新・ことば事情
4541「義務と権利」
『週刊文春』の後ろのほうのページに載っている「おんなの窓」というタイトルの、伊藤理佐さんのひとこまマンガ、愛読しています。伊藤さんは、同じく漫画家の吉田戦車の奥さんです。2011年12月1日号の160ページには、
「朝ドラ、大好きだけど、放送がない日曜はホッとする。」
と書かれていました。そして、
「こういう気持ちを日本語でなんというのでしょうか・・・」
と伊藤さんは、疑問を呈していました。
「見るのは好きだが、定期的に定められた時間を拘束されるというのは、いくら好きでもなんとなくイヤ」
これはなぜかというと、
「朝ドラを見ることが"義務"になっているから」
です。
「好きなことを、好きな時にする」
のは、
「権利」
です。「権利」って「自由」なんですね。だって「好きな時にする」というのは、逆に言うと、
「やめる権利も保有している」
からですね。でもこれが「義務」となると、たとえ好きなことでも「心理的負担」が生じます。仕事内容は好きでも、「毎日」となると、やはりしんどい。好きだから続けたいという気持ちと、定期的にインターバルをもって同じ動作を続けることによる肉体的・フィジカルの負担の相克という状態に、伊藤さんは陥っているのではないでしょうか?
もしかしたら「権利」は継続していくうちに「(心理的な)義務」に転化することがあるのかもしれません。
で、「こういう気持ちを、日本語で何と言うか」ですが、
「義務による心の重荷」
かなあ・・・。気持ちはわかる・・・様な気がします。