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『道浦TIME』

新・ことば事情

5067「オレオレ詐欺復活」

 

4月23日の読売新聞朝刊の地方版(京阪版)に、

「オレオレ詐欺1000万円被害」

という見出しが出ていました。4月22日に大阪府八尾市内に住む70歳代の女性が、電話で息子をかたった男に1000万円をだまし取られる被害に遭ったというのです。その見出しを見て、

 

「あれ?『オレオレ詐欺』は『振り込め詐欺』という名前に変わったんじゃなかったっけ?」

 

と思って記事を読んでみたら、この事件では「振り込め」と言っていない、つまり金融機関への振込みを通じての詐欺ではなく、電話で指定された駅の近くの路上で待っていたら声をかけて来た男に、現金を手渡していたというものでした。

その後23日午後になって、今度は大阪・泉佐野市で60代の女性からの金の受渡し場所に現れた20代と40代の男が逮捕されました。

 

この手の詐欺は、当初は電話で「オレオレ」と言って息子だと思わせて金を振り込ませる手口だったので、

「オレオレ詐欺」

と名付けられたのですが、その名称が定着したことで、「オレオレ」と名乗らなくなった。でも、相手に金を振り込ませる手法は同じだったので、今度は、

「振り込め詐欺」

という名称に変わった。ところがところが、今度は「振り込め詐欺」という名前が定着したことで、その手口が使えなくなった犯人たちは、また裏をかいて、

「振り込ませないで、直接手渡しする」

という手法になって来た。その手渡しの場所などを指定する電話では再び、

「オレオレ」と名乗るようになったので、

「『オレオレ詐欺』という名称が復活した」

・・・これって「イタチゴッコ」というのではありませんか?

いま、警察は、「振り込め詐欺ではない手口の詐欺の名称」を公募しています。そうやって世の中の注意を喚起するためには、名称の公募も一つの方法否定はしませんが、いくら名前を付けても、すぐに裏を書く手法が編み出されるのでは、徒労に終わるような気も・・・。そもそもこれって、シンプルに

「詐欺」

でいいのではないでしょうか?

 

 

 

(追記)

5月12日、警視庁は、公募していた「振り込め詐欺」に代わる名称を発表しました。応募作品が1万4107点で、その結果決まった名前(最優秀作品)が、

「母さん助けて詐欺」

なのだそうです。「父さん」は騙されないのか?というのが気になりますが・・・。

優秀作品は、

「ニセ電話詐欺」「親心利用詐欺」。

そもそも「振り込め詐欺」という名称は、平成16年(2004年)に警察庁が決めたもので、こちらも定着しているので今後も使うそうです。

(2013、5、19)

 

 

 

(2013、4、25)

2013年4月26日 15:34 | コメント (0)

新・読書日記 2013_070

『社交的な人ほどウソをつく』(内藤誼人、日経プレミアシリーズ:2013、4、8)

 

タイトルは刺激的だが、内容は、「人間の表情や動作が表す心理とは?」について書かれたもので、思ったよりは真面目な内容で、タイトル以上にいろいろなことを示唆している。

でも、気軽に読めます。


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(2013、4、20読了)

2013年4月26日 11:08 | コメント (0)

新・読書日記 2013_069

『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋:2013、4、15)

 

『1Q84パート3』以来3年ぶりの村上春樹の新作。まるで「iPad」等の発売日と同じようなフィーバー(古ッ!)が起きた。そんなにしてまで手に入れなくても・・・すぐにミリオンセラーになったようだが、なぜそんなに売れるんだろう?と思いながら、発売日の翌々日ぐらいに近くの本屋さんで"並ばずに"購入。さっそく読んでみた。

「おもしろい?」と聞かれると「おもしろい」。内容が「ミステリー」みたいな謎解きになっているから、読み出すとやめられない。「ミステリー」だから、内容はあまり言えないのだが・・・すでに新聞等で明らかにされている範囲なら、いいだろう。

変わったタイトルの「多崎つくる」は主人公の名前。「色彩」というのは、高校時代、色の名前が付いた名字の4人の親友から、理由もわからず絶交されてしまい、その謎解きをやっていくというもの。

ただ、すべての謎は解かれていないので、「続編」があるのではないか?という予感がする。以下、気になった点をメモした。

 

この物語、というかここ20年ほどの「ノルウェーの森」以降の作品の違和感(村上作品にはまっていた1980年代後半から1990年初頭は気付かなかったが、その後、あまり村上作品を読まなくなった原因・違和感)は、「女性の登場人物のしゃべり方」ではないかと思った。「だわ」「とか」「なのよ」という、昔風の女性のしゃべり方の語尾が、なんとなく21世紀の現代においては「現実離れ」しているように感じて、私は村上作品から離れていったのではないか?ということ。「80年代風」(もしかしたら「団塊の世代風」)だと感じる。

そして「それにしても村上春樹は、カタカナの言葉が好きだなあ」とも思った。たとえば「赤ワインのカラフェ」「ビストロ」「カーディガン」。もちろん「カーデガン」ではなくて。「様々なアクティビティーの設定」「チェックリストを用意し」「ツアーを立ち上げるには」「どれほどのサラリーをとっているのか」(100ページ)「ケミストリー」(25101ページ)「ソーサー」(103ページ)。こういったところが「現実離れ」していて、かえって魅力なのかもしれない。

それと、227ページに出て来た表現。「揺り戻し」ではなくて「揺れ戻し」も「おや?」と思いました。

そして228ページあたりまでを読んで、主人公・つくるの新しい恋人である沙羅が、"自称・霊能者"のように感じた。この物語の「水先案内人」であり、"著者の分身"だろう。「沙羅」と聞くと、信時潔作曲の女声合唱曲を思い出す・・・。


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(2013、4、18読了)

2013年4月25日 16:06 | コメント (0)

新・読書日記 2013_067

『幻想世界11カ国語ネーミング辞典』(ネーミング研究会、笠倉出版社:2011、6、20初版・2012、6、12第6刷)

 

たまたまコンビニで見かけた一冊。「幻想世界」には興味はないが、「ネーミング辞典」に興味があった。しかも「11か国語」!見てみると、英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ポルトガル語・中国語・ロシア語・ラテン語・ギリシア語・アラビア語。そのかなり数多い単語を、カタカナで読めるように一覧表となって載っている。これは役に立ちますよ!「ミヤネ屋」スタッフの女性が、自分が住んでいるマンションのカタカナの名前の意味が解らなかったのが、この本で引いたらズバリ!解明!(日本語の)カタカナで書かれた外来語の意味が解ります。それが証拠に、1年間で6刷、ひそかに売れているんだ、この本!


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(2013、3、18読了)

2013年4月25日 12:29 | コメント (0)
2013_068

『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(大宮冬洋、ぱる出版:2013、3、29)

 

一橋大学法学部を卒業して、2000年3月から1年間「ユニクロ」の正社員として働いていた著者。その内の7か月を過ごした「町田店」は、とても「居心地の良い店舗」だったという。それはスタッフに恵まれていたから、社員と準社員、アルバイトなどカッチリとしたヒエラルキーがある中で、チームとしてどう動くか。それぞれの役割を果たせる人、果たせない人。その後「スクラップ」(閉店)となった「町田店」。10年たった現在、その「町田店」の当時のスタッフはどうしているのか?を追ったルポ。方向性としては「ユニクロは辞める人が多くて、この働かせ方はどうなのか?」といった"告発ルポ"に見えなくもないが、実はこれ、著者が「青春」を過ごした「時代」と「場所」をたどる「青春日記」のように思える。つまり「同窓会ルポ」のような感じ。ユニクロで働いたことのない私たちも、その「青春」を追体験できる一冊と言えるのではないだろうか。

・・・そう書いた翌日の4月23日朝日新聞朝刊のトップ記事は「ユニクロ世界で賃金統一」という大きな見出し。グローバル総合職の社員4900人を、トップの柳井会長の年収4億円(!)から19段階に分けられた同一賃金体系にすると言う。一番下は年収320万円。その差、100倍以上!ユニクロの品物の値段は安いが、会長の年収は高い。上から7段目の平均年収は2000万円(対象は執行役員など51人)、その下の部長やスター店長など上から14段目の平均年収は670万円だという。フーン。

 

(2013、4、22読了)

2013年4月25日 10:52 | コメント (0)

新・読書日記 2013_066

『想いの軌跡1975―2012』(塩野七生、新潮社:2012、12、20)

 

最近よく目にする「キリッとしたおばあちゃん(失礼!)言論人」としてイメージが重なるのは、曾野綾子・金美齢、そしてこの塩野七生だ。みんな思想的には保守的(右寄り)の自立した女性。「哲学」と言うか「美学」を持っていて、それに殉じる覚悟がある人たちのように見受けられる。並みの男は、とても太刀打ちとてもできないであろう。その塩野七生が、まだデビュー間もない1975年から2012年、つい最近までの37年間に書いたエッセイを、編集者が丹念に集めたもの。時代を勘案しつつ、思いを深くしながら読める一冊。黒澤明監督作品への思いやヴィスコンティ監督との交流など、興味深かった。


