構が成立し、国・県(あがた)による地方統治組織が整えられ、大化の改新を経て律令国家へとつながっていった。大和朝廷。大和王権。」

とありました。一応、「大和政権」という呼び方もあるようだな。知らなかったけど。

グーグル検索(6月5日)での件数は、

「大和政権」= 9万6200件

「大和朝廷」=42万2000件

「大和王権」= 5万6400件

で、やはり「大和朝廷」のほうが圧倒的に多く使われています!

「ウィキペディア」で「ヤマト王権」を見ると

「ヤマト王権(ヤマトおうけん)とは、3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織である。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれ、この呼称が広く認知されているが、近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる。」

『近年は「ヤマト王権」「大和王権」「倭王権」「ヤマト政権」「大和政権」などへの語の転換が進んでいる。』のか!知らなかった。さらに、この時代の「名称」については、

1970年代前半ころまでは、4世紀ころから6世紀ころにかけての時代区分として「大和時代」が広く用いられ、その時期に日本列島の主要部を支配した政治勢力として「大和朝廷」の名称が用いられていた。しかし1970年代以降、重大な古墳の発見や発掘調査が相次ぎ、理化学的年代測定や年輪年代測定の方法が確立し、その精度が向上したこともあいまって古墳の編年研究が著しく進捗し、「大和時代」という時代を設定することは必ずしも適切ではないと考えられるようになり、かわって「古墳時代」の名称が一般的となった。

古墳研究は文献史学との提携が一般的となって、古墳時代の政治組織にもおよび、それに応じて古墳時代の政権について「ヤマト王権」や「大和政権」等の用語が使用され始めた。1980年代以降は、「大和政権」、「ヤマト政権」、それが王権であることを重視して「ヤマト王権」、「大和王権」、あるいは東アジア世界とのかかわりを重視して「倭国政権」、「倭王権」等さまざまな表記がなされるようになっている。しかし、引き続き「大和朝廷」も研究者によって使用されている。これは、「大和(ヤマト)」と「朝廷」という言葉の使用について、学界でさまざまな見解が並立していることを反映している。』

とありました。つまり、

(時期)    (時代名)    (政権名)

1970年代前半 「大和時代」   「大和朝廷」

1970年代後半~ 「古墳時代」   「ヤマト王権」「大和政権」

1980年代~            「大和政権」「ヤマト政権」

       (「王権」重視)   「ヤマト王権」「大和王権」

(東アジアとの関連で)「倭国政権」「倭王権」

というような流れということですね。これによると、小・中・高校時代を1970年代に過ごしてしまっている私は、「大和時代」「大和朝廷」でほぼ止まってしまって、ちょっとだけ「古墳時代」をかじっているかな、というぐらいですなあ。もうそれからあとは、専門的過ぎてよく分からないというところが実情です。でもネット上でも「大和朝廷」が、まだ勢力を振るっているようですから、ちょっと安心しました。

(2013、6、6)

2013年6月 7日 16:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5115「縦笛と横笛」

 

厳密に言うと「ことば」の問題ではないのですが、先日、友人の所属するアマチュアオーケストラを聴きに行き、その翌日は後輩の結婚式に出席した際、教会での生演奏に、

「クラリネットとフルート」

の奏者が出てきました。4人ぐらいしかいない生演奏の演奏者なのに、そのうちの2人が「縦笛」と「横笛」。そこで疑問が。

「なぜ、縦笛と横笛があるのか?運指を感が合えたら。あきらかに縦笛の方が吹きやすいではないか。横笛は、腕の位置と言い、不自然な気がする」

というものでした。

西洋と東洋の違いか?とも思いましたが、どちらにも縦笛と横笛がありますね。

でも、腕の(指の)届く範囲としては、縦笛の方が遠くへ届く=長い笛の演奏が可能=笛が長いと音は低くなる。腕の届く範囲が狭いと短い笛=高い音。当然、笛の直径(管の太さが太いと音が低く、細いと高い)も関係しますが。

ということで、そうすると「縦か、横か」は「音色の違い」に起因するのでしょうか?どちらが先に生まれたのかな?

「ピッコロ」という短い笛の楽器は「横笛」であり、これが「縦」の「笛」だと、もうお巡りさんが吹く「ホイッスル」みたいになってしまう。ということか?お巡りさんのホイッスルは、指で押さえる穴がないが、明らかに「縦笛」系統。あれが「横笛」だと、緊急の時に吹きにくいのではないか?

