新・読書日記 2012_194
『本人伝説』(本人・南伸坊、写真・南文子、文藝春秋、2012、9、10第1刷・2012、10、1第2刷)
イラストレーターの南伸坊さんが、自らがキャンバスとなって似顔絵ならぬ似顔のインスタレーション(パフォーマンス)をしたところを、奥様の文子さんが写真撮影すると。その写真集。横に添えられた伸坊さんの文章がまた、素晴らしい。笑わせてもらいました。
中でも麻生元総理の口調で書かれた昔話は爆笑ものです。小沢一郎口調の文字化も、とってもよくできていました。
『本人伝説』(本人・南伸坊、写真・南文子、文藝春秋、2012、9、10第1刷・2012、10、1第2刷)
イラストレーターの南伸坊さんが、自らがキャンバスとなって似顔絵ならぬ似顔のインスタレーション(パフォーマンス)をしたところを、奥様の文子さんが写真撮影すると。その写真集。横に添えられた伸坊さんの文章がまた、素晴らしい。笑わせてもらいました。
中でも麻生元総理の口調で書かれた昔話は爆笑ものです。小沢一郎口調の文字化も、とってもよくできていました。
『仕事ができる人の「しないこと」リスト』(中島孝志、三笠書房知的生き方文庫:2012、11、10)
一応タイトルには「しないこと」のリストと書いてありますが、「すべきこと」も書いてあります。でも目次は「しない」ことがズラリ!「『100点』を目指さない」「『敵』を不用意につくらない」「『頼みやすい人』にならない」「『反省』をいつまでもしない」「『幹事』を嫌がらない」「『大差のない』ことに悩まない」などなど。ふーむ、ちょっと読んでみようかな、というところ、ありますよね。
『宇宙兄弟19』(小山宙哉、講談社、2012、10、23第1刷)
ちょうど、きのう(10月25日)の読売新聞朝刊に、作者の小山宙哉さんの写真つきインタビュー記事が載っていた。1978年生まれ、若い!!この若さでこんな内容の、こんな絵が描けるなんてすごい!しかも京都出身なんだ。関西テイストがなんとなく感じられるのはそれが原因だったか。
今回は、弟の宇宙飛行士ヒビトの苦悩の日々を描いていて興味深い。マンガはもう19巻なのか。アニメもよろしく。(読売テレビです。)余談ですが、途中で出てくる子供向けの絵本の作者の名前が「やうち まやこ」となっていたのは、著者の名前「こやま ちゅうた(小山宙哉)」をひっくり返しているんだよね。こういうところにも「遊びの精神」が感じられます。
お友だちからお願いします』(三浦しおん、大和書房:2012、8、11)
本屋大賞「舟を編む」や「風が強く吹いている」でおなじみ、三浦しおんさんのエッセイ集。気軽に読めます。タイトルもちょっと変わっていますが。
「ごるあー」という「怒りの擬声語」は、漫画「ごくせん」でよく使われていたように思うが、エッセイなどでは、余り見ることがない。マンガ好きの三浦さんが取り入れたのでしょうか?
139ぺージに書いてある「そうなんですね」という相槌が嫌い!という感覚は、私も共通してあります。(つまり、同感!)これ、気持ち悪くないんでしょうか?皆さんは?
『オタクの息子に悩んでます~朝日新聞「悩みのるつぼ」より』(岡田斗司夫、幻冬舎新書:2012、9、30第1刷・2012、10、15第2刷)
最近、こういった「悩み相談」の本が、たくさん出ている気がする。この読書日記でも取り上げた(ということは「私が読んだ」という事でもあるのだが)、西原理恵子の『生きる悪知恵~正しくないけど役に立つ60のヒント』(文春新書)しかり、『職場の理不尽~めげないヒント45』(石原壮一郎・岸良裕司、新潮新書)しかり、新書にまとめた「お悩み相談」の本だった。
本書は朝日新聞の「Be」で著者(岡田さん)が連載している「人生相談」をまとめたものだが、それだけではなく、著者がどうやってその回答にたどり着いたかという思考の過程を記したものでもあり、その意味では非常に面白い読み物。
そして「人生相談」の回答を書くという行為は、つまり「相談に乗っている」ということで、「セラピスト」のように相手とコミュニケーションを取って、相手の心理・精神状態をより良い方向に導く技術がいる。これは、日常の社会生活の中でも"使える!"技術だと思った。そしてそれは、悩んで視野が狭くなっている人に、第三者の立場から共感しつつも全く別の視点を与えるということに尽きるのだなあと感じた。
私自身は新聞の「人生相談コーナー」は、たまにしか読まないのだが、昔読んだ「人生相談」で今も印象に残っているのは、
「わたしの家は安アパートの2階です。そして、私の趣味は『指揮をすること』です。興に乗って来ると、ついつい大きな仕草で指揮をしてしまい、安アパートの1階の住民から苦情が来ます。一体どうすればいいのでしょうか?」
というものだった・・・。これはそもそも「趣味が"指揮"の棒振りの真似をすること」という極めて稀な趣味であることや、しかも場所をわきまえずというか自室で指揮をしていると「うるさい!」と文句を言われるという、「あまりにもマンガ的な状況」に、思わず声を上げて笑ってしまったものでした。
でも実は、私の大学の同期に、同じような趣味のヤツがいました。彼は「指揮をしながら大声で唸るように歌う」ので、とってもうるさく、道を歩きながら指揮をしていました。あんまり一緒には歩きたくないタイプでした・・・って、こんなのは「人生相談」には書けないわなあ。
「そういう友達がいるんですけど、どうしたらいいでしょうか?」
と投稿する立場だな、こりゃ。
『現場力の教科書』(遠藤功、光文社新書:2012、9、20)
ビジネス書は「斜め読み」でいいと考えている。極論すれば目次だけ読んで、その中で興味がありそうな項目だけ読めばいいと。そうすると買わなくても立ち読みで済んでしまうわけだが、これはタイトルが面白そうだったら買った。「現場力」という言葉に惹かれました。決して「玄葉力」ではありません。
やはり、「継続は力なり」が大事。でも正反対になりますが迅速な改革、これを是々非々で臨機応変に使い分けていかないとダメだな。
この手の本によく載っている「PDCA」、すなわち「P(Plan=計画 )」「D(Do=実行)」「C(Check=結果検証)」「A(Action=対策実施)」のサイクルというのは、意識して使うと良いと思った。ふだん既にやっているとは思うけど、うまくいっていない時は、どれかが欠けているのかもしれない。
あと、「小売業」の「売り上げベスト3」の変化を年代ごとに比較しているところがあった。それによると小売業の売上高ベスト3は、1968年度は、1位大丸、2位三越、3位高島屋。1988年度は、1位ダイエー、2位イトーヨーカ堂、3位西友。2008年度は、1位セブンイレブン-ジャパン、2位イオン、3位ヤマダ電機。デパートからスーパー、そしてコンビニエンスストアと総合電化製品店への流れがよくわかる。そういったものの象徴が、新宿の「三越」が、「ビックロ」(ビックカメラとユニクロの複合店)になったということではないか。先週、久々に新宿に行って、三越があった場所にビックロがあるのを目の当たりにして「時代」を感じた。
『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(小田嶋隆、技術評論社:2012、10、25)
かなり辛口の社会批評。4つの章に分かれているが、それぞれ「橋下維新批判」「津波災害」「SNS社会」「若者」が俎上に上がっている。第1章「わが心は維新にあらず」では、橋下維新の中のまず「教育」方法に疑問を、そして「民主主義」のはき違えを指摘。「民主主義と資本主義は正反対である」という指摘は、正鵠を射ていると思う。
第2章「大津波はわが魂に及び」は、大江健三郎の作品のタイトル(「洪水はわが魂に及び」)のパロディか。「震災以来、わが国のメディアは目に見えて不寛容になってきている」という指摘もまた、「言えてる」と思う。「不寛容=イントレランス」。
第3章「わが炎上の日々」は、この本のサブタイトルにもなっている。不寛容なネット社会において、多数派ではない(少数派の)意見を表明すると、袋叩きになる(=炎上)という「ムラ」社会。「原子力ムラ」を批判しながら、そもそもアンタたちを含む日本全体が「ムラ社会」ではないか、と感じる。(私も。)
そして第4章「若者たちをよろしく」は、フリーターやら草食系やら、何かと「生贄の羊」にされる若者たち、実はそんな目に遭わせている周囲の大人社会がおかしいのではないか?将来、われわれを支えてくれるのは「未来ある若者たち」である。それを今、支えようという気持ちなくして、自らの"立地"の余地はない、つまりリッチになれない。心もね。
10月25日の日本テレビ『スッキリ!!』の中のニュースで、「ミヤネ屋」でもおなじみの岸田雪子さんが、ノーベル賞の山中伸弥教授と、同時受賞したケンブリッジ大学のガードーナー名誉教授が、アメリカ・サンフランシスコで開かれたシンポジウムで、ノーベル賞受賞後、初めて会ったというニュースを伝えていました。その中で、「シンポジウム」のアクセントを、
「シ\ンポジウム」
と「頭高アクセント」で読んでいるのを聞いて違和感を覚えました。普通、日本語化した「外来語としての"シンポジウム"」は、
「シ/ンポジ\ウム」
という「中高アクセント」で、最後の「ジウム」は「ジューム」と読みます。『NHK日本語発音アクセント辞典』を見ても、そう載っています。
もしかしたら、英語のアクセントで読んだのかなと思って英和辞典を付引くと、なんと、
「シン/ポ\ウジウム」
と、「ポ」のところにアクセント記号が書かれていました。(カタカナで書くのに無理がありますが。)
ということは、岸田さんの「シ\ンポジウム」という「頭高アクセント」は「日本語の標準語」でも「英語」でもない、「新しいアクセント」ということになります。
ここからは想像ですが、たぶん、
「エ\キササイズ」
のように最初にアクセントがある英語のイメージに引かれて、
「英語(原語)のアクセントは、頭(最初)にあるのだろう」
という意識の下に読んでしまったのではないでしょうか?
それにしても、英語の「symposium」が「ポ」にアクセントがあるのは、日本語の外来語としては、なじまない感じです。「英語の中の外来語」で、そもそもはギリシャ語系から入って来たのではないかな?
