新・読書日記 2012_106
『棟梁~技を伝え、人を育てる』(小川三夫、聞き書き・塩野米松、文春文庫:2011、1、10第1刷・2011、5、15第2刷・単行本は2008、1)
著者(語り)は、日本を代表する宮大工の棟梁・西岡常一の最後の弟子。
ずっと繰り返し出てくるのは、「よく切れる刃物がいる」ということ。それを研ぐところから修業は始まると。
「その線を削り出す刃物が研げねえと、話にはならんのだ。俺が弟子たちに刃物を研げというのは、道具を作るというのもあるが、センスを磨くということもあるんだ」(170ページ)
これは「アナウンサー」でいうと、「発声」かな。いくら小器用にしゃべれても「発声」の基礎ができてないとダメ。本物ではない。それと同じかな。
*「道具と怪我と弁当は自分持ち」(46ページ)
厳しい世界だなあ。ケガも自分持ちとは・・・。公傷制度のない大相撲のような世界か?
*「重しをはずさないと下は伸びない」
そういうこともあるよな。
*「大工仕事は段取りが八割や。段取りさえうまくいけば、仕事はできたも同然や」(82ページ)
いや、何事もそうだと思います。段取りは大事。料理もそうでしょ。一緒ですよ「仕事」というものは。
*「木は強い。鉄やコンクリートより強い」
錆びるのは鉄が先でそれによって木が腐ってしまうと。木だけなら、そんなことはないのだと。また建築基準法でお寺の基礎をコンクリにしてから、一番弱いのは基礎かもしれないと。法律はたかだか何十年の歴史の中での基準だが、お寺は千三百年の伝統の中で育まれているのだと。どっちが正しいか?
*「柱は隅の方を一鉋ずつ多く取っておく。そうすると真ん中がなんとなくふわっと見える」(156ページ)
つまり「エンタシス」と同じで、それはやはり理由のあることだったんだね。
*「親方に怒られて十年。この十年で基礎を学ぶんだ。次の十年は世の中を知り、他の職人を知り、自らに気づくんだ。この間も怒られ、叱られ、文句を言われながら自分を磨くんだ。叱るのはここまでや。」
*「叱るときは、気づいたときにその場で素直に言ってやることや。小利口に後になってとかいうのではあかん。一番染みこむのは失敗したその時や。」
*「褒めて伸ばすと言うが、俺はそんな気ないな。褒められたいというんなら、そういうところに行くんだな。いい気持ちになんかなってもらっても何もいいことはないわ。失敗して、叱られて、修正して、磨いていくもんや」(144ページ)
後輩の教育の参考にさせていただきます。