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『道浦TIME』

新・ことば事情

4557「瑞と端」

1216日の「ミヤネ屋」のスーパーをチェックしていた際のこと。

「岐阜・端浪市」

という地名のスーパーが出ていました。が、これは間違い!「端」ではなく「瑞」なのです。つまり正しくは、

「岐阜・瑞浪市」

左側の扁が「立」ではなく「王」です。「みずなみし」と読みます。見逃していました。読売新聞校閲部のOBでチェック係のFさんが見つけてくれました。

それにしても、「みずなみ」で変換すれば間違うわけないのに、一字ずつ入力したのですかね?

たしかに「瑞」(「ずい」と読む)は、「勲章」の、

「瑞宝章」

ぐらいでしか出て来ない気はするけれども、それにしたって・・・と思っていたら、1229日の朝日新聞朝刊に、前日(28日)の夕刊に載った中国人の画家の名前の訂正が。

「『張択瑞』とあるのは『張択端』の誤りでした」

あ!これはうちのミスの逆か!

間違いやすい漢字なのですね。今後、気をつけます!

 

(2011、12、29)

2011年12月31日 17:15 | コメント (0)

新・読書日記 2011_234

『問題な日本語4』(北原保雄・編著、いのうえさきこ・絵、大修館書店:2011、12、20)

 

ご存じベストセラー『問題な日本語』シリーズの第4弾が、人知れず・・・と言うことはないと思うのですが、いつの間にか出ていました。言葉に関する「4コママンガ」は、4年前に私が単行本の言葉の監修をしたこともある漫画家の「いのうえさきこさん」が、これまでのシリーズに引き続き書いてらっしゃいます。お元気のようですね!何よりです。

それにしてもたくさん、「問題な」日本語はあるものですね。「世に盗人のタネは尽きまじ」・・・ならぬ、「世に言葉のタネは尽きまじ」ですねえ。

 


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(2011、12、27読了)

2011年12月31日 10:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4556「伝記本」

 

20111025日の「ミヤネ屋」で、亡くなった「スティーブ・ジョブズ」について書かれた本のことを、

「自伝」

とするう紹介のスーパーが発注されていました。しかし、この本はジョブズが自分で書いているのではないですから、「自伝」ではありません。「自伝」は当然、

「自分で書いたもの」

ですね。自分以外の人が書いたものは、

「伝記」

でしょう。この本の著者はウォルター・アイザックソンという人でした。「アイザックの息子」か。アイルランド系かな?(まあ、ジョブズの「聞き書き」ある意味「語りおろし」のような部分があるのかもしれませんが。)

翌日、今度は、

「伝記本」

という表現が出てきましたが、「伝記」の中には「本」という意味も含まれているので、「伝記本」も×。「伝記」でよいのです。

なぜ「本」を付けた「伝記本」なんて言い方をしてしまうのか?おそらく最近は「伝記」を読まなくなっているからではないか?だから「伝記」だけだと足りないと思って「伝記の本」=「伝記本」としてしまったのではないか?と推測します。

ちなみに『広辞苑』で「でんきぼん」を引くと、

「電気盆」

という言葉が出てきました!なんだ、「電気盆」って!?

電気盆」=静電誘導を利用して電気を集める実験器具。金属板に絶縁柄を付したものとこれをのせる封蝋(ふうろう)またはエボナイトの盆から成る。

・・・と言われても・・・・あまり想像が付かないのですが。

 

(2011、12、29)

2011年12月31日 10:15 | コメント (0)

4555「デコルテライン」

 

先日、初めて耳にした言葉に、

「デコルテライン」

というファンション関係の言葉がありました。女性は知っているであろうと、「ミヤネ屋」の若い女性スタッフに聞いてみたところ、

「襟ぐりのところのラインのことです」

という答えが返ってきました。「デコルテ」・・・あ、あそうか、

「ローブ・デコルテ」

の「デコルテ」か!「ローブ」は「服」ですよね、たしか。

辞書(『広辞苑』)を引いてみると、

「デコルテ」(decollete フランス=最初と最後の「e」にアクサンが付いています)

=(「襟ぐりをあらわにした」の意から)