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(2013、4、22読了)

2013年4月25日 10:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5066「『施術』の読み方」

 

大阪の「つけまつげサロン(まつげエクステ)」で、無免許で「施術」をしていたとして、女性経営者が逮捕・送検されました。このニュース、4月11日昼のニュースでYアナウンサーが、

「施術」「シジュツ」

と読みました。それより2日前の4月9日の夜のニュースで、Uアナウンサーは、迷わず、

「セジュツ」

と読んでいたとのこと。そこでびっくりしたUアナ「国語辞典」「アクセント辞典」などを調べたところ、辞典には、

「シジュツ」

としか出ておらず「セジュツ」は出て来なかったというのです。実はYアナは、事前にしっかりと辞書を引いて読み方を調べていたのでした。

しかし、どう考えても、「セジュツ」の方が一般的。

こういった状況で、当のYアナウンサー、Uアナウンサー、報道のYデスク、Oデスクが、

「施術の読み方は『シジュツ』でしょうか?それとも『セジュツ』でしょうか?」

と相次いで私に、尋ねて来ました。

これに対する私の答えは、

 「辞書ではまだ『シジュツ』しか見出し語として載ってないんだけど、実態としては『セジュツ』が優勢。これについては、今年2月の用語懇談会の報告書に書いたんだけどな・・・」

その内容は、 日本新聞協会のI氏から提議されたもので、

 

★「施術」の読み方

中京テレビのSアナウンス部長から質問されたのだが、「施術」という言葉、国語辞典を引くと「しじゅつ」としか載っていない。「ネイルサロン」や「つけまつげサロン」などで「施術たった○分」などとよく使われているが、放送では「しじゅつ」「せじゅつ」どちらを使っているか?2月6日の読売新聞に「施術と称し 胸触る」という見出しの記事があり、読売新聞用語幹事のS氏に聞いたところ「せじゅつ」だと答えたが。「社団法人・施術マイスター協会」という所に電話したら「せじゅつ」だと答えた。「しじゅつ」と読むと「手術」と間違いやすいので、放送分科会では「せじゅつ」と定めてはどうか?

これに対して各社の意見としては、

(NHK)マッサージの世界では、「あんま・マッサージ師の国家資格のない人」が行うのは「施術(せじゅつ)」。「国家資格を持っている人」が行う行為しか「マッサージ」と呼べない。「医療類似行為」である「柔道整体師」等の行為は「治療」とは言えず、「施術(せじゅつ)」である。

(毎日放送)「リフレクソロジー」も「せじゅつ(施術)」。厚生労働省も「せじゅつ(施術)」と言っている。

 

というものでした。

また、読売テレビ夕方のワイドニュース番組「ten.」の清水健キャスターからもメールが。

「"施術"の読みは、9日火曜日の『ten.』のニュースでも出てきました。その日は、林キャスターが休みで、萩原アナウンサーに"陰読み"をしていただきました。その時に、萩原さん、坂プロデューサー(&清水)で、全く同じような話が出て、"せじゅつ"でいこうとなったという経緯があります。」

これを受けて、読売テレビアナウンス部・報道局でも、「施術」の読みは、

「セジュツ」

で行こうということになりました。

他社の現状はどうかな?と意見をメールで聞いたところ、

(静岡放送OB)

これについては、私も「せじゅつ」の方がしっくりきます。付け加えるなら、「しじゅつ」と読んだ場合、「手術」と聞きちがえる恐れがあります。「約」をわざと「およそ」に言い換えるのと同じと捉えたいです。

(MBS)

MBSでは同じ「まつげエクステ」のニュースで、辞書に「しじゅつ」しかないことを調べた上で、アナウンス室と報道局の用語委員で話し合い、「せじゅつ」と読むことにしました。「せじゅつ」と読むほうが一般的であること、「施行(しこう)」「施策(しさく)」と「施工(せこう)」の違いを考えると、実際に手を使って「施す」ことは「せ」と読むほうがしっくりくることが理由です。視聴者の反応をみたうえで、今月の社内用語委員会で「『せじゅつ』と読もう」と諮る予定です。

(ABC)

実は弊社報道でも問題にあがっていたところで、実にタイムリーな共通の話題。弊社の状況は、「せじゅつ」で読んでいる。根拠としては、

① 「せ」のほうが、「し」で読んだときよりも聞きやすい、わかりやすい

② 取材現場では、「せじゅつ」以外の言い方をしている者がいない

ということになっている。とはいえ、先日は「し」で読んだアナウンサーもいた。基本的には「せじゅつ」とすることになっている。

(NHK)

「施術」は国語辞典には「しじゅつ」「せじゅつ→じじゅつを見よ」となっている。「施行」を「せこー」と読む例の一つだろう。NHKでは「施術」(せじゅつ」としている。「手術」との誤解を避けるため。しかし、なるべく言い換えるようにしている。

 

といった意見が寄せられ、各社、

「せじゅつ」

と読むようです。放送でも「しじゅつ」と読むべきだという意見は寄せられませんでした。

また、『三省堂国語辞典』の編纂を担当している早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんにも伺ったところ、

『「施術」は、手術のみならず、美容・散髪・まじない・催眠に至るまで、いろいろに使われています。私は、1000円カットの店でこの語に注目して以来、例を探していました。そうすると、けっこう応用範囲が広いことに気づきました。読み方は、ルビが無い場合が多いので困るのですが、テレビの例では、たとえば佐伯チズさんの門下生の方が、

『佐伯先生の〔美容の〕◆施術〔せじゅつ〕をお客様に受けていただく(NHK

BS-hi「プレミアム8・"きれい"をあきらめないで~美容家・佐伯チズ~」

〔再放送〕2010.02.18 14:00)』

と言っていたので、まあ専門的にも「せじゅつ」であろうと考えました。

次の『三省堂国語辞典』第7版では、「せじゅつ」の読みで主項目を立てようと考えています。「しじゅつ」は、空項目に格下げです。』

とお返事を頂きました。ありがとうございます。

「施術」の読み方の現状はこういったところです。

 

 

 

(追記)

2年ぶりの追記です。

2015年3月4日、大阪市淀川区で去年6月、当時生後4か月の男児に、体を伸ばすなどの"施術"をして死亡させた業務上過失致死容疑で、子育て支援をうたうNPO法人「子育て支援ひろば キッズスタディオン」(本部=新潟・上越市)の理事長、姫川尚美容疑者(57)を逮捕しました。この、

「乳児の背筋を伸ばす施術」

「施術」を、各社、

「セジュツ」

と読んでいました。2年前に『三省堂国語辞典』編纂者の飯間浩明さんは、

「次の『三省堂国語辞典・第7版』では、『せじゅつ』の読みで主項目を立てようと考えています。『しじゅつ』は、空項目に格下げです。」

と述べてらっしゃいましたが、その後、私が確認怠っていましたが今、2014年1月に出た(実際は2013年の12月には出ていましたが、奥付は2014年1月)『三省堂国語辞典・第7版』を引いてみたら、その言葉どおり「せじゅつ」が「見出し」となり、「しじゅつ」は「空(から)見出し」になっていました!

(2014、3、4)

 

 

(2013、4、24)

2013年4月24日 21:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5065「新しい門出」

 

「ミヤネ屋」の原稿をチェックしていたら、Kデスクが、

「これは重複表現ではないですか?」

と指差した先にあったのは、

「新しい門出」

という言葉でした。つい聞き流してしまいそうですが、確かに「門出」は「旅立ち」ですから、

「新しい世界への出発」

を意味しますよね。それに「新しい」を付けると、

「新しい『新しい世界への出発』」

となって、どうやら「重複表現」のようです。

この手の言葉は「耳あたりりがよい」「聞こえが良い」ので、つい、見逃して(聞き逃して)しまいそうですね。グーグル検索では(4月24日)、

「新しい門出」=267000

もありました。強調表現として使ってもいいのかな、という気は、少しします。

グーグル検索でトップに出て来たのは、ネットの辞書「weblio辞書」の「実用日本語表現辞典」で、そこには、

「新しい門出  読み方:あたらしいかどで」=「門出」は出発、旅立ちのこと。新生活、従来とは異なる暮らしを比喩的に示す表現。

とありました。使ってもいいのかなあ。

また、よく見ると、グーグル検索の2番目に出て来ているのは、なんと、2001年の元日の、

「独立行政法人 国立国語研究所」

甲斐睦朗所長(当時)の文章です。それには、

「年頭の辞:新しい門出に際して」

とあります。ということは、やはり、

「使ってもよい」

ということなのか?ちなみに甲斐所長(当時)は、

「新年明けましておめでとうございます。」

と冒頭でご挨拶されていますが、これも「重複表現」と言われるものではないのでしょうか?

