新・読書日記 2012_010
『紅梅』(津村節子、文藝春秋:2011、7、31)
夫・吉村昭が舌ガンと闘う様子を、介護しながら記し、「小説」にした"ノンフィクション"。
最後に吉村が、コーヒーとビールを飲んだあと、いきなり点滴の管のつなぎ目をはずし、
「もう、死ぬ」
と言った、と娘が育子に告げたシーンは圧巻である。
『育子は夫の強い意志を感じた。延命治療を望んでいなかった夫の、ふりしぼった力の激しさに圧倒された。必死になっている看護師に、育子は、「もういいです」と涙声で言った。娘も泣きながら、「お母さん、もういいよね」と言った。(168ページ)
~「もう、死ぬ」と言って"管"を引き抜くシーンは「生の尊厳」(裏返せば「死の尊厳」)を、これほど誇り高く貫ける人というのはすごい!と涙なしでは読めない。
吉村氏の作品は、去年の東日本大震災をきっかけに、また注目を浴びて読まれている。三陸海岸の大津波、関東大震災といった災害について、その対策の重要性・被害を後の世に伝えることの重要性を、自らの足で調べて書いてものをベースに説いている、その"先見性"に注目されている。その人の"最期"がこういった形だったとは・・・。すごい人だったのだ、と改めて思った。また、それを書き残す津村さんもすごい。それが「夫の弔い」であるのだろう。
メモを取ったところは以下のとおり。
*旧幕軍が新政府と戦って一日で敗れた上野のいくさは荒川区生れの夫にとって土地勘がありすぎるほどあって、「少しくわしすぎるんじゃないの」と育子が言ったほどだった。(31ページ)。「土地鑑」ではなく「土地勘」。
*『言い終わらないうちに、夫は、「また不動産か」と声を荒げて言った。』(52ページ)。「荒らげて」ではなく「荒げて」。
*『苛立って声を荒げ、いつもおだやかで手伝いにはとりわけやさしいのに、彼女らが怯えるほどだった。』(93ページ)
*「深部静脈血栓症予防の白いタイツをはかされ」(72ページ)~これって、「エコノミークラス症候群」のこと?
*「網膜中心静脈閉塞症」=眼底に二度にわたってステロイド剤を注入する治療を受けた。視力は思っていた以上に回復した。=うちの母と同じ症状だ!
*「育子は肩凝りにたえられなくなり、マッサージに行った。夫の痛みと育子の肩凝りは正比例する。」(98ページ)=夫婦の「介護」とは、そういうものか・・・。
*「脱獄を四回繰り返した男を書いていた時も、うなされていたし、獄舎に放火させて脱獄し、全国を逃げ廻った幕末の蘭学者を書いていた時は、再三うなされていた。」(147ページ)=「物書き」とは、そこまで自らを追い詰めるのか・・・。