    大きく刳(く)った襟ぐり

    首から胸元にかけての部分

    ローブ-デコルテの略

とありました。念のため「ロービデコルテ」を引くと、

「ローブデコルテ」=女性の夜用正式礼服。男声の燕尾(えんび)服に相当し、背や胸が見えるように襟ぐりを大きく刳(く)った袖なしのドレス。日本では1986年(明治19)に宮中の礼服として採用。デコルテ。

とありました。ちゃんと宮中での採用は1886年(明治19)」と記録が残っているんですね!「鹿鳴館時代」かな?これも引いて見ると、「鹿鳴館」が完成したのは1883年(明治16ですから、やはり「鹿鳴館時代」に、欧米と対等に見てもらうために(そして幕末に結ばされた不平等条約を改訂・解消させるために)こういった「具体的な政策」が必要だったのでしょう。

そして「ローブデコルテ」正式に宮中の礼服に採用されて8年後に「日清戦争」が起こります。礼服の制定、戦争、帝国主義の時代。19世紀から20世紀にかけての日本の姿の一端なのですね。

 

(2011、12、29)

2011年12月30日 17:14 | コメント (0)

新・読書日記 2011_233

『ことばの知恵・知識事典~現代言葉調 追録第15号』(共著、ぎょうせい:2011、12、21)

 

ルーズリーフ式の本。2003年にバインダーつきにものが最初に出て、それ以来、半年に1回のペースで新たな項目を書き足して15回目。私も最初から、15人ほどいる執筆者の一人として参加している。今回私は、「天敵」「母音の無声化」「泥臭い」の3編を書きました。それも含めて、新たに35の言葉のコラムが追加されました。よろしければ、どうぞ!って言っても、普通の書店の店頭にはなくて、「ぎょうせい」が直接販売しているので、そちらのホームページをご覧ください。あ、宣伝だな、こりゃ。でも8年のときを経て、本当に「言葉の事典」になっています。それは請け合います。

 

 


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(2011、12、27読了)

2011年12月30日 12:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4554「ドリトル先生と秘密の湖」

 

『センス・オブ・ワンダーを探して~生命のささやきに耳を澄ます』(阿川佐和子・福岡伸一、大和書房:2011111という対談集を読んでいたら、子どもの頃の読書体験の話で、

『ドリトル先生と秘密の湖』

という本のタイトルが出てきました。「ドリトル先生シリーズ」の一冊で、ロフティングが最後に書いた10巻目だそうです。このシリーズ、私は読んだことがあるような、ないような・・・。たぶん読んでいるのでしょうが、細かいタイトルまでは覚えていませんでした。しかし今回、この『ドリトル先生と秘密の湖』というタイトルを見て「あっ!」と思ったのは・・・そうです、これと似たようなネーミングの本(と映画)に心当たりがあったからです。お気づきの方も多いでしょうが、今年、10年にわたる映画シリーズが完結した、

「ハリーポッター・シリーズ」

のタイトルのネーミングが、

『ハリーポッターと秘密の部屋』

のように、

『ハリーポッターと○○○○』

という形をずっと踏襲していたことを思い出したのです。これってイギリスの児童文学ではよくある話なのでしょうかね?(イギリスに限らず?ドリトル先生もハリーポッターも、イギリスですよね?)

もちろん「ドリトル先生」のようなタイトルの付け方は日本でも、今年亡くなった北杜夫さんの、

『ドクトルマンボウ航海記』

など一連のシリーズにも見られるし一般的なのかもしれませんが、「ドクトルマンボウ」シリーズは「ドリトル先生」シリーズ、あるいは「ドクトルジバコ」の影響を受けたのでしょう、きっと。「ハリーポッター」は、原作はほとんど読んでいないけど(『ハリーポッターと謎のプリンス』だけは読んだ)、映画は全部見たなあ。終わっちゃったんだなあ。今年は、そういう年でもありましたね。

そうそう、「ポッター」といえば200795にタイトルを書いたままほったらかしだった「平成ことば事情3058ポッターとポター」(番号はつけたままほったらかしだったので、その間に1500編くらい書いてしまった)。