あ、なんとオフコースの曲名にも「新しい門出」というのがあるぞ。ニュースでもバンバン出て来ているようです。

うーん、どうやら使ってもよさそうだなあ。

(2013、4、24)

2013年4月24日 17:09 | コメント (0)

新・ことば事情

5064「デコポンとくまモンのアクセント」

 

最近、スーパーや八百屋さんでもよく見かける果物、

「デコポン」

のアクセントについて、NHKの原田邦博さんから聞かれました。

「かんきつ類の『デコポン』。今、NHKの番組では『デ\コポン』と『頭高』で言いました。関東人としては『デ/コポン(平板)』が自然なのですが・・・。これは登録商標ですので、権利者の熊本県のJAがどう言うか?なお、品種名は『しらぬい』です。」

これに関しては、随分昔に調べた覚えがあったのですが、パソコンを検索しても出てきません。もしかしたら、まだパソコンを扱う前の話かも・・・。ノートを調べましたが出てきません。

そこで、熊本県民テレビ(KKT)の友人を通じてKKTのアナウンス部長に聞いてもらったところ、

「熊本では『平板アクセント』で『デ/コポン』と言う。しかし、同じくデコポンを作っている四国では、『デ\コポン』と『頭高』で言っているケースもあるようだ」

とのことでした。

ついでに熊本県の人気ゆるキャラ「くまモン」のアクセントについても聞いてみたところ、

「(熊本)県からは『頭高』で『く\まモン』と呼んでくれと要請が来たので、KKTはそれに従っているが、放送局の中には『平板』で『く/まモン』という放送局もあるようだ」

とのことでした。

(2013、4、21)

2013年4月24日 14:39 | コメント (0)

新・読書日記 2013_065

『大阪府警暴力団担当刑事~「祝井十吾」の事件簿』(森功、講談社:2013、2、20)

 

週刊誌の特集記事でよく目にするこの著者の名前。今回は大阪府警の四課=暴力団担当の刑事たちへの取材から得た"事件"を記していく。「祝井十吾」という名前の刑事はいない。「四課」の刑事の「総称」として登場させている。

まず第一章から興味深い。タイトルは「島田紳助引退の舞台裏」だ。そのあとの章のタイトルも「新山口組壊滅作戦」「吉本興業の深い闇」「漆黒のボクシング興行師」「やくざと銀行」「梁山泊事件」「ヤクザの懐」「捜査刑事の落とし穴」「山口組捜査の行方」と、日ごろ我々一般市民があまり触れることのないグレーから闇の世界の出来事を描いていく。当然のことながら、ヤクザの世界も、人間と人間の「つながり」と「反目」といった「人間関係」を把握しないことには、全体像をつかめないということがよくわかる。本当に、週刊誌の特集記事のようである。


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(2013、3、27読了)

2013年4月24日 10:45 | コメント (0)

新・ことば事情

5063「お父さんのバカ」

 

会社の廊下を歩いていたら、報道局のOさんから質問を受けました。

「知り合いの外国人で日本語を学んでいる人から『お父さんのバカ』と言う時の『の』はどういう意味ですか?と聞かれて答えられなかったのですけど、この『の』は、一体どういう意味なんでしょうか?」

「うーん、その使い方の説明に関しては、読んだことがあるように思うけど思い出せないな。ちょっと調べてお答えします」

と答えました。

そのあと、ネットで検索したり自分で書いてないかなど調べましたが、出て来ません。

国語辞典の「の」の項目を読むと、

「助詞『が』と同じような使われ方をする」

とありますが、「の」が繋ぐ前後の関係については、うまくあてはまるような説明はありません。『新明解国語辞典』の「ばか」の項目に載っているかなと思いましたが、載っていませんでした。

うーん、どうしてなんだろう...と腕組みして考えていたら、

「あっ!」

とひらめきました。

「これは、倒置法だ!」

つまり、元の形は「お父さんのバカ」ではなく、

「バカのお父さん」

なのです。「カッパの屁」強調のために倒置されて(まあ、「言葉遊びの感覚」というのもあるかと思いますが)、

「屁のカッパ」

となるのと同じようなことですね。スッキリ!

たぶん、これで正解だと思います。

(2013、4、23)

2013年4月24日 08:38 | コメント (0)

5062「888888」

 

先日、49日に初めて「ニコニコ生放送」で、

 

「道浦俊彦のことばのことばかり」

 

という放送をしました。見ていただけましたでしょうか?1時間の予定が1時間49もしゃべってしまいました。そして、のべで400人以上の人が訪れてくれて、1100を超えるコメントをお寄せいただきました。ありがとうございます。双方向で、皆さんの声が文字で「聞ける」というのが励みになりますね。日頃、こういったSNS系の物には全く関わっていない私ではありますが、楽しかったです。

最後に、「おもしろかったですか?」とアンケートを取ったところ、「とてもおもしろかった」と「おもしろかった」で100%を占め、「つまらなかった」は「ゼロ」、さらに、「またこの放送をまた見たいですか?」と質問をしたところ、「ぜひ見たい」と「まあ見たい」で90%を超えたのは心強かったです。そして、

「いかがでしたでしょうか?」

と聞いた時に、画面に流れた(寄せられた)「数字の列」に、私は「何だこりゃあ」と思ったのでした。それは、

「888888888888」

数字の「8」が並んだものでした。

でもすぐに意味が解りましたよ。これは、

「パチパチパチパチパチ・・・・・」

という、「拍手の音」を数字で表したものだったのですね。なーるーほーどー。ネットの世界は遊び心満点だなあ。88888888!

また、5月にでもやりたいなあと思っています。

(2013、4、17)

2013年4月24日 01:30 | コメント (0)

新・読書日記 2013_064

『100歳じいさん101歳ばあさん』(吉田信・吉田ツル、企画&構成・仲本剛、講談社:2012、12、20)

 

関東大震災、シベリア抑留、そして「3.11」を福島・大熊町で体験した100歳のおじいさんと、年上の101歳のおばあさん。帯には、

「日本一前向きな超高齢 原発事故被災者」

とある。

「あと20年、30年がんばったら、原発のなくなった大熊に戻れるかもしれんな(笑)」

とおじいさんの吉田信さんが「この感じだと、その思いが叶うかも・・・」という一言を漏らせば、一つ年上の妻・ツルさんが、

「100年生きてみて?どうってことないね、100年なんて(笑)」

と笑い飛ばす。豪傑。さらに、

「私は、ちょっと長生きしすぎた。お迎えが来るのを?そう。待ってるとこです。(笑)足腰立たなくなってまで、あんまり生きていたいとは思わないわ(笑)」

と言うと、夫の信さんが、

「うそつけ!先日、風邪引いたときは『まだまだ死にたくない』って大騒ぎしたらしいじゃないか(笑)」

それを受けてツルさん、

「ハハハハハッ。そうね。本音を言うなら、大熊に帰って自分の家で死にたいね。」

食えねえばあさん・・・と言うより、やはりポロッと飛び出した本音に、悔しさがにじむのを感じられた・・・。


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(2013、3、16読了)

2013年4月23日 22:26 | コメント (0)

新・読書日記 2013_066

『想いの軌跡1975―2012』(塩野七生、新潮社:2012、12、20)

 

最近よく目にする「キリッとしたおばあちゃん(失礼!)言論人」としてイメージが重なるのは、曾野綾子・金美齢、そしてこの塩野七生だ。みんな思想的には保守的(右寄り)の自立した女性。「哲学」と言うか「美学」を持っていて、それに殉じる覚悟がある人たちのように見受けられる。並みの男は、とても太刀打ちとてもできないであろう。その塩野七生が、まだデビュー間もない1975年から2012年、つい最近までの37年間に書いたエッセイを、編集者が丹念に集めたもの。時代を勘案しつつ、思いを深くしながら読める一冊。黒澤明監督作品への思いやヴィスコンティ監督との交流など、興味深かった。


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(2013、4、22読了)

2013年4月23日 14:50 | コメント (0)

新・読書日記 2013_063

『羽生善治論~「天才」とは何か』(加藤一二三、角川oneテーマ21:2013、4、10)

帯には「天才が天才を語る」「羽生善治氏本人も推薦」。その後の羽生氏のコメントがおもしろい。

「私が知らない加藤先生がいた」

どんなふうに加藤一二三を見ていたんだろうか、と。

この本を読めば、「羽生名人のことがわかる」というよりは、

「加藤一二三という人がわかる」

と言った方が正しいと思う。

去年の正月だったか、たまたまNHKでやっていた名人経験者ばかりが集まった豪華な将棋の番組を見たとき。その際に、去年12月に亡くなった米長さんと著者の会話の面白さ、余りにも"おとぼけ"と言うか加藤さんの真面目すぎる超早口の答え方が面白くて、大変印象に残った。「加藤一二三」という名前はもちろん知っていたが、「人柄」を私は初めて知った。将棋ファンは先刻ご承知だったと思うが、その放送を見ていなかったら、この本は買わなかったかもしれない。

