「岬の墓」(堀田善衛作詞、團伊玖磨作曲)
という男声合唱曲の練習をしています(もともとは「混声」の曲ですが)。去年の8月にも歌ったのですが、今度、3月にもまた歌うのです。
その練習中、「歌詞の読み方」について、こんな質問が出ました。
「『海は波立つ』の『立つ』は、『だつ』と濁るのでしょうか?それとも『たつ』と濁らないのでしょうか?」
実は、これまで私は何の疑問もなく、
「なみだつ」
と「濁って」歌ってきました。しかしよく見ると、確かに楽譜の歌詞は、
「なみ立つ」(波立つ)
と漢字で書かれているので「だつ」とも「たつ」とも、読もうと思ったら読めます。ルビは振ってありません・・・。
「どっちなの?」
と聞かれて私は、
「連濁なので、濁るでしょう」
と答えましたが、考えたことも無かったので、
「もしかしたら『なみたつ』なのかも・・・」
と思っていました。1983年、大学時代に歌ったときは、何の疑いも持たずに「濁って」歌っていました。その後も何回か歌いましたが、すべて濁って歌いました。
家に帰って調べてみると、私の持っている『新明解国語辞典』の「第3版~第7版」は、すべて、
「なみだつ」
と濁ったものしか見出しにありませんでした!
また、『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』にも、濁った、
「なみだつ」
しか載っていませんでした。漢字で書くともちろん、
「波立つ」
です。 ただ、『広辞苑』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』には、
「なみたつ」
という言葉も載っていました。ただしこれは漢字で書くと、
「並み立つ」「並立」
です。意味はそのまま、
「並んで立つ。ならびたつ」
です。用例は『後撰和歌集』(951年ごろ)でした。
ここから推測すると、「立つ」の前に来る言葉が「波」のような「名詞」であると「だつ」と連濁し、「並み」のように「動詞の連用形」だと「たつ」と濁らない傾向があるのではないでしょうか?
「連濁」は複合語において起きるのですが、一般的に「複合の度合い」が「強い(一語としての認識が強くなる)」と「連濁」(濁る)し、「弱い」と連濁しません。また、元の2つの言葉が「ほぼ並立」(両方の語の強さが対等)であれば濁りません。
「名詞+動詞」
は、一語になりやすいのに対して、
「動詞+動詞」
は、それぞれの動詞が意味を主張しあうので、濁らない傾向があるのではないでしょうか?
「立つ」が「濁らない」語を『逆引き広辞苑』で引いてみると「並み立つ」のほかに、
「明け立つ」「在り立つ」「あわたつ」「言い立つ」「行き立つ」「熱(いき)り立つ」「勇み立つ」「急がし立つ」「急ぎ立つ」「出(いだ)し立つ」「い立つ」「居立つ」「出(い)で立つ」「弥(いや)立つ」「弥(いよ)立つ」「入り立つ」「入れ立つ」「色めき立つ」「浮かれ立つ」「浮き立つ」「受けて立つ」「うそ腹立つ」「打ち立つ」「打っ立つ」「生(おい立つ」「生(おお)し立つ」「起き立つ」「押し立つ」「押っ立つ」「思い立つ」「降り立つ」「下ろし立つ」・・・と、「あ段」だけでもこれだけ、「濁らない『たつ』」があります。
「あわたつ」の「あわ」は「泡」でも「粟」でもありません。名詞ではなく用言なのでしょうか?ほとんどは「動詞+動詞」というか「用言同士の複合語」ですね。このほか「そそり立つ」もそうですよね。
一方の「濁る『だつ』」(名詞+立つ)はというと、
「生憎(あいにく)だつ」「荒立つ」「荒れ立つ」「泡立つ」「粟立つ」「一端(いちはな)立つ」「田舎だつ」「今様立つ」「苛立つ」「色立つ」「浮き足立つ」「麗し立つ」「艶(えん)立つ」「後れ先立つ」「押し柄立つ」「怖気(おじけ・おぞけ)立つ」「大人立つ」「主立つ・重立つ」「表立つ」「親立つ」・・・と「あ段」はこれだけでした。
「荒立つ」「苛立つ」「麗し立つ」が、「名詞+動詞」ではなく「用言+動詞」のように思えますが、大部分は「名詞+動詞」ですね。
全体としては、「濁るほう」の数がやや少ないですね。
もしかしたら、一般的に「濁らない」「動詞+動詞」の方の数が多いから、そちらに引っ張られて、「なみ立つ」は「濁らない」と考える人が出てきたのかもしれませんね。
また、家にあった過去の『岬の墓』の演奏を聞いてみると、男声合唱では、
・1978年「第27回東京六大学合唱連盟演奏会」(略称・東京六連)での「立教大学グリークラブ」(指揮・北村協一)
・1980年「第29回東京六連」での「早稲田大学グリークラブ」(指揮・福永陽一郎)
混声合唱では、
・1982年「早稲田グリークラブ第31回送別演奏会」での(おそらく)日本女子大学合唱団や聖心女子大学グリークラブ&早稲田大学グリークラブ(おそらく指揮・川元啓司)
・ (年不明)「日本アカデミー合唱団」(福永陽一郎・指揮)
は「なみだつ」と濁って歌っているのが聴き取れました。(久々に「カセットテープ」を聴きました。)
結論は
「波立つ」は、「なみだつ」と「濁る」
ということでした。
平成ことば事情4579「罪づくり」もお読みください。
(2012、2、23)