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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_100

『わが心の史(ふみ)』(河原宏・「河原宏先生お別れの会」実行委員会編:2012、5、26・非売品)

 

さる2月28日に亡くなった早稲田大学名誉教授・河原宏氏の「お別れの会」で配布された冊子。河原先生は、私の大学のゼミの恩師だ。「はじめに」には「東日本大震災」が記されている。

 

「自然に対しては傲慢、歴史については軽蔑、人の世からは『情け』を排斥したこの国もついに千年に一度の大変革期を迎えた。しかし今の時点で天・地・人の三元を無視して起こった地震・津波・原発事故は、まだ災害の段階で経済、社会、政治の変革には達していない。大変革の兆候はこれから現れてくる」

 

この書き出しは、まるで「預言の書」である。その矛先は、国際関係にも向かう。

 

「今後、もしこの中東騒乱がサウジアラビアをはじめとする産油国やイランの動静とも絡まる事態になった時、アメリカ・イスラエルの直接介入を招くだろう。日本もその埒外に留まることはできない。それは十二、三世紀、キリスト教の聖地エルサレムをイスラムから取り戻そうとした十字軍の再来を思わせる世界的大紛争となり、その後の世界情勢と文明の形態に大変革をもたらすことになる。今が千年紀末の歴史的とば口にあるのかもしれないという予測は、この兆候の展開にかかっている」

 

どうだろう、この怜悧に研ぎ澄まされた目で見通す千年紀は。もしかしたら産油国を巻き込んだ戦いは、石油の時代の終わりを(もちろん原子力がその跡を継ぐという目は摘まれている)告げ、新たなるエネルギー時代の出現を後押しするのかもしれない。ほんの見開き2ページの「はじめに」を読むだけで、目からウロコが落ちる思いである。これを、ついこの間書いた83歳の先生が、逝ってしまった。これも信じられない・・・。

本書の「第一部」は、河原先生の自伝(未完、海軍機関学校時代まで)、第二部は、これまでに書かれた書評などを集めたものだ。印象的な文章を抜き書きしてみよう。

 

「もう工場労働はこりごりという気持ちはあった。(中略)しかしそれ以上に痛切だったのはもっと本を読みたい、勉強したいという気持ちだった。軍学校以外には、通常中学を卒業すれば旧制高校か専門学校に入る。しかし彼らも、私の働く会社に勤労動員で働いていた、これでは同じじゃないか。それが機関学校を志望したもっとも大きな理由だった。戦後はこのような事を言っても、今になってキレイ事を並べているだけだと誰も信用しなかったろう。軍国主義のマインド・コントロールに罹っていたに違いないとして片づけられて終わりとなる。そこでは、当時の若者が軍学校へ、特に海軍兵学校に焦がれたのは、専らマスコミの煽動と軍国主義の洗脳だというイデオロギー論が一般的だった。確かに、その生徒の服装はカッコ良かった。(中略)この言説から考えさせられるのは、今われわれも新しいマインド・コントロールに捕らえられていないのかという疑念である。」(未完)

「一九四一年、当時の日本は石油事情の逼迫を最大の理由として対米開戦を決意する。だが、一国の運命を余り勝ち目のない戦争にふみきる所にまで追いつめた石油需要量はといえば、四、五00万キロリットルほどのものであった。それは現代日本の石油消費量、およそ三億キロリットルに比べて六0分の一、いいかえれば六日分相当のものである。この二つの数字のしめす意味をどのように読みとるかは、人それぞれの認識と判断によっている。(中略)歴史認識とは現代認識であり、現代認識とは歴史認識であるという一点は動かないところであろう。」(19794月)

「歴史を単なる昔噺とするのではなく、現代に引きつけてとらえ直すのが大切なことに間違いない。(中略)ゲーテは、歴史が与える最上のものは『情熱』であるといったが、それは人間にとって非情、仮借なき時の流れ、たとえば未曾有といわれる今日の繁栄をすら、やがて遠い昔噺としてしまう時の流れの中で、それでは流れに流されることのない人の生き方はなにかという、矛盾葛藤に答えることであろう。」(19877月)

 

そうか、「不易流行」だ!25年前に書かれたとは思えない。未来(=現在)を示唆している。それにしても、読めば読むほど美文だなあ。その分、ちょっと、わかりにくいかも。

 

「人間は、死に直面してかえって生を実感するという逆説がある。歴史も、ヘーゲルがいうように一つの時代の終わりにその全貌が見えてくる。あの『戦争』と現代は、それぞれに一つの時代の曲がり角に際会して、決して疎遠なものでなく、ある親縁関係で今も堅く結びついているのである。(中略)現代もまた、歴史の中の一コマにすぎない。そうだとすれば、あの戦争について考えること、考えないことは、そのまま現代日本の実態について考えること、考えないことにつながっている。」(1995年春)

 

「際会」という言葉、初めて知りました。

「際会」=事件、時期などにたまたま出会うこと。偶然の出会い。(精選版日本国語大辞典)

 

「私は、その人を知り、近づくだけで自由を感得できるような存在、つまりみずからの内的欲求に忠実に、自由に生きる人のあり方を『自在』と名づけた。能うる限り権力や金銭、世間的な名聞、つまりその時限りの刹那的価値から離れて生涯を『自在』に生きた人、そのような人こそが『人』であり、代表的な日本人なのである。」(199711月)

 

先生ご自身が「自在に生きた日本人」であったのではないか。

「敗戦」という経験、その前後で起きた「価値の大転換」が、先生のその後の人生を決めた。決して、うわべの流れには騙されない、本質を見抜こうとする目、時代の流れ・歴史の中での「現在」を客観的に見つめる目を大事にする生き方。そういったことを教わった気がします。

ゆっくりと、お休みください。

 

 


star5

(2012、5、30読了)

2012年6月13日 18:54 | コメント (0)