新・ことば事情
4794「つぶやいた」
7月26日の朝日新聞朝刊「ロンドン五輪」特集の、
「なでしこ いざ頂点へ」
という見出しの記事の下に、
「ギリシャ選手人種差別発言、五輪出場取りやめ」
という小さな見出しの記事がありました。ざっと読んでみたら、
「パパクリストウ選手は、アフリカからの移民をからかい、移民排斥を掲げる極右政党への支持を表明するようなつぶやきをした」
「パパクリストウ選手は25日になって、『誰かを傷つけたとしたら謝る。私はアスリートであって、政治には関わっていない』などとつぶやいた」
とありました。ボウラ・パパクリストウ選手は陸上女子の三段跳びに出場予定だったそうです。
私が気になったのは発言内容もさることながら、それを紹介した、
「つぶやきをした」
「つぶやいた」
という表現。「つぶやいた」だけでは、こんなに問題にならんだろう、独り言だし。当然これは、
「ツイッターに書き込んだ」
という意味で書かれているのだと。よく読んだら最初に、
「ツイッターで人種差別的なつぶやきをした」
とはっきり書かれていました。
しかし、「つぶやきをした」はともかく、全国紙の記事で単独で、
「つぶやいた」
と書いて、
「ツイッターに書き込みをした」
ことを意味する記事を目にした記憶はなかったので、ちょっとびっくりしました。それだけ「つぶやく」ことが一般化していることの表れなのでしょうか?
記事は「平井隆介記者」の署名記事でした。
(追記)
朝日新聞が、
「ボウラ・パパクリストウ選手」
とした選手の名前が、7月26日の深夜(27日)のNHKのニュースでは、
「バラスケヴィ・パパクリストゥ選手」
と出ていました。また、読売新聞は、
「パラスケビ・パパフリストゥ選手」
で、「ビ」か「ヴィ」かの違いはありますが、NHKと読売新聞は同じですね。
また、毎日新聞は、朝日新聞と同じく、
「ボウラ・パパクリストウ選手」
でした。
(2012、7、27)