新・ことば事情
4933「民意」
最近よく耳にする言葉(橋下徹・大阪市長がよく使う言葉)に、
「民意」
があります。しかし、それを聞くたびに、
「言葉というものは定義が一定ではなく、恣意的に使われることがあるのだな」
と感じます。
『聞き書 野中広務 回顧録』(御厨貴・牧原出編、岩波書店)を読んでいて、橋下市長が言う「民意」と、野中広務氏が言う「民意」は、明らかに意味が違います。そういう「言葉の特性」というか「言葉のマジック」があります。
橋下市長の言う「民意」は、あきらかに「多数派のみ」を指しています。しかも、自分に投票してくれる人のみ。つまり、
「自分自身が民意(の代表)である」
という、実に自信に満ち満ちた(客観的に言えば「驕った」)考えなのではないでしょうか。本当の「民意」の中の「一部分」を「全体」と思わせる詭弁でしょう。それに乗せられた人が、後で気付いて文句を言っても、
「あの時、あなたは賛成したでしょう。自己責任(騙されるほうが悪い)です」
と言われる恐れは十分あります。
「大阪府知事」になった際の「大阪府職員」への第一声が、
「最後は僕と一緒に死んでください」
と言った人が、もし「国のトップ」になったら、「国民」に対して同じことを決して言わないと、2万パーセント保証できると断言できる人がいたら、根拠を説明してほしいです。
ところで、『聞き書 野中広務 回顧録』を読んでいたら、「小選挙区制度」が、そもそも日本の民主主義を衰退させたのではないか?と感じました。だからと言って「中選挙区制」には戻せない。それでは、やっていけないから「小選挙区制」にしたのだから。しかし・・・。
現在の選挙によって選ばれる人たちがやる政治が、本当の民主主義を代表しているように思えないから、フェイスブックなどで集まった人たちがデモを起こしたり、直接行動に出ているような気もします。