新・読書日記 2013_096
『最高裁の違憲判決~「伝家の宝刀」をなぜ抜かないか』(山田隆司、光文社新書:20123、2、20)
3月以降、「一票の格差」に関する違憲判決が相次ぎ、「違憲判決」ということが注目されてきた。この時期に読んでおくべき一冊。
そもそも著者がこの本を書こうとした動機は、「最高裁の違憲判決が少なすぎる」ということ。最高裁発足から64年間でたったの8件しかないそうだ。たしかに少ない。
最高裁の裁判官が、そう判断しているのだが、歴代の最高裁長官がどういう人だったか、どういう立場の人だったかを調べることで、その流れを追うことができる。
言うまでもなく「違憲」とは、「法律や制度などが憲法に違反している」ということ。最高法規である「憲法」に違反しているとされたものは、修正を余儀なくされるので、その影響は大きい。だからこそ「違憲だが、選挙結果を無効にすると、あまりにも社会に与える影響が大きいので、選挙結果は有効」といった判決が出されるのだが、今回は「選挙結果も無効」という判決も出た。どうする?
読んでいて、そもそも最高裁は、「憲法改正自体の違憲性」を問えるのか?という疑問も湧いてきた。
本書で赤線を引いて記録しておきたかった部分を書き写す。(254ページ~255ぺージ)
「違憲審査権の意義は、『民主主義と少数者の人権』という観点からも説明することができる。日本国憲法は、多数者の意思にもとづく多数派民主主義を採用した。他方、少数者の人権も保障しようとしている。(中略)そもそも人権は、多数者の民主的な決定からも保護されるべきである。とりわけ、表現の自由、結社の自由といった精神的自由権は、民主主義体制そのものを支える。また、少数者・社会的弱者の人権は、多数者による侵害に服しやすい。民主主義の過程による是正が難しく、裁判所による保護の必要性が高い。(中略)これらの保障はまさに民主主義の基盤となるものであり、その制限について、多数者の意思を単純に尊重することは、民主主義の前提を破壊・否定することにつながるおそれがある」
随分長くなってしまいましたが、その通りだと思います。