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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_217

『極上ワイン100本~高級品の味わいをお家で!』(奥山久美子、朝日新書:2012、11、30)

前半はワインについての概説と最新のトレンドを。(後半は勉強になった。)公判67ページから後は、オススメのワインを1ページに1本、白黒写真と説明文で紹介。之を見ているだけで、ワインの香りがフワーンと広がったように思えたのはデジャブだろうか。何本かは飲んだことのあるワインもあった、大体お値段が3000円以上の者が多く、ちょっとデイリーワインにするには割高。「ここぞ!」というときには参考にしたい。そんな芳醇な香りが詰まった一冊。


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(2012、11、27読了)

2012年11月30日 21:14 | コメント (0)

新・読書日記 2012_216

『帰れないヨッパライたちへ~生きるための深層心理学』(きたやまおさむ、NHK出版新書:2012、7、10第1刷・2012、9、25第3刷)

懐かしい名前「きたやまおさむ」。フォーク・クルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」が流行ったのは、私が小学生の頃。あのラッキー・パンチのような大ヒットと、「放送禁止歌」になってしまった「イムジン河」、"有頂天"と"どん底"の落差を経験した中で、北山さんはイギリスに留学し、「精神科医」という道に進んだ。これはある意味での「逃避」だったのかもしれないと、自らも分析している。

やはりストレスの原因があるときに、それと真正面から取り組まずに「逃げる」「避難する」ということは大事だ。その「逃げ場所」「生きる場所」が必要なのだが、「帰る場所」が精神的にも物理的にも「ない」場合に、人は追い詰められる。自らを追い詰めてしまう。そんなとき、たった一言の客観的なアドバイスが、その窮地から救い出してくれることもある。「逃げ場所」は、網野善彦の言う「アジュール」であろう。そして追い詰めるものには「男の嫉妬」もある。これは実は「エディプス・コンプレックス」に起因すると。

タイトルから予想した内容ではなかったので、その点はちょっと残念であったが、興味深い点もところどころに見られた。すでに3刷。売れているようだ。


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(2012、11、21読了)

2012年11月30日 20:08 | コメント (0)

新・読書日記 2012_215

日経プレミアプラスvol.2~人は本棚で決まる』(日本経済新聞出版社:2012、11、5)

新書サイズの雑誌、のようだ。そうだとは知らずに普通の新書だと思って買った。文庫本ではこういった取り組みもあったと思うが、新書でも同じような動きが。

池井戸潤と池上彰の、世代差がちょっとある(?そんなにないか)対談やら、後半に出て来たイトイ系の「オトナ語」で出世できるか?という特集も興味深かった。

「雑誌」の「新書化」、こういうのも「あり」かなあと思いました。

 


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(2012、11、17読了)

2012年11月30日 19:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4900「目を押さえる」

 

いつものように「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

「ハンカチで目を押さえる」

という表現が。わかります、わかりますよ。でも、なんとなく違和感が・・・

あそうか、ハンカチで抑えるのは「目」ではなく「目頭」だ!

成語としては、

「目頭を押さえる」

ですね。「めがしら」と読みます、念のため。「めあたま」ではありません。

 

×「ハンカチで目を押さえる」→○「ハンカチで目を押さえる」

 

こういった似ている表現は見逃しがちですよねえ・・・。

(2012、11、27)

2012年11月28日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4899「節制と摂生」

 

11月27日の「ミヤネ屋」で、歌手の井上順さん(65)「感音性難聴」という病気で耳が聞こえなくなっているというニュースをお伝えしました。そのVTRに出てくれた専門の医師の話をフォローするスーパーをチェックしていたら、

「節制してよく寝て」

というのが出てきました。最初はそのまま「○」を付けたのですが、

「あれ?ちょっと待てよ。これでいいのかな?」

と引っかかって、日本新聞協会の『新聞用語集2007年版』をチェック。やっぱり「せっせい」には、2種類ありました。つまり、

「節制」と「摂生」

です。『新聞用語集2007年版』の区別では、

*「摂生」=【養生】(例)摂生に努める

*「節制」=【欲望を慎むこと】(例)酒・たばこを節制

とありましたが、その違いがあまりよくわかりません。そこで、読売新聞の『読売スタイルブック2011』を引くと、

*「摂生」=(健康に注意して、体をいたわる)(例)摂生して回復に努める、不摂生

*「節制」=(欲望を慎み、規則正しい生活をする)(例)酒・たばこを節制する

と、ありました。『新聞用語集』と似たような感じですが、こちらの方がよくわかった気がしました。つまり、「節制」の場合は「タバコを節制する」「酒を節制する」のように「~を」という目的語を取ります。「全体的なせっせい」は「摂生」を使うようです。

そう考えると、今回のケースは、目的語が付いていなかったので、

「摂生してよく寝て」

とした方がいいかなあと思って、そう直しました。

(2012、11、27)

2012年11月28日 12:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4898「最後の切り札」

「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

「最後の切り札」

という言葉が出てきました。

これって、もし、その手段でもダメだった時のことを考えると、「最後」と言ってしまっていいのか?と悩んで、まず「最後の」をハズしました。そこで気付きました。

「大体"切り札"は最後に出すに決まってるやん。だから"最後の"は重複表現だ!」

そして、最初の「これを"最後"と言ってしまっていいのか?」の考えから言うと「"切り札"とこちらが決めつけてしまっていいのか?」と思い、「いわゆる」を意味する" "を付けて、以下のようにしました。

 

×「最後の切り札」→○「"切り札"

 

(2012、11、27)

2012年11月27日 13:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4897「あむない」

 

JR東西線の電車に乗ろうとしたら車掌さんがホームへの放送で、

 

「あむないですから、駆け込み乗車はご遠慮ください」

 

と。おお!、

 

「あむない!」

 

もちろん、意味は(標準語で言うと)、

 

「危ない」

 

ですが、その大阪弁、久しぶりに聞いたような気がしました。

「あむない」「あぶない」

は、「む」と「ぶ」、「MU」と「BU」ですが、やはり「発音上」は「近い音」なんですね!改めて認識しました。

しかし「あむない」は、あんまり「危なくない」ような柔らかい響きでんなあー。と聞き惚れていたら、あっ!あむない!!

(2012、11、23)

2012年11月26日 11:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4896「ちょっと昔の"孤独死"」

 

大滝秀治さんが亡くなりました。

森光子さん、山田五十鈴さんと、今年は高齢の大御所が相次いで亡くなった年でもありました。(桑名正博さんは、まだ若かったんだけど・・・)

その大滝さんの出演したドラマを、先日、NHKで放送していました。

『オールドフレンド』

という作品です。土曜の昼下がり、つい見入ってしまいました。

高速道路の料金係に再就職して働いている、奥さんに先立たれて一人娘と暮らすちょっと偏屈な主人公が、その職場での「オールドフレンド」との付き合いや、婚約者を家に連れて来る一人娘の結婚問題、仲間が出勤してこないと思っていたら死んでいて、その葬儀にやってきた息子は、もうおやじのことなどなんとも思っていない様子などが描かれ、その後、料金所の仲間と二人で旅に出るが、なかなか楽しめない・・・。「老い」と「孤独」、「生きがい」がテーマかな。

この作品が作られたのが、1991年。つい20年ほど前です。あ、「ふた昔前」か。「ソ連」が崩壊した年だな。「平成(3年)」なのに「昭和」の香りがプンプンするドラマでした。そのドラマの中で、

78歳の一人暮らしの老人が死んでいる」

というシーンが出てきます。テレビニュースでも老人が一人で死んでいるのが見つかったと伝えています。

「孤独死」

は、ここ数年「孤立死」とともによく取り上げられましたが、20年前からすでに出現し始めていて、その数が最近増えた(老人の数が増えた)だけではないか、と改めて思いました。

(2012、11、22)

2012年11月25日 17:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4895「だし汁」

 

報道のSデスクが、

「道浦さん、『だし汁』って言葉はあるんですか?(正しいんですか)」

と聞いてきました。

「うーん、あるんじゃない?正しいかどうかわからんけど。『出汁(だし)』に『汁』を付けると『出汁汁』になっちゃうんで、平仮名で『だし』と書いて『だし汁』として、スーパーなんかは出してるけどね、『ミヤネ屋』では」

と言いながら辞書を引くと、

「出し汁」

で載っていました。

あ、そうか、「鰹節や煮干し」などの「だし」を煮出して取った汁が「出し汁」か。

「煮出し汁」が短くなって「出し汁」、それをツウの人が「汁」を省略して、

「だし」

と言うことが多くなった。だから「出(し)汁」を意味する「だし」に「汁」を付けると重複しているように感じるのではないかな?

というような私の思いつきを話したら、S君は納得してくれました。

(2012、11、23)

2012年11月25日 13:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4894「日本を探している暴走老人です」

 

「ミヤネ屋」のテロップを、放送前にいつものようにチェックしていました。

すると、石原慎太郎・前東京都知事の発言(挨拶)のコメントフォロースーパーで、

「日本を探している暴走老人です」

というテロップが。

「日本を探している」?

なんだかヘンだな・・・。AD君に確認すると、

「たしかにそう言ってました」

と自信ありげに言うのです。うーん、でも視聴者が見て、これ、意味が解らんぞ。

そこでディレクターに確認すると、

「え、違いますよ!『騒がしている』です!」

と言うではありませんか。つまり

「日本を騒がしている暴走老人です」

と石原さんは言ったのでした。それが、まあそんな滑舌が良かったわけでもなく、早口の東京弁で、

「さーがしている」

と言ったのでしょう。それをAD君は、

「探している」

と聞いたのです。大きな原因は、しゃべった方と聞いた方の理解力の差、つまり、ボキャブラリーが少ない「話し言葉」だけで育った若者が、年長者のしかも「書き言葉」の世界になじみがないことが原因でしょう。それにしてもどうも最近、こういった間違いが多い。ここで一つ疑問が。

「もしかしたら、今の若者の話す(そして聞き取る)母音と、従来の日本人が話す母音の音が変わってきているのではないか?」

ということです。よく言われるのは、

「最近の若者は、『シ』と発音できない。全部『スィ』になってしまう」

という話。これも関係しているのかもじれません。

こういった「母音の変化」があるから、きっちりと音(言葉)を聞き取れないのではないか?もし、そうだとすると、これは結構コワイことですよね。

同じ日本語を話しているつもりでも、今私たちが話している日本語と違う日本語を話す若者が増えている・・・日本の行く末は・・・?と心配になるのです。「暴走日本語」?