あ、そうか、これって「複合語」なんだ!頭の「sym」(シム)は「接頭語」だ!
「一緒に」「同じ」
という意味だよね!「symphony(シンフォニー)」の「シン」だ!だから「接頭語」にはアクセントは来なくて、元の「意味の根幹」の方にアクセントが来るんだ!
そう気付いて、「sym」という「接頭語」の付く英語を他にも調べてみると、
「symbol」「symphony」「symmetric」「sympathy」
等があり、接頭語としての「sym / sin」は、
「(ギリシア語系の語について)共に、同時に、類似。<lの前ではsyl- ; b、m、pの前ではsym- ;rの前ではsyr- ;sの前ではsys- sy- >」
とありました。あ、そうすると「system」の「sys」も同じ接頭語なんですね。
そしてやっぱり「ギリシア語系から入った英語」なんだ。ほぼ想像通りの結果でした。
10月25日、テレビ朝日のお昼のニュースを見ていたら、ブラジルに住む41歳の男性ギルベルト・アラウージョさんが、自身の葬儀の最中に現れて参列者を驚かせるという騒動があったというニュース伝えていました。葬儀には親類や友人が集まり、遺体を取り囲んでいる時に本人が現れたため、逃げ出す人や失神する人もいたということです。アラウージョさんは町で知り合いから自分の「訃報」を聞かされ、電話で身内に生きていることを知らせようとしたが、「いたずら電話」だと思われて相手にされなかったと。4か月行方がわからなかったことなどから、家族が別人の遺体を見てアラウージョさんが死んだと勘違いしたのが騒動の発端。アラウージョさんは「ほら、生きてるよ。つねってみて」と言って、やっと家族に本人であることを分かってもらったとロイター通信は伝えています。ハロウィーンの時期だし、ご先祖(の魂)が集まってくるのは自然なのかも知れませんが、アラウージョさん、まだ先祖になってないって!
このニュースを見て、笑いながらも、「落語にも似たような話があったな」と思い出しました。そう、『粗忽(そこつ)長屋』ですね。
浅草・観音様のお参りの帰り、人だかりに遭遇した八五郎、人だかりの真ん中には、
「行(い)き倒れ」(身元がわからない死人)
が。その男の顔を見ると、
「隣に住んでる弟分の熊公だ!」
そこで八五郎は、
「すぐに行き倒れの"当人"を連れてきますから」
と意味不明な事を言い出す。急いで駆け戻った長屋で、
「まだ、死んだ心持ちがしねえ」
という熊を無理やり引き連れ、雷門まで戻ってくると、
「南風で少し顔が伸びてはいるが。確かにこれはオレだ」
と熊。そして引き取った遺骸を背負った歩き出した熊、混乱の中で疑問が。
「抱かれてる俺はたしかに俺だが、抱いてる俺はどこの誰だろう?」
というのがオチ(サゲ)です。なんて哲学的な落語なんでしょう!それにしても、実際にブラジルであった出来事はもっと滑稽な感じがしますが、哲学的ではありません。
「事実は落語よりも奇なり」
と言うべきか、
「ブラジルは、まだ『江戸落語の世界』の中にある」
と言うべきか、どっちなんでしょうね。
『私がケータイを持たない理由』(斎藤貴男、祥伝社新書:2012、10、10)
もう日本人の人口を超えて普及しているケータイ。つまり「1人に1台以上」だ。その中で「ケータイを持っていない」というのは、かなり勇気が必要。年配の人はともかく、普通の年代の大人であれば「変わった人だ」と見られることが多いと思う。私も最初ケータイを持つまでは、「しばられたくない」という気持ちがあって、ずいぶん長いこと、持たなかったのだが、やはり報道の仕事にいて、事件・事故があった時に速報する手段としてケータイ電話は必要だろうと思って持ち始めた。そして、子育てをしながら働くためには、子供の保育園の送り迎えなどの連絡のためにも、メールや電話は必要不可欠になっていった。陰謀論ではないが、確かにGPSなどの機能が付いて、より便利になればなるほど、より個人情報が吸い取られていっている現状は、ちょっと立ち止まって考えてみると、ある意味、恐ろしい状況ではある。この本では「ケータイ電話」と「パソコン端末としてのケータイ機器」の話が、ちょっとゴッチャになっているところもあるが、より問題なのは後者だろう。いつのまにか至る所に平然と「防犯」のために張り巡らされた「監視カメラ」と、Nシステム、そしてケータイのGPSで、我々は常に捕捉されている。そんな中で個人のプライバシーってどうなるんだろう?と、少しは考えるきっかけにはなる本。
『日本人の数え方がわかる小事典』(飯倉晴武、PHP新書:2012、6、29)
勉強になった。
船の大きさを示すところで、「トン」という重量単位の語源は、イギリス船に葡萄酒(ワイン)の大樽を積むときに一個ずつ「タン、タン」と棒で叩いて数える音がなまって「トン」になったという説が載っていて、「ヘえー」と思った。また、その「トン」も(1)「総トン」=船の全容積を表す。商船に用いる。(2)「純トン」=(1)の総トンから旅客・貨物の積載に利用できない部分の容積を減じたもの。つまり船の航行のために必要な機関室や船長室などを除く。(3)「積荷重量トン」=貨物船やタンカーに用いる。何も積んでいない時の船から、どのくらいの重量の荷物を積めるかを表す。(4)「排水トン」=船体の排水量を表す。船を水に浮かべれば、その重さの分だけ排水する。すなわちアルキメデスの原理で、船を造った材料そのものの重さである。(1トンは海水35立方フィートの重量)軍艦に用いる。
まとめると(1)&(2)が「容積トン」で(3)&(4)が「重量トン」。複雑ですね。トンだ話でしたが、面白かった。
『「橋下維新」は3年で終わる~民衆に「消費」される政治家たち』(川上和久、宝島社新書:2012、10、23)
刺激的なタイトルは雑誌の特集のようだが、中身は以外にもしっかりとした歴史分析の書。過去の独裁者カエサル、ナポレオン、ヒットラー、そして橋下徹。そこに橋下氏を並べるのもどうかと思うが、「ハシズム」などと呼ばれ「独裁が必要」と明言している大阪市長にして国政政党の代表なのだから、そういう分析も面白いかも。そして、過去の独裁者の分析は、意外にも興味深い。一番注目すべきはそういった独裁者の「手法」、情報をどう扱ったかという点である。また巻末の表も結構面白い。カエサルとヒットラーは同じ56歳で死んでるんだなあ・・・ナポレオンは52歳か、などと思って眺めていた。
タイトルでは「3年で終わる」と断言しているように見えるが、そういう内容の本ではなく、しっかりした内容です。
と、読み終わってから数日たって、『週刊朝日』問題が。会見を(テレビで)聴いていて思ったのは、橋下市長の考え方のベースには「数字」があるのだということ。『週刊朝日』の記事内容に関して「朝日新聞社」に「朝日放送」を加えた「朝日グループ」をターゲットにしたのは「株式を持っているから」。(翌日・18日の会見で「朝日放送は、株は持っているものの直接関係ないのでターゲットから外す」とコメント。ちなみに朝日放送は朝日新聞社の株の2、31%を所有している。)実態としては、「編集方針」が違う別会社であれば、いくら「株式」を持っている親会社でも、そこにまで介入しない(できない)もの。(ふつう、日本ではね)。だから「当事者=攻撃のターゲット」は当然、『週刊朝日』を出している「朝日新聞出版」(朝日新聞社の子会社。もとは朝日新聞の「出版部」だったが、分離)に向くはずなのに、そこは責め(攻め)ずに、親会社を攻める。それも大阪本社の方の、出先の記者を責めてもなあ・・・と感じるのだが、それはわかった上で攻めているのであろう。橋下市長の考え方は「当然すべての責任は、株式を持っている者=株主&経営者にある」という論理なのではないか?と感じた。この考え方は、日本においては異端ではないか?竹中平蔵さんなどが代表に挙げられる「新資本主義」的な考え方なのではないか?いろんな「?」が浮かび上がる。もちろん、『週刊朝日』の連載の内容は、橋下市長が怒るのも当然で「アカンのと違う?」という話は別にして...の話をしています。『週刊朝日』に書かれている内容も(第1回だけしかまで出ていないが)去年秋に『新潮45』で出たものと同じように感じました。(『週刊朝日』の記事の文体は、橋下市長への悪意に満ちていたが。それにしても、佐野眞一がこんな文体で書くのかなあ?という疑問もあった。が、佐野眞一の『あんぽん』を読み始めたら「ああ、こういうふうに主人公の人間を描くために親や先祖のことを調べて書くのはこの人の手法なのだ」と納得。それがそのまま「血脈」という考え方につながるのか、橋下市長の言う「恐ろしい思想」なのかということは疑問。それにしても、書き方がなあ。)
結局、そのあとの週末に「週刊朝日」と「朝日新聞社」が謝罪して、連載も「中止」ということで、問題は収まったようです。
中堅アナウンサーのニュースを聞いていたら、
「きのう、夜10時ごろ、大阪市○○区で火事がありました。」
という原稿の「きのう」を、
「キ/ノ\ウ」
と「中高アクセント」で読んでいました。実はこれは間違い。
「きのう」という言葉には「2つのアクセント」があるのです。それも「品詞」によってアクセントが違うのです。
「キ/ノ\ウ」(中高アクセント=名詞)
「キ/ノウ」 (平板アクセント=副詞)
なのです。ですからこの場合の原稿は、「きのう」が「(火事が)ありました」にかかるので、「副詞」として使われているので、
「キ/ノウ」 (平板=副詞)
と読むべきでした。逆に、「名詞」として読む場合は、起伏型「中高アクセント」の、
「キ/ノ\ウ」
でいいのです。具体的に言うと、
「火事があったのは、きのう。」
と「体言止め」される場合。これは「体言=名詞」ですから、「中高アクセント」になります。これは「時制」を表す「おととい」という言葉にも同じ区別があります。まあ文脈上、区別をつけにくいケースもあるのですが。
このアクセントの区別は『NHK日本語発音アクセント辞典』にも載っていますが、気付いていないアナウンサーが多いのではないでしょうか?