これは、「ピーターラビット」の生みの親、

「ベアトリクス・ポター夫人」

を取り上げた映画、

「ミス・ポター」

が上映されるという予告編を見て、

「『ミス・ポター』の『ポター』と、『ハリーポッター』の『ポッター』は、たぶん同じ。それなのに、日本語に訳すときに、なぜ小さい『ッ』があるもののと、ないものになってしまったのだろうか?」

という疑問が湧いたという話です。

映画そのものは見られなかったのですが、機会があればDVDでも借りて、見たいと思います。

 

 

(2011、12、29)

2011年12月30日 10:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4553「パンツまとめ買い」

 

 

近くの「ユ○クロ」に行きました。暖かい下着などを売っているようです。

そんな中、こんな張り紙が。

「パンツまとめ買いセール」

ちょっと恥ずかしい・・・と思いながら、そこに並んでいる商品を見ると・・・・

「ズボンコーナー」

でした。「コーデュロイツータックパンツ」なるものを売っていました。

やっぱり今は「パンツ」と言えば、「ズボン」のことを指すのですね、世の中では・・・。

じゃあ、これまでの下着の「パンツ」のことはなんと言うか?

おそらく、細分化されて「トランクス」「ブリーフ」「ボクサーパンツ」のほか、

「アンダーウェア」

のような(つまり「下着」)、

「総称」

になっているということですかね。

よくわからないのですが。

 

(2011、12、28)

2011年12月29日 18:12 | コメント (0)

新・読書日記 2011_232

『相性』(三浦友和、小学館:2011、11、19第1刷・2011、12、7第2刷)

 

語り下ろし。映画『レールウェイズ』のパブリシティー。豪華版パンフレット・・・のようなもの。印税は募金。そういったことを「まえがき」に書いてあるのが潔い。

「山口百恵の夫」

という枠からなかなか抜け出せなくて悩んだこと、高校時代からの友人・忌野清志郎との交友など、興味深い内容。でもまあたしかに「豪華版パンフレット」。タレント本が好きな方は、どうぞ。1470円(=本書の値段)出して・・と言うなら、まず映画を見た方がいいのかなあ。「父兄会」という言葉遣いが、「今風ではない」感じでした。帯の文句は、

「映画公開に合わせてすべてを語った 初めての自伝的『人生論』」

やっぱりいろいろ、覗き見してみたい感じはしますよね、スターの一家の秘密、というか。

よく売れているそうです。

 

 


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(2011、12、4読了)

2011年12月29日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4552「少女像キャリーパミュパミュ」

 

従軍慰安婦問題で、慰安婦の少女像を建てたというニュースがあった時に、

「少女像」

というのが意外に言いにくいなと思いました。ためしに10回、言ってみてください。

少女像少女像少女像少女像少女像・・・ほーら、もう舌を噛んだでしょ?

その話をWアナウンサーにしたところ、

「いや、それよりもあれですよ、知ってます?道浦さん。『キャリーパミュパミュ』って?」

「???いや、知らない。何それ?」

「なんかタレントかモデルらしいんですけど、ほんま、言いにくい。やめてほしいです!」

たしかに。キャリーパミュパミュ、これは10回どころか2回でも言いにくい、

キャリーパミュパミュ、キャリーパミュピャ・・・あ、もう舌噛んだ。

家に帰って2の息子に、

「キャリーパミュパミュって知ってるか?」

と聞いたところ、

「ああ、読者モデルやろ」

と興味なさそうに答えました。知ってるんだ!でも、言えない。なんでこんに言いにくい、アナウンサー泣かせの名前にしたんでしょうねえ???

 

(2011、12、28)

2011年12月28日 19:22 | コメント (0)

新・読書日記 2011_231

『残念な会議の救出法』(山崎将志、日経ビジネス人文庫:2011、12、01)

 

「残念な××」のネーミングで有名な、何冊か私も読んだことがある方の著書。

読みやすそうで、でもよく読むと、結構難しい。

しかし「会議の進め方」に関する項目は「たしかにそうだ」と思われることが書いてあった。読んでいる途中のこと、いつもの会議が混乱したので仲介役を私が買って出て、まあまあうまくおさまったことがあった。その仲介の仕方は、この本に書いてあった考えを元にしたもの。ということは、すごく役に立つ一冊じゃないか!