ところで、「暴走老人」という言葉は、作家の藤原智美さんの2007年に出した著作に基づくものですよね?でも、みんな、あの本を読んだのかな?田中真紀子さんは読んだんでしょうけど。

(2012、11、23)

2012年11月24日 14:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4893「西村と道浦」

「ミヤネ屋」のスタッフが、

「道浦さん、東京スタッフのIさんからお電話です!」

というので、Iさんか、珍しいなと思いながら、

「ハイ!道浦です!」

と出てみると、とっても恐縮した声で、

「あ・・・すみません、道浦さんでしたか・・・"西村さん"ってお願いしたんですが・・・」

とのこと。間違い電話だ。確かに「西村」と「道浦」、似てないこともない。

「西村」には、実は2通りのアクセントでの呼び方があって、

(1)ニ/シ\ムラ(中高)

(2)ニ/シムラ(平板)

がありますが、(1)の方だと「ミ/チ\ウラ」と似ています。となぜかというと、

「4つの母音が、すべて同じ」

なんですね。ローマ字でわかりやすく書いてみましょう。

「N

「M 

ねっ!

ということで、子音の発音をしっかりしないと聞き間違いやすい。

(2)のアクセントにすれば、間違いは防げますけどね。

同じような間違いの話を、「平成ことば事情3464市村と道浦」に書きましたので、そちらもお読みください。「市村さん」ともよく間違われるんです。

(2012、11、22)

2012年11月23日 19:03 | コメント (0)

新・ことば事情

4892「第三極か?第3極か?」

12月16日に投票日が決まった衆議院選挙。ここへ向けてこのところ頻繁に出てくる言葉が、

「第三極」

です。この表記が漢数字か、洋数字か、両方あります。

読売テレビの「ミヤネ屋」では、漢数字で、

「第三極」

としています。ただ、系列のキー局・日本テレビは、

「第3極」

洋数字で、読売新聞社も洋数字の、

「第3極」

です。放送他社はどうか?私の「観察」では、

*「第三極」=フジテレビ(「特ダネ」)、テレビ朝日(「スーバーバード」)TBS、テレビ東京

*「第3極」=日本テレビ(「ストレイトニュース」「ZERO」「every」)

 

一報、「新聞」(2012年11月21日朝刊)、

*「第三極」=朝日、産経

*「第3極」=読売

といったところ。「共同通信記者ハンドブック」には、

「第三極」

「漢数字」で載っていました。

実は以前も、これを調べて「平成ことば事情4333」に書きました。2011年37日です。東日本大震災の直前ですね。調べたのはさらにその前の年の2010年5月でしたが、その際(2010年5月21日の新聞紙面)は、

(毎日新聞)第三極

(読売新聞)第3極

となって。その後の2010年5月24日の新聞

(日経新聞)第三極

でした。これがそのままだとして先ほどのところに当てはめると、新聞・通信社は、

*「第三極」=朝日、産経、毎日、日経、共同通信

*「第3極」=読売

となり、「洋数字」を使っているのは読売新聞だけということになりますね。

(2012、11、21)

2012年11月22日 19:53 | コメント (0)

新・ことば事情

4891「チャンスメーク」

2012年11月16日の深夜のテレビ東京のスポーツニュースで、女性アナウンサーが、

「チャンスメークします」

と原稿を読んでいるのを耳にしました。これって、これまでは、

「チャンスを作ります」

としていた文章でしょう。「名詞」がカタカナ語に置き換わるのは、それほど不思議なことではありません。しかし、「動詞」までカタカナ語化すると、はやり始めた頃には叩かれた

「ゲットする」

のように、かなり違和感があります。

日本人がみんな長嶋監督(今は「終身名誉監督」か)になってしまうような危機感を覚えます。いや、長嶋さんが悪いと言っているわけではありませんが。そんな「メークミラクル」はあり得ないですし。古いな、どうも。

とはいえ、

「デパートがオープンしました」

「きょうからスタートしました」

のように「オープン」「スタート」などは、もう日本語化していますし、「絶対におかしい」とは言い切れないのも、たしか。どの辺にラインを・・あ、線を引けばいいのでしょうかね?

スポーツの分野では、どうしてもカタカナ語が使われる傾向にあり、それが「専門的」に聞こえるということがあります。

そういう意味で「スポーツニュース」って微妙な存在だと思いますね。あんまり「スポーツ側」に寄り添いすぎてもいけないし、かと言って、完全に「他人」「素人」では信憑性がなくなってしまうし。その匙加減が難しいですね。

(2012、11、21)

2012年11月22日 11:09 | コメント (0)

新・読書日記 2012_214

『神去(かむさり)なあなあ日常』(三浦しをん、徳間文庫:2012、9、15)

三浦しをんの「お仕事小説・自然篇」と帯に書いてあるが、「林業」編。舞台は三重県。三重県生まれの私としては、故郷の「山」のイメージを重ね合わせたりして読んだ。しかし、よくこれだけのものを書けるなあ。相当、密着取材しないと書けないのではないか?という林業の世界の話、しかも「男の世界」の話が出てくる。それでいて爽やかな青春小説。いいですよ、これは。2009年5月に単行本が出ている。

以下、ピックアップした所の書き抜き。

*(51p)「遊ぶな、ごるぁー」、(81p)「ごるぁ、勇気!」

~三浦しをんの小説によく出てくるこの「ごるぁー」。マンガの「ごくせん」のイメージが強いのだが、元祖は誰だろうか?

*(64-65p)「ひょうつく(心がつめたくなるような)」「すいたらもん(スケベ野郎)」

~三重県の方言のようだが、私は知りません。

*(69p)「嘘ついたらあかんねぃな」

~語尾が特徴。三重県でも、久居とかちょっと愛知県に近いところは「~やにぃ」のように「な業」の語尾に特徴がある。これ、結構かわいい。

*(69p)「空には星が輝いている。星座を見つけるのも困難なほど、たくさんの星だ。慣れない豪華な夜空に、目が回ってきた。」

~わかる、わかる。私も生まれて初めて「流れ星」を見たのは、三重の田舎でだった。それにしても、上手い表現だなあ・・・。

*(76p)「皆伐(かいばつ)ってなんですか」「ある区画に生えている木を、すべて切りだすことや」「皆伐すると、切りだすときの手間はかからんが、その斜面はハゲちゃびんになってしまうやろ。『環境、環境』てうるさいご時世やし、山崩れが起きる危険もある。いまは、切りだす木を選ぶ間伐(かんばつ)のほうが主流やな」

~林業用語をうまく解説。初めて知った言葉です。

*(77p)「この斜面に生えたボヤ(灌木=かんぼく)」

~これも初めて知った林業用語。灌木のことを「ボヤ」というのか。じゃあ、「ボヤ」が焼けたら「ボヤボヤ」か?

*(77p)「皆伐したあとにシダがはびこったら、木も生えない。きちんと植林しつづけていけば、山の環境は守られる。」

~そうなのか。ちょっと「林業組合」の広報のような感じも・・・。でも正論。

*(80p)「巻き落とし」=「斜面に倒され折り重なった灌木に、棒を差しこむ。テコの原理でぐっと持ちあげると、倒木は下方にあった倒木を巻きこんで、くるりくるりと斜面を下りだした。巌さんは棒一本で、斜面にあった倒木を巧みに操る。太巻きの寿司みたいに、ひとかたまりに丸めこんでしまった」

~これが「巻き落とし」か。

*(81p)「表土は栄養たっぷりの、山の命やで!命を蹴立てて歩くやつがおるか!」「土がやわらかいのは、手入れが行き届いていて栄養たっぷりの山の証拠や」

~「表土」は・・・そうなのか。でも被災地では「表土」の「除染」をしなくてはならない・・・。

*(101p)「狭い村では、建前と噂話が生活の潤滑油なんだ」

*(110p)「どうどうと鳴る夜の山には」

~これは「宮沢賢治」ですね。そんな世界なんですね。

*(119p)「どの木を伐倒(ばっとう)し、どの木を残すのか、判断は難しい。」

~そりゃ、そうでしょうねえ。

*(132p)「木馬道(きんまみち)」「木馬ちゅうのは、橇(そり)やな」「材木を積んで、人力で引っ張る橇(そり)や」

~「木馬」=「きうま」が訛って「きんま」か。

*(132-133p)「本来、山仕事は分業制なんや。(中略)俺たちの班は、基本は伐倒担当や。杣(そま)やな。杣の中でも、ヨキみたいに斧一本で仕事をするもんのことは、特に木こりて呼ぶ。倒した木を割って材木にするのは、木挽(こび)きちゅうて、また別の担当がおった。丸太や材木を山から運びだすもんのことは、"ひょう"ていうた。修羅を組んだり、木馬道を作ったりするのは、主に"ひょう"の役目やった」

~勉強になりますー。

*(151p)「なっともしゃあない(なんともしかたがない)」「『なあなあ』かつ『なっともしゃあない』で物事にあたっていく覚悟と強さがないと、生まれる人数よりも死ぬ人数のほうがずっと多い神去村では、やっていけないのかもしれない」

~「なっともしゃあない」は、昔、聞いたことがあります!

*(166p)「祭壇に刺してある木の枝だ。つやつやした緑の葉をいっぱいつけている。『"しきび"や』とヨキは言った。『墓参りのときに持っていく。おもえんとこでは使わんか?』「香りがあって長持ちするでな。ここいらでは墓地に植えてあって、葬式や法事の時に切って来るんや」

~「しきび」知ってまーす!お墓参りでは持っていきます!しきびの樹を枝から切って持って行きました!

