新・ことば事情
4934「ブラウン管」
2012年に、東日本大震災の復興支援のために「1年限定」で16年ぶりに再結成された女性のみのバンド「プリンセス・プリンセス」。懐かしい思いで見た方も多かったと思います。その姿を、そして曲を聴いて、
「ああ、たしかに16年という時間が流れたんだな」
と感じた方も多かったのでは?もちろん、時間は平等に流れているのですが。
特に曲の歌詞の中で、「時間の経過」を感じたのは、「ダイアモンド」という曲の中の、
「ブラウン管ではわからない」
という部分。そうですね、もうみんな、
「チャンネルは回さない」
ですし、
「ブラウン管のテレビを見ている人は、ごく少ない」
ことでしょう。「テレビ」の代名詞として「ブラウン管」が使われた時代は、20世紀から21世紀になる間に徐々に変わり、「地デジ」になった2011年には、ほぼ終息したと見ていいのではないでしょうか?
同じような「ハード面の変化」で言うと、まさに「プリプリ」が解散した年。1996年にフジテレビで放送された『ロングバケーション』の話の中には、
「留守電に録音したけど、行き違い」
というシーンがよくありました。そうです、当時はまだ、
「『携帯電話』が一般化していなかった(その過程だった)」
のです。今では考えられないですよねえ。と言っても「たった16年前」(年が変わったから17年前か)の話なんですが。
香山リカさんの新刊『若者のホンネ~平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書:2012、12、30)という本を読み始めたら、冒頭部分にこんなことが書かれていました。今から5年ほど前に大学1年生のレポートを採点していたら、
「その昔、携帯電話がなかった時代があったという。その頃の人は、いったいどのように待ち合わせをしたのだろうか」
と書かれていたとのこと。香山さんの目はその文章に釘付けになったそうです。そのぐらい、ハードの変化とヒトの生き方の変化は、同じ時代に生きている違う世代の中の感覚の違いを生じさせるということですよね。
私もそれと同じようなことを、「プリプリ」の曲を聴きながら感じたのでした。