なぜ、このようなアクセントの区別があるのかを考えてみましたが、「名詞」は「主語」になることもあって、「強調」される必要がある。「平板アクセント」では強調ができない。それで「中高アクセント」になっているのではないか。
逆に「副詞」の場合は、後ろに来る言葉を形容するのだから、あまり「中高アクセント」で強調されてぶち切れになっても困る。「形容」するためには「繋がり」が必要。つまり一体感。そのため「コンパウンド」のように「平板アクセント」で、後ろと繋げるのではないか?というように、実は「アクセント」には「意味上の違い」が表れていると考えるのですが、いかがでしょうか?
もう1年以上前、2011年9月26日の新聞で見かけた表現は、
「第3のエコカー」
という見出しの文字。「ハイブリッドカー」「電気自動車」につぐ、
「ガソリン車だけど、燃費がよい車」
を指すようです。ダイハツの自動車で、「リッター30キロ」走るそうです。
それから1年、最近またダイハツがTVコマーシャルで再三、
「第3のエコカー」
を宣伝しています。『いまさら聞けない!?自動車用語辞典』というサイトには、
「第3のエコカーとは、ハイブリッド(HV)などの飛び道具的な技術に頼らず、ガソリンエンジンでハイブリッドカーと同等の低燃費を実現した車のこと。具体的には極限まで効率を高めたガソリンエンジンやアイドリングストップ、車体の軽量化や空気抵抗の削減などによってハイブリッドカーと同等の低燃費を実現する。ハイブリッドカー(HV)、電気自動車(EV)に次いで市場に投入されたことで『第3のエコカー』と呼ばれる。実用燃費ではHVに一歩及ばないものの、より低コストで同水準の低燃費を実現した意義は大きい。」
とありました。
「第3の~」と聞くと、私がまず思い浮かべるのは、
「第3のビール」
ですが、この場合、ビール風味だけど原料がビールとは異なり、税制の分類もビールとは異なるわけですが、「第3のエコカー」の場合は、「エコカー」の分類がどうなのか?この「第3のエコカー」は間違いなく「エコカー」であるという点が、「第3のビール」とはちょっと違いますね。
日本では、ディーゼルエンジンは環境に悪い影響を与えるとして排除されていきましたが、ヨーロッパでは、環境に悪い影響をあまり与えないディーゼルエンジンが開発されているとも聞きました。まだまだ車のエンジンには、改良の余地があるという事なんですかね。
「三筆」に数えられる嵯峨天皇の、
「宸筆」
という表記・言葉が、『日本人の数え方がわかる小事典』(飯倉晴武、PHP新書)の中に出てきました。それを見てハッと思い出したのは、
「『宸筆』の『宸』は、京都御所の『紫宸殿』の『宸』ではないか!」
ということです。そう考えていたら、毎日、利用している京阪電車の駅に貼ってあった、京都の博物館でやっている展覧会のポスターで
「宸翰(しんかん)」
という文字が。これは「天皇の手紙」なのではないか?ということで、
「天皇関係の言葉に『宸』という言葉は使われるのではないか?」
と考えました。『精選版日本国語大辞典』で「宸翰」を引くと、
「宸翰」=天子自身が書かれた文書。天子の直筆のもの。宸筆。
とありました。「宸翰」と「宸筆」は同じだったのか!
一応「宸筆」を引くと、
「宸筆」=天子が自身で書いたもの。天皇の自筆。天皇の直筆。神筆。
とありました。
『新潮日本語漢和事典』で「宸」を引くと、
「① 天子の。天の。」
とあり、用例としては、
「宸衷」「宸憂」「宸断」「宸襟」「宸筆」「宸翰」「宸遊」
また2番目の意味として、
「② 天子の居所。宮中。」
とあって、こちらの用例に「紫宸殿」がありました。
『日本人の数え方がわかる小事典』(飯倉晴武、PHP新書)という本を読んでいたら、「法律」の数え方の項(140ページ)に飛鳥時代の「律令」で、
「『格(きゃく)』は『追加法』のこと、『式』は『施行細則』のこと。」
と書かれていました。
ということは、
「格式がある」
とうのは「位(身分)が高い」というのではなく、
「(決まりなどが)きっちりしている」
ということでしょうかね?
また、NHKのEテレ(元教育テレビ)の「日本語であそぼう」を見ていたら、
「千日の稽古を"鍛"とし
万日の稽古を"錬"とす」
という「名文」を紹介していました。「鍛」と「錬」で、
「鍛錬」
なんですね。宮本武蔵の言葉なのだそうです。「五輪書」かな?なんだか
「ボクと君とでヤンマーだ」
みたいな感じではありますが。「ヤン坊マー坊天気予報」!最近、見てないなあ。
「ヤンマー」と言ったら、「マンチェスター・ユナイテッド」のスポンサーになったという全面広告が、先日、新聞に載っていました。
「セレッソ大阪」に香川選手がいたのが関係あるのかな?
『フリーター家を買う』(有川浩、幻冬舎文庫:2012、8、24)
単行本は2009年8月に出ていて、その後、ドラマ化もされているが、なんとなく手が出なかった一冊。文庫化を気に、買って読んでみた。思っていたような話と違った!
就職できたものの、社風になじめず、すぐに会社をやめて、フリーター生活をのんべんだらりんと送っていたダメダメな主人公の男性が、母親の病気(重篤なうつ病)を機に、「家族」について、「生きる」ことについて、「働く」ことについて、「命」について、「愛」について考えていく成長物語。なんだ、面白いじゃないか。タイトルからは、中身が想像できなかったが、確かにタイトルどおりのお話だ!
『読書の技法~誰でも本物の知識が身に付く熟読術・速読術「超」入門』(佐藤優、東洋経済新報社:2012、8、9第1刷・2012、9、17第5刷)
月平均300冊、多い月は500冊以上読むという著者。たった「ひと月」で、私の年間の読書量を凌ぐ!10~20倍以上の読書量。一体本をどこに置くのか?と思う。もちろん「精読」するものだけでなく、パーッと目を通すのも入れてだろうが、それでも全ページに目を通すというのだから、すごい。いわゆる「斜め読み」みたいな感じかな。それを読んで、ちょっと気が楽になった。
「こういった本は、こういう読み方をすればいい」というようなことを、具体的に書いてあるので、「読書ガイド」でありながら「書評」のようでもある所はさすが。高校の教科書や参考書が、社会人にも役に立つというのは「確かにそうだ」と感じる。「お勉強」をしていた時にはつまらなかったものが、今はものすごくよくできた読み物になっているかもしれない、こちらが成長したことによって。こんな視点をかなり詳しく書いてあるのは、いいと思う。さすが、ベストセラー!
10月17日に亡くなった映画監督・若松孝二さん(76)。そのニュースを伝える10月19日の「ミヤネ屋」のスーパーのチェックで、
「寺島しのぶが若松監督を弔問」
という表現が出て来て、何か違和感が・・・。辞書を引くと、やはり、
「『弔問』は、遺族のもとを訪問すること」
なので、「亡くなった当人」の若松監督を「弔問」するのはおかしい。故人・その人を「弔問」することはできない。あくまで「弔問」の対象は「遺族」。残された家族の親族の皆さんに「お悔やみ」を言いに訪れることですね。その表現を、
「若松監督宅を弔問」「若松監督の自宅を弔問」
に変更しました。
すると原稿にも少しおかしな言い方が。
「若松監督の弔問に訪れた」
この「弔問に訪れる」は「重複表現」。「弔問」の中に「訪れる」意味は含まれていますから、
「若松監督の自宅を弔問した」
としました。
兵庫県尼崎市の民家で3人の遺体が見つかった事件は、恐ろしい広がりを見せていますが、その中の遺体の一人が、角田(すみだ)美代子被告の家の家事を手伝っていた女性であることが分かったというニュースが、10月19日のお昼のニュースで報じられました。
この女性の職業名を呼ぶときに、
「お手伝いさん」
と言っていいか?とデスクに聞かれました。
「女中」
という呼び方は古いし差別的な呼称として使わないことにしているが、「お手伝いさん」は特に問題はない、ただし、ニュースの文脈(読み原稿)で「お手伝いさん」という柔かい呼称はなじまないんじゃないか?だからと言って、職業的な名称の、
「家政婦」
では固すぎる。具体的に説明すれば、
「家事を手伝っていた○○さん」
になり、それを職業名として呼ぶならば、
「家事手伝い」
になるのではないか?と答えました。他局では2局ほど、
「連帯保証人」
という別の側面に注目した呼称を使っていたそうです。
それにしても「看護婦」「保健婦」などの名称は「看護師」「保健師」などに代わって、
「○○婦」
という呼称は、もうこの10年で消えてしまったのかな?と思っていましたが、
「家政婦」
は残っていますね。残っているどころか、去年放送の日本テレビのドラマ『家政婦のミタ』の大ヒットで、職業名として、より認知が高まったように思えます。これを、
「家政師」
とは呼ばないな。国家資格ではないだろうしな。
Google検索では(10月19日)、
「家政婦」=1040万0000件
「家政師」= 3180件
でした。やっぱり「家政師」は極端に少ない。でも3000件以上ある。その中のYahoo知恵袋2011年12月に、
「家政婦の仕事を男性がする場合、なんと呼ぶのですか? 家政士?家政師?」
という質問が出されて、それに対するベストアンサーは、
「統計局 日本標準職業分類
Eサービス業 34 家庭生活支援サービスの職業 341 家政婦(夫)、家事手伝
つまり、大分類・サービス業のなかの、中分類『家庭生活支援サービス』の職業の一つってことですね」
と記されていました。あ、そうか「保母さん」に対する「保父さん」があったように、「主婦」に対して「主夫」があるように、「家政婦」に対しては、
「家政夫」
があるか!検索してみると、
「家政夫」=29万5000件
でした。「家政師」よりすっと多い。「男性の家政婦」は「家政夫」ということのようですね。
爆破予告などで逮捕された人が、実はパソコンを遠隔操作されていたという事件で、警察庁長官が、
「間違って、真犯人ではない人を逮捕してしまった」
とコメントしました。国家公安委員長も、誤認逮捕を認めました。三重県警、大阪府警も誤認逮捕を認めました。それを報じたニュースを聴いていると、
「4人を誤認逮捕していたことが分かりました」
というような表現が。文字で見れば「何が問題なの?」というところですが、声に出してみると、
