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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_125

『いじめの構造~なぜ人が怪物になるのか』(内藤朝雄、講談社現代新書:2009、3、20)

3年前に購入して本棚の肥やしになっていたが、今回の滋賀・大津市のいじめ自殺事件をきっかけに、本棚から引っ張り出してきて読んだ。

 

「いじめ」は、"市民社会における秩序とは別の秩序"が成り立っている「学校」で起きる。学校での秩序は「群生秩序」と呼ばれるもので、そこでの善悪の基準は一般社会とは異なる。「善」とは「みんなのノリにかなっていること」、つまり「KY(空気が読めない、読まない)」は「悪」なのだ。それが、そこでの「倫理」だ。そしてその「群生秩序」の中での「身分」は厳密に定められている(一方的に)。こういった「いじめ」は子供たちだけではない。あらゆる社会集団に存在する。また、いじめに走るきっかけは、加害者側の「全能感」が外されたことによる怒り、「おまえが思い通りにならないから」というまことに「手前勝手」な理由によるという。加害者側は、加害者側の倫理の中で「遊んでいるだけ」で、加害者側の定義する「いじめ」と、被害者側の感じる「いじめ」は、全く別物であることにも注意を払うべきだ。被害者側が「いじめ」で訴えて、加害者側が「遊びだった」というのは、まさにこの構図に合致する。

こういった記述を読んでいて感じたのは、

「あ、これって『暴力団の論理』と同じじゃないか!」

ということ。本書は、そういった感情を生む"環境"として、現在の「学校教育の組織」を挙げている。その改革のための方策として、(1)学校の法化(2)学級制度の廃止の2点を挙げている。つまり<聖域としての特権>を廃して学級制度を廃止せよ、というのだ。

自由な社会を築きつつ絆も結ぶという、相反することの距離感をうまく取るためにはどうすればいいのか?それを考えていかないといけない。示唆に富む一冊であった。


star4

(2012、7、23読了)

2012年7月28日 13:54 | コメント (0)