新・読書日記 2013_069
『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋:2013、4、15)
『1Q84パート3』以来3年ぶりの村上春樹の新作。まるで「iPad」等の発売日と同じようなフィーバー(古ッ!)が起きた。そんなにしてまで手に入れなくても・・・すぐにミリオンセラーになったようだが、なぜそんなに売れるんだろう?と思いながら、発売日の翌々日ぐらいに近くの本屋さんで"並ばずに"購入。さっそく読んでみた。
「おもしろい?」と聞かれると「おもしろい」。内容が「ミステリー」みたいな謎解きになっているから、読み出すとやめられない。「ミステリー」だから、内容はあまり言えないのだが・・・すでに新聞等で明らかにされている範囲なら、いいだろう。
変わったタイトルの「多崎つくる」は主人公の名前。「色彩」というのは、高校時代、色の名前が付いた名字の4人の親友から、理由もわからず絶交されてしまい、その謎解きをやっていくというもの。
ただ、すべての謎は解かれていないので、「続編」があるのではないか?という予感がする。以下、気になった点をメモした。
この物語、というかここ20年ほどの「ノルウェーの森」以降の作品の違和感(村上作品にはまっていた1980年代後半から1990年初頭は気付かなかったが、その後、あまり村上作品を読まなくなった原因・違和感)は、「女性の登場人物のしゃべり方」ではないかと思った。「だわ」「とか」「なのよ」という、昔風の女性のしゃべり方の語尾が、なんとなく21世紀の現代においては「現実離れ」しているように感じて、私は村上作品から離れていったのではないか?ということ。「80年代風」(もしかしたら「団塊の世代風」)だと感じる。
そして「それにしても村上春樹は、カタカナの言葉が好きだなあ」とも思った。たとえば「赤ワインのカラフェ」「ビストロ」「カーディガン」。もちろん「カーデガン」ではなくて。「様々なアクティビティーの設定」「チェックリストを用意し」「ツアーを立ち上げるには」「どれほどのサラリーをとっているのか」(100ページ)「ケミストリー」(25&101ページ)「ソーサー」(103ページ)。こういったところが「現実離れ」していて、かえって魅力なのかもしれない。
それと、227ページに出て来た表現。「揺り戻し」ではなくて「揺れ戻し」も「おや?」と思いました。
そして228ページあたりまでを読んで、主人公・つくるの新しい恋人である沙羅が、"自称・霊能者"のように感じた。この物語の「水先案内人」であり、"著者の分身"だろう。「沙羅」と聞くと、信時潔作曲の女声合唱曲を思い出す・・・。