「ヨニンがゴニンたいほ」
となり、「4人」なのか「5人」なのか「ゴニン(誤認)」する恐れがあって、これは「ヨニン」・・・いやいや「容認(ヨーニン)」できません。
「4人を誤って逮捕した」
とすれば、そういった数字もどきの音の問題は避けられます。
似たようなものには、
「住人9人がケガ」
というようなものがあります。これも、
「ジューニン、キュ-ニンがケガ」
となって「10人」なのか「9人」なのか、はたまた「19人」なのか、耳で音だけを聴くと戸惑います。同音異義語の多い日本語だけに、
「耳で聞いてわかりやすい言葉」
を心がける必要がありますね。特に放送では。
(追記)
これに関しては、「平成ことば事情4609 誤認逮捕」でも書いていました。
そして2013年2月、遠隔操作ウイルス事件で、「片山祐輔容疑者(30)」が逮捕されましたが、片山容疑者は容疑を否認しています。弁護にあたるのは冤罪・無罪を勝ち取った足利事件を担当した佐藤博史弁護士です。はたして、真実は?勾留期限は3月3日だそうです。
このニュースを伝えた2月26日の日本テレビ「every.」では、以前の「4人の誤認逮捕」という表現を、
「4件の誤認逮捕」
という言い方に変えていました。「誤認」が「5人」に誤認されないように、「4人」の方を「4件」という助動詞に変更したのでしょう。なるほどね。
(2013、2、26)
『となりの闇社会~まさかあの人が「暴力団」?』(一橋文哉、PHP新書:2012、10、2)
サブタイトルでもわかるように、暴力団を徹底的に法律で締め上げたら、暴力団員が一般社会の中に、一般人の目からはすぐにわからない形で溶け込んで生きていると。そっちの方が怖いのでは?という恐怖感が。そして、生活が苦しくなってきた暴力団員たちが、どんな"ビジネス"に手を染めているのか。はたまた「抗争」にかけているのか。うーん、どうやったら平和に生きていけるのか、日本は平和ではなかったのか?と不安になる一冊。
尼崎の事件などの広がりを見ていると、本当にタイトル通り「となりの闇社会」である・・・。
"素人"と言っていいのかどうかわからないが、著者の略歴には「主婦」と書かれているから「アマチュア・カメラマン」であることは間違いないだろう。原発建設との闘いの記録を残してきた写真集。大先輩のカメラマンの貴重な写真も。「中電」というのは「中国電力」のこと。2007年に出た写真集なのでその時点までの写真だが、2011年6月に4刷が出たのは、間違いなく東日本大震災、福島原発事故の影響であろう。
山口県祝島での「上関(かみのせき)原発」の建設については今月5日、山口県の山本繁太郎知事が「予定地周辺海域の埋め立て免許更新を認めない方針」を明らかにした。また、枝野幸男経済産業相も「上関原発は、原発を新増設しない原則の適用対象だ」と述べて、建設を認めない考えを示している。一方の中国電力は、上関原発建設予定地の公有水面埋め立て免許の延長を山口県に申請。県は約1カ月かけて審査するが、現在の免許期限(今月7日午前0時)の延長は認めない方針。中国電力は、政府方針が定まらない中、建設計画を推進する姿勢を強く示す狙いがあると新聞記事には書かれていた。まだ「たたかい」は継続中だ。
『教科書に載ってないUSA語録』(町山智浩、文芸春秋:2012、10、5)
町山智浩の「USA」シリーズ。『週刊文春』に連載しているものなので、時々読んでいる。
あと3週間ほどで大統領選挙だが、ロムニー候補がどういう人で、アメリカ国民にどう思われているかとか、新聞やテレビでは知ることができない、アメリカに住んでいて初めてわかるようなことがたくさん書いてあって勉強になりました。でも・・・放送では出せないような話が多かったです。子供も読んじゃだめだね、この本は。
『バカの話は必ず長い』(櫻井弘、宝島社新書:2012、10、23)
タイトルに惹かれて「そうそう!」と買ってしまった。著者は「話し方研究所所長」という肩書。中身はそれほど目新しいこともなく、まあ、思った通りのことが書かれていますが、最近見なくなった「バカ」をタイトルに謳っていることと、「自戒の念を込めて」、"反面教師"とするために買いました。でも、表紙が黄色で、黒い大きな文字でタイトルが記されているこの本を、会社の机の上に放り出しておいたら、ビクッとする人もいるかも・・・あ、でもこれに該当する人は、そんなことには気付きませんから、大丈夫です。
『「新型うつ病」のデタラメ』(中嶋聡、新潮新書:2012、6、20第1刷・2012、6、30第2刷)
最近よく耳にする「新型うつ病」。「抑うつ症候群」の中の「抑うつ体験反応」のことを指すという(わかったような、わからないような)。従来の「うつ病」と違って、ハタから見ると「さぼってるだけと違うの?」に見えてしまうだけに厄介。著者(精神科医)は、「なぜ最近『新型うつ病』が増えたのか?」の原因について、まず「医者」の立場から(1)精神病理学の衰退」=診断力の低下、次に「薬」の面から(2)新薬物SSRI(抑うつ薬)の出現=病気のすそ野拡大、そして「患者」の側から(3)精神力の低下を挙げている。また、「精神科」から「心療内科」に名称が変わったことで、気軽に受診できるようになったことも、患者増大の一つの理由としている。
そして、従来の「うつ病」は、
「中高年、執着気質、規範への愛着・配慮的で几帳面・仕事熱心、焦燥と抑圧・自責的、全般に軽快しやすい」
という特徴があるのに対して、「新型うつ病」は、
「青年層、退却傾向と無気力、自己自身への愛着・漠然とした万能感、不全感と倦怠・他罰的、しばしば慢性化する」
というのが特徴だそうだ。ある意味、こちらの方が厄介な気がする・・・。でも、この症状って、
「思春期」
の状態ではないのかなあ?
『ADは仕事を選ばない』(近藤五郎、青松書院:2012、9、20)
実は著者は会社の同僚。まさかこんな本を書いていたなんて!全然知らなかった。
アメリカ在住の先輩からのメールで知った。帯には、
「話題の新人賞『このミステリーがすごい!』参考委員が絶賛したエンターテインメント小説」
の文字が。ミステリーなのか!?と著者に直接聞いたら、
「ミステリーじゃないです」
と。え?・・・。
それと帯の文字、「『参考委員』じゃなくて『選考委員』では?」と後で思った。
表紙の写真のようなイラストのつぶらな瞳の女性の姿を見ていると、タイトルの「AD」を「AV」と読み間違ってしまうような感じがした。
413ページの大著、読んでみての感想を一言で言うと、
「おも(しろ)かった!」
です。電車中でも読んだので、腕も鍛えられました。413ページもあって、しっかりした造りの大判の本なんです。
ストーリーは面白く、著者の経験も反映されてテレビの世界が描かれていて面白いし信用も置ける。よく、映画や小説でテレビの世界を書いてあるものには、僕らが読んでたり見たりして、「そんなバカなことはない」ということがある。たとえば、取材用のENGカメラのはずなのに、中継車もなく中継しちゃうとか。今ならロケポタなどの機器があって、できないこともないが、10年ぐらい前だと絶対に無理!とか。この小説は、そういうのはありません。しっかりいしています。
ただ「読みやすさ」という点に関して、ちょっと問題かなと思ったのは、「滾(たぎ)った」「蟀谷(こめかみ)」「飛礫(つぶて)」「嗜(たしな)む」「掻(か)き毟(むし)る」「鳩尾(みぞおち)」「鷲掴(わしづか)み」などなど、矢鱈(やたら)と難しい漢字を使っている。漢字の勉強にはなる。また、矢鱈と(わざと漢字にしてますが)「カタカナ」を使う点。方言の語尾を「できヘン」「いうとったズラ」など、カタカナにするのはよくあるし、効果的だが、それ以外にも「オランとこ」「ウチンとこ」「村松ッアン」「オバチャン」「オッサンらこんなエエもんをタダで見たらアカン」「言われたナイやろな」など、カタカナで書かない方がわかりやすいところに、あえてカタカナを使っていることが結構多く、読むときに一寸つっかえてしまった。多用しすぎると「ウザい」。昔の文章には、この手の表記がよく見られたし、現在も東海林さだおの漫画にもあッたンだけどネ。(70代以上の人の文章の特徴だと思います。)それと、現代を舞台にした若者が主人公であるなら、「欠食児童」という言葉は出てこないと思うンだけど。私ら世代が親から聞いて覚えているだけで、今の若者は知らんだろ、この言葉。
野球の場面で、敵の静岡高校のピッチャーのニックネーム、「赤石の熊」は、後半の語呂が悪い「赤石の暴れ熊」とか「赤石の○○熊」とした方が、「熊」だけよりバランスが取れる感じがした。
こういうのを読んでいて、ついつい文字のチェックとかしちゃうんですが、188ページの1行目が「取り調べ」なのに2行目が「取調べ」というのは、「取り調べ」に揃えるべきですね。それと、338ページ「午前十時半に火蓋が切って落とされた」は、著者にしては単純ミスか。「火蓋」は「切って落と」さない。「火蓋を切る」です。「切って落とす」のは「幕」
です。ゴメンね、細かいこと書いて。
全般に言うと、主人公たちに気持ちを重ねることができて、グイグイ読めた。面白い作品と言えます。でも、もう少し軽くて薄い本の方が、持ち運びやすいです、近藤クン・・・。
地下鉄の駅で見かけたマンションの広告に、
「都心の41階建レジデンス」
といううたい文句が。この、
「レジデンス」
ですが、
「マンションの新しい呼び方」
のようですね。最近よく見かける気がします。「アパート」が「マンション」になり、次は「レジデンス」か。カタカナ語は目新しさが「ウリ」、定着したら、さらに目新しい表現を求めるということの繰り返しなのでしょうね。
Google検索では(10月15日)、
「アパート」 =1億1900万件
「マンション」=2億6100万件
「レジデンス」= 1680万件
と、まだ「レジデンス」という表現は「アパート」「マンション」ほどは、多くありませんね。他にも「高級感」を醸し出す表現が、いろいろとあるのでしょうね。
以前から気になっていることに、最近「アスパラガス」を「アスパラ」と省略することが多く、テレビのテロップもそうなっていることがあります。これはやはりきっちりと、
「アスパラガス」
と表記すべきではないかあと思うのです。
そこで2012年(今年)2月の新聞用語懇談会放送分科会で質問しました。
