新・ことば事情
4709「監視の目をかいくぐり」
中国の人権活動家・陳光誠氏が軟禁されていた自宅から監視の目をかいくぐり脱出、アメリカ大使館で保護されたというニュースを、5月2日の夜7時のNHKニュースで伝えていました。私はこの、
「監視の目をかいくぐり」
に「おや?」と思いました。皆さん、思いませんか?だって、陳氏は、
「盲目」
何ですよ。その「盲目の人」が「監視の目」をかいくぐり脱出・・・ということは、
「一体『監視の目』とはどんな『目』だったのか?」
つまり、ちゃんと「監視」していたのか?と思わざるを得ない、と感じたのです。
しかし、ここまで書いてハッとしました。
そうか、この「監視の目」の「目」というのは、
「物を見る『目』=『眼』ではないんだ!『網の目』の『目』なんだ!『監視網の網の目をかいくぐり』ということだったんだ!」
それなら、納得ですね。
大きな勘違いでした。
(追記)
『帝国の時代をどう生きるか~知識を教養へ、教養を叡智へ』(佐藤優、角川oneテーマ21:2012、4、10)の9ページに、
「監視の目も多かった」
と出てきました。この場合の「監視の目」は、「数」を指していますから、「監視網の網の目」ではなく、明らかに、
「監視員の人数」
を指していますね。「監視の目」の「目」は、両方の使い方をされるようです。
(2012、5、6)
(追記2)
「人の間」が「人間」
「網の目」はもともと「交点」。それが「(網の交点の)隙間」も指すようになったのは、「交点」があるから「隙間」がある。つまり、「人」がいて「世間」があるから「人間」ということと同じなのでしょうか。
(2012、5、10)