*(194p)「"もんどり"ちゅうて、ウナギを捕る罠(わな)や」

~これも知っている・・・ような気がします。

*(195p)「餌は?」「そんぐらい、ウナギのほうでなんとか算段してもらわんと困る」

~こういったギャグのような言い回し、亡くなった祖父がよく使っていたような気がします・・・。ちょっと、懐かしい。ユーモアですね。

*(213-215p)山太「綿菓子買(こ)うて」「山太のお目当ての綿あめ屋もあった」「いつ見ても、綿あめができあがる様子は魔法みたいだった」「おじさんが目の前で作り上げたばかりの綿あめを食べたいらしい」「戦隊物の綿あめの袋が欲しかったけどなあ」「特大の綿あめを作ってくれた」

~三重県の子である「山太」は「綿菓子」と言い、横浜出身の主人公は「綿あめ」という様子が書き分けられているのはすごい!と思った。三浦しをんの言葉に関する感性の鋭さを感じます。

*(217p)「空はいつのまにかすっかり暗くなり銀色の星がいっぱいに輝きだしていた。『うわあ』 南の山のすぐ下を、神去川が闇に白く流れている。見上げれば映したように、空にも大きな星の川。『天の川ってすげえよな。俺、村に来るまで見たことなかったんだ』 だけど山太は、ガキだから星なんか見ていない。」

~このあたりの表現もリアルで、よく伝わってくる。ロマンチックが、現実に地に足を付けている、そういった感じ。

*(265p)「ぶつべし(つべこべ)言われる筋合いはないねぃな」

~この「ぶつべし」という方言は、知りません。

*(298p)「切断面(木口(こぐち)って言う)

*(315P)「ふだんよりも心臓がバクバクしてるのに変わりはないんだけど」

*(337-338P)「夕方から清一さんの家で"呼ばれ"が開かれる。呼ばれってのは、早い話が宴会」

~「呼ばれ」「お呼ばれ」は、よく耳にした。「ほんなら、呼ばれていこかあ」「どーぞ、召し上がってだーこ(頂きましょう)」というような感じかな。

いやあ、満足しました。

続編があるらしいですよ。楽しみ。


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(2012、11、12読了)

2012年11月21日 19:28 | コメント (0)

新・読書日記 2012_213

『現代用語の基礎知識2013』(自由国民社:2012,11、15)

ご存じ『現代用語』の2013年版が出ましたよー!わたしも「日本語事情」という項目を5ページだけですが、真ん中よりちょっと後ろの方に執筆しています。読んでね!

それ以外も、全部で1600ページもあるんですから、読み応えいっぱいですが、巻頭のカラー写真のグラフは迫力がある。東日本大震災から1年8か月が経過した、なんとなく「日常」の風景の中で、東北以外の人たちの頭の中から消えつつある"その現状"は、あの日から変わっていないんだ・・・ということを、これらの写真が思い起こさせてくれる。

東日本大震災から2年が経つ「2013年版」にしては、ずいぶん「東日本大震災」にページを割いているのでは、と思うぐらいの「思い入れ」がある。

カラーグラフの後の中村桂子さん、森達也さん、武田徹さんの文章も必読だ。

そして、今度は最終ページを読んでほしい。編集後記に記された清水編集長の「思い」を受け取ってほしい。「2013年版」は、「2012年版」よりも、被災地への強いを込めた一冊に仕上がっている。ここから立ち上がらなければならない日本の姿、そして、決して忘れてはいけないことが詰まった一冊である。青い表紙もグッド。(2012年版は「緑」でした。)

あ、それから、老眼の年配者向けに「大きいサイズ」も、ちょっと値段は割高ですが販売されています。昔は大きいサイズだったんですけど、ここ何年かは小さいサイズだけでした。


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(2012、11、20)

2012年11月21日 18:53 | コメント (0)

新・読書日記 2012_212

『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』(町山智浩、講談社:2012、9、15第1刷・2012、11、6第3刷)

このところ立て続けに町山智浩の本が出ている感じがする。つい買ってしまったが、買った時点でもう3刷、しかも発行日は116日、アメリカ大統領選挙の日だ!

アメリカの政治を巡る状況、ここ4年程を、この本でおさらいすることができた。

リパブリカン(共和党)は、もともと「各州」ごとの自治政府を重視して「小さい政府」を求めている人たち。だからアメリカで言う「田舎の州」に多い。一方、民主党は東海岸・西海岸の「都会」が支持基盤で、「アメリカ合衆国」という一つに「国=政府」が統治すべきだという考え。そういった現状がよくわかった。ただ、それぞれの党に属する政治家、大統領候補も含めていかにゲタラメな人が多いのか、そしてそういった人々を「いい加減だけど、まあ、いいや。えいやっ!」と勢いだけで選んでしまっているかということも、よくわかった。大統領選挙の前に読んでおきたかった一冊。あ、でもこれって、別にアメリカに限った話じゃあ・・・。


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(2012、11、17読了)

2012年11月21日 11:46 | コメント (0)

新・読書日記 2012_211

『民主義のあとに生き残るものは』(アルンダディ・ロイ、本橋哲也【訳】・岩波書店:2012、8、30)

表紙裏の写真を見ると、著者のロイさん、かなり美人です。1961年生まれ。同い年だ。

タイトルに惹かれて購入したが、何とも読みにくい。こちらの理解力を棚に上げて言わせてもらうと、どうやら訳が、忠実すぎてわかりにくいのではないか。(ストレートに言うと、翻訳が下手なのではないか?)巻末の著者と翻訳者の対談は、まだわかりやすかったが、翻訳が下手というよりも、出てくるインドのカタカナの人名やら地名が多すぎて混乱しているのかもしれない。たとえば、

「BJPの『統一』プロジェクトを実際に担っているのは、BJP所有の組織でイデオロギー的核とも言うべきRSS(民族奉仕団)と、その私兵集団であるVHP(世界ヒンデゥー教会)とバジラング・ダルだ」

という文章だと、カタカナやアルファベットの多さに辟易とさせられる。一文の中にこれだけ知らないモノが出てくると、混乱する。

でも、それだけではない。やはり"直訳調"の文章はわかりにくい。

「軍事基地や検問所、塹壕に囲まれて遊び、拷問室から聞こえる苦痛の叫びをサウンドトラックとして育ってきた若い世代が突然、集団で抗議することがいかに力となるかを発見し、そして何より背筋を伸ばして自らのために語ることの、自らを代表することの尊厳を見出したのだ。」

って、わかります?これでワン・センテンス。純文学的で難しいです。もっとわかりやすくすることは、可能なのではないでしょうか。「超訳」にしてくれたらいいのに・・・。

家の本棚を捜したら、10年ぐらい前に岩波新書から出ているロイさんの本を発見!まだ読んでないけど、これも本橋さんの翻訳でした。

なんとか読み終えてようやく一つ分かったことは、インドは第二次大戦後、アメリカとソ連の冷戦下で「第三世界」のリーダーであった。つまり、西欧的資本主義社会とは一線を画していた。しかし冷戦終結後、東西の対立に対する「第三世界」がその存立基盤を失い(いわゆる「グローバル化」=アメリカ的民主主義・資本主義社会に塗りつぶされる)単なる「後進国」になった中で、結局、アメリカ的資本主義を追いかける形となった。そうすると、「民主主義世界で最大の人口」を持つインドは、「IT」という「とっかかり」を通じて「BRICs」の一国として、資本主義社会で"注目株"となった。しかし、インドには、アメリカ的"民主主義"とは異なる実態が残されている。そして、「アラブの春」と同じような出来事が、カシミールで3年連続で起こっていても、世界のメディアは注目しない。「第三世界」が崩れて新たに「民主主義」がインドの目の前に出て来たが、これも崩れるのではないか?そのあとに残るものを見据えるロイの論調は、「グローバリズム」ではなく「コスモポリタン」的なもの。「国」(国家)というもののあり方に話は及ぶ・・・というように、なかなか難しい一冊でした。


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(2012、11、18読了)

2012年11月20日 17:39 | コメント (0)

新・読書日記 2012_210

『百年前の日本語~書きことばが揺れた時代』(今野真二、岩波新書:2012、9、21 )

ちょっと専門的過ぎた感じ。著者は3年前に『振仮名の歴史』 (集英社新書)という面白い視点の本を出している。文字表記の歴史についての専門家だ。

漱石の自筆原稿の文字の使い方なども研究していて興味深い。サブタイトルに「書き言葉が揺れた時代」とあるが、21世紀に入った現代においても、ケータイの文章は「話し言葉の文字化」だということを考えれば、「書き言葉が揺れている」と言えるだろう。


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(2012、11、11読了)

2012年11月20日 10:38 | コメント (0)

新・読書日記 2012_209

『書店の棚 本の気配』(佐野衛、亜紀書房2012、9、28)

行きつけの本屋さんの棚に、さりげなく差し込んであった薄めの本。白いカバー。手に取って買ってしまった。著者は「東京堂書店」で長らく店長を務めていた「業界人」。紙から電子本への流れの中、リアル書店の生き残りのため、その良さをいかにアピールできるか、現場で頑張ってるんだなあと。作家本人を呼んでの「サイン会」や「講演会」の企画などの話も出てくる。その作家のお気に入りの「棚」を作る企画などで、作家との交流も記されている。作家も、書店との付き合いは重要視しているんだろうな。作家ではないが、俳優の菅原文太さんも、東京堂書店のご常連のようだ。この本を読んだ次の日に、菅原文太さんが政党(?)を立ち上げるというような話が週刊誌に出ていると。現代日本を憂いていらしゃるるのだなあと感じた。


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(2012、11、12読了)

2012年11月19日 11:37 | コメント (0)

新・読書日記 2012_208

『9割の日本人が知らない「日本語のルール」』(佐々木瑞枝、中経出版:2012、5、5第1刷・2012、7、8第3刷)