「『アスパラガス』は、省略せずに使いますか?それとも『アスパラ』という形を使いますか?『エビとアスパラのいため物』のようなケースはどうでしょうか?」
これに対して各社の回答は、
(毎日放送)単体では「アスパラガス」と言うが、「グリーンアスパラ」「ホワイトアスパラ」などは「アスパラ」と言っている。
(テレビ大阪)料理番組に出てくる専門家(お料理の先生)は「アスパラ」と言っているようだ。
(毎日放送)表記は「アスパラガス」としているが、コメントでは「アスパラ入れます」などと言っている。実際、お店のメニューなどでは「アスパラ」と省略されて出てくる。
(日本テレビ)正式には「アスパラガス」。たとえば、皇室に出すときは省略しないだろう。
(NHK)似たように省略される食材に「ホタテ」がある。正式には「ホタテ貝」。
(テレビ東京)サイドスーパーなどでは「アスパラ」と省略して使っているようだ。
(NHK)昔は、薬の名前(商品名)で「アスパラ○○」というのがあったので、「野菜」を「アスパラ」と省略できなかった。
とのことでした。
その後、2012年3月23日の読売新聞夕刊に、
「アスパラ収穫10年後も」
という見出しが。本文を読むと、
「ニラとミョウガとアスパラガスなどが」
「アスパラガスは古い根株には萌芽力がなくなっている」
「まずはアスパラガスから植え替えることにした」
「その場所をアスパラガスの畑にすることにした」
「アスパラガスはこうして植え替えると10年は収穫できる」
と、本文中ではすべて省略せずに「アスパラガス」でした。
「ミヤネ屋」の世界電波ジャックのコーナーで、アフリカ・ケニアの、
「マサイの人たち」
を瀬良ディレクターが取材しました。その際に(取材に行く直前に)、
「マサイ族」
という呼び名は使ってもいいのか?と質問を受けました。別に「~族」を全部使ってはいけないということではないので、大丈夫だと思うよ、と答えましたが、調べてみると、2010年11月の新聞用語懇談会秋季総会(鳥取)で、毎日放送の委員から同じような質問が出ていました。その時の各社に意見は、こんな感じでした。
(1)「マサイ族」という表現をテレビ欄に出したら拒否され「マサイ」「マサイ人」に直されたが、「マサイ族」は使ってはいけないのか?各社の基準は?(by毎日放送)
*過去に「部族」「族」の使用に関して「申し入れ」があったことは事実。現在は使用禁止していない。ルワンダの虐殺の際には「フツ族」「ツチ族」「部族」が頻出した。(朝日新聞)
*(使用禁止を)決めていない。クレームもない。「ロマの人びと」「ロマ族」「ロマ民族」も使っている。(毎日新聞)
*規定はない。ただ「ロマ民族→ロマ人」、「クルド族→クルド人」などとしている。データベースでは過去5年で20件「マサイ族」が出てきた。「マサイ人」は0件。(読売新聞)
*「マサイ族」「マサイ人」はデータベースで各1件。民族名で「マサイ族」は「要注意語」だが、「~族」の使用を禁じてはいない(日経新聞)
*昔は禁止していたが、今は使用禁止ではない(東京新聞)
*『共同通信記者ハンドブック第12版』では「~族」は使わないことになっている。「マオリ族→マオリ人、マオリ」「マサイ族→マサイ人、マサイ」としている。ただ中国の少数民族の「チベット族」「ミャオ族」やミャンマーの「カレン族」、アフガニスタン・パキスタンの「カチ族」などでは「~族」を使う。(共同通信)
ということで各新聞社・通信社で「マサイ族」を「使わない」ことにしていたのは共同通信だけでした。
少し前のことになりますが、2011年(去年)12月の新聞用語懇談会放送分科会で、私が質問した項目に、
「『暗雲が垂れ込める』が本来の形だが、最近『暗雲が立ち込める』という言い方も耳に(目に)する。各社の対応はどうか?」
というものがありました。各社からの回答は、
(NHK)「暗雲」は「垂れ込める」のみ。
(TBS)「暗雲」は、下からではなく上からなので、「垂れ込める」。
(フジテレビ)「立ち込める」は×。
(テレビ朝日)「立ち込める」は「霧」との混同か?
(テレビ東京)弊社ではアナウンサー試験にも出題、アナウンス教本にも記してあるぐらい。「暗雲が立ち込める」は×。
(ABC)OAではあまり使われていない。
(MBS)「暗雲が立ち込める」は使ってしまっているかも・・・
(関西テレビ)「暗雲が垂れ込める」という言葉を知らないかも・・・。
(テレビ大阪)「立ち込める」は×だが、原稿の書き手が間違うことも。アナウンサーやナレーター(読み手)がチェックしないといけない。
(読売新聞=オブザーバー)実は『大辞林』では2番目の意味として、比ゆ的には「暗雲が立ち込める」を載せている。使われ方が変ってきているのが現状。
というものでした。
「平成ことば事情3366」で「二足のわらじをはく」、「平成ことば事情3868」では「二足のわらじ」、「平成ことば事情4508」では「二足のわらじをはく2」というタイトルで同じようなことを書いていますが、それの第4弾です。
2011年(去年)12月に開かれた新聞用語懇談会放送分科会で、私が
質問したものの中に、
「二足のわらじ」
の使い方に関するものがありました。というのは、本来、「二足のわらじ」という言葉は、
「泥棒と警察」
のように、
「本来は両立しにくいような2種類の職業を兼ねること」
をいうのですが、最近は、
「単に2種類の仕事を兼ねること」
の意味でよく使われているからです。各社の対応はどうか?と聞いたところ、
(NHK・共同通信)ある程度、2つの職業が離れていれば使っても良い。
(TBS)本来の意味では今はあまり使われていないので、仕方ないかなと。
(日本テレビ)相反する職業でなくてもいいが、あまり近い(似ている)職業に使うのはダメ。
(フジテレビ)多少ギャップがあって意外性がある場合に使う。「映画監督が役者も」という場合には使わない。
(テレビ東京)ある程度、本業とは違う職業でないと使わない。
(MBS)本来の意味は教えるようにしているが、意外性のある職業であればOK。
(ABC)「二足のわらじ」はOAではあまり聞かない。
(関西テレビ)「二足のわらじ」の本来の意味を初めて知った。ちょっと違う程度でもOKかと思っていた。
(テレビ大阪)どのくらい離れているか?はその時々の判断。ただ「昼はうどん屋、夜はステーキ屋」のようなものはダメ。
(NHK)アクセントは本来、×「ニ\ソクノワラジ」→○「ニ/ソクノワラジ」。「魚を
三枚におろす」のアクセントも、×「サ\ンマイニ・オ/ロ\ス」→○「サ/ンマイニ・オ/ロ\ス」。
という話でした。ご参考までに記録しておきます。
ロンドン五輪女子マラソンの実況アナウンサーが、
「エチオピア、スピードがあがりません。ロシアのマヨロワ選手にかわされていきます」
と「抜かれる」意味で「かわされる」を使っていました。
その前には、競泳男子200M平泳ぎ、立石諒選手へのインタビュアーが、
「ずっと背中を見てきた北島さんを最後かわして、メダル。どうですか?」
と聞いていました。「抜く」の意味での「かわす」です。
それに対して立石諒選手は、
「日本記録を出した3年前、いつか追い越せるときがきたら」
と答えていました。「かわす」を使わずに「追い越す」でした。
少し前の話ですが、去年(2011年)11月、フジテレビのF1の番組(アブダビ・グランプリ)を見ていた時にも、アナウンサーが、
「アロンソ(選手)がバトン(選手)をかわして二番手に上がりました!」
と言っていました。この「かわす」は、新しい意味の「かわす」(「抜く」の意味)です。
そして同じくフジテレビ、2012年10月7日、フランスのロンシャン競馬場で開かれた「凱旋門賞」に出走し、1番人気だった日本の「オルフェーヴル」が、ゴール直前、あと10メートルぐらいのところ、10番人気の馬に抜かれて2着になってしまいましたが、その際に、実況の関西テレビ・岡安アナウンサーが、
「ゴール前でかわされて2着」
というように、「抜かれて」の意味で「かわされて」を使っていました。
「マラソン、競泳、F1、競馬」、こういったスポーツでは「抜く」=「かわす」を使う傾向があるようですね・・・って、競走関係のスポーツは全部かな?
「ミヤネ屋」の世界電波ジャックのコーナーを担当している中埜ディレクターからの質問、
「『シェフ』という言葉は『料理長』にしか使えないんでしょうか?」
国語辞典を調べてみると、確かにフランス語経由の
「シェフ」の意味は「料理長」
です。だって英語で言えば「チーフ」だから「長」じゃないとおかしいよね。
でも実際は、マスコミにおいては、単に、
「コック」「料理人」
の意味で使われていることが多いんではないでしょうか?そしてそれに対して誰も異議を唱えない。もちろん、料理の専門家は、そういった間違った使い方はしないんでしょうけど。中埜ディレクターに、
「『コック』と呼んだら?」
と言うと、
「『コック』だと、何だか日本の『町の洋食屋さん』のようなイメージなので...海外のレストランというイメージなので『シェフ』を使いたいんです」
と言います。
今回、取材で取り上げた人は、スペイン・バスク地方で働くレストランでは、
「オードブル部門のチーフ」
をしているということだったので、彼に関しては「シェフ」を使うことにしました。そして、ほかの「コックさん」たちは、
「料理人」
という日本語を当てはめることにしました。
そもそも「シェフ」はフランス語、取り上げたのはスペインの料理店なのだから、「シェフ」にこだわらなくてもいいのですが、「ヨーロッパのイメージ」ということですね。
『町の忘れもの』(なぎら健壱、ちくま新書:2012、9、10)という本の238~239ページに出て来たのが、
「愛玉子」
というもの。これは「玉子」ではなく、台湾の寒天状のデザートの名前だそうで、
「オーギョーチィ」
と発音するのだそうです。本には、東京・上野の昭和9年(1934年)創業のお店の看板の写真が載っていますが、確かに「オーギョーチィ」と漢字にルビが振ってあります。どう見ても「玉子」屋さんだと思うけど、違うんですね。
これで思い出したのが、新幹線の車窓に見えるあの看板、あれは「愛玉子」ではなかったのか?と、過去の「平成ことば事情」を検索してみると、「平成ことば事情3473 たまごは『卵』か『玉子』か」の3年前の「追記4」にありました!