 

 


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(2011、12、18読了)

2011年12月28日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2011_230

『きらきら』(文・谷川俊太郎、写真・吉田六郎、アリス館:2008、11、20)

 

宿泊先の北海道のホテルに置いてあった絵本。谷川俊太郎さんの詩に、雪の結晶の写真がコラボレーションしている。こういう「絵本」もいいですね。絵がすべてを語るのではなく、絵と文から想像力・イマジネーションが広がっていく絵本。いいですね!クリスマスにもピッタリ。

 

 


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(2011、12、25読了)

2011年12月28日 12:11 | コメント (0)

新・読書日記 2011_229

『ラーメンと愛国』(速水健朗、講談社現代新書:2011、10、20第1刷)

 

家の近くに「山頭火」というラーメン屋さんがあります。お店の人は作務衣を着て、日本手拭い(のようなもの)を頭に巻いています。職人さんふうです。こういった感じのラーメン店を、たしかに最近よく見かけるよな、と思っていたら・・・なんとこの風潮は、日本という国のあり方の流れに従ったものだと!そんな新しい視点から読み解いたこの本、シンプルなタイトルだが、なかなかコクがあって、しかもあっさりと旨味を出している、麺も歯ごたえがあって・・・と、ついつい書いてします。なんといっても目の付けどころが「よい」と思いました。

 

 


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(2011、11、21読了)

2011年12月27日 21:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4551「若い力が三枚は出てきてほしい」

 

20111222日の読売新聞で、横浜DeNAベイスターズの監督に就任した中畑清さんがインタビューに答えていました。その中で、

「若い力が三枚は出てきてほしい」

と話していたのです。この「若い力」、つまり、

「若い選手」

のことですが、これを数えるのに、なぜ「3人」ではなくて「3枚」なのか?考えてみました。思うにこれは、

「カード」

にたとえている、と。

カードゲームでの「有効な持ち札」、つまり「切り札」の意味で使うため、「人」ではなく「枚」を使っているのではないでしょうか。戦術面で選手を語るときに使います。サッカーでも、

「守備が3枚必要」

のような使い方をします。

しかし「故障した選手」を数える場合には「人」しか使わないですね。「戦術面で有効」ではないから・・・ではないでしょうか。そんなことを、朝刊を読んでいて感じました。

 

(2011、12、22)

2011年12月25日 12:37 | コメント (0)

新・ことば事情

4550「ごんがいに」

 

朝から後輩の女性アナウンサーが、憤慨していました。

「北京からの中継を見ていたら、支局の記者が、『ゴンガイに』って言ってるんです。何のことだろうと思ったら『言外に』のことなんですよ。読み方も知らないのって恥ずかしいですよね。それ以外でも情報番組の女性リポーターがゲストを紹介するのに『尽力を尽くされた』って今朝言ってました。重複だって気づかないなんて、どういう感覚をしているんでしょう!」

かなり怒っていました。

「言外」を「ごんがい」・・・うーむ、かなり重症ですね。「言語道断」からの類推「言」を「ごん」と読んでしまったのでしょうか?

こういったことが起きる理由の一つは、目で見る文字と耳で聞く言葉が乖離しているからではないでしょうか?これは「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんが言うように、

「『音読』をしてきていれば防げた」

ことかもしれません。「黙読」で読んでいるときは、文字の意味が取れればよい訳で、読み方にはこだわらない。かなりのインテリの方でもそういう態度に陥るおそれがありますからね。

われわれアナウンサーは「文字の音声化」が仕事ですので、そこにこだわりますが、書くことが主な仕事の方は、意外と読み方は気にしていない人が多い・・・というのが、これまでの実感です。

でも、みんなが知っている言葉を間違うのはやはり恥ずかしいですね。え?みんなが知っているとは、もはや言えない状況になっているって?・・・・そうかもしれません・・・ハア困ったものだ・・・。

 

(2011、12、20)

2011年12月24日 12:35 | コメント (0)