小学校・中学校の音楽の時間に演奏するのは「縦笛」である。「横笛」は義務教育の音楽では扱わない。これはやはり「横笛の方が、演奏が難しいから」ではないか?「オカリナ」は「横笛」だな。「こきりこ」は縦笛ですよね?長さが「七寸五分」ということは、22,5センチ?「長いは袖の"かなかい"じゃ」。「かなかい」は「邪魔」ってことかな?でも縦笛だとそんなには邪魔にならないのじゃないのかな?横笛だと邪魔ですよね、あんな和装だと。「尺八」は「縦笛」長さは「一尺八寸」ということは54センチぐらいか。「長い」から、音は「低い」ですね。「笛吹き童子」は「横笛」を吹いているな。

フルートをやったことがある人に言わせると、

「息の使い方が、縦笛と横笛では全然違う」

ということでした。やっぱり、「音色」か!

なんてことを考えながら、新郎新婦の幸せを祈ったのでした。

(2013、6、6)

2013年6月 7日 12:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5114「山中か?山の中か?」

 

お昼のニュースを前にして、Mアナウンサーが質問して来ました。大阪府堺市の69歳の女性が行方不明になったニュースで、

「この、遺体が捨てられていたのは、『奈良県十津川村の山中で』とあるんですが、この『山中(さんちゅう)』は『山の中』とかみくだいた方がいいですかね?」

「いやあ、遺体が捨てられていた、という事件の場合は『山中』のままでいいんじゃないの?」

と答えました。「山の中」というと、

「子どもたちはピクニックに行った先の『山の中』で、お花を摘んでお弁当を食べたりしました」

みたいなイメージがあります。きっと子どもたちは、

「ピクニックに行った先の『山中で』」

は、「花を摘んだりお弁当を食べたり」は「しない」でしょう。

どう違うか?というと「硬い文章」の場合は「山中」、「軟らかい文章」の場合は「山の中」ということではないでしょうか?

「難しいことを易しく、易しいことをわかりやすく」

というのは、作家の故・井上ひさしさんのモットーだったと言いますが、それも文脈に合わせて判断するべきでしょう。

・・・と思ったら、同じニュースをテレビ朝日は原稿(ナレーション)もスーパーも

「山の中」

としていました。NHKのナレーションは、顔出しのリード部分では、

「奈良県の山の中で」

で、スーパーは、

「山中」

でした。でも、本文では

「十津川村の山中で」

と、「山中」でした。ということは、

「どちらかが絶対正しいとは言えない」

ということですよねえ。もしくは、

「『奈良県の~』という『アバウトな場合』は『山の中』で、『十津川村の』と『具体性が増した』ら『山中』」

になるのでしょうか?意識して分けて書いたのかなあ?

その後、同じ日の夕方の読売テレビ「関西情報ネットten.」では、リード部分も本文も

「山の中」

でした。番組のスタイルにもよるのかなあ。

(2013、6、6)

2013年6月 7日 06:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5113「ペール缶」

 

報道のM記者が質問して来ました。

 

「遺体が"ペール缶"の中に入っていたんですが、これって"ドラム缶"と言い換えていいんでしょうか?」

 

そもそも「ペール缶」というものを、私は知らない。生まれて初めて聞きました、「ペール缶」。ネットで引くと、

「円筒形のバケツに取っ手が付いたようなもの」

で、大きさはいろいろあるようです。写真を見たら、

「ああ、これは見たことあるかな。ペンキなんかが入った丸い缶ね」

という具合。国語辞典を引くと、『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』には「ペール」は載っていませんでしたが、『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』には載っていました!「手おけ、バケツ」となっていて、用例は、

「アイスペール」

でした。あ、あれか、ウイスキーの水割りを作る時の「氷」が入っている容器!その「ペール」は知ってたわ!

英和辞典で「ペ-ル(pail)」を引くと、

「(主に米やや古)バケツ、手おけ」

とありました。アメリカ語のやや古風な言い方で「バケツ」のことなんですね。でも「バケツ」というと、わたしのイメージでは密閉容器でなくて上が開いていて、しかもやや上の方が広がった感じがしますが、今回は密閉容器で、上部は広がっていない缶のようです。結局、ニュースでは、

「金属製の容器」

としたそうです。ちなみにABC(朝日放送)が全国ネットに上げたニュースでは、

「ごみバケツ」「バケツ」

と表現していました。

2013年6月 6日 21:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5112「鴻海」

 

2013年3月8日の読売新聞朝刊に出た「訂正記事」は、

『7日の「サムスン出資3%超」の記事で、「鴻池精密工業」とあるのは「鴻海精密工業」の誤りでした』

というものでした。え?何が間違っているの?