『久々に新幹線に乗って東京に行きました。その際、新横浜駅の少し手前(=大阪側)、東京に向かって左側に大きな看板があって、
「愛鶏卵の玉子」
と書かれていました。「愛鶏卵」はおそらく会社の名前で、「玉子」は「鶏卵」を意味するのでしょう。「卵」と「玉子」が、一つの看板の中に出てきたのが印象に残りました。』
あ、「愛玉子」ではなく「愛鶏卵」で「玉子」か。これは台湾のデザートではなく「玉子(卵)」なんでしょうね。でも、もしかしたら「愛鶏卵」を意識して「愛鶏卵の玉子」としたのかも。なんだか看板の雰囲気・字体も似てるんだもの。「玉子」は「王子」にも似ています。
2012年9月26日午前、大阪・豊中市内の小学校で、児童27人が「熱中症」と思われる症状で倒れるというニュースがありました。
その中で出て来た言葉に、
「中等症」
とう見慣れない言葉がありました。もちろん意味は、
「重症と軽症の間」
なのでしょうが、ふだんあまり目に(耳に)しない言葉です。
と思っていたら、『「新型うつ病」のデタラメ』(中嶋聡、新潮新書)という本の中に、この「中等症」という言葉が出てきました。
「中等症うつ病」
という表現です。やはり熱中症以外でも、病状を指す言葉として「中等症」は使われているようですね。
消防庁のホームページによると、
「『重症』とは、傷病の程度が3週間以上の入院を必要とするもの。『中等症』とは、傷病の程度が入院を必要とするもので重症に至らないもの。『軽症』とは、傷病の程度が入院加療を必要としないもの。」
とありました。「中等症」は「入院が必要」なんですね!それは結構、大変だ。
Google検索(10月17日)では、
「中等症」=13万8000件
でした。「熱中症」「うつ病」以外には、
「中等症高血圧」
という病名もありました。
日本テレビ「スッキリ!!」を見ていたら、カーリー・レイ・ジェンセンという外国の歌姫が日本テレビにやってきて、先週金曜日(9月21日)に「スッキリ!!」の放送が終わった後のスタジオで、
「生歌を披露」
してくれたと。「さっそくそれをご覧いただきましょう!」というのですが、何か違和感が。確かに「スッキリ!!」のスタジオで先週金曜に歌ったのは「生歌」かもしれませんが、それを、
「VTR収録」
して、放送するのであれば、
「それって『生歌』なの???」
と、「?」マークが頭の中に100ぐらい浮かびました
そもそも「録画」があるから「生」という表現ができた。もとは「生」しかなかったのだから、わざわざ「生」なんて言わなくてもよかった。しかし「生」ではいろいろ便利が悪いから、技術も進歩して「収録」(録画)できるようになったが、「生」のほうが、その「貴重さ」の「受け」がよい。そこでなんでもかんでも「生」を強調する傾向があるのかな?「生レバー」はおいしい(という人もいる)が危ない、これと似てるのかな?似てないかもしれません。
後輩のMアナウンサーから。
「ネットを見ていて、こんな質問を見つけました」
と教えてもらいました。
「『なんでDVDやブルーレイで「巻き戻し」って言うんですか?』という質問が掲示板に書かれていたんです。」
たしかに、「DVD」や「ブルーレイ」は、「テープではない」ので「巻き戻」さないですね。今、テレビ局の中でも記録媒体が変化してきていますし、編集室にも、
「リニア」と「ノンリニア」
があって、「リニア」というのは、なんとなく電磁石(リニアモーターカー)を思い浮かべるけど、そうではなくて「直線」(ライン)状態ということですね、つながっている。(「リニアモーターカー」の「リニアモーター」というのは、普通は「丸く」巻いてあるモーターが、「直線」に伸ばしてあるモーターだから、「リニアモーター」ですね)だからこれは、今までの「ビデオテープによる編集」で「巻き戻し」が必要です。それに対して、パソコン編集の「ノンリニア」は、「直線でつながっている」わけではない。記録媒体もテープではないので、ピンポイントで編集したい点に行ける。つまり「巻き戻しは、必要ない」というか「巻き戻してはいない」のです。
でも、編集作業においては、時間軸と同じ方向に映像を見るのではなく、時間軸を遡って見るということが、テープの場合と同じようにあります。それを何と呼ぶか?
とりあえず、今までのテープのとき同じように、
「巻き戻し」
と呼んでいるわけですね。
これは、以前「ハードディスク」に収録した番組内容を放送するときにも、
「VTRをご覧ください」
と言っていたけど、実際は「VTR」ではなかった。でも、
「ハードディスクをご覧ください」
とは言わなかったのと同じことなんじゃないかなあ。
「VTR」というのは 「映像」の代名詞としてもう定着してしまったのではないでしょうか?本当は「VTR」は、「デッキ」(録画機)のことなんだけどなあ。「巻き戻し」も、そういった動作の代名詞として使われていくんじゃないだろうか?
あと、これも「死語」なんだけど、まだ使う人がいる「テレビ関係の言葉」では、
「ブラウン管」(~でお会いしましょう、など)
「チャンネルを回す」(リモコンだから回さないなあ)
というものもありますね。
「ミヤネ屋」の「世界電波ジャック」のコーナーで、スペイン・バスク地方を取材しています。バスクと言えば美食の町、グルメの街として知られています。
その放送前の原稿チェックの時に、「一応確認」と思って調べたのは、
「バスク地方を美食の町として世界に知らしめたのは」
という一文です。この、
「知らしめた」
について一応チェックしてみることに。
「知らしめた」というのは過去形ですから、元の形は、
「知らしめる」
ですね。ところが辞書を引いても「知らしめる」は載っていないのです。代わりに載っているのは、
「知らしめす」
です。しかし、もし原型が「知らしめす」であれば、過去形は、
「知らしめした」
と「し」が入った形になるはずです。しかし「知らしめした」と言うと、なんだか「し」がひとつ多いような気がします。そこでもしかしたら「知らしめた」と、「し」を一つは省いちゃったのではないでしょうか?たとえば、「到着する」+「次第」は、本当は、
「到着し次第」
となるはずなので、ふつうは、
「到着次第」
と言ってしまうのと同じ現象が起きているのではないでしょうか?
『精選版日本国語大辞典』を引いてみると、
「しらしめす(知召)」=(動詞「しる(知)」に上代の尊敬の助動詞「す」の付いた「しらす」に、さらに尊敬の補助動詞「めす」の付いたもの)お納めになる天皇が統治なさる。しろしめす。」
統治の「しろしめす」も、「しらしめす」と同じ言葉だったのですね!
この「知らしめす」は、
「知らし召す」
なのだそうです。「めす」は尊敬語かあ。しかも「知らし」の「し」も尊敬のようです。
うーん、勉強になった!
(追記)
NHKの原田邦博さんからメールを頂きました。
『「知らしめる」は、「知ら」+「しめる」の連語です。
このため多くの辞書は見出しには採りませんが、「明鏡国語辞典」だけは採用しています。
「しめる」は動詞の未然形に付いて、「~させる」という使役の意味になります。「私をして、言わしめれば」も同じ用法です。』
なるほどそうか、「連語」か。連語はあまり辞書に載らないのか。「明鏡国語辞典」を引いてみると、たしかに、
「知らしめる」
が載っていました。でも連語でも、これだけひろがって使われる言葉になっているのだから載せるべきじゃないのかなあ、他の辞書にも。
Google検索(10月15日)では、
「知らしめる」=122万0000件
「知らしめす」= 5670件
「知らしめた」=272万0000件
「知らしめした」= 1万0300件
でした。ネット上は圧倒的に「知らしめる」「知らしめた」ですねえ・・・。
(2012、10、15)
『生きる悪知恵~正しくないけど役に立つ60のヒント』(西原理恵子、文春新書:2012、7、20第1刷・2012、8、30第5刷)
これ、売れてるらしいです。その時点で買う気はなかったんだけど、「西原さんにとっては初の新書」というキャッチコピーに惹かれて買いました。先日読んだ『職場の理不尽~めげないヒント45』(石原壮一郎・岸良裕司、新潮新書)と似ているな。でも、こちらの方は、往年の「中島らもの明るい悩みの相談室」を彷彿させるような出来栄えになっている。漫画で西原さんが「本業の漫画が売れないで、こんな余技のような質問に答えた本がベストセラーになるなんて・・・」と逆に落ち込んでいる様子を書いていた。ま、そんなもんだって。世の中バランス、バランス。
『職場の理不尽~めげないヒント45』(石原壮一郎・岸良裕司、新潮新書:2012、9、20)
この手の本が増えているわけではないと思うが、たまたま私の目に付いたということか。石原壮一郎さんの本は、これまでにも、言葉について書かれたものを読んだことがある。
職場の理不尽に関する「45の質問」に、2人が答えていく。朝日新聞で連載していたものをまとめたものらしい。2人によると、寄せられる数々の質問は、いくつかのパターンに収斂していくらしい。つまりこの本一冊で、ほぼあらゆる「職場の悩み」に関する答えが書かれていると。もし、ここに書かれていなければ、それは「仕方ない」と諦めるしかないと。そういうことかな。
呉智英の双葉文庫のこのシリーズはすべて読んでいる。と思う。いつもとても勉強になる。
今回、この本が出たことは、『週刊文春』の文庫本書評で坪内祐三氏が紹介しているのを見て知った。すぐに購入して読んだ。一つ一つの書評が、いわゆる「知識人」の盲点を突く。あ、「知識人」ではなく「いわゆる知識人」、もっと言うと「エセ知識人」たちのバケの皮を剥ぐような視点を提供してくれる。こちらも知ったかぶりしていると墓穴を掘る、ということが多く、「ここで批判の対象にされたらコワイなあ・・・」と思わせるスリルがある。読みやすく、それでいてタメになる一冊。
『町の忘れもの』(なぎら健壱、ちくま新書:2012、9、10)
なぎら健壱さん、去年の年末、高石ともやコンサートにゲストで出ていたのを聴いた。歌もギターうまいが、話も面白いし、カッコ良かった。どこぞの局の昼の番組で中継リポートをしていた時の"おちゃらけ感"はなかった。この本は、モノクロ写真とエッセイ。時代に取り残されたと思しきモノたちの記録。ま、赤瀬川原平さんたちの「路上観察学会」の「トマソン物件」のような感じで、私は好きだ。某女性評論家?エッセイイストが、週刊誌の書評で、べたほめしていた。たしかに良い本だと思うが、他に例がないわけではない。ちくま新書は、この手の本も出すからよい。
『「そこそこ ほどほど」の生き方』(深澤真紀、:2012、3、24第1刷)
4月に読んで、あまり印象に残ってなかったのかな、感想を書こう書こうと思って、そのまま半年でした。ま、そういう本だということで。
著者は「草食男子」「肉食女子」を命名した人。2009年の流行語大賞トップテンにも選ばれた。もう定着したね。評論家の斎藤美奈子さんのマネジメントもしていたらしい。(ウィキペディア情報)知りませんでした。
コンビニで「300円」の雑誌を買って「1万円札」を出しました。店員の若い男性が、お釣りをくれる時のこと。
「それでは大きい方から、千、2千、3干、4千、9千円のお返しです」
と、なぜか「最後に5千円札」を出してきました。
なんか「4千」のあとに、とんでとんで急に「9千円」と言われたときに、「ガクッ」と、吉本新喜劇のギャグのあとの反応のような気分になりました。ふざけられているような。
これって、普通はまず「五千円札」を出して(数えて)、
「5千(円)、6千、7千、8千、9千円のお返しです」
と言うのではないでしょうか?その方がわかりやすいと思うのは私だけなのでしょうか?そもそもコンビニのアルバイト店員の教育の際に、そういった「お釣りの数え方の研修」は、やらないのかなあ?4千円から9千円に急に数字が飛ぶので思い出したのは、落語の、
「時そば」
です。途中で、
「いま何時?」
と聞かれていたら、誤魔化されるところでした。
「いま何時?」「そうね、大体ね」
は、サザンオールスターズですが、お釣りはそれじゃあ、いけません!