表紙は、銀色の地に赤い丸。その赤い丸の中にタイトルが記されているが、当然「日の丸」をイメージしたのだろう。

佐々木瑞枝先生と言えば、外国人に日本語を教えるプロで、日本語を客観的に外から見るプロ。これまでに50冊以上の著作があるそうだ。そのうちの何冊かは私も読んでいる。

よく似た二つの言葉の意味の違いと使い分けを「50例」取り上げている。イラスト入りで書かれているので、精読しなくてもパラパラっと読めば内容はわかる。ということで読みやすい。

一応、言葉の専門家という立場にある私としては「9割の日本人知らない~」の「9割」には入らず、残りの「1割」に属するのだと思うが、それでも「へえー、知らなかった!」ということがいくつもあった。

たとえば、「漢字には三種類の音読みがある」で、「呉音(5~6世紀、中国南方から朝鮮の百済を経由して伝わった)」「漢音(8~9世紀、中国の長安の音が遣唐使によって伝わった)」「唐音(13世紀、禅僧が日本にもたらした。特殊な音が多い。例:「行脚」「布団」「暖簾」など)」ということは知っていたが、

「呉音=mは、漢音のb」(例:「文」→「呪文」=呉音、「文学」=漢音)

「呉音=nは、漢音=d」(例:「内」→「社内」=呉音、「境内」=漢音)

「呉音=bは、漢音=h」(例:「平」→「平等」=呉音、「平和」=漢音)

「呉音=nは、漢音=z」(例:「然」→「天然」=呉音、「自然」=漢音

という発音上の区別は知らなかった。特に一番上の「呉音=mは、漢音のb」は、「ん」の音が、日本語では3種類ある、と言われるのは、つまりこれではないか!?と気付かせてくれた。大変、勉強になりました!!


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(2012、11、14読了)

2012年11月18日 17:36 | コメント (0)

新・読書日記 2012_208

『9割の日本人が知らない「日本語のルール」』(佐々木瑞枝、中経出版:2012、5、5第1刷・2012、7、8第3刷)

表紙は、銀色の地に赤い丸。その赤い丸の中にタイトルが記されているが、当然「日の丸」をイメージしたのだろう。

佐々木瑞枝先生と言えば、外国人に日本語を教えるプロで、日本語を客観的に外から見るプロ。これまでに50冊以上の著作があるそうだ。そのうちの何冊かは私も読んでいる。

よく似た二つの言葉の意味の違いと使い分けを「50例」取り上げている。イラスト入りで書かれているので、精読しなくてもパラパラっと読めば内容はわかる。ということで読みやすい。

一応、言葉の専門家という立場にある私としては「9割の日本人知らない~」の「9割」には入らず、残りの「1割」に属するのだと思うが、それでも「へえー、知らなかった!」ということがいくつもあった。

たとえば、「漢字には三種類の音読みがある」で、「呉音(5~6世紀、中国南方から朝鮮の百済を経由して伝わった)」「漢音(8~9世紀、中国の長安の音が遣唐使によって伝わった)」「唐音(13世紀、禅僧が日本にもたらした。特殊な音が多い。例:「行脚」「布団」「暖簾」など)」ということは知っていたが、

「呉音=mは、漢音のb」(例:「文」→「呪文」=呉音、「文学」=漢音)

「呉音=nは、漢音=d」(例:「内」→「社内」=呉音、「境内」=漢音)

「呉音=bは、漢音=h」(例:「平」→「平等」=呉音、「平和」=漢音)

「呉音=nは、漢音=z」(例:「然」→「天然」=呉音、「自然」=漢音

という発音上の区別は知らなかった。特に一番上の「呉音=mは、漢音のb」は、「ん」の音が、日本語では3種類ある、と言われるのは、つまりこれではないか!?と気付かせてくれた。大変、勉強になりました!!


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(2012、11、14読了)

2012年11月18日 10:43 | コメント (0)

新・読書日記 2012_207

『切手紀行シリーズ⑤ 喜望峰~ケープタウンから見る南アフリカ』(内藤陽介、彩流社:2012、11、10)

ご高著、拝読いたしました。いつもながら、「地球の歩き方」も、かくや・・・と思われるほど、ひとりで詳しく足で調べ、しかも歴史を深く掘り下げ、立体的にその土地と時代を描いていく、その懐の深さに恐れ入りました。写真もきれいで、とっても豊富で。今回は、これまでほどは「切手の図案と、実際の景色の合致」にこだわっていなかったような気も。でも、それが「丁度良い」感じでした。

「テーブルマウンテン」という名前のワインがあるのは知っていましたが、その「テーブルマウンテン」が、本当に山頂が真っ平らでテーブルみたいな形であることや、実際にケープタウンにある山だということは知りませんでした。また、強制収容所の起源が、ボーア戦争にあることや、チェ・ゲバラの肖像を置く店がケープタウンにあるなどなど、うんちく満載で大変勉強になり、「一度、行ってみたいなあ」と思いました。2010年の(南アフリカ)ワールドカップの際には行けなかったので・・・。

また、39ページに出てくる寺尾聰の「リフレクションズ」なんて、懐かしいではありませんか!このあたりは「同世代ならでは」という感じですね。

ケープタウンに行ってなくても、行った気分になりました。

「本」で旅行ができる一冊です。


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(2012、11、13読了)

2012年11月17日 18:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4890「期待のみぎうで」

 

先日。

私は聞いてなかったのですが、うちの若い女性アナウンサーが高校野球のニュースで、「右投げのピッチャー」のことを

「期待のみぎうで」

と原稿を読んでしまったそうです。確かに「右腕」は訓読みでは「みぎうで」ですが、「右投げのピッチャー」のことは、

「うわん」

と言うのが常識・・・です。野球を少しでも知ってる人なら常識です。いまや「野球を知らないことが常識」となっているのでしょうか?でも、ニュースを読む「アナウンサー」なら知っておかなきゃいけないことです。泣きたくなりました。うわーん。

女性なので(?)野球に接することがなかったのでしょうねえ・・・という話を知人としていたら、

「他車ですが、やはり若い女性アナウンサーで、『左投げ左打ち』を『左投左打』と書いてあったのを、『さとうさだ』と読んだのを聞いたことがありますよ。」

と。え!!「さとうさだ」!佐藤貞?らせん」で追い回されそうな悪夢を見そうな・・それはサダコか。

そんな読み方をされたら、やはり、うなされそうです。

(2012、11、13)

2012年11月17日 12:37 | コメント (0)

新・ことば事情

4889「営まれる」

 

「ミヤネ屋」のスタッフからの質問です。

「『告別式』と『通夜』、『営まれる』を使うのはどちらでしょうか?」

うーん、どっちも使うんじゃないの?

「告別式が営まれる」「通夜が営まれる」

別に動詞の区別はしたことがないなあ。「営まれる」を使うとお線香の香りがしてきそうな気がします。気のせいでしょうか?

ただ、

「開かれる」

は、こういったしめやかな行事には向かないなあ。

「告別式が開かれた」「通夜が開かれた」

とは言わないよね。

一方で、

「行われる」

は、「告別式」には、

「告別式が行われた」

使えそうだけど、「通夜」には、

「通夜が行われた」

とは使わない気がします。

G00gle検索(11月12日)では、

「告別式が営まれる」=1万0500件

「通夜が営まれる」 =1万5300件

でした。過去形は、

「告別式が営まれた」=2万4200件

「通夜が営まれた」 =2万2400件

ついでに、「開かれた」は、

「告別式が開かれた」= 8万4700件

「通夜が開かれた」 = 2万9700件

 

あ、「告別式」はかなり頻繁に「開かれた」のですね。「通夜」も・・・。「営まれる」よりもネット上ではよく使われています。

「行われた」は、

 

「告別式が行われた」=16万6000件

「通夜が行われた」 = 6万7500件

特に「告別式」は「行われた」が圧倒的に使われています。「通夜」も「開かれた」より3倍近く使われています。

「現在形」では、

「告別式が開かれる」= 5万2100件

「通夜が開かれる」 = 1万7110件

 

「告別式が行われる」=13万3000件

「通夜が行われる」 = 5万4000件

でした。

ネット上では「告別式」「通夜」ともに、一番たくさん使われている動詞は、

「行なわれる」「行われた」

でした。

それで検索していたら・・・なんと「平成こととば事情3636 通夜が営まれ」というのを2009年に書いてました!!覚えていないわあ。

また、「葬儀Book」というサイトには、こう記されていました。ご参考までに。

「仏式葬儀では通夜と告別式が執り行われ、二日にわたって故人との最後のお別れをすることになるのが一般的な流れですが、本来の仏式葬儀では通夜と告別式がセットになっていたわけではありません。」

「お別れを告げに行く告別式=『通夜』の翌日に執り行われる『告別式』は、本来は『葬儀とは全く無関係のもの』でした。日本で最初に『告別式』が行われたのは、1901年に亡くなった思想家の中江兆民の葬儀で、最初は無宗教葬の一つとして行われたといわれています。 芸能人や有名人が亡くなった後にファンに向けて行う『お別れの会』が、『告別式』の本質であると考えてよいでしょう。『告別式』では、参加した多くの人が出来るだけ故人との最後のお別れを済ませられるよう『通夜』を簡素化した内容が行われます。」

よくわかりました。日本で最初に『告別式』が行われたのは、今から111年前、思想家の「中江兆民の葬儀」だったのですか!勉強になりました。

(2012、11、12)

2012年11月16日 17:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4888「殺害を?に?踏み切る」

※今年(2012年)2月13日に書きかけたままだったものです。

 

報道のSデスクからの質問。

「『殺害"を"踏み切る』か『殺害"に"踏み切る』か、どっちでしょうか?容疑者の供述内容なんですが・・・」

 

「『殺害"に"踏み切る』、だろうね。『殺害する』は目的語として『○○を殺害する』だし、『踏み切る』の『踏む』は、目的語として『○○を踏む』となるけど『踏み切る』は単に『○○を踏む』のではなく、『○○の方向に進む』という意味だから、助詞は『に』を伴うんだろうね」