若き日の羽生氏と対戦して、妙手を打たれたときに、加藤さんは、

「ウヒョー!」

と声を上げたそうだ。対局中にもかかわらず。「ウヒョー」って、大の大人が仕事中に上げる声じゃない。すごいです・・・。


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(2013、4、13読了)

2013年4月23日 12:17 | コメント (0)

新・読書日記 2013_062

『和牛詐欺~人を騙す犯罪はなぜなくならないのか』(斉藤友彦、講談社:2012、9、13)

 

「和牛詐欺」自体には、あまり興味はなかったが、読み込んでいくうちに、サブタイトルである「なぜ人は詐欺にひっかかってしまうのか」という所には興味が湧いた。

そして、同じような手口のサギがあっても「自分だけは大丈夫」と思う心理を巧みに突いてくる中で「和牛商法」に投資してしまう人は、ものすごく儲けようと思っているわけでなく、「老後のちょっとした資金を確保したい」というささやかな望みを持つ人たち。そういう普通の「いい人」たちが引っかかってしまう。

「和牛商法の相手を疑う」ことは、すなわち「自分の人を見る目のなさ」を認めることにつながるから、やはり「プライド」として認めたくない、という心理が働くのではないだろうか。また「和牛詐欺」をやるヤツは、途中から「もう、どうしようもないから、どうなってもいい」というように思考停止してしまっているようにも感じた。


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(2013、3、24読了)

2013年4月22日 22:14 | コメント (0)

新・読書日記 2013_061

『 男は邪魔~「性差」をめぐる探求』(髙橋秀実、光文社新書:2013、4、20)

 

いやあ、おもしろい!最近この著者(ちなみに同い年だ!)の著作は(『弱くても勝てます~開成高校野球部のセオリー』新潮社)、おもしろい!

冒頭からグイグイと強引に(男にとっては)理不尽な世界へ引き込まれる。まるで「落語」の登場人物のようであるが、「実話」なんだろうか?かなり誇張されているのではないだろうか?まさかこんなことを口にする女の人がゴロゴロいるなんて・・・。しかも、その中心に据えられているのは、著者の奥様・・・。

「男ってバカで邪魔」

「男が役に立つ場面は、すべて女がそうなるように仕向けているのよ」

「たしかに、男はゴミっていう感じよね」

「トイレだって汚れをまき散らすでしょ。自分で掃除するわけじゃないのに。私はいつも汚さないようにキレイにキープしようとしている。それなのにあなたは汚すだけ。私が掃除しているからあなたはいつもキレイなトイレを使えるけど、私が使う時は汚れたトイレになっている。おかしいでしょ、これ。それだけわたしの人生が蝕まれる。邪魔というより邪魔臭い。はっきり言ってゴミ。ゴミそのものなのよ」

ズキッ!・・・橋下市長でもここまでは言わないのでは・・・。さらに、

「でも、ゴミにも使い道はあるしね」

―――どんな?

「リサイクル、リメイク、あと埋め立てとか」

彼女はそういって大笑いした。

・・・奥さん、あなたは悪魔ですか!!"悪魔"は追い打ちをかける。

「ゴミのくせに勝手に動くヤツがいるでしょ。浮気したり。そういうのは即刻、埋め立て。しっかり踏みつぶしておかないとね。あっはっはっは」

もう、いつ"殺人事件"が発生してもおかしくないようなおぞましい光景を、冷静に書きとめる著者。「これって"実話"じゃあないですよね」と私が思わざるをえなかった理由も、皆さんにはしっかりと伝ったと思う。

この本と同時に読んでいた、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』(文藝春秋)の中でも、相手の女性の恋心に気付かなかった主人公・つくるに対して、女性がこう言い放っていた。

「それは君が馬鹿だからだよ」

うすうす、気付いていないこともなかったが、やっぱりそうなのか。男ってバカ、しかも子供の頃から、いや、生まれつき・・・。

冒頭部分をヨメに読み聞かせたところ、ヨメはニコリともせず、

「そう。7割方、その通り。それを自覚すべきよ」

と言い放って、寝室のドアをピシャリと閉めた・・・。

後半、少し"スピード感"は落ちるが、男にとっては「目からウロコ」の本。ただし女にとっては、

「今頃気づいたの?だから男ってバカなのよ」

という本。

それにしても「今月の光文社新書」は、飯間さんの『辞書を編む』といいい、「ヒット連発」だなあ。「ヒット」と言っても「単打」ではなく、これは「左中間を深々と破るランニングホームラン」だと思います。(「バカ」って言うほうが「バカ」だ~い!バーカ!!)

「おもしろうて やがて悲しき "男"かな」


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(2013、4、19読了)

2013年4月22日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5061「雨粒の読み方」

3月23日、F1中継を見ていたら、男性実況アナウンサーが、

「雨粒」

のことを、

「あつぶ」

と「2度」言うのを耳にしました。結構ベテランのアナウンサーさんだと思うのですが・・。・傍らにいる、解説の片山右京さんは、

「あつぶ」

と話していました。

「雨~」は「あ~」と言うべきか?それとも「あ~」と言うべきなのか?

念のため国語辞典を引きました。

『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『NHK日本語発音アクセント辞典』は、「あつぶ」のみで、「あつぶ」は載っていません。『新選国語辞典』も、どちらも見出し語にはありませんでした。『新潮現代国語辞典』も、どちらも見出しにはありませんでしが、「あ」は「その下に言葉を伴って造語を作る」旨のことが書かれていました。

そして『広辞苑』を引くと「あつぶ」の見出ししかありませんでしたが、語釈の中に、

「あつぶ」

も書かれていました。『三省堂国語辞典』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』も同じ。

そして、『精選版日本国語大辞典』は、なんと「あつぶ」は「空見出し」で「→あめつぶ」となっていました。つまり「本見出し」は「あつぶ」だったのです!

用例は、徳富蘆花の『思い出の記 五』(190001)で、

「風にまじって葡萄大ほどの雨粒(アツブ)ぽつり真額(まっかう)を打つ」

とありました。

ということは、もともとは「あつぶ」だったものが「あつぶ」に変わって来たということでしょうか?私が生まれてこのかた、つまりここ50年はもう、「あつぶ」だったと思いますが。

読売テレビのアナウンス部で、

「皆さんは、『雨粒』を放送でどう読みますか?

(1)アツブ

(2)アツブ

人に聞いたり辞書を引かずにお答えください。」

と聞いたところ、すぐに返事が戻って来ました。それによると、

(1)アツブ= 0人

(2)アツブ=15人

でした。

2013年の現在、厳密には「あつぶ」も「間違い」とまでは言えないですが、少なくとも放送では(読売テレビでは)、

×「あつぶ」→○「あつぶ」

としたいと思います。

(2013、4、19)

2013年4月22日 10:49 | コメント (0)

新・ことば事情

5060「貝毒の読み方」

 

4月10日、新聞を読んでいたら、

「貝毒で食中毒」

という記事が。この

「貝毒」

ですが、読み方は「かいドク」?それとも「バイドク」?

「かいドク」かなあ・・・「バイドク」だと「梅毒」と間違っちゃいそうですし・・・。

でもそもそも「貝」の「訓読み」が「かい」で、「音読み」は「バイ」ですよね?「毒」の「どく」という読み方は、一見すると「訓読み」のように思えますが、もしかしたら意外と「音読み」かもしれません。というのも「肉(ニク)」は、一見「訓読み」に思えますが、実は「音読み」なんですよね。だから「肉汁(ニクジュウ)」は「肉」の「ニク」が音読みだから「汁」を「ジュウ」と音読みで合わせているのだし。(「ニクじる」と読むのは、放送では誤りとされています。)

漢和辞典を引くと・・・やはり「ドク」は「音読み」でした!

それでいうと「音読み+音読み」で合わせるなら「バイドク」と読むべきところですね。

でも「降灰」が本当は、

「コウカイ」

と読むべきなのに、「灰」のイメージは「はい」なので、一般的には

「コウはい」

と読んでしまっているのと似ていて(専門家も)、

「かいドク」

という「湯桶読み」になるのでしょうか?

