新・ことば事情
5008「犬儒派」
呉智英の『犬儒派だもの』という本を読んだ覚えがありますが、その時は「あいだみつを」風の、
「~だもの」
という表現に気を取られて、
「犬儒派」の意味を深く・・・というか何も考えていませんでした。しかし、きのう『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之、講談社現代新書)という本を読んでいたら、
「シニカルの語源であるギリシアのキュニコス派の哲学者たちのことを、日本語では犬儒派と呼ぶ。」
という記述が!
そうだったのか!
「犬儒派=キュニコス派=シニカルな人々」
だったのか!念のため辞書を・・・あ、『広辞苑』には載っていない!ところが『明鏡国語辞典』には載っていた!
「犬儒」=「犬儒学派の哲学者。キニク学派。キニュコス学派。▼Kynikos(ギリシア)(=犬のような)から。犬儒学派は古代ギリシア哲学の一派。社会的制度・慣習を無視して無欲な自然生活を営むことを理想とした。」
はあ、「ギリシアの白樺派」ということでよろしいでしょうか?・・・違うか。
『精選版日本国語大辞典』には、「犬儒的」という言葉も載っていました。
「犬儒的」=犬儒学派のような言動をとるさま。また、冷笑的なさま。シニカル。
うーん、でも、最近は「シニカル」「冷笑的」は使っても「犬儒的」は使わないなあ。
グーグル検索では(3月4日)
「シニカル」=104万0000件
「冷笑的」 =101万0000件
「犬儒的」 = 6万1000件
でした。「犬のように」が「犬儒」ならば、「儒」は「のように」という意味なのか?「儒学」の「儒」の意味は?たしかそのへんは、この間読んだ呉智英の「論語」の本に書いてあったような・・・。一応、『新潮日本語漢字辞典』を引いてみることにしましょう。
「儒」の②の意味に、
「儒学者。またまた、学者一般」
とあり、その中に「犬儒派(=キニク学派)」もありました。ということは、「儒」は「ような」ではなく「儒学者」の略か。当たり前でした。
つまり、ギリシアでは「犬」に「皮肉的、シニカル」というイメージがあるのかな?
「儒」の「解字」欄を読むと、
「形声。人+需。需は巫祝(ふしゅく)が雨乞いする意。而は頭髪を切って、結髪をしない人の正面形。その人を儒という。儒はもと巫祝の階層に属し、特に葬事に従った。儒学、儒者の意を表す。柔弱、柔順の意に用いる。一説に、需は水に濡れた柔らかいひげ。性行に潤いのある柔和な人の意を表す。」
「而」は「頭髪を切って、結髪をしない人の正面形」を表しているのか。すると、漢字の中で垂れているのは、「髪の毛」か?「儒者」も「髪を束ねなかった」のかな?もともとは。
いや、勉強になりました。