新・ことば事情
5015「みたよな」
「万物の霊長が マッチ箱みたよな ケチな巣に住んでる 威張ってる」
という歌詞の曲「のんき節」を初めて聞いたのは、たしか中学生の頃。今から40年近く前です。フォークシンガーの高石ともやさんが歌っていました。そのときも、「マッチ箱みたよな」の
「みたよな」
が気になっていました。意味はもちろん、
「みたいな」
ですが、なぜ「みたよな」なんだろうか?と思っていました。
そうすると、数年前に読んだ本の中にその「のんき節」が出て来て、この曲は大正時代に添田亜禅坊が歌って「ヒット(流行)」したことがわかりました。『流行り唄五十年~亜禅坊は歌う』(添田知道、解説・唄=小沢昭一、朝日新書)というCD付きの本です。
その後も「みたよな」は引っかかっていましたが、先日、謎が氷解しました。実は、
「現在私たちが使っている『みたいな』という言葉は、もともと『みたよな』であった」
ということのようなのです。ウソ!ホント!?
『精選版日本国語大辞典』で「みたようだ」を引きました。
「みたようだ」(動詞「みる(見)」に完了の助動詞「た」を添えた「見た」に比況の助動詞「ようだ」の付いたもの)
とありまして、その(2)の意味のところに、
「例として示す意を表わす。」
として、用例は島崎藤村の「爺」(1903年)という作品で、
「しかし私見たやうな物覚の悪い男でも」
とありました。これだ!さらに『広辞苑』で「みたい」を引くと、
「みたい」=(接尾)(「・・・を見たような」の転。体言や活用語の連体形に付く)①ほかのものごとに似ていることを示す。「機械みたいに性格な動作」「丸で夢みたい」(②以下略)(下線は道浦)
ちゃんとしっかり載っていました!
「見たやうな」=「見たような」=「見たよな」=「みたいな」
なのですね!
(追記)
夏目漱石の『私の個人主義』(講談社学術文庫)の中に収められた夏目漱石の講演録の中に、
「見たような」
が出てきました。
「それだのに私見たようなものを、ことさらに他所(よそ)から連れて来て、講演を聴こうとなされるのは、ちょうど先刻お話したお大名が目黒の秋刀魚(さんま)を賞翫(しょうがん)したようなもので」
という所の、「私見たような」の「見たような」は、「みたいな」の意味ですね。
(2013、6、6)