それに「バイドク」と読むと、

「梅毒」

と間違われる恐れもあるし・・・。これも辞書には載ってないのかなあ。

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』には「かいドク」「バイドク」、どちらも入っていませんでした。しかし!『広辞苑』には載っていました!読み方は、

「かいどく」

でした。意味は、

「貝類のもつ毒。貝類が有毒プランクトンを摂取して体内に蓄積されたもの」

として、

「サキシトキシン」

を見よ、となっています。で、見てみると、

「有毒プランクトンが産生し、貝類が採取して蓄積する毒素。麻痺性貝毒と呼ばれ、食後30分から3時間ほどで口や手足がしびれ、重症の場合は呼吸麻痺で死亡する。ホタテガイ・アラザラガイ・カキなどに見られる」

ということなので、皆さん、お気を付けください。

あ、ところでアクセントは、

「カ\イドク」(頭高)

「カ/イドク」(平板)

どちらでしょうかね?

 

(追記)

(「ニクじる」と読むのは、放送では誤りとされています。)

という部分に関して、NHK放送文化亜研究所の塩田雄大さんから、

「NHKでは、『誤り』とまではしていません。」

というご指摘が。それによると、2001年4月の時点で、「肉汁」の読みは、

「1、  ニクジュー   2、ニクジル(アクセントは平板)」

というふうに定められているとのことです。失礼しました。ご指摘の部分は、

(「ニクじる」と読むのは、読売テレビ報道局では誤りとしています。)

に訂正いたします。

(2013、4、19)

 

 

(2013、4、16)

2013年4月17日 09:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5059「洗脳」

 

先日、他局の昼のワイドショーにVTR出演したオセロの中島知子氏。

それを見て、一見「フツウ」の様子ではあるものの、

「まだ、マインドコントロールが解けていない」

と判断された方も多かったようです。

しかし、あのやり取りを見て私が思ったのは、

「オセロ・中島はマインドコントロールにかかっていない!マインドコントロールにかかっているのは、我々のほうだ!」

ということでした。

「何をバカなことを言ってるんだ、明らかにオセロ・中島の発言内容は、自称"霊能者"に操られているというか、心酔していたじゃないか」

それはその通りなんですが、問題は、ああいう状態の「芸人」を「異常」と呼んでいいのか?ということです。

そもそも「芸人」という存在は、「一般人」とは異なる常識の下に生活をしている人たちのことを呼ぶのではないでしょうか?そして、そういった人たちを「芸能人」とか「芸人」とかいうグループとして「一般人とは違う存在」として認めるからこそ、彼らの存在意義もあると。もちろん、「一般人とは違う」とはいえ、「法」を侵すような行動にまで出てしまったら許すわけにはいきませんが、そうでない限りは、

「芸人なんだから」

と許容してきたのが、これまでの「世の中」でありました。

しかし、昨今の「コンプライアンス」を声高にいうようになった世の中において、格好のターゲットとなったのが、今回のオセロ中島だったのではないでしょうか?

その意味では、私たち情報を送り出す側、そして視聴者側が、

「コンプライアンス重視というマインドコントロールを受け、それに染まってしまっている」

と言えるのではないか?という「コペルニクス的転回」を思いついたわけです。

これは一度、ちゃんと考えてみないといけないのではないでしょうか?それと、

「正常と異常の境界線の判断は、実に微妙である」

ということも改めて思ったのでした。

もう一度、山本七平『空気の研究』を読み直す必要があるようです。

あ、それとこの前の土・日に各地を襲った「爆弾低気圧」で、航空機も欠航したり、着陸予定地を変更したりというようなことがあったようです。その飛行機が着陸態勢に入ってから風にあおられて「ゴー・アラウンド」(着陸体勢からもう一度やり直す)をする様子を、「空港の定点カメラ」が捉えた映像がありました。それを見ていたら、

「飛行機が風であおられて揺れたのか?定点カメラが風であおられて揺れたのか?あるいはその両方なのか?」

ということが、よくわかりませんでした(飛行機が揺れたようにも見えましたが)。

それと同じようなことが「マインドコントロール」にも言えるのではないかと感じました。

あ、さらに、

「"恋"は究極のマインドコントロールである」

ということも付け加えさせていただきます。ちょっと、ビアスの『悪魔の辞典』ふうではありますが。ちょうど1年ほど前に書いた平成ことば事情4670「洗脳とマインドコントロール」もお読みください。

 

 

(追記)

で、「オセロ」は、結局解散しちゃいましたね。「元オセロ」になってしまいましたが。

(2013、4、16)

(2013、4、10)

2013年4月17日 00:54 | コメント (0)

新・読書日記 2013_060

『孤独な放火魔』(夏樹静子、文藝春秋:2013、1、20)

 

表題作と「DVの行方」「二人の母の三作」。300ページ。読みごたえがあった。

「裁判員制度」が導入されてはや5年(だったよね?)。すっかり定着した・・・というよりは、当初ほどの注目が薄れている。その中で、裁判員たちを主人公にしたこの小説は、裁判員制度の現状と問題点を「小説」という形で浮き彫りにしていると思った。


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(2013、3、25読了)

2013年4月11日 18:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5058「佳子さまご入学」

平成ことば事情5040で「佳子さまご卒業」について書きました。

新聞の見出しで、高校を「ご卒業」としたのは、朝日新聞と産経新聞だけで、あとの読売毎日・日経は「卒業」と「ご」を付けない形であったと。

あれから2週間ばかりたちまして、今度は「大学の入学式」のシーズンです。

4月8日の各紙夕刊を見ると、こんな具合でした。

(読売)佳子さま 学習院大入学

(朝日)佳子さま 学習院大入学式に出席

(毎日)(この記事はなし)

(産経)佳子さま 学習院大ご入学

(日経)佳子さまが学習院大入学

ということで、「ご入学」としたのは「産経だけ」、読売と日経は「ご」を付けない「入学」、そして高校卒業のときは「ご卒業」とした朝日は、今回は、

「入学式に出席」

と、ちょっと表現を変えてきましたが、「ご出席」とはしていないので、「ご」を付けない派に転じたということでしょうか。「本文」を読むと、

(読売)入学式に出席された

(朝日)入学式に出席した

(日経)入学式に出席された

(産経)入学式に出席された

と、「朝日」だけ「出席した」と敬語表現がなく、他の3紙は「出席された」と、敬語を使っています。毎日新聞に至っては記事が載っていませんでした。(全面、3回読んだけどありませんでした。もし見逃していたら、ごめんなさい。)

(2013、4、8)

2013年4月10日 12:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5057「鶏卵の読み方」

 

4月4日の夕方のニュースを見ていたら、女性ナレーターが、

「鶏肉や鶏卵を食べることを」

という原稿を、

「トリニクやトリタマゴを食べることを」

と読んでいました。

「『トリタマゴ』ですって!?」

「鶏肉」も、本来は「ケイニク」です。「トリニク」と放送で読めるようになったのは最近のはずです。まあ、最近と言っても10年ぐらい前だと思いますが。「鳥インフルエンザ」が最初に猛威を振るった頃です。それはさておき、

「鶏卵」

は、

「ケイラン」

以外の読み方があるわけありません!「トリ」と言いたいなら、

「(ニワ)トリのタマゴ」

ぐらい、もしくは何も付けずに、

「タマゴ」

でいいと思います。まさか、うちのアナウンス部で、そんな風に読む人はいないよね・・・???あ、そう言えば、

「いま聞いたことを、3歩、歩いたら忘れる人」

のことを、俗に、

「トリアタマ」

とは言いますね。

(2013、4、4)

2013年4月 9日 19:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5056「まわしを付けての稽古」

 

八百長問題(無気力相撲)で相撲協会を解雇された、元幕内力士の蒼国来(そうこくらい)関に対して、地位確認裁判で「解雇無効判決」が出ました。

これを受けて蒼国来は、名古屋場所からの土俵復帰に向けて、きょう(4月4日)から荒汐部屋で稽古を開始したというニュースを、お昼の日本テレビのニュースで伝えていました。それを聞いていたら、

「蒼国来は久しぶりに『まわしを付けての稽古』を行いました」

とアナウンサーが読んでいました。それを聞いて思ったこと、それは、

 

「じゃあ、これまでの稽古は『まわしを付けないでの稽古』だったのか?」

 

ということ・・・・想像してしまいました・・・。なぎら健壱の名曲『悲惨な戦い』が、耳の奥で流れます・・・。

伝えたかったことは、

「まわし姿で土俵で稽古をしたのは久しぶり」

「解雇から判決が出るまでの間に行ってきた稽古は、(おそらく)ジャージー姿と言うか、トレーニングスーツに身を包んでの稽古だった」

ということだとは思うのですが、でも、

「久しぶりにまわしを付けての稽古」

から想像するのはやはり、

「つけないでの稽古」

だよなあ・・・日本語って難しい。

その難しい日本語に関して、「ニコニコ動画」で「番組」をやることになりました。

4月9日(火)17時から約1時間、

「道浦俊彦のことばのことばかり」

というタイトルです。後輩の「山ちゃん」こと山本隆弥アナウンサーを相手に、「ことばのことばかり」話す予定です。

「生放送」であり、かつ「タイムシフト」といって、時間をずらして(つまり録画されているわけでしょう、たぶん)見ることもできるそうですが、生で見て、感想をつぶやいたり、双方向でやり取りができるところが魅力なんだそうです。

