新・ことば事情
5059「洗脳」
先日、他局の昼のワイドショーにVTR出演したオセロの中島知子氏。
それを見て、一見「フツウ」の様子ではあるものの、
「まだ、マインドコントロールが解けていない」
と判断された方も多かったようです。
しかし、あのやり取りを見て私が思ったのは、
「オセロ・中島はマインドコントロールにかかっていない!マインドコントロールにかかっているのは、我々のほうだ!」
ということでした。
「何をバカなことを言ってるんだ、明らかにオセロ・中島の発言内容は、自称"霊能者"に操られているというか、心酔していたじゃないか」
それはその通りなんですが、問題は、ああいう状態の「芸人」を「異常」と呼んでいいのか?ということです。
そもそも「芸人」という存在は、「一般人」とは異なる常識の下に生活をしている人たちのことを呼ぶのではないでしょうか?そして、そういった人たちを「芸能人」とか「芸人」とかいうグループとして「一般人とは違う存在」として認めるからこそ、彼らの存在意義もあると。もちろん、「一般人とは違う」とはいえ、「法」を侵すような行動にまで出てしまったら許すわけにはいきませんが、そうでない限りは、
「芸人なんだから」
と許容してきたのが、これまでの「世の中」でありました。
しかし、昨今の「コンプライアンス」を声高にいうようになった世の中において、格好のターゲットとなったのが、今回のオセロ中島だったのではないでしょうか?
その意味では、私たち情報を送り出す側、そして視聴者側が、
「コンプライアンス重視というマインドコントロールを受け、それに染まってしまっている」
と言えるのではないか?という「コペルニクス的転回」を思いついたわけです。
これは一度、ちゃんと考えてみないといけないのではないでしょうか?それと、
「正常と異常の境界線の判断は、実に微妙である」
ということも改めて思ったのでした。
もう一度、山本七平『空気の研究』を読み直す必要があるようです。
あ、それとこの前の土・日に各地を襲った「爆弾低気圧」で、航空機も欠航したり、着陸予定地を変更したりというようなことがあったようです。その飛行機が着陸態勢に入ってから風にあおられて「ゴー・アラウンド」(着陸体勢からもう一度やり直す)をする様子を、「空港の定点カメラ」が捉えた映像がありました。それを見ていたら、
「飛行機が風であおられて揺れたのか?定点カメラが風であおられて揺れたのか?あるいはその両方なのか?」
ということが、よくわかりませんでした(飛行機が揺れたようにも見えましたが)。
それと同じようなことが「マインドコントロール」にも言えるのではないかと感じました。
あ、さらに、
「"恋"は究極のマインドコントロールである」
ということも付け加えさせていただきます。ちょっと、ビアスの『悪魔の辞典』ふうではありますが。ちょうど1年ほど前に書いた平成ことば事情4670「洗脳とマインドコントロール」もお読みください。
(追記)
で、「オセロ」は、結局解散しちゃいましたね。「元オセロ」になってしまいましたが。
(2013、4、16)