新・ことば事情
4576「傾聴する」
(2009年の1月22日に書き始めて、そのままになっていました。当時の番号は「平成ことば事情3614」)
「絶望的な気持ちを傾聴する」
という文章が出てきました。この、
「傾聴」
ですが、意味はもちろん、
「熱心に聴く」
ことだと思いますが、なんとなく「敬語」っぽいです。「謙譲語」なのでしょうか?
『三省堂国語辞典』には、
「熱心に聞くこと」
とあり、例文としては、
「傾聴に値(アタイ)する」「傾聴ボランティア」
が挙がっていました。「けいちょう」の「けい」に、
「『敬』」の意味合い」
を感じているのではないでしょうかね?
2011年1月8日に読んでいた本に、
「傾聴支援プロジェクト」
という言葉が出てきました。東日本大震災に関連してですが。
この「傾聴」は、「カウンセリング」ではありません。あくまで「傾聴」。
「聴」という漢字を使った熟語で「傾聴」以外に思い浮かぶのは、
「傍聴」「静聴」
などがありますが、いずれも「聴く」ことに関して「一生懸命さ」が感じられます。「聴く」は、「聞く」よりも「能動的」なのでしょう。「聴く」は「当事者」で同じ立場をベースにしている気がします。
一方「観る」は、「見る」よりも積極的な感じがするものの、
「傍観」「達観」「参観」
など、たしかに参加しているものの「第三者的」「上から目線」に感じます。
なんでなんだろうね。(前にもこれは「傍観者」で書いたと思うが。)