先日、ニコニコ動画の生放送を初めて見た時の私の感想は、

「絵(映像)が付いた『深夜ラジオの電話リクエスト番組』みたいだなあ」

ということでした。

知り合いに「見てくださいね」と一斉メールを送ったところ、何人かの方から、

「楽しみにしています!」

と返事をいただきましたが、中には、

「わいわい動画、見ますね!」

と、どこの何だかわからないものを見ようとしている人もいました。

「わいわい」ではなく、「ニコニコ動画」ですので、よろしく!ちょっと登録手続きは必要なようですが。

 

(追記)

「ニコ生」の放送、終わりました!1時間の予定が延長、延長で、1時間49分にもなってしまいました。

実はその中で、この「久しぶりにまわしをつけての練習」のことも話したのですが、視聴者の方から、

「まわしは"締めて"ではないのか?」

というご意見があり、

「あ!ほんとだ!」

と思いました。でも放送では「つけて」と言ってたんだよな。しかし「つける」のは、

「さがり」

ですよね、「まわし」の前に雄しべか雌しべのようにぶら下がっている、アレ。

また、パンツやズボンは「はいて」だし、「つけて」とは言わない。

どうも失礼しました。

それとご覧いただいた皆さん、ありがとうございました。

「見逃した!」という方、今からでも見られるようなので、「ニコ生」の過去の映像で捜してみてください。

(2013、4、10)

 

 

(2013、4、4)

2013年4月 9日 11:49 | コメント (0)

新・ことば事情

 

八百長問題(無気力相撲)で相撲協会を解雇された、元幕内力士の蒼国来(そうこくらい)関に対して、地位確認裁判で「解雇無効判決」が出ました。

これを受けて蒼国来は、名古屋場所からの土俵復帰に向けて、きょう(4月4日)から荒汐部屋で稽古を開始したというニュースを、お昼の日本テレビのニュースで伝えていました。それを聞いていたら、

「蒼国来は久しぶりに『まわしを付けての稽古』を行いました」

とアナウンサーが読んでいました。それを聞いて思ったこと、それは、

 

「じゃあ、これまでの稽古は『まわしを付けないでの稽古』だったのか?」

 

ということ・・・・想像してしまいました・・・。なぎら健壱の名曲『悲惨な戦い』が、耳の奥で流れます・・・。

伝えたかったことは、

「まわし姿で土俵で稽古をしたのは久しぶり」

「解雇から判決が出るまでの間に行ってきた稽古は、(おそらく)ジャージー姿と言うか、トレーニングスーツに身を包んでの稽古だった」

ということだとは思うのですが、でも、

「久しぶりにまわしを付けての稽古」

から想像するのはやはり、

「つけないでの稽古」

だよなあ・・・日本語って難しい。

その難しい日本語に関して、「ニコニコ動画」で「番組」をやることになりました。

4月9日(火)17時から約1時間、

「道浦俊彦のことばのことばかり」

というタイトルです。後輩の「山ちゃん」こと山本隆弥アナウンサーを相手に、「ことばのことばかり」話す予定です。

「生放送」であり、かつ「タイムシフト」といって、時間をずらして(つまり録画されているわけでしょう、たぶん)見ることもできるそうですが、生で見て、感想をつぶやいたり、双方向でやり取りができるところが魅力なんだそうです。

先日、ニコニコ動画の生放送を初めて見た時の私の感想は、

「絵(映像)が付いた『深夜ラジオの電話リクエスト番組』みたいだなあ」

ということでした。

知り合いに「見てくださいね」と一斉メールを送ったところ、何人かの方から、

「楽しみにしています!」

と返事をいただきましたが、中には、

「わいわい動画、見ますね!」

と、どこの何だかわからないものを見ようとしている人もいました。

「わいわい」ではなく、「ニコニコ動画」ですので、よろしく!ちょっと登録手続きは必要なようですが。

(2013、4、4)

2013年4月 9日 11:47 | コメント (0)

新・読書日記 2013_0059

『暴雪圏』(佐々木譲、新潮文庫:2011、12、1)

 

以前に買って「そのうち読もう」と置いてあった一冊。そんなのばかりですが。

佐々木譲の作品は、北海道警察シリーズが有名。といっても、実はそのシリーズの系統にもいくつかある、ということに最近気づいた。巻末の解説によると。

(1)「笑い警官」などの北海道警察シリーズ

(2)「暴雪圏」など川久保篤巡査部長シリーズ

(3)「廃墟に乞う」(直木賞受賞)休職刑事・仙道孝司シリーズ

(4)「警官の血」など安城家シリーズ

だそうだ。私は「笑う警官」でまず佐々木譲を読んだので、(1)の北海道警察シリーズは大体、読んでるかな。それと(3)は「直木賞受賞」ということで読んだ。短編連作。また(4)も2冊とも読んだが、(2)は全然読んでいなかった。これから読むのが楽しみだが、この文庫本、解説まで含めるとなんと513ページ!分厚くて重い。読みごたえはある。一晩では読み切れなかった。


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(2013、4、3読了)

2013年4月 9日 17:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5055「キョウカカ」

 

NHK総合テレビのお昼のニュースを「聞いて」いたら、

「道徳のキョウカカについて」

という言葉が聞こえました。

「キョウカカ・・・強化化・・・なんでもかんでも『化』を付ければいいってもんじゃないぞ!」

と思って画面を見ると、「強化化」ではなく、

「教科化」

でした・・・。意味はわかりましたが、わざわざ「化」を付けた言葉を使わなくてもいいです。聞き逃したけどたぶん最初に説明して読んだように、

「道徳を教科に入れること」

のままでいいんじゃないでしょうか?

「なんでも『化』を付けない表現に努めること」

を、「教科化」して「強化化」する必要があると思います。

(2013、4、4)

2013年4月 8日 22:46 | コメント (0)

新・読書日記 2013_058

『高校サッカー年鑑2013』(講談社)

毎年出る年鑑。たぶん、1985年幾、毎年買い揃えているはず。久々に読み込んでみたら、ああ、今年はそういえば宮崎の鵬翔高校が勝ったんだったなと。自分が高校生の時からいかに長い時間が流れたかを、また確認。いま、この年鑑に出て来る、名前を知っている人たちは「監督」でさえ自分と同世代かそれより下の人が多くなったなあと、懐かしく思いました。


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(2013、3、18読了)

2013年4月 8日 20:17 | コメント (0)

新・読書日記 2013_057

『生きる力~心でがんに克つ』(なかにし礼、講談社:2012、12、20)

 

作詞家としても、その後作家としても成功を収め、現在はテレビのコメンテーターとしても活躍する著者が、がんにかかった。いくつもの病院で「手術しかない」と言われたが、心臓に病を抱える著者はその道を拒否、「陽子線治療」というまだ日本に7か所(当時)しか行われていない治療に賭けた。必ずしもすべてのがんに効果があるわけではない(というか、どんな状態の患者でも受けられるというわけではない)らしいが、成功した一つの例として読むこともできる。本人はカミュやカフカ、トーマスマン、ショスタコービッチといった文豪や大作曲家の作品を引き合いに出しながら、治療中心境を語っていく。そういった文学的な闘病記としても読める。強烈なエリート意識(実際そうだし)、とプライド、満州からの「引き上げ者」ということに対する思いなど、複雑な心境も読み取ることもできた。


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(2013、3、31読了)

2013年4月 8日 16:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5054「フリージャーナリストとジャーナリスト」

 

(2011年6月8日に書き始めたまま、そのままになっていました。当時付けた番号はは「平成ことば事情4381」でした。)

 

元・株式会社共同通信社社長でジャーナリストの原寿雄さんは、日ごろから

「私は『ジャーナリスト』」

と言っておられると聞きました。それは、

「『フリージャーナリスト』ではない」

という意味で、です。そもそも「フリージャーナリスト」と「ジャーナリスト」は、どう違うのでしょうか?

「フリージャーナリスト」の対極にあるのは何か?と考えると、

「企業ジャーナリスト」

でしょうか?「マスコミ企業」に所属してそれを仕事にしている人たちです。私などももしかしたら「企業ジャーナリスト」の端くれかもしれません。

そして「企業」も「フリー」もあわせて、それでおまんまを食べている人たちは、

「商業ジャーナリスト」

とよべるのではないでしょうか?いや、正確には、

「職業ジャーナリスト」

かな。その中で、独立性の高いものが「フリージャーナリスト」で、それに対して「企業ジャーナリスト」と「商業ジャーナリスト」は、ほぼ同義なのかな?