よーく見たら、

「鴻」と「鴻

つまり間違った方は「池」で、正しくは「海」だったのです!

7日の記事には、「鴻池」(こうのいけ)と書いて、その横にご丁寧に、

「ホンハイ」

とルビまで振ってありました・・・。

いやあ、しかし、こわい!!

これ、間違いやすいですよね。

つい先日の「ミヤネ屋」のテロップチェックでも、

「恩讐」

と書いてあるとばかり思って、「讐」が常用漢字ではないので熟語全体に振り仮名を振ろうとして、

「『おんしゅう』という熟語全体に、ルビを振ってください!」

とオペレーターに指示して、ルビがついてもまだ間違いに気付きませんでした。私がルビを振らせた二文字は「恩讐」ではなく、

「思讐」

と書かれていたのでした。放送に出る前に気付いてよかった!!

(2013、6、4)

2013年6月 6日 19:01 | コメント (0)

新・ことば事情

5111「『両陛下』のアクセント」

 

後輩のYアナウンサーが質問して来ました。

「『両陛下』のアクセントは『リョ\ー・ヘ\ーカ』と2語に分けるんでしょうか?それとも『リョ/ーヘ\ーカ』とコンパウンドして1語なんでしょうか?」

 

それについては、最近「2語アクセント」で読むアナウンサーなどが増えているという声を、今から6年前の2007年にNHKの原田邦博さんからご指摘を受けたことがあります。「ミヤネ屋」のナレーターも当時「2語」で読んでいましたが、正しくは「1語でコンパウンド」と指導をしてからは「1語・コンパウンド」アクセントで読むようになっています。

『NHK日本語発音アクセント辞典』でも「両陛下」は載っていて、

「リョ/ーヘ\ーカ」

と読むようになっています。

(2013、6、5)

2013年6月 6日 11:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5110「しゃあない」

 

6月4日、2014ブラジル・ワールドカップのアジア最終予選、日本代表はオーストラリアと対戦。終了間際に本田がPKを決めて同点に追いつき、5大会連続5回目のワールドカップ出場を決めました!おめでとう!強くなったね。

さて、そのものすごくプレッシャーのかかったPKを、ゴールど真ん中に蹴り込んだ本田選手、試合後のインタビューで、

「緊張していたので、真ん中に蹴って取られたら"しゃあない"という気持ちで蹴った」

とコメントしていました。この、

 

「しゃあない」

 

は、関西弁です。共通語に訳すと、

「しょうがない」

ですね。私もサッカー歴45年、PKを蹴ったことは何度もありますが、やっぱり緊張しますね。1回だけ中学時代に、キーパーに止められたことはありますが、40年近くたってもまだそのシーンを覚えているぐらいです。

それで、試合中のPK(やFK)を誰が蹴るかは事前に決まっているかと言うと、そんなにきっちりとは決まっていなくて、「流れで」という感じ。もちろん、誰でもいいというわけではないですが。その点、CK(コーナーキック)は「職人」が決まっていますから、ちょっと種類が違うんですね。

実際、PKは「しゃあない」と思わないと蹴れないですよ。「技術」よりも「メンタル」面の強さがないとダメです。前回、南アフリカ・ワールドカップで、パラグアイと0-0でPK戦になって、その際に外してしまった駒野選手なんか、その胸の内を思うと・・・という感じですが、「PK戦のPK」と、「試合中のPK」はまた違う。

「たかがPK、されどPK」

です。

話は変わりますが、オーストラリアの先生ゴール、「シュート」ではなくて「クロス(センタリング)」が、フラフラッと、たまたま入ってしまった感じでした。本当に日本にとっては、「アンラッキー」なゴールでした。"事故"ですね。

そのゴールを見て思い出したのは、今から約40年前の、1970年前後だと思いますが、天皇杯の決勝だったかで、三菱重工(今の「浦和レッズ」の前身)の菊川選手が上げたセンターリング(今でいうクロス)が、たまたまゴールに入ってしまった・・・というシーン。それを直接見たかと言うと、実は「見ていない」。その様子を、漫画家の望月三起也さんが、当時「サッカーマガジン」で連載していた「ワイルド11(イレブン)」(=ご本人の作品である「ワイルド7(セブン)」のパロディー、サッカーなので「イレブン」)の中で描いていたのを思い出しました。菊川さんはその後、地元静岡・藤枝に戻った後、アビスパ福岡などの監督も務められました。

(2013、6、5)

2013年6月 5日 21:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5109「マメ」

 

5月31日の「ミヤネ屋」で、島根県出雲市出身の料理研究家・園山真希恵さんが、矢口真里さんと中村昌也さんの離婚の報を聞いて、

「豆を食べてマメになってほしい。マメというのは出雲弁で『元気』って意味なので」

とコメントしていたのですが、

「マメ」

「出雲方言じゃない」でしょ、「共通語」でしょ!