と答えました。これって、

「『靖国神社"に"参拝する』か『靖国神社"を"参拝する』か」

と似た問題ですね。結局、

「踏み切る」

という複合語の場合、「切る」は補助動詞なので「踏む」の前に付く助詞「を」を取りたくなりますが、実はこの「踏み切る」は「踏む」のではなく、

「舵を切る」「決断する」

という意味なので、「~に」を前に取らなくてはなりません。

複合動詞の語形になじみがあれば、問題なく「に」にするところですが、読み慣れていない人は、迷うのかもしれません。

最近、助詞を省略した「体言止め」の形を、見出しやスーパー、はてはリード部分の文章にまで使うからか、「助詞の使い方」があいまいになって来ています。

ただでさえ、そういう状況の中で、この「複合動詞の助詞の問題」は、一番弱いところを突かれているようなものだよなあ・・・と思います。

平成ことば事情406「"に"と"を"」、

平成ことば事情523「毎日新聞の終戦記念日の写真」、

平成ことば事情531「朝日新聞の終戦記念日の写真」、

平成ことば事情578「産経新聞の終戦記念日の写真」、

平成ことば事情607「日経新聞の日の丸の写真~完結編」

も、ぜひお読みください。

(2012、11、12)

2012年11月16日 12:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4887「ついでに」

 

何のきっかけだか忘れましたが、ふと思いました。

「『ついで』を漢字で書くと『序に』。ということは、これは『順序』のことだ。そうすると、『ついでに、お買いものしてきて』のような『ついでに』は『おまけに』ではなく、『その順序の中に繰り込んで』という意味だったのではないか?」

『広辞苑』「ついでに」を引くと、

「ついでに(序に)」=そのおりに。その場合に。その機会に乗じて。

とありました。

『精選版日本国語大辞典』「ついで」を引くと、

「ついで」=(「つぎて(次第)」の変化した語か)

(1)順序。順番。次第。

(2)あとつぎ。後継者。

(3)あることを行うのにちょうどよい機会。また、あることを行っているとき、それといっしょに他のことを行うこと。また、「くたびれついで」「骨折りついで」など、他の語につけてもちいることもある。

とありました。「順序」が関係していることはわかりましたが、冒頭に書いたような意味があるかどうかは、わかりませんでした。

(2012、11、10)

2012年11月15日 18:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4886「酸いも甘いも・・・」

 

2012年9月28日の「ミヤネ屋」の歌手の小林幸子さんについての原稿&スーパーで、

 

「酸いも甘いもかみしめた」

 

というのが出てしまいました。これは正しくは、もちろん、

 

「酸いも甘いもかみ分けた」

 

ですね。実は前日の9月27日の原稿では、やはり小林幸子さんと、さだまさしさんについての原稿で

 

「共に苦楽を味わった」

 

という文章が。これも正しくは、

 

「苦楽を共にした」

 

ですね。似ているけど微妙に違う表現って、見逃してしまうことも多いのですが、それにしても何でこんなに、

「ストライクゾーンをギリギリ外れたボール」

のような原稿を書いてくるんだろうか・・・?

(2012、11、10)

2012年11月15日 11:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4885「『ん』のあとと鼻濁音」

 

日本語の「ん」の発音には、実は3通りある、と書かれているのを読んだことがあります。

「N」「M「NG」

3通りです。

このうち、

Nのん」

の後に「か行」が来る場合は「鼻濁音」になりますが、

Mのん」

の後は「鼻濁音」にならない。

よって「濁音」にもならない。「Nのん」は、口を半分開けて鼻にかけて出すから続けて「鼻濁音」にいけますが、Mのん」は唇を閉じて出すので「鼻濁音」にすぐには移れません。「Mのん」から濁音に移りやすいのは「ば行」と「ぱ行」です。

大阪の地名の「難波(なんば)」のローマ字表記

「NAMBA」

です。

東北などの東日本は、たぶんまだ「鼻濁音」が残っていると思いますが、テレビでしゃべっているアナウンサーからもなくなりつつある「鼻濁音」ですが、こういったことも考えて「鼻濁音」の問題を考えてもいいのではないか?と思いついたので、メモしておきます。

(2012、11、10)

2012年11月14日 17:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4884「参加のアクセント」

 

11月9日の午前、前原誠司国家戦略相がインタビューに答えている中で、

「TTPへ参加することは」

と話している中の「参加」のアクセントが、「頭高アクセント」の、

「サ\ンカ」

でした。「参加」の標準語のアクセントは、「平板アクセント」

「サ/ンカ」

です。しかし政治家などによく見られるのですが、「平板」だと「アクセント」を置けないので「強調できない」ことから、「頭高アクセント」にして最初の音にアクセントを置いて強調するしゃべり方をすることがあります。

「防犯」「治療」「教育」「指導」「判決」

などの言葉が、

「政治家」「医者」「教育関係者」

等においては「頭高アクセント」で話されることが多いのです。

これについては、かなり長期間にわたって観察して、平成ことば事情2049「防犯・判決・支援のアクセント」に書きましたので、併せてお読みください。

(2012、11、10)

2012年11月14日 11:14 | コメント (0)

新・ことば事情

4883「涙袋」

11月1日、『日経トレンディ』が「2012年ヒット商品ベスト30を発表しました。

それによると、ベスト10は以下の通りです。

1位 東京スカイツリー

2位 LINE

3位 国内線LCC

4位 マルちゃん正麺

5位 フィットカット カーブ

6位 JINS PC

7位 おさわり探偵 なめこ栽培キット

8位 キリン メッツ コーラ

9位 街コン

10 黒ビール系飲料

 

10位の「黒ビール系飲料」は、発泡酒か第3のビールなのに「黒ビール」みたいな感じのものですね、飲んだことあります。9位の「街コン」は、参加したことはもちろんないですが、うちの街でもやっているのを目撃しました。8位のキリンメッツコーラは、結構よく飲みました。7位の「おさわり探偵なめこ栽培キット」は、スマホのアプリ。私は、やりませんが、小2の娘が、妻の行きつけの店の店員さんのスマホを借りてやっているのを目撃しました。6位の「JINS PC」は、パソコンの画面からです「ブルーライト」を軽減するメガネ(レンズ)のことですね。メガネ屋さんで最近よくポスターを見かけます。5位の「フィットカットカーブ」は、従来よりも力を入れないで切れるハサミ。今回初めて知りました。そして、1位の「東京スカイツリー」は、上ってはいませんが、その下の「ソラマチ」は行きました。

それはさておき、私が注目したのは「ベスト30」の「28位」にランクインした

「涙袋を簡単に作れるメーク道具」

です。この、

「涙袋」

って、初めて聞きました。ネットの「はてなキーワード」というサイトによると、

「目の下の、下まぶたに添ったふくらみのこと。別名:涙堂(るいどう)。また、ホルモンが詰まってできていることからホルモンタンクと呼ばれることもある。」

のだそうです。そして、

「『目が大きく見える』『色気・優しさを感じる』『美人の象徴』『人相学的に恋愛運がいい』等、涙袋に憧れる女性は後を絶たない。『涙袋を作る方法』は、(噂を含めて)世の中に多く存在する。」

のだそうです。全然知らんかったあ!女性はみんな知ってるのかな?

 

Google検索では(11月10日)

「涙袋」=86万件

もありました。

辞書には載っているのか?と思って新語に強い「三省堂国語辞典」を引くと、なんと!載っていました!

「なみだぶくろ(涙袋)」=目の下の肉のふくらみ

なんだかあっけないんですけど、確かにそれだ。

『広辞苑』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『新明解国語辞典』『現代用語の基礎知識2012』には載っていませんでした!すごいな「三国」。

(2012、11、10)

2012年11月13日 17:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4882「万里の長城の『長城』のアクセント」

 

「万里の長城」で遭難した日本人3人が亡くなった事故。このニュースで何度も聞いた

「万里の長城」の、

「『長城』のアクセント」

について、用語懇談会のメンバーでもあるフジテレビのKアナウンサーから質問を受けました。

 

「『長城』は『チョ/ージョ\ー』と『中高アクセント』でしょうか?それとも『チョ/ージョー』と『平板アクセント』でしょうか?『中高』をよく耳にする気がするのですが、NHKのアクセント辞典には『平板』しか載っていないんですが・・・。」

 

え?そうなの?どっちもあるんじゃないの?と思ってアクセント辞典を引くと、たしかに「チョ/ージョー」

「平板アクセント」しか載っていません。「中高」の「チョ/ージョ\ー」だと、

「頂上」

になってしまいます。

読売テレビのアナウンサーにアンケートを取ってみたところ、

「中高アクセント」=12人

「平板アクセント」= 4人

「中高」の「チョ/ージョ\ー」が優勢でした。特に若いアナウンサーはみんな「チョ/ージョ\ー」と「中高」でした。

「平板」で読むというベテランのHアナウンサーは、

 

「私自身も子供のときは『中高』で言っていたと思いますが、いつの頃か、『意味合いから判断すれば"平板"に違いない』と確信して、その頃から努めて『平板』にするようにしています。滝廉太郎の『荒城の月』の『荒城』も、『中高』で読んだら『工場の月』に聞こえて、なんだか煙突の煙をかぶったお月様が気の毒で、風情も何もなくなってしまう感じだし・・・。」

 

とのこと。確かに「荒城」は「平板」「コ/ージョー」ですね。

「中高」の「コ/ージョ\ー」だと、

「工場」

ですね。「炭坑節」なんかは煙突が高くてお月さんが煙いので「工場の月」か?「ボタ山の月」か。「花札」のような構図でしょうか?

同じような語構成の「見事な城」の意味の「名城」も、

「メ/イジョー」(平板)

です。「メ/イジョ\ー」ではありません。「名古屋駅」は、地元の人は「名駅」と略して、

「メ/ー\エキ」(平板アクセント)

と呼びますが。

一連のこのアクセントを巡る戦いを、

「チョージョー決戦」

と言います。(言わないか。)

皆さんはどちらのアクセントで「長城」と言いますか?