(書きかけのまま、ほったらかしになっていました。)
2011年3月3日の読売新聞朝刊の「編集手帳」。先日亡くなった与那嶺要さんとイチローを比較していました。その最後にこんな文章が。
「きっと、お二人とも怒りはしまい。」
あれ?語尾は「しまい」?「まい」は文語体なので「すまい」では?と思ったのですが・・・。
こういうことに関してはやはりこの人に聞いてみよう!と、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんと早稲田大学講師の飯間浩明さんに質問メールを送ったところ、お返事が来ました。まず、塩田さんは、
『添付した文化庁の『言葉に関する問答集』に従えば、「しまい」が本来、「すまい」「するまい」も許容、というようになるでしょうか。ご参考まで。』
飯間さんからは、
『「しまい」「すまい」の問題については、塩田さんご引用の文化庁の文章で、尽くされていますので、以下は蛇足です。道浦さんが本則でなく、むしろ許容の「すまい」をお選びになったのが興味深く存じます。私も、自分の文章を見ると、「理解しまい」でなく「理解するまい」を使っています。なんだか、「しまい」は古い感じがするのです。ただし、前後の文脈にも影響されます。「忘れはしまい」「忘れはするまい」のどちらを使うかというと、私の場合、「忘れはしまい」を使うような気がします。直前に「は」が来ると、「しまい」になりそうな感じがします。文化庁の文章では、「見るまい」でなく「見まい」が「伝統的・規範的」と言っていますが、伝統を言い出すなら、もともと「まい」は「まじ」であり、「まじ」は動詞終止形につくのですから、「見まい」「しまい」より「見るまい」「すまい」のほうが「伝統的」だとも言えます。方言の影響もあるかもしれません。地域によって接続のしかたに好みが分かれるというようなことはないでしょうか。』
これに対して私は、
『 私は「忘れは・・・」ときても「すまい」ですねえ。「しまい」だと「他人事」っぽい感じで、自らの意志を感じさせるのは「すまい」であり、「すまじ」ですね。「しまじ」と言うのでしょうか?聞いたことがないような・・・。』
と返事をしたところ、飯間さんからは、
『「自分の意志」なら「忘れはすまい」、「他人事」なら「忘れはしまい」とおっしゃる点、分かります。「自分か、他人か」で違うという面がありそうな気が、私もします(そういう説明を聞いたことはないのですが、ありそうです)。』
というお返事が。さらに『「まじ」は動詞終止形につく』と言うjことに関して、
『「まじ」は終止形に付くのですか。マジ?そうすると「するまじ」「すまじ」で、「しまじ」とはならないのですね?「まい」と「まじ」は接続の仕方が違うのでしょうか?同じように考えていたのでが・・・』
と問うたところ、飯間さんから
『マジです。たとえば「源氏物語」なら
〈ともあれかくもあれ、人見るまじくて籠りゐたらむ女子を〉(篝火)
とあります。終止形「見る」に「まじ」がついています。もし連用形につく
なら「見まじ」ですね。
ところが、「平家物語」の時代になると、有名な「宇治川の合戦」の場面で
〈この河は近江の水海の末なれば、待つとも待つとも水ひまじ。〉
と出てきます。「干(ひ)るまじ」とはならず、「干(ひ)まじ」と、「まじ」が「干る」の連用形についています。「ことばの乱れ」ですね。
「まじ」から「まい」が生まれたのは、この時代以降なので、「水は干(ひ)ないだろう」を「まい」を使って言えば「水は干(ひ)まい」になるのは当然ではあります。しかし、「源氏物語」の時代ならば「干るまじ」だったわけなので、それを「まい」に変えて「干るまい」と言っても、悪くは"あるまい"と思います。
ちなみに、「す」に「まじ」がつくときは、「源氏物語」ならば終止形について「すまじ」でしたが、「平家物語」の頃には「せまじ」と、未然形「せ」につくようになりました。「宇治拾遺物語」に、
〈ものうらやみは せまじきことなりとか〉
とあります。これは江戸時代以降まで引き継がれて、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」寺子屋の場でも、
「せまじきものは宮仕えじゃなあ」
と言っています。「源氏物語」のように終止形につくなら「すまじきものは」、となるところです。口語でも、「東海道中膝栗毛」に、
〈もしや橋の上から、どんぶりとやりはせまいかと〉
と、「せまい」の形が使われています(これは少数派か多数派か知りませんが......)。
というわけで、「する」+「まい」を使うとき、私は「せまい」「しまい」「すまい」「するまい」のどれを使おうか、非常に迷います。』
という、非常に幅広い教養に裏打ちされた御講義をメールでいただいたので、遅ればせながら記録しておきます。ありがとうございました!
著者は大阪出身で大学は信州大学。1978年生まれの若い人。
「神様のカルテ」の第1巻は、出て評判になってしばらくしてから読んだ。それより前に漫画化されたものを、すでに読んでいたからだ。医療を舞台にした小説が好きな私としてはこういった小説は好み。"青春物"でもある。読んでいて軽いタッチながら、妙に擬古調の変わった文体の小説だなあと感じていた。「2」は読んだのか読んでいないのか、よく覚えていない。たぶん読んでいない。でも「3」は、なぜか「読みたい」と思って読んだ。「2」を読んでいなくても「1」を読んでいれば大丈夫だ。
著者が、愚息の通う中・高校の先輩にあたるらしいと聞いたのも、読む動機になったかもしれない。
今回、第1章を読み終わった時点で、「あ!これは、現代を舞台にした"時代小説"だ!主人公をはじめとした登場人物の古風な言葉遣いと人情は、現代的ではない。結局、江戸時代と現代を結ぶ共通点としての"命""人と人の絆""社会の不条理"それを指摘しながらも、現状を力強く生きていく人たちの物語だ!」という風に感じた。(間違っていたらごめんなさい)
擬古調の文体の原因は、主人公(おそらく著者の分身)が、漱石や鴎外、芥川を好んでいるということによるのであろう。何より今回「あ、そうか!」と気付いたのは著者のペンネームの「夏川草介」。これって明らかに「夏目漱石」から取ったものじゃないか!「夏川りみ」から取ったのではないよね?
それにしても、北杜夫といい渡辺淳一といい海堂尊といい、そしてこの夏川草介といい、お医者さんって、あんなにハードに医療現場で働きながら、なぜこんなに小説を書けるのか?もちろん医者がすべてそうだとは言わないけれども、結構そういったお医者さん、いますよね?何か、医療現場で満たされないというか、達成不能な「理想」を「小説」という形で昇華しているのか?そんな気のする一冊ではある。
某NHKの某夜9時のニュースを見ていた某10月1日、台風が次々と・・・というニュースで女性キャスターが、こう言いました。
「これが今日のクモガゾウです」
え?なんだって?クモガゾウ?イチカワエビゾウでは、ないわな?アクセントは、
「ク/モガ\ゾウ」
というふうに「中高アクセント」で、
「イ/ンド\ゾウ」「ア/フリカ\ゾウ」
のように、「象」の一種のようなアクセントでした。
もちろん1秒半ぐらい考えて、すぐに(?)
「雲画像」
という言葉であることを、賢明な視聴者であるわたくしは気付きました。
でも・・・これって、「の」を入れて、
「雲の画像」
と言った方が、ずっとわかりやすいのではないでしょうか?
「の」ぐらい、略さずに言うべきでは?
専門用語なんでしょうか?「クモガゾウ」・・・。
2012年8月20日、ジャーナリストの山本美香さんが亡くなりました。その現場の町の名前は、シリアの「アレッポ」。今日(10月1日)の夕刊にも、ユネスコの世界遺産に登録されているこの「アレッポ」の「スーク(市場)」で火災があり、1500以上ある店舗の大半が焼失したという記事が載っていました。「アレッポ」は、知る人ぞ知る町、というところでしょうか?
さてこの「アレッポ」のアクセントを、ニュースでどう読むか?