ただ、確かにちょっと「古風な表現」ではあると思いますが。

『広辞苑』で「まめ」を引くと、

「まめ(忠実)」

(1)まごころがあること。まじめ。誠実。本気。

(2)労苦をいとわずよく勤め働くこと。

(3)生活の役に立つこと。実用的。

(4)身体の丈夫なこと。たっしゃ。息災。

とあります。この4番目の意味ですね。

そして、山形県民謡の「最上川舟歌」の中にも、

「まめでろちゃ」(「まめ」でいろよ)

という歌詞が出て来ますから、もし「出雲弁」だというなら、同時に「山形弁」でもあるということになりますが、やはり「古風な表現」なのではないでしょうか?

「新明解国語辞典」を引くと、

「まめ(忠実)」=(1)きちょうめんで、努力を惜しまない様子だ。まめやか。例:「まめに働く」「筆まめな人」(2)【達者】健康な様子だ。例:「まめで暮らせよ」

とありました。

(2013、6、4)

2013年6月 5日 18:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5108「バイクのアクセント」

2日前、会社に行く途中の道で、パンフレットを配っていました。その際に、お姉さんが、「バ/イクノイベントでーす」

と言っていました。

「俳句のイベント」

かと思ったら、

「バ/イク」(平板アクセント)

のイベントでした。やっぱり「専門家アクセント」で、「バイク」という言葉に親しんでいる人は「平板」で発音するんだなと思いました。

そして、けさ。

また同じイベントのパンフレットを配っていたので、またもらってしまいました。行かないのに。ところが今回は、なんと、

「バ\イクノ・イ/ベントでーす」

というように、

「バ\イク」

「頭高アクセント」で話しかけられたのです。向こう側で配っているもう一人のお姉さんの声も聞こえましたが、やはり「頭高」の「バ\イク」と言っているようでした。

これはいったいどういうことか?考えました。

(1)  若者風に「バ/イク」と言ったところ「俳句」と勘違いされて、パンフレットを受け取ってもらえないので、中高年向けのアクセントに変更した。

(2)  2日前は私が「若者」と認識されたか「バイク好きの中年」と認識されたが、けさは「特にバイクが興味あるようには見えない、単なる中高年」と認識された。

(3)  2日前にパンフを配っていたお姉さんのほうが、けさ配っていたお姉さんより若かった。

さあ、正解はどれでしょうねえ・・・私も分かりません。

(2013、6、3)

2013年6月 5日 11:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5107「虫歯予防デー」

 

現在、私は報道局とアナウンス部の「兼務」ということで、月に1回か2か月に1回、ニュースの輪番勤務が回って来ます。たまにしか読まないと、やはり"ニュースの読み"というのは難しいものだなあと実感します。

先日も「6月4日」を前にして「クジラの歯磨き」という、業界でいうところのいわゆる「ひまネタ」ニュースを読みました。

しかし、ニュース原稿の中に、「6月4日」という日付も「虫歯予防デー」という言葉も出て来ません。

「6月4日」→「6・4」→「む・し」→「虫歯」→「虫歯予防」

という語呂合わせでこの日になった(に違いない)のに、それを言わないと、たとえ「ひまネタ」でも、ニュース価値は半減すると思い、

「これじゃあ、なぜ(6月4日を前にした)今の時期に"歯磨き"をするのかが分からないよ」と言って、

「6月4日の虫歯予防デーを前に」

という説明を加えてもらいました。若い記者は、

「ああ、それで今頃に『クジラの歯磨き』をするんですか!」

初めて納得がいった様子。自明すぎて説明を省いているうちに、何年かたって、「なぜ、今なのか?」というところが分からなくなっている一例だと思いました。

そして、「虫歯予防デー」当日の6月4日、報道のSデスクが、

「道浦さん、こんなの知ってましたか?」

と、厚生労働省から送られてきた一枚のファクスを手渡してくれました。そこには、

「『歯の衛生週間』の名称等変更について~約50年ぶりに名称変更『歯の衛生週間』から『歯と口の健康週間』へ」

とタイトルが記されていました。それを読むと、

「昭和33年から『歯の衛生週間』の名称で実施していた。(昭和3年に「むし歯予防デー」として実施開始)」

とあるではないですか!え!ということは、「虫歯(むし歯)予防デー」都言う名称は、もう半世紀以上前の、昭和33年(1958年)になくなっていたの?ウソー!信じられない!!

