新・読書日記 2012_205
『言論統制』(佐藤卓己、中公新書:2004、8、25)
この本を読み始めたのは、たぶん買った8年前。そこでちょっと読んで、それから4年ぐらいほったらかし。3~4年前に著者の佐藤卓己先生にお会いする機会があって、その前までに読もう!と頑張って続きから読み始めたものの、先生にお会いするまでには読めずに、また挫折。いつかは読まねば・・・と思いつつ、今日を迎える。430ページもの分厚い新書ではあるが、それにしても、挫折に次ぐ挫折の一冊だったが、何とか最終ページにたどり着きました。
学術書なのです。難しいのです。でもテーマは大変興味がある。
サブタイトルにある「情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」、その「鈴木庫三」という、知る人ぞ知る人物を通して、戦時下の言論統制の実態に迫った一冊。当時読み始めて「あ、もしかして"あれ"かな」と思ったのは、三谷幸喜の映画「笑いの王国」。あれも戦時下の情報統制、言論統制を描いたものであったが、もしかしたら、あれのモデルになったのが鈴木庫三かな?と思った。
現在「放送」は「放送法」という法律によって縛られている。それは「電波」という「公共財」の使用を国家に許されている(「放送免許」をもらっている)から。いま、新聞や雑誌は、そういった意味での制限のない「言論の自由」を持っている。しかし実は、新聞や雑誌といったメディアも、「紙」という媒体(素材)を統制されたら、現在の放送と同じことになるということが、戦時中にはあったということを、改めて知った。それが繰り返されないとは、保証されていないのが"現在"の日本だと思う・・・。「良いコンテンツ」があってもそれを「伝えるための方法」を持たなくては、「マスメディア」たりえないということ、それは新聞・雑誌の紙メディアでも同じだということが、よくわかった一冊。