(2012、11、8)

2012年11月13日 11:10 | コメント (0)

新・読書日記 2012_206

『64(ロクヨン)』(横山秀夫、文藝春秋:2012、10、25)

647ページもの分厚い警察小説。一息に、とはいかなかったが、一気に読んだ。

冒頭出てくる警察の「匿名発表」事案は、現在、問題になっていて(マスコミ側で)、今後の状況など注目の出来事なので、一気に引き込まれて読んだ。

14年前の誘拐殺人事件が未解決の中、刑事から広報官になった三上が主人公。県警の中で「刑事畑」と「刑務畑」の対立、そこに本庁のキャリア組も絡む警察内部の抗争、誘拐事件に絡む報道協定の問題、記者クラブとの鬩(せめ)ぎ合いなど、著者は元新聞記者なので、さすがにそのあたりの描き方はお手の物だ。

『クライマーズ・ハイ』など以来、久々に横山秀夫モノを読んだが、ドキドキさせられた。中に出てくる「漆原」とかいう名前は、「漆間」元・警察庁長官を彷彿させた。

なお、タイトルの「64」は(早いうちに出てくるから、ネタばらしすると)、未解決の誘拐殺人事件が起きた「昭和64年」を意味する。たった1週間しかなかった「昭和64年」です。


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(2012、11、10読了)

2012年11月12日 17:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4881「住人と住民3」

 

2012年11月6日の「ミヤネ屋」の午後3時前のニュースで、北海道で、小さな虫が「住民」を困らせているというニュースがありました。

「小さな虫」と言うのは「アブラムシの一種」なんだそうです。それが大量発生していると。その虫に「困らされている」のは、

「住民」

です。よく似た言葉に「住人」がありますが、この場合は「住人」ではないですね。

この文脈から「住民」と「住人」の違いを考えると、

「住人」=限定的な狭い(特定の)範囲に住む人

「住民」=やや広い「地域」に住む人々

といった違いが明確に感じられます。

以前書いた、平成ことば事情1546「住民と住人」と平成ことば事情3616「住民と住人2」もお読みください。

(2012、11、10)

2012年11月12日 10:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4880「全容発覚を隠そうとした」

 

10月31日のうち(読売テレビ)のお昼のニュース(「ストレイトニュース」)を見ていたら、

「全容発覚を隠そうとした」

というフレーズが出てきました。なんだか、おかしい。

「『発覚を隠そうとした』はおかしい」

のではないでしょうか?

「発覚を逃れようとした」

「発覚すること恐れ、隠そうとした」

ならOKですが。というのも、「発覚」というのは、単に「明るみに出る」ことではなく、

「隠そうとしていたことがバレる」

ことですから、「発覚を隠す」というのは、

「隠そうとしていたことがバレて、それを隠す」

という、なんだか「ちびくろサンボ」に出てくる虎が尻尾繋がりになっちゃったような違和感があります。だって「発覚」は「(隠していたものが)バレる」なんだから、バレた以上、それを隠すことはできないですよね。

報道のデスクにそう指摘しましたが、

「考えに考えてこの表現にしたんですけど、おかしいですか?」

と、おかしさに気付かない様子。もちろん、そのまま読んでしまったアナウンサーも、おかしさに気付いていません。気付けよなあ・・・と思いましたが。

どうも「発覚」を安易に使いすぎているのが、こういった事態を招いているのではないか。

きょう(11月6日)は、中国・万里の長城での3人が死亡した遭難事故のニュースで、

「遭難事故が発覚して2日」

という表現が。別に「事故」は「隠そうとしていた悪事」ではないから、「わかった」という意味で「発覚」を使うのはおかしいと指摘し、

「遭難事故判明から2日」

に直しました。

 

(2012、11、6)

2012年11月11日 18:14 | コメント (0)

新・読書日記 2012_205

『言論統制』(佐藤卓己、中公新書:2004、8、25)

この本を読み始めたのは、たぶん買った8年前。そこでちょっと読んで、それから4年ぐらいほったらかし。3~4年前に著者の佐藤卓己先生にお会いする機会があって、その前までに読もう!と頑張って続きから読み始めたものの、先生にお会いするまでには読めずに、また挫折。いつかは読まねば・・・と思いつつ、今日を迎える。430ページもの分厚い新書ではあるが、それにしても、挫折に次ぐ挫折の一冊だったが、何とか最終ページにたどり着きました。

学術書なのです。難しいのです。でもテーマは大変興味がある。

サブタイトルにある「情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」、その「鈴木庫三」という、知る人ぞ知る人物を通して、戦時下の言論統制の実態に迫った一冊。当時読み始めて「あ、もしかして"あれ"かな」と思ったのは、三谷幸喜の映画「笑いの王国」。あれも戦時下の情報統制、言論統制を描いたものであったが、もしかしたら、あれのモデルになったのが鈴木庫三かな?と思った。

現在「放送」は「放送法」という法律によって縛られている。それは「電波」という「公共財」の使用を国家に許されている(「放送免許」をもらっている)から。いま、新聞や雑誌は、そういった意味での制限のない「言論の自由」を持っている。しかし実は、新聞や雑誌といったメディアも、「紙」という媒体(素材)を統制されたら、現在の放送と同じことになるということが、戦時中にはあったということを、改めて知った。それが繰り返されないとは、保証されていないのが"現在"の日本だと思う・・・。「良いコンテンツ」があってもそれを「伝えるための方法」を持たなくては、「マスメディア」たりえないということ、それは新聞・雑誌の紙メディアでも同じだということが、よくわかった一冊。


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(2012、10、17読了)

2012年11月11日 12:29 | コメント (0)

新・読書日記 2012_204

『「独裁」入門』(香山リカ、集英社新書:2012、10、22)

刺激的で、かつシンプルなタイトル。またもタイトルに惹かれて香山リカの本を買ってしまった・・・。でも今回はそんなに"失敗した感"はなく、納得感がある。

各章の題名を読むと、全体像が見えてくる。「第1章・ふわっとした民意」「第2章・独裁待望の背景にある心理」「第3章・『独裁型ヒーロー』の手法」「第4章・ハシズムを超えて」。

ここに書かれているは、最近の政治を巡る状況を生み出しているのは実は、われわれ有権者・国民であること。その原因は、自分を持たない(自信を失った)個人が、現在の苦しい状況から助け出してくれるヒーローの登場を(他人まかせに)熱望しているということがあると。「民意」はまさに、それ。そんな気持ちに陥らざるを得ない「社会」・・・しかしそれを作っていったのは紛れもなく、われわれ国民ではないかという自覚がない。そこが問題ではないか。

「思考停止」で他人にゆだねることを止め、まず「考える」ことから始めないといけない。それしか手はないのだ。手遅れかもしれないが・・・。

 


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(2012、11、5読了)

2012年11月10日 12:32 | コメント (0)

新・読書日記 2012_203

『島へ免許を取りに行く』(星野博美、集英社インターナショナル:2012、9、30 )

「週刊文春」の酒井順子の書評欄で取り上げられていて、興味を持って読むことにした。著者の名前は、以前、ノンフィクションの賞を取ったことで名前と存在だけは知っていたが、初めてこの著者の本を読んだ。

東京に住む40代の独身女性(40代女子)=著者は、愛猫が死んだことや何やらもろもろあって、自動車の免許を取ることに。「スローフード」ならぬ「スロースクール」のような教習所を求めたと。しかし決して運転に向いているとは思えない自分が、納得して免許を取れる自動車教習所を探したところ、「馬に乗れます」という長崎・五島列島の自動車教習所の「合宿免許」を受けることに。なかなか思い切った判断です。「自動車」じゃなく「馬に」乗りたかったのか?馬の免許ってあるの?そこからのドキュメントとおぼしき話は、とっても興味深い。

「先生、レバーが動きません!この車、壊れているんじゃ?」

「ワイパーはカチッと回すと」

こんな生徒を相手に怒らずに教える先生は、エライ!

しかし、さすが作家、よく客観的に、こんなにおかしな自分のことを、面白く書けるなと感心。やはり「物書き」は、自分を客観視できないとダメである。

そしてこの教習所に集まる、著者から見れば娘・息子に近いであろう若者たちが、「島」だからこそ(軽く明るく見えても)とても重い人生を背負い込んじゃっている様子が見えてくる。実はこのエッセイ(物語)、「日本」という国の「過疎」や、「地方と都会の問題」のルポでもあるのではないか。都会から期間限定で来た人には「自然がいっぱいで、いいところだ」と思うかもしれないが、ここで働いて食べていかなくてはならない人たちにとっては、ものすごく狭く重い牢獄のようなところなのかもしれない。実はこれは気の持ちようのところもあるが、明るく気を持つには、やはり先立つモノが...生活が立たないとダメであることも、たしか。そうだ、そういえば、この前読んだ『つるかめ助産院』(小川糸、集英社文庫)も「島」のお話だった。都会から逃れる(都会人にとって現実から逃避する)場所は「島」なのか?でも「島」の人には「島」が「現実」であり、そこから逃れるには「都会」へ出ていくしかない・・・。うーん、難しい。

ま、それはさておき、"人生の達人"の教習所の教官や島の人たちとの交流なども含め、たった4週間しかいなかったとは思えない、2年ぐらいはいたかのような物語は、とてもほのぼのとするし、「仮免」とか「見きわめ」とか「坂道発進」などという言葉と教習の様子は、私が免許を取りに教習所に通っていた30年ほど前を懐かしく思い出させるお話でもあった。免許取得後に、老父に助手席に乗ってもらって路上の練習をするシーンがあったが(私も、先に免許を取った弟に横に乗ってもらってよく練習をしました)、その中で、父が「もみじマーク」を付けるのは「プライドが許さない」ようで、頑として受け付けなかったという話、分かる気がした。しかし、初心者の「わかばマーク」を付けていただけでは、他のドライバーは誰も道を譲ってくれなかったのに、「わかば」と並べて「もみじマーク」を張った途端、他車はみな道を譲り、車間距離を取るようになったので運転しやすくなったという話は笑った。これも、わかるわかる。その項目のタイトルが「わかばともみじ」という、「古い演歌コンビ」みたいなのも、おかしい。

印象に残ったシーンは、

155ページ、運転はメリハリが大切という話で、

「メリハリというのはつまり、大胆と慎重、勇気と臆病、自信と謙虚といった二つの正反対の価値観を使い分けるってことですか?」

「すごく難しく言えば、そういうことです」

という会話や、19歳のガラパちゃん(=ニックネーム)が、実は3歳の娘がいるシングルマザーで、仕事を探すために免許を取りに来ていると。そして今年の春に母が52歳で死んでしまい、父と兄は関東に出稼ぎに行っているという話で、ガラパちゃんが、

「ガキ同士で結婚して、ガキがガキ産んだら悲惨ですよ。ガキだから、そんなこともわからんかった」

「自分、普通の人が一生かけて経験することを、この歳で全部やっちゃったって感じです。この先、いいことなんてあるんですかね?」

ウムム・・・重い・・・。

この本、ゼッタイ、オススメです!