でも「フリージャーナリスト」という言葉が出始めたのは、ビデオカメラが小型で性能(画質)が良くなってき始めた1990年代半ばぐらいからの気がします。つまり「フリージャーナリスト」というのは「映像分野」のもので、当初は、

「ビデオジャーナリスト」

という言葉がありました。神保哲生さんなどは今も「ビデオジャーナリスト」を名乗ってらっしゃるのではないでしょうか?

その後、「ビデオ」というよりも「インターネット」などを駆使してフリーに活動するジャーなナリストを「フリージャーナリスト」と呼ぶようになってきたのではないでしょうか?

つまり、「フリージャーナリスト」は「映像ジャーナリスト」で、「(何もつかない単なる)ジャーナリスト」は、「ペン」(文字)という分野の違いがあるのかも知れません。

もちろん、一番大きなくくりは「ジャーナリスト」であって、その中に含まれる区分としての話ですが。

そういえば、専門分野によって分ける、

「経済ジャーナリスト」

「皇室ジャーナリスト」

「スポーツジャーナリスト」

などというのもありますね。

そもそも「ジャーナリスト」の「ジャーナル」というのは、

「日記・日誌」

という意味。日々の出来事を書き綴る(ジャーナル)人が、「ジャーナリスト」なのです。そういう意味では「ことば事情」を書き綴っている私は、

「ことばジャーナリスト」

ですね。

(2013、4、7)

2013年4月 8日 13:18 | コメント (0)

新・読書日記 2013_056

『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之、講談社現代新書:2011、12、20)

 

この本も、少し前に買って読みかけたままにしておいた本。指揮者の金聖響さんと、スポーツジャーナリストで音楽にも造詣の深い玉木正之さんの対談から始まって、真ん中はマーラーの9つの交響曲プラスアルファを、金さんが解説していくという一冊。

私は、マーラーの曲では「交響曲1番(巨人)」が好きで、いろんなオーケストラのレコードやCDを聞き、実際の演奏も聞きに行ったりしましたが、それ以外は「第8番」(千人の交響曲)と「嘆きの歌」を学生時代にオーケストラと歌ったことがあるのと、「第5番」の出だしのトランペットが「カッコイイなあ」とか、そのぐらいしか知りません。一応、1番から10番までのCDは持ってはいるものの、今回この本をきかっけに全部聞いてみようとしたら、CDを買ってから一度も聞いていないことが判明したCDもあって(10年以上前に買って封を切っていなかった!)全然詳しくない。マーラーの生涯と、現代との繋がりもよくは知らなかったが、この一冊で大変勉強になりました。


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(2013、3、15読了)

2013年4月 7日 23:15 | コメント (0)

新・読書日記 2013_055

『働きすぎの時代』(森岡孝二、岩波新書:2005、8、19)

 

以前に買っておいたのだが、なかなかヒマがなくて読めなかった、「働きすぎ」で(笑)。

「働きすぎ」について考えないといけないなあと思って、もうデータとしてはちょっと古くなってしまっているが、基本的なところを学ぶ一冊として読みました。

ちょっと勉強になりました。


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(2013、4、5読了)

2013年4月 7日 20:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5053「杮と柿」

 

2013年4月2日、建て替えが済んだ五代目の「歌舞伎座」が開場しました。

この歌舞伎座、もちろん屋根のある建物で、そこでの初公演ですから間違いなく、

「杮(こけら)落し」

です。この件に関しては「平成ことば事情3628杮落し」をお読みください。

そして今回、当の歌舞伎座の表記は、

「杮葺(こけら)落とし」

と、「葺」という漢字が入っていました。昔、神戸市に、

「葺合(ふきあい)区」

というのがあったのと、

「茅葺(かやぶき)」

「葺」で知っているので、意味は大体わかりますが、このような並びで書いて「こけら」と読ますこともあるのだなと初めて知りました。結構難しい漢字ですね。

それはさておき「杮(こけら)」は「柿(かき)」に似ています。

きょうは、その違いを「ビッグサイズ」でご覧いただきましょう。

こけら

かき

どうでしょうか?お分かりいただけましたか?えっ、字が小さすぎる?気のせいでしょう。

「こけら」は縦の棒が一本つながってスッと通っているのに対して、

「かき」は、上が鍋蓋で、下の棒とがつながっていないんですね。手書きで書くと上のチョンと点みたいに書いたものと、下の棒が切れている。一方の「こけら」は一本つながっていると。そういう違いなんですが、まあ、普通の大きさの印刷字体を見ても、ほとんど気付かないのではないでしょうか。しかもこのニュース、テレビでは、

 

「こけら落とし」

 

「平仮名表記」にしていたところも多かったから、気付くはずもないですね。

(2013、4、4)

2013年4月 5日 17:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5052「84日後の読み方」

 

「ミヤネ屋」のナレーター三嶋さんからの質問。

「『84日後』の読み方は、『ハチジューヨッカご』でしょうか?それとも『ハチジューヨンニチご』でしょうか?」

なるほど、「4日」を「ヨッカ」と読むか「ヨンニチ」と読むかという問題ですね。

私はこう答えました。

「『ハチジューヨンニチご』が妥当でしょうね。『4日』を『ヨッカ』と読むのは『4日』『14日』『24日』までで、カレンダーにない『34日』『44日』・・以上を『ヨッカ』と読むと、やや違和感があります。」

 

これについては、以前、平成ことば事情728「あと34日」に書きました。

(検索したら、なんと11年前に書いてるんだ。11年で「728」→「5050」ということは、4300以上書いてるのか。1日1つ以上のペースだな。)

そこでは、用語懇談会の席で、テレビ東京のKさん(懐かしい!お元気ですか?)から、

「W杯まであと34日」

を何と読むか?と聞かれた出来事が記されています。そして、

「この『4日』が二桁以上になったときの読み方に関しては、実は数年前に、同じ用語懇談会のメンバーのTBSのKさん(ああ、このKさんもお懐かしい!)からも質問を受けて答えられなかったことがあったのです。「リベンジ」とばかり考えてみました。」

として、

「『34』より大きな数字で見てみましょうか。『44日』『54日』『64日』『74日』『84日』『94日』『104日』・・・。全部「よっか」でもいけますね。」

と書いてあります。そして、

「『11日目』から『19日目』までの中で、『ヨッカ』と読む『14日』だけが異端」

だとしています。その理由については、

「『4』だけは、『漢語系』の読み方を使うと『じゅうしにち』となり、『し』は『死』に通じる『忌み言葉』として避けられるために『和語系』の『よっつ』を用いて『じゅうよっか』のようにとしているのではないか」

と推測しています。そして、

「『14日(じゅうよっか)』『24日(にじゅうよっか)』はカレンダーの中にも出てくるために耳慣れているが、『34日(さんじゅうよっか)』は、カレンダーでは出てこないので、耳慣れない感じがするのではないか」

とまとめています。

さらに「追記」として、『宇宙戦艦ヤマト』のDVDを見て、番組の最後に男性ナレーターが必ず言う決めゼリフ、

「地球滅亡の日まで、あと○○日」

で、第1巻の最後にそのナレーターが、

「地球滅亡の日まで、あと364日(サンビャクロクジューよっか)」

と、「よんにち」ではなく「よっか」と言っていたと記録しています。アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が作られた1970年代初めから、そうだったのですね。

なんだ、ほとんど引き写しちゃった。でも、その時書いたのを見ると、「84日後」は、

「ハチジューヨッカご」でもOKのようにも思えてきました・・・。

(2013、4、4)

2013年4月 5日 11:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5051「『よく』と『よくぞ』と『よくも』の違い」

 

会社の近くのコンビニで弁当を買って帰る途中に、五十嵐アナウンサーが立ち話をしているのを見かけました。彼は、私が通ったことに全く気付かない様子で話をしていましたが。会社に戻ってから、五十嵐アナウンサーを見かけたので、

「さっき、そこで立ち話してたろ」

と言うと、

「よくぞご存知ですね」

と言いました。うん?「よくぞ」?おかしい!これはどう考えても、

「よく知ってますね」

と言うところでしょう。「ぞ」は付かないですよね!

