新・読書日記 2012_211
『民主義のあとに生き残るものは』(アルンダディ・ロイ、本橋哲也【訳】・岩波書店:2012、8、30)
表紙裏の写真を見ると、著者のロイさん、かなり美人です。1961年生まれ。同い年だ。
タイトルに惹かれて購入したが、何とも読みにくい。こちらの理解力を棚に上げて言わせてもらうと、どうやら訳が、忠実すぎてわかりにくいのではないか。(ストレートに言うと、翻訳が下手なのではないか?)巻末の著者と翻訳者の対談は、まだわかりやすかったが、翻訳が下手というよりも、出てくるインドのカタカナの人名やら地名が多すぎて混乱しているのかもしれない。たとえば、
「BJPの『統一』プロジェクトを実際に担っているのは、BJP所有の組織でイデオロギー的核とも言うべきRSS(民族奉仕団)と、その私兵集団であるVHP(世界ヒンデゥー教会)とバジラング・ダルだ」
という文章だと、カタカナやアルファベットの多さに辟易とさせられる。一文の中にこれだけ知らないモノが出てくると、混乱する。
でも、それだけではない。やはり"直訳調"の文章はわかりにくい。
「軍事基地や検問所、塹壕に囲まれて遊び、拷問室から聞こえる苦痛の叫びをサウンドトラックとして育ってきた若い世代が突然、集団で抗議することがいかに力となるかを発見し、そして何より背筋を伸ばして自らのために語ることの、自らを代表することの尊厳を見出したのだ。」
って、わかります?これでワン・センテンス。純文学的で難しいです。もっとわかりやすくすることは、可能なのではないでしょうか。「超訳」にしてくれたらいいのに・・・。
家の本棚を捜したら、10年ぐらい前に岩波新書から出ているロイさんの本を発見!まだ読んでないけど、これも本橋さんの翻訳でした。
なんとか読み終えてようやく一つ分かったことは、インドは第二次大戦後、アメリカとソ連の冷戦下で「第三世界」のリーダーであった。つまり、西欧的資本主義社会とは一線を画していた。しかし冷戦終結後、東西の対立に対する「第三世界」がその存立基盤を失い(いわゆる「グローバル化」=アメリカ的民主主義・資本主義社会に塗りつぶされる)単なる「後進国」になった中で、結局、アメリカ的資本主義を追いかける形となった。そうすると、「民主主義世界で最大の人口」を持つインドは、「IT」という「とっかかり」を通じて「BRICs」の一国として、資本主義社会で"注目株"となった。しかし、インドには、アメリカ的"民主主義"とは異なる実態が残されている。そして、「アラブの春」と同じような出来事が、カシミールで3年連続で起こっていても、世界のメディアは注目しない。「第三世界」が崩れて新たに「民主主義」がインドの目の前に出て来たが、これも崩れるのではないか?そのあとに残るものを見据えるロイの論調は、「グローバリズム」ではなく「コスモポリタン」的なもの。「国」(国家)というもののあり方に話は及ぶ・・・というように、なかなか難しい一冊でした。