 

 

(追記)

そういえば昔、先輩で、やはり30代後半か40代ぐらいになってから、免許を取りに教習所に通い始めた人がいた。しかしこの人は結局、免許を取るのは諦めたそうだ。というのも、教官に「じゃあ、発車して」と言われて発車すると、いきなり車はバックし始めて(ギアがバックに入った)、助手席の教官が前につんのめってフロントガラスで頭をぶつけたとか、坂道を登っていると赤トンボがツイーっと飛んできてクルクルと回ったかと思うとボンネットの上に止まった・・・というぐらいのノロノロ運転だったとか、とにかく運転には向いていなかったらしい。人生、いろいろである。


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(2012、11、3読了)

2012年11月 9日 12:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_202

『対話力~私はなぜそう問いかけたのか』(小松成美、ちくま文庫:2012、9、10)

単行本は2010年9月にメディアファクトリーから出た『人の心をひらく技術』。

著者は、イチローや中田英寿などへのインタビューを成功させたことで有名な女性スポーツライター。その「師匠」筋である編集者の花田紀凱氏が、巻末に「解説」を書いている。それによると、小松さんのインタビュー術のどこが優れているかと言うと、(1)準備が万全、(2)真剣に聞く、(3)相槌のうまさ。そして4番目は「小松さんの美貌」と書かれているが、それはさて置き、我々アナウンサーも特に研究しなくてはならないことは、(3)の「相槌」だと思う。本文の中で小松さんも書いているが、やはり相手の話を聞くうえで「相槌」はかなり重要だ。本書では、「日本人」に対する場合と「外国人」に対する場合では、「相槌」に対する感覚が違うというようなことも書かれていて、これは私も勉強になった。私も以前、どんな種類の相槌をどのタイミングで使うかというのを研究したことがある。若いアナウンサーには、ぜひ自分の話し方・しゃべり方について研究してほしい。まず、自分の話し方を見つめ直すところからスタート!


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(2012、11、5読了)

2012年11月 8日 22:30 | コメント (0)

新・読書日記 2012_201

『ネットと愛国~在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一、講談社:2012、4、17第1刷・2012、5、22第2刷)

「在特会」という名前は、どこかでチラッと聞いたことがあるくらいで、ほとんど知らなかった。ネットから発生して、実際にこういった抗議行動を起こす団体があり、しかもその団体の内部でも、時間の経過とともにどんどん内部が変質・分裂していく様子を描いたドキュメント。タイトルのように「ネット」が生み出した「つながり」のキーワードとしての「愛国」、その行動が「在日外国人(在日韓国・朝鮮人)」への攻撃になったという。しかし結局、本当の意味での「愛国」行動ではなく、自分たちの「現状の不満の原因」を弱者に求め、そこへの攻撃に転じるという傾向。「認められたい」という気持ちの持って行き場所が「在日攻撃」だったと、著者は伝えているように思う。これは最近の「生活保護受給者」に対する世論の動向などにも通じるところがあって、そういう意味では、決してこの「在特会」が突出した存在とまでは言えないかもしれない。そこに、空恐ろしさを感じる。ちょうど並行して読んでいた、ソフトバンクの孫正義の伝記『あんぽん』と交差する部分もあって興味深かった。


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(2012、10、31読了)

2012年11月 8日 20:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4879「黒塗り」

 

10月29日、大津市のいじめ事件で、大津市教育委員会が提出した資料の肝心な部分が黒く塗りつぶされていたことが報じられました。その際にニュースのナレーションでも、インタビューに答えた尾木直樹委員も、

「黒塗りで」

という表現を使っていました。意味はすぐに解りますが、私は、「黒塗り」と聞くと、

「黒塗りの車」

のような使い方が、まず思い浮かびます。黒く塗りつぶすことを「黒塗り」というのは、一般的な表現なのでしょうか?

『広辞苑』では、

「くろぬり(黒塗り)」=黒く塗ること。また、その塗った物。多く黒漆を用いるものをいう。」

として、樋口一葉の『花ごもり』から、

「黒塗り馬車」

という用例を引いています。『精選版日本国語大辞典』には、

「黒く塗ること。また、黒く塗ったもの」

として、用例は10世紀後半の『落窪物語』から、

「くろぬりの箱」

というのが出てきます。これも「黒漆」で塗った物でしょうね。

『デジタル大辞泉』には、

「黒く塗ること。また黒く塗ったもの。」

『精選版日本国語大辞典』と全く同じで、用例は作例で、

「黒塗りの椀」「黒塗りの高級車」

でした。『新潮現代国語辞典』には、

「墨や漆で黒く塗ること。多く黒い漆を用いるものをいう。」

と「黒漆」以外に「墨」も出てきて、用例は坪内逍遥『当世書生気質』から、

「外面(ウワベ)を飾る黒塗り車(グルマ)

樋口一葉の『十三夜』から、

「例(イツモ)は威勢よき黒塗り車の、それ門に音は止まった娘ではないかと」

とありました。樋口一葉がよく出て来るな。

『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『明鏡国語辞典』『新選国語辞典』『岩波国語辞典』には「黒塗り」は見出し語にありません。大きな辞書しか載せてないんですね。

グーグル検索(116)では、

「黒塗り、車」=984000

「黒塗り、資料」=743000

そして、「資料」の「黒塗り」で思い出すのは、終戦後の教科書が墨で塗られたという出来事。そこで、

「黒塗り、教科書」=134000

「墨塗り、教科書」= 23900

でした。

ここからは推測ですが、もともとあった「黒塗り」と「墨塗り」が混用されて、

「教科書(→資料)の墨塗り(→黒塗り)

という言葉が生まれて来たのではないか?ネットではすでに「資料+黒塗り」は、「車+黒塗り」に迫る勢いで使われています。

その背景には、「墨」が筆記具としては一般的ではなくなったことと、「墨」と「黒」の漢字が似ていること、そして、いずれにせよ、

「黒く塗りつぶす」

という点では同じことなどから、「墨塗り」が「黒塗り」に代わっていったのではないか?と考えられます。

そういえば、

「黒く塗りつぶせ」

という映画か何かがあったな。・・・調べてみたら、なんと、

「矢沢永吉の曲名」

でした。作詞は西岡恭蔵。これは関係ないかな。

(2012、11、6)

2012年11月 8日 10:30 | コメント (0)

新・読書日記 2012_200

『生命と記憶のパラドクス~福岡ハカセ、66の小さな発見』(福岡伸一、文藝春秋:2012、9、15)

おなじみ、福岡ハカセの最新刊。最新刊と言っても、「週刊文春」に連載しているこの1年ほどの66のコラムをまとめたもの。毎週「週刊文春」は購入して精読(?)している。そして福岡ハカセの「本」は好きなのだが、実はこの連載に関しては、読んでいる時と読んでいない時がある。なぜかあまり面白く感じられなかったり「読みにくい」と感じたりする。「本」になって読んでみても、今回はやはり、読みやすいコラムと読みにくいコラムがあった。少し短めのコラムなので、集中していろいろと詰め込んで、技術を駆使して凝縮したエキスのような文章を書かれているのだと思う。その分、ちょっと難しい文章になっている(こちらの読解力が足りないのだろうけど)のかもしれない、もしかしたら。

でも、やはり「本」でまとまって読むほうが、落ち着く感じはしたな。

なんとなく、年齢的なものもあるが、ノーベル賞の山中教授とイメージがかぶってしまうんだな、福岡ハカセと。

そして、この本の中で、一つオドロキが。福岡ハカセは、理系から文系へと「文転」したのだそうだ!50歳を過ぎてのこの転身、思い切ったなあ・・・とオドロいた。


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(2012、11、1読了)

2012年11月 7日 17:22 | コメント (0)

新・ことば事情

4878「R.I.P.」

 

『週刊文春』(201211月8日号)の113ページ、能町みね子さんというコラムニストの方(?)が「言葉尻とらえ隊(52)」というコラムの中で取り上げていたアルファベット3文字の言葉が、

R.I.P.