意図はわかりますが、やはり「虫歯予防デー」という名前は残してほしいと思います。「歯周病予防デー」とか言われても「なぜ6月4日からか?」が分からないし、ましてや「歯と口の~」って名称は、長すぎです!

(2013、6、4)

2013年6月 4日 17:16 | コメント (0)

新・読書日記 2013_101

『その一言が余計です。~日本語の「正しさ」を問う』(山田敏弘、ちくま新書:2013、5、10)

 

帯には「行けたら、行くけど・・・」「なぜこの一言にイラッとするのか?」とあります。確かに「行けたら行くけど」と言って、来たやつはまあ、いない。それなら、「ごめん、その日は行けないんだ」といえばいいのに。

しかし、この本は、「正しい日本語」を押し付けるのではなく、そういった「正しい日本語を押し付ける"余計な一言"」は百害あって一利なし、それよりもそういった日本語の変化がなぜ起こっているのか、その発言の根っこを探ることで、より良いコミュニケーションへの一助に・・・という思いが込められているように感じました。

でも、「基本は大切」だとは思いますがね。


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(2013、5、21読了)

2013年6月 4日 11:01 | コメント (0)

新・読書日記 2013_100

『理想だらけの戦時下日本』(井上寿一、ちくま新書:2013、3、10)

私が、大学で政治学科に入ったのも、マスコミを仕事に選んだのも、大きな目的としては

「日本を二度と戦争に導かない、巻き込まない」

という使命感があったからです。私が大学に入った1980年代の前半は、中曽根さんが首相になって「不沈空母」発言など、ちょっときな臭い感じでしたが、その後あまりそういう動きはなくて、1990年から少しあとに湾岸戦争、PKOがあって、そういうきな臭さがまた出て来て、2001年の「9.11」を機に一気に世界がきな臭くなり、そして2013年を迎えている現在。その時が「戦前」かどうかは、戦争が起こってから分かるので、今が「戦前」に近いかどうかは、「前の戦前」を検証することで分かるのではないか。今を「戦前」にしないためにも、この本を読むべきでしょう。帯には、

「右傾化・格差・政治不信・ポピュリズム・・・日本人は同じ過ちを繰り返す」

とあります。日本人は、すぐに同じ過ちを繰り返すことはないが、世代が変わると過去の記憶を忘れてしまう。あるいは、過去の記憶は「古い」と言って振り返らない傾向はあるようです。でも、「歴史」は繰り返します。まったく同じではないが、きわめてよく似た形でスパイラルに歴史は繰り返すと私は思っています。それを破滅の道に向かわせない叡智が必要だと思います。著者は「おわりに」で、

「今の日本は経済悲観論が強く、右肩下がりの経済を前提に共同体を作るべきではないかという議論が起きているが、その社会の将来は暗く、暗い情念と閉塞感をもたらす。日本は、富の平等な再配分に基づく福祉社会を持つ成熟した先進民主主義国を目指すべきである」

と述べている。そのためには、「少しずつでも右肩上がりの経済成長をめざしながら、他方では上方平準化によって社会の中堅層を拡大することが必要だ」と。

よく、考えていきたい。


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(2013、5、27読了)

2013年6月 3日 11:20 | コメント (0)

新・ことば事情

5106「オフィス・ジェローム」

 

ミヤネ屋のアシスタント・ディレクター(AD)の女の子が、

「道浦さん、『オフィス・ジェローム』って所から電話ですが・・・」

と取り次いでくれました。「オフィス・ジェローム」?聞いたことないなあ、と思いながら電話に出ると、

 

「あ、お世話になっています、『オフィス人事労務』の○○です」

 

「ジェローム」じゃなくて「人事労務」だった!

以前も、若いADが、

「モモカワアクション」

というところから電話だと言うので、「知らないなあ」と思いながら電話に出たら、

「文部科学省です」

と。モモカワアクション・・・モンブカガクショウ・・・。

これは以前、書きましたね。(平成ことば事情4446「モモカワ アクション」)

どうなっているんでしょうね、電話での聞き取り・・・。

(2013、5、31)

2013年6月 2日 18:31 | コメント (0)