①ア\レッポ(頭高アクセント)
②ア/レッ\ポ(中高アクセント)
③その他 <具体的に>
について、知り合いのアナウンサーにアンケートしました。ご協力いただいた39人の皆さん、ありがとうございました。
ちなみに、私が見聞きしたものでは、
*8月23日 日本テレビ「every.」の男性ナレーターは、
①「ア\レッポ(頭高アクセント)」
*8月24日テレビ朝日「モーニングバード」の男性アナウンサーは、
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」
*8月24日フジテレビ「FNNニュースピーク」の女性アナウンサーは、
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」
*8月24日のテレビ朝日お昼の「ANNニュース」の女性アナウンサーは、
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」
でした。
アンケートの集計結果は、
① ア\レッポ(頭高アクセント) = 7(うちytv4)
② ア/レッ\ポ(中高アクセント)=32(うちytv13)
と圧倒的に「②ア/レッ\ポ」(中高アクセント)が多かったです。
<読売テレビ関連>4-13
☆30代女性アナウンサー
②ア/レッ\ポ(中高アクセント)です。
数年前、"アレッポの石鹸"というオリーブオイルで作られた肌に優しい(らしい)石鹸を使ったことがあるのですが、その時から疑いもせず、②のアクセントだと思っていました。
☆50代男性アナウンサー
現地語のアクセントを無視した状況で感じるままにでは② ア/レッ\ポ(中高アクセント)です。
☆20代女性アナウンサー
私は①ア\レッポ(頭高アクセント)で読んでいました。
☆30代男性アナウンサー
正直、聞いたこともない地名であり、直感では②「ア/レッ\ポ」で伝えちゃうと思います...。
☆40代男性アナウンサー
② ア/レッ\ポ(中高アクセント) で読みます。
より日本語的なアクセントとして、直感的に「頭高」より「中高」を選びました。
①のア\レッポ(頭高アクセント)は考えもしなかったのですが、ニュースでこのアクセントを使うことに抵抗はありません。
☆30代男性アナウンサー
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」ですね。でも「頭高」のほうが「それっぽい」気が・・・。
☆20代女性アナウンサー
私は①番「ア\レッポ(頭高アクセント)で読んでしまうと思います。
☆20代女性アナウンサー
私は①「ア\レッポ(頭高アクセント)」で読んでしまうと思います!
☆20代男性アナウンサー
アクセントは②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」です。
☆30代男性アナウンサー
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」ですかねえ。
☆30代女性アナウンサー
私も②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」です。
☆40代男性アナウンサー
私も②「ア/レッ\ポ(中高)」で読むと思います。
☆40代男性アナウンサー
②「ア/レッ\ポ(中高)」ですね!
☆30代男性アナウンサー
今回のニュースで初めて聞いた地名でした。直感では、②ア/レッ\ポ(中高アクセント)で読むと思います。
☆70代男性アナウンサーOB
小生は「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」派です。Aleppo=アレッポと発音するのかどうか分かりませんが、日本語として「アレッポ」と標記されているのなら、コンパウンドして発音するのが自然で抵抗が無いと思います。例えば「ワシントン」「サンフランシスコ」「ニューヨーク」などのように・・・現地語や英語読みと同じにする必要は全くありませんが、ちなみに英語の発音は「アレポウ」で、「レ」にアクセントがあります。
☆50代男性アナウンサーOB
「アレッポ」ですが、僕は①「ア\レッポ(頭高アクセント)」で読んでます。
☆40代男性アナウンサーOB
中高の②「ア/レッ\ポ」です。
<高知放送>0-0
☆ 50代男性アナウンサー
高知放送では現時点で統一できておらず、各アナウンサーの判断に任せている状態です。
<山形放送>0-1
☆50代男性アナウンサー
シリアの 「アレッポ 」の件、弊社アナ部では②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」としています。 現地に詳しい者がいるわけでも 理由もないのですが・・・。
<山梨放送>0-1
☆50代女性アナウンサー
②の「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読んでいます。正直なところ、どう読んだらよいのか分かりません!他局では、①も②もあります。②のほうが多いようですので弊社では②で読んでいます。
<ミヤギテレビ>0-1
☆40代男性アナウンサー
弊社では、②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読みます。
<広島テレビ>1-0
☆20代女性アナウンサー
ニュースで実際に自分が読んだことはまだないですが、①「ア\レッポ(頭高アクセント)」と、読むと思っていました。テレビでもそう聞くことが多いような気がしますが、「中高アクセント」も、実際言ってみると、そのほうが合っている気もします・・・。正しいアクセント、知りたいです。
<福井放送>0-1
☆20代男性アナウンサー
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読んでいます。
<テレビ岩手>1-0
☆50代男性アナウンサー
「アレッポ」の現地の発音がどうなのかわからないので、①か②で迷いますね。小さな「ッ」が入る地名を探したら、「モロッコ」や「ケベック」がありました。自分ではこの2つは、①の頭高で「モ\ロッコ」「ケベック」と発音するけど、アクセント辞典では「②の中高」「モ/ロッ\コ」「ケ/ベッ\ク」が先にあって驚きました。でもこれは、混在してるということでしょう。「ハ\リウッド」は「頭高」だけど、「バ/グダッ\ド」は「中高」だね。
「アレッポ」は、自分の感覚では、モロッコやケベックにならって、「①の頭高」で
「ア\レッポ」と読みたいかなあ。特に根拠はありませんが・・・
<静岡第一テレビ>0-1
☆30代女性アナウンサー
「アレッポ」については、県内の放送では読む機会がなかなかないのですが、伝えるとすれば確かに迷います。どれかといえば、②「ア/レッ\ポ」でしょうか。ちゃんと調べた訳ではないのですが、こちらのほうが現地の発音に近いのではないかとも思います。
<福岡放送>0-1
☆50代男性アナウンサー
個人的には②「中高」の「ア/レッ\ポ」で読みます。「頭高アクセント」は、自分の中にはなかったですね。苦しいですが、「ア/レン」でしたら「頭高」ですが、「アレンジ」には「頭高」がないように、4字になると「平板」や「中高」のイメージです。現地でのアクセントや発音とは異なるかもしれませんが。余談ですが、ディズニーワールドのあるオーランドは、現地で「オ/ラ\ンドー」と「ドー」をのばして、「ラ」にアクセントがあるのでびっくりした経験があります。食べ放題の「ブッフェ」も、アメリカでは「バフェー」と「フェ」にアクセントでのばす所もあり最初は全くわかりませんでした。そうなると、今後の日本語の表記や発音もかわるかもしれませんね。ローマ字読みでは限界があります。
<福島中央テレビ>0-1
☆50代女性アナウンサーOB
耳を澄ませていましたが、FCTのニュースで「アレッポ」 は使用することがなく、アナウンサーに聞いたら「英語読みなら⇒『ア/レッ\ポ』(中高アクセント) でしょう?」とのこと。私は 現地語にすべきでしょうと 思ってきたのですが、それがわからぬまま・・・きょうまで きました。
<NHK>0-2
☆50代男性アナウンサーOB
NHKの放送を視聴したかぎりでは、現地の記者もアナウンサーも、②「ア/レ\ッポ(ア/レッ\ポ)」の中高で読んでいます。
☆50代男性アナウンサー
「アレッポ」のアクセントですが、NHK内では、今のところ特にアクセントの指定は出ていませんが、NHKのニュースでは②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読んでいますね。
<関西テレビ>0―1
☆50代男性アナウンサー
KTVでは②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」にしています。
<毎日放送>0-4
☆50代男性アナウンサーOB
「アレッポ」のアクセントの件、他のアナウンサーOBとも話したのですが、われわれは、「アレッポ」の「レ」にアクセント、つまり②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で言いますね。
☆40代男性アナウンサー
周囲のアナウンサーに聞きましたが誰もが②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読んでいましたね。局によっては「頭高」で読んでいるのでしょうか?他局の皆さんは、どのように読んでらっしゃるのかまとまりましたら、お手すきのときにでもお教えください。
☆50代男性アナウンサー
部内的に議論はしておりませんが、ラジオで読むとき、NHKテレビのアクセントを参考に
②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読むことにしました。各局のネットニュースでもほとんど「中高アクセント」だと思いますが・・・
☆40代女性アナウンサー
「アレッポ」ですが、MBSでは私の聞いた限り、全員②「ア/レッ\ポ(中高アクセント)」で読んでいます。根拠はなく統一もしていませんし、TBSとすりあわせもしていませんが、「中高」が一番、違和感がないようです。
<ラジオ大阪>1-0
☆20代女性アナウンサー
ラジオ大阪で何人かに聞いてみたところ、①「ア\レッポ(頭高アクセント)」のほうがいいのでは・・・?という答えでした。道浦さんの調査結果を教えてくださると有難いです。
<山陰中央テレビ>0-1
☆20代女性アナウンサー
私と弊社のアナウンス責任者で出た答えは、②中高で「 ア/レッ\ポ」 です。「中高」をニュースでは多く聞くように思いますが...どうなのでしょうか。どちらが正しいのか気になります!
<新潟総合テレビ>0-1
☆50代男性アナウンサー
もうご存知の通り、英語・米語発音ですと「ア」にアクセントがあって「ア\レポゥ・・・」的発音になっていますね。「アレッポ」ではなく「ア\レポゥ」。日本語で「アレッポ」と片仮名で表記されれば、敢えて「ア」にアクセントを置く必要はないのかも知れません。つまり、そちらご指摘の ②の発音、「レ」にアクセント(「ア/レッ\ポ」)になるのではないでしょうか。そもそも「ッ」が入ること自体がもう日本語扱いでしょうから。仮に、原音に忠実にという原則で「ア」にアクセントを置くならば 発音は ③「ア\レポゥ」になる、そんな風に考察されますが、いかがでしょう?イギリスを「イ」にアクセントを置いては読みませんよね。アメリカも「メ」にアクセントは置かないし・・・ただ、「アレッポ」が決して古くから馴染のある日本語ではない・・・という観点からは 異論もありますね、きっと。
<TBS>
☆50代男性アナウンサー
②中高「ア/レッ\ポ」です。
<朝日放送>0-1
☆40代男性アナウンサー
弊社は、何の疑いも無く②「中高アクセント」の「ア/レッ\ポ」を採用しています。根拠はありませんが・・・。テレビ朝日発のニュースも「中高」で読んでいるかと思います。アレッポは石鹸やシャンプーの産地として有名だそうですが、使ったことがある人に聞いても、何の疑いもなく、「中高」でしゃべっておりました。
<フリー>
☆50代男性アナウンサー
中高アクセント②「ア/レッ\ポ」です。
というような結果になりました!
改めて、みなさん、ご協力ありがとうございました!!