でした。コラムによると、

「人が亡くなった時に使う」

そうです。特にツイッターで、誰かの訃報が流れたとき、最近は必ずと言っていいほど、亡くなった人の名前のあとに「R.I.P.」が並ぶのだそうです。「去年、スティーブ・ジョブズが亡くなったときに、この『R.I.P.』がツイートされ、それ以来日本でも一般化し始めたのではないか?」

と、能町さんは書いています。ツイッターをしない私は全く知らない言葉ですし、ツイッターをしていて、こういったことに詳しいWアナウンサーに聞いても「知らない」とのことでしたから、それほど一般的ではないのではないでしょうか?Wアナウンサーは、

「『R....』はよく見るし、使う」

と言っていました。これは、

「リプライ・シルヴプレ(返信を下さい)」

の意味だそうです。これも知らんな。

能町さん自身は、最近までこの言葉を知らなかったそうで、

「羅列される『R.I.P.』にはまったく心がない」

と否定的です。

ところで、この「R.I.P.」の意味は、

「安らかに眠れ」

という意味のラテン語で、使われ方から見ると、

「ご冥福をお祈りします」

というような意味のようです。そのラテン語の綴りも書かれていたので見てみると、

requiescat  in  pace

なんだそうです。その頭文字を取って、R.I.P.」。カタカナにすると、

「レクイエスカット イン パーチェ」

あ!これを見て私の記憶の片隅から、「あれ」が立ち上がりました。

「これ、知ってる!ベルリオーズ作曲の『ファウストの劫罰』の中に出てくる『アーメン・コーラス』の直前の歌詞だ!」

そうです、今から31年前の1981年、私がまだ学生の時に、東京交響楽団と一緒に小林研一郎先生の指揮で歌った、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』。その歌詞の中にあったラテン語だったのです。

同じように、『ファウストの劫罰』は、日本語の訳詩の中に、部分的にラテン語の歌詞が混じっていて学生歌で出てくる「ガウディアムス(Gaudiams)」とか、カエサルの言葉「ヴェニ、ビディ、ビキ(Veni Vidi Vici=来た、見た、勝った)」などもありました。当時はあまり意味も解らずに歌っていたけれど、こんなところで再会できるなんてなあ・・・。面白いですね。

 

(追記)

アメリカ在住のI先輩からメールが届きました。

「『R.I.P.』は、アメリカでは一般に、"Rest in Peace"の略だと理解されて使われています。また、『R.S.V.P.』は、仏語の"Répondez s'il vous plaît" の頭文字をとったもので、カタカナにするなら、『レスポンデ・シル・ヴ・プレ』。英語の『リプライ(Reply)』と混ぜて使うのはおかしいです。結婚式の招待状などの最後に、『出欠の返事をください』という意味でよく使われます。」

とのことです。どうもありがとうございました!

(2012、11、9)

 

 

 

 

(2012、11、5)

2012年11月 7日 10:59 | コメント (0)

新・読書日記 2012_199

『ひつまぶしとスマホは、同じ原理でできている』(理央周、日経プレミアシリーズ:2012、10,9)

この変わったペンネームの著者の本は以前に1冊読んだことがあった。また奇抜なタイトルの「ひつまぶし」を、どうしても「ひまつぶし」と読んでしまうのは、「スマホ」と並んで書かれているからか?・・・ということで「ひまつぶし」に読んでみた。

「ひつまぶし」(鰻のほう)は、もちろん「名古屋」発祥、そして著者は名古屋出身ということで、まずそこに目が行った(着目点)ようだが、一言でまとめると、

「ゼロからの新発想でなくても、二つのものを一つに合わせるということで"コロンブスの卵"のように、思いもよらぬブレークスルーができる」

という話が書かれています。経済学者・シュンペーターはそれを「新結合」と呼んでいたと、このあたりは経済学のお勉強。発想の転換や、組み合わせの工夫が、新しいビジネスチャンスを生むという感じかな。

それと第6章の「ビジネスの成果は、ハンコの数と反比例する」というのは「そうだよな」と思いました。効率化を図ると言っている割には、どんどん煩雑な(無駄な)作業を増やすことに躍起となっているような気がするのは、私だけではないはずです。

そのあたり、関連で「平成ことば事情4876リボンとタスクバー」を読んでください。よろしく!


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(2012、11、1読了)

2012年11月 6日 19:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4877「ゲキショウ」

 

20121022日、俳優・大滝秀治さん(87)のお別れの会で弔辞を読んだ、演劇評論家の矢野誠一さん(77)はその中で、

「ゲキショウを生業(なりわい)にしている私は」

と言っていました。それを聞いて私は最初、「ゲキショウ」というのは、

「激賞」

だと思って、

「なんだ、そんなにヨイショしちゃうのかな?この人は」

と一瞬思ってから、ハッと気づきました。これは「ゲキショウ」ではなくて「ゲキヒョウ」、つまり、

「劇評を生業としている私は」

だったのです。それなら意味が通ります。すなわち、

「矢野さんは江戸っ子なので、『ヒ』が『シ』になってしまった」

それで、

「劇評」→「激賞」

のように聞こえた、というわけだと思います。

この弔辞は「ミヤネ屋」で「生放送」で流れたので、字幕スーパーでフォローしませんでした。もし、スーパーフォローしていたら、間違ったスーパーが出ていたかもしれないな、とホッと胸をなでおろしたのでした。

(2012、10、25)

2012年11月 6日 14:55 | コメント (0)

新・ことば事情

4876「リボンとタスクバー」

会社のパソコンの中身が入れ替わりました。「ウインドウズなんちゃら」から「ウインドウズかんたら」に代わった。これ、困るんですよね、オジサンにとっては。ようやく慣れてきたのに、いつも使っている機能がどこに行ったか分からない、あるいは使えなくなっている。

いつも思うんですが、バージョンアップするときに、「前の機能のままでいい」という人はそれを選べるようにしてくれれば、何も文句は言わないのに、使っている機能に限って変更される。きのうの機能が機能しない、気のぅせいか?意地悪をされているとしか思えません。プンプン。

その上、いつの間にか名前も変更されています。これまで、

「タスクバー」

と呼ばれていたものが、いつのまにか、

「リボン」

と名前が変わったらしい。何の連絡もなく・・・リボンと言ったら、

「インクリボン」

「印刷」だと思うじゃないですか!さすがに「リボンの騎士」とか少女漫画雑誌「りぼん」とか、サイダーの「リボンシトロン」とかは思いませんが。え?いまどき「インクリボン」で印刷しない?そうなの?ほんとに???

また、画面上には

「クライアントの希望が・・・」

って、俺はクライアントと違うのか!そんな希望してないぞ!と、怒りで手がプルプルと震えて血圧上がりまくり。真に健康に良くない、バージョンアップは。

しかも、こういった問い合わせや苦情を受け付ける電話番号「そのパソコンを導入した会社の"責任者"にしか教えない」うえ、もし、その責任者から電話番号を教えてもらって電話をするとしたら、問い合わせや苦情を聞いてもらうのは、

「有料」

だというのです。これってあまりにも利用者を蔑(ないがし)ろにしていると思いませんか?こういったオジサンの声はあらかじめブロック(防御)するようになっているのですね・・・ズルイと思います。

 

(2012、11、5)

2012年11月 6日 10:54 | コメント (0)

新・読書日記 2012_198

『あんぽん~孫正義伝』(佐野眞一、小学館:2012、1、15)

「あんぽん」とは、ソフトバンク・孫正義のかつての「日本の通名」であった「安本(やすもと)」を音読みした「あだ名」。本人は「アンポンタン」に通じるので、嫌がっていたという。

例の「週刊朝日」の橋下徹大阪市長の出自に関する連載は1回目で大問題になって、結局、連載中止になったが、あれを書いたのが佐野眞一。でもあまりにも悪意に満ちた筆致に、これまで佐野眞一の文体とは少し違うものを感じて、直近の「伝記」系統のこの本、「積ん読」になっていたものを取り出してきて、取り急ぎ読んだ。結論から言うと、文体は佐野のものであった。

この本によると、孫正義が震災以降、自然エネルギーに力を入れて100億円の寄付金やら10億円を投資して財団を立ち上げるというのは、ビジネスチャンスということも、もちろんあるだろうが、それよりも現在のビジネスである携帯電話(携帯端末)も「電気がなければ使えない」という、ごくごく基本的なことに改めて気づき、「エネルギー・インフラ」から握っていないとダメなのだと感じたからのように思えた。

400ページに及ぶ伝記は、孫正義とその家系の調査にも取材は広く及んでいる。孫正義の生まれた昭和30年代(1957年)の様子や、そこからいかにして日本一の金持ちになったか、その父祖は?とたどる差別と「血と骨」の物語でもある。表面的にはこの手の差別が見えなくなっている現代、また少しずつそういったものが出始めているような気もする。改めて歴史をたどることで、現在を分析する「よすが」となると思う。

余談だが、この本の中ではしばしば「孫がその家系の~」「孫が目指したのは」のように「孫が」と出て来たのだが、そのたびに「マゴ?なんで急にマゴが出てくるんだ?」と引っかかってしまった。「孫」という一文字の苗字は、日本ではやはり、なじまないのだろう。(というか、同音同字の「孫」(子供の子供)の方がよく使われるという事。)私は「孫」と言えば「孫基禎」を思い出す。ベルリン五輪マラソンの優勝者で"日本"代表、今の韓国の人だった。当時の朝鮮半島は"日本領"だったから"日本代表"。そんなことも思い出した。


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(2012、10、30読了)

2012年11月 5日 18:40 | コメント (0)

新・読書日記 2012_197

『なぜビジネスホテルは一泊四千円でやっていけるのか』(牧野知弘、祥伝社新書:2012、10、10)

なかなか"引き"のあるタイトル。著者はビジネスホテルの立て直しをしたことがある。その際、素人からどう立て直したのか、その視点でホテルの経営というものが見えてきた。そこから「1泊4000円」でも経営が成り立つ"努力の仕方"があると説く。一言で言うと「ホテルは人件費」が一番大きいが、そのほか色んな無駄があると。また顧客を呼び込むには顧客の立場でのアイデア・努力をすれば道は開けると。そんなアイデアが書かれている。現在のホテル(経営)事情が垣間見られる好著。


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(2012、10、28読了)

2012年11月 3日 12:21 | コメント (0)

新・読書日記 2012_195

『ひっかかる日本語』(梶原しげる、新潮新書:2012、10、20)

フリーアナウンサーで日本語に"うるさい"梶原しげるさんの最新刊。

のっけから、私も知り合いのNHK放送文化研究所の塩田雄大さんが登場。さまざまな「今どきの日本語」に"ひっかかる"梶原さんは果敢にその「謎」に立ち向かう。色んな人・専門家に話を聞きまくる、そして考える。そんな"格闘"の様子が見られるのが第1章。第2章の「脱帽する日本語」は、「日本語の達人たち」の技術を紹介。第3章ではさらに具体的なシーンでの「話し方の工夫」を解説。第4章は、しゃべるための技術的な話なども盛り込まれた、ボリュームたっぷりの新書。楽しめます。


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(2012、10、23読了)

2012年11月 2日 12:07 | コメント (0)