でも考えてみると、「ぞ」は「強調」の意味があるのですから、「よく」を強めるのに付けるようにも思えます。でも、使わない。「よくぞ」を使った例文を挙げると、

「よくぞ、聞いてくれました」

「よくぞ、来てくれました」

「よくぞ、やっつけてくれました」

のように、

「よくぞ~してくれた」

という呼応があるように思えます。ですから先ほどの五十嵐アナウンサーのような「知る」と「よくぞ」を使うのなら、

「よくぞ知っていてくれました」

と使わなければいけないと思います。でも、これだと意味が変わってきますけど・・・。

また、「よく」に「も」が付いた「よくも」の場合の例文は、

「よくも、裏切ったな」

「よくも、侮辱したな」

「よくも、だましたな」

のように、

「よくも~したな」

という呼応があるように思えます。しかも、

「よくも」の後には、あまりいい言葉が来ない

感じです。全部、私の51年の言葉の体験から言えることですが、五十嵐君の30年の言葉の体験とは、どうも違った体験のようです。

「よくぞ」の呼応も、「よくも」の呼応も、

「してくれた」「した」

というように、自分に関係のあることに関して「やり・もらい関係」のように思えます。うーん、日本語ってややこしいですね。ところで、五十嵐アナウンサーは、この件に関して

「よくぞ書いてくれた」

と言っているでしょうか?それとも、

「よくも書いてくれたな」

と言ってるでしょうか?それとも、

「よく書いてくれた」

でしょうか?この場合は「よくぞ」と「よく」はほぼ同じ意味で使える気がしました。

(2013、4、4)

2013年4月 4日 22:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5050「世」

 

2013年4月2日、新開場となった五代目の歌舞伎座、杮葺(こけら)落し公演。

2012年12月5日に57歳で亡くなった中村勘三郎さんが、

「この演目で新しい歌舞伎座に出たい」

と生前言っていたという「お祭り」。その演目の前に、

「十八世 中村勘三郎に捧ぐ」

と書かれていました。それを見て思ったのは、

「新しい歌舞伎座の舞台に立つ勘三郎さんの姿を観たかったな」

ということとともに、

「やはり、亡くなったら『世』を使うんだな」

ということです。

というのは、ことし2月3日に亡くなった十一代目市川團十郎さんの葬儀所の看板にも、

「十一世 市川團十郎丈」

と書かれていたのを思い出したからです。

「代」が「世」になるから、「世代」か?

でも、ローマ法王の場合は、前の、

「ベネディクト16世」

も、その前の、

「ヨハネ・パウロ2世」

も、生きている時から「世」を使っていましたね。これは基準が違うのかな?

(2013、4、3)

2013年4月 4日 18:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5049「自叙伝的小説」

 

先日の「ミヤネ屋」で、ある女優さんが書かれた本の内容を紹介しました。その本を指して、

自叙伝的小説」

と書かれていたので、担当ディレクターに、

「これって『自伝的小説』じゃないのか?」

と確認したところ、

「本の帯に『自叙伝的小説』って書いてあったんですけど・・・」

と言うので、「それなら仕方がないな」と「自叙伝的小説」というテロップを出しました。

ところが、本番が終わってからそのディレクターが、

「謝らなくてはいけないことが・・・」

としょんぼりしてやって来ました。

「え?どうしたの?」

と聞くと、

「本の帯には『自伝的小説』と書かれていました・・・」

本の帯の現物を確認しなかった私も悪いのですが、内心「やっぱりな」と思いました。

自分の半生を書いたものを「自伝」あるいは「自叙伝」と言いますが、「的」が付くとなぜか、

「自伝的」

を使い、「自叙伝的」とは、あまり言いません。グーグル検索(4月3日)では、

「自伝的小説」 =28万7800件

「自叙伝的小説」=    6万0100件

でした。

でも、なんで「自叙伝的」とは言わないんだろうな?

 

(2013、4、3)

2013年4月 4日 11:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5048「藤山寛見?」

 

「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、こんな文字を見つけました。

「藤山寛

・・・・正しくは、もちろん、

「藤山寛

です。松竹新喜劇などで活躍した、上方を代表する喜劇役者です。小林信彦が、植木等と藤山寛美について書いた本もありました。紛れもなく、日本の喜劇人を代表する一人です。これまで、このビッグネームネームは「知っている」ことが「常識」と考えられて来ました。しかし、亡くなったのが1990年(平成2年)5月、もう23年もたつんですね。

ちなみに、美空ひばりが亡くなったは1989年(平成元年)6月、石原裕次郎が亡くなったのが1987年(昭和62年)7月。いずれも四半世紀前後たち、世代が変わりつつあります。大変残念なことに、私たち世代が「常識」と思っていたことが「常識ではない」状態になって来ているのではないでしょうか。

最近、「それは、ないやろ!」と突っ込みたくなる間違いが、毎日のように出てきます。

たとえば、市川團十郎・海老蔵など「市川宗家」に対する屋号、

「成田屋」

と書いたはずなのに、出来上がって来たものは、

「成田

そりゃあ、ないやろ!

4月2日、歌舞伎座の新開場での演目の、

祝歌舞伎華彩色」

が、なぜか、

祝歌舞伎華彩」

・・・そりゃ、ないやろ!!

(2013、4、3)

2013年4月 3日 22:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5047「EXILEの読み方」

 

EXILEのリーダーHIROの吹き替えを頼んだ萩原アナウンサーから、

「『EXILE』の読み方は『エグザイル』ですか?それとも『イグザイル』ですか?」

と質問を受けました。まあ、私も全然詳しくないんで、ドキッとしながら、

「え?・・・『エ』じゃないの?」

と答えると、

「『イ』じゃないんですか?」

と萩原アナ。ここは、一つ、「ミヤネ屋」担当の、

(若い・・・と言っても29)川田アナに聞いてみよう!」

ということで聞いたら、あっさり、

「『エ』です」

ということで「エグザイル」にしました。

本当はきっと「『エ』と『イ』の中間ぐらいの音」なんだろうけどね、英語では。

それを言いだしたら、最後のところも「ザイル」なのか?「ザエル」なのか?「ザ」にアクセントを置いて、

「イグザ'エル」

と言ったほうが、英語っぽいのかもしれません。カタカナで書いて発音しようとする時点で、もう「英語ではなく日本語」なのですが。

 

(追記)

さっそく、アメリカ在住のI先輩から、

「英和辞典によると、exileの発音は、イグザイルではなくてエグザイルですね。アクセントは語頭、エにかかるようです。」

とメールを頂きました。いつもありがとうございます。

私も改めて英和辞典を引いてみたら、やはり「エ」で、その「エ」にアクセントがあるのですね。「イグザ'エル」ではありませんでした。

そして・・・恥ずかしながらexile」の意味を初めて知りました。

(母国・故郷からの)追放、国外追放、亡命、(長期の)国外(異郷)生活、(不本意な)他の場所での生活(仕事)、追放された人、亡命者、国外(異郷)生活者」

とあり、「主に新聞用語」とも書かれていました。そんな意味だったんだ・・・。

みんな知ってたの?教えてくれよ!

「ZOO」から「追放」されたのでしょうか?そして「HIRO」さんが引退ということは、「EXILE」からexile」するということでしょうか?

(2013、4、4)

 

(2013、4、3)

2013年4月 3日 18:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5046「『女性たち』のアクセント」

 

先日、テレビから聞こえてきたアクセントで「おやっ?」と思ったものがあります。それは、「女性たち」という言葉のアクセントです。これは普通だと、

「ジョ/セー\タチ」

というように、「タチ」の前でアクセントが下がると思いますが、今回耳にしたのは、

「ジョ/セ\ータチ」

というように、「セ」の伸ばした部分の前(もしくは「ジョ/セ\イタチ」と「イ」で言うならば、その「イ」の前)でアクセントが下がるパターンだったのです。確かにこのアクセント、私も使うことがありますし、これでにもよく耳にしました。

あれ?でもよく考えると、「女性」は「平板アクセント」なので、

「女性が」「女性は」「女性を」「女性の」

というように、助詞が付いた場合は全て「平板アクセント」で、

「ジョ/セーガ」「ジョ/セーハ」「ジョ/セーヲ」「ジョ/セーノ」

となるのに対して、「たち」が付いた場合は「たち」の前で下がって

「ジョ/セ-\タチ」

となる、「『女性』が尾高アクセントになっている」ぞ。これを「平板アクセント」で、

「ジョ/セータチ」

と言うと、明らかにヘン!ですし・・・。

 

そうか、わかった「女性たち」は、これで「複合語で一語」だから、コンパウンドが起きて、「たち」の前にアクセントが下がって「山」を作っているのかな。そう考えれば納得です。さらにその「複合語」の「女性たち」という言葉を「強調」しようとする場合に、アクセントが強くなると、早めにアクセントの山を下りてアクセントの先端の山を高く鋭くすることで、強調している。その形が、

「ジョ/セ\ータチ」

なのでは、ないでしょうか?

「子ども」も「平板アクセント」ですが、「子どもたち」となると「たち」の前でアクセントが下がるので同じですね。「たち」を付けて「複合語」になると、同じことが起きるのではないでしょうか?

こうやって書いているうちに答えが出てきました。やはり「書くこと」は「考える事」だよなあ!でもきょうは「エイープリルフール」だから、これが本当に正解かどうかは、わかりませんよ!

(2013、4、1)

2013年4月 1日 17:08 | コメント (0)