新・ことば事情
4737「言葉を大切にすること」
5月は、声楽関係の大御所が相次いで亡くなりました。
5月18日 ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ 86歳
5月24日 畑中良輔 90歳
当然、追悼記事が出ました。
5月31日の読売新聞で音楽評論家の三宅幸夫さんが、フィッシャー・ディースカウを追悼してこのように記しているのに目が留まりました。ドイツ・リートの分野で突出しているフィッシャー・ディースカウの業績ですが、追悼の意を込めて「この1曲」を選ぶと、ゲーテの詩によるフーゴー・ヴォルフの「竪琴弾きの歌Ⅰ」(1952年のモノラル録音)だと、そして、
「『孤独に身をゆだねる者は、ああ、たちまちひとりになる・・・』と、孤独のなかに置き去りにされた人間の哀しみを、昼夜を問わずしのび寄る苦しみを、軋んだ旋律線で歌い上げる。とくに圧巻は、鋭く刺すような苦痛Painと、長く尾を引く苦悩Qualの対比だ。もちろん詩人も、したがって作曲家も、これを丁寧に描き分けているのだが、それはあくまで文字言語の次元にとどまる。ディースカウが歌うことによって、はじめて文字言語はリートのリートたるゆえんである『音声言語』に置き換えられ、言葉の響きから言葉の意味するところが十全に感得されるのだ」
と記しています。「鋭く刺すような苦痛Pain」と、「長く尾を引く苦悩Qual」の対比を歌い分けるその技量のすばらしさは、まず「その違い」を感じ取って、それをまた「表現できる」ということですね。言葉を大切にして歌うという、音楽の基本の姿勢を徹底していたと言えるのでしょう。
また、6月1日の読売新聞文化面に載った、ソプラノ歌手で日本演奏連盟理事長の伊藤京子さんの畑中良輔さんの追悼文の中にはこんな一節がありました。
「何よりシューベルトといい山田耕筰といい、言葉をすごく大事にされます。徹底して詩を読まれ、言葉の真理をくみ取り、驚くほど綿密な感情を表現され、技術ではなく『心』で歌う姿勢に感銘を受けました」
「私のリサイタルの後、楽屋にいらして『あの歌の意味はね、本当はこういうことなのよ。それがもう少し出るといいね』と温かくごく自然にアドバイスされる。それが私の歌手生活の中で支えになっています。」
やはり、「歌」は「言葉」が大切なのですね。その意を強くしました。
最後に、お二方が安らかに眠られんことを。