新・読書日記 2011_228

『センス・オブ・ワンダーを探して~生命のささやきに耳を澄ます』(阿川佐和子・福岡伸一、大和書房:2011、11、1)

 

阿川佐和子さんと生物学者で青山楽員大学教授の福岡伸一さんの対談集・・・というか、聞き手は阿川さんで、しゃべり手は福岡ハカセ。(この呼び方は好きじゃないが)

「動的平衡」を説く福岡先生のコメントの中にこういうのがあった。

「生命だけじゃなく自然環境も動的平衡だし、サッカーのチームプレーや政治や経済も動的平衡かもしれないと拡張して考えることもできる。」(92ページ)。

アッと思った。

「これは、バルセロナじゃないか!」

クラブワールドカップで素晴らしいプレーを見せたバルセロナの選手たちの動きは、まるでチームがひとつの有機体として機能しているようだった。まさに福岡先生の言う「動的平衡」のお手本のように見えたのだった。

うーむ、すごいなあ、バルセロナ、そして生き物の世界は。バルセロナというサッカーチームはひとつの生き物です。

「センス・オブ・ワンダー」って、なんかかっこいい響きだな。

 

 


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(2011、12、21読了)

2011年12月23日 11:44 | コメント (0)

新・読書日記 2011_227

『動的平衡2』(福岡伸一、木楽舎:2011、12、7)

 

「動的平衡」は「方丈記」である。行く川の流れは絶えずして。福岡伸一と鴨長明。フェルメールとレーウェンフックの共通点!

読むたびに知的興奮が。生命の定義。自己複製。カゲロウは口がない。で、吉野弘の詩、「I was born」を思い出したのは私だけではあるまい。あの詩は中学の時に音読したから頭に残っている。悔しいが斎藤孝は正しい。

 

 


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(2011、12、18読了)

2011年12月22日 17:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4549「せいて寝られへん」

 

風邪が流行っているようです。インフルエンザかも。

町ですれ違った女性の二人組が話している声が耳に入ってきました。

「きのう、せいて、寝られへんかった」

つまり、

「昨夜は咳がひどくて寝られなかった」

という意味ですね。この、

「せいて」

というのは、原形(元の形)は、

「せく」

ですよね。つまり「咳をする」ことを「せく」というのは、「標準語」か?それとも「関西弁」か?それが気になりました。

「あせる」「気がはやる」という意味での

「気がせく」

も、「関西弁」だと、

「気がせいてしゃあない」(気がはやって仕方がない)

のように「せいて」を使いますが、それとこの「せいて」は意味が違うでしょう。

『広辞苑』「せく」を引いたら・・・載っていました!標準語だったのか!

「せく(咳く)」=せきをする。しわぶく。

シブイ。もしかして『新明解』では、「老人語」かな?手許にあるのは「第6版」ですが、引いてみよう。

「せく(咳く)」=(「塞(セ)く」と同意)せきをする。

「老人語」ではありませんでした。

たまにしか耳にしないけど、今も生きているコトバなんですね!ゴホン!!

せいてもた。

 

(2011、12、20)

2011年12月22日 10:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4548「けっと」

 

拉致被害者の有本恵子さんの母・嘉代子さんが、12月19日、金正日総書記死去の報を受けてインタビューに答えてこう話していました(毎日放送:1219日午後6時20分頃)。

「金総書記が死去すれば拉致問題は進展するのではないかと、けっと思ってましたからね」

この中の、

「けっと」

というのは、

「ずっと」「いつも」

の意味だと思われます。

この言葉、うちの亡くなった祖母が使っていました。それ以外ではあまり耳にしたことはないのですが、久々に聞いた気がします。

大阪弁だろうかと思い、牧村史陽『大阪ことば事典』を引きましたが、載っていませんでした。ネット検索でも上手く出てきません。この、

「けっと」

というのは、一体どこの言葉なんでしょうか?ご存じの方、ご一報ください!

ちなみに、うちの祖母は三重県の伊賀上野の出身です。

 

(2011、12、19)

2011年12月21日 23:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4547「歯医者の擬音」

 

このところ毎週、歯医者さんに通っています。以前は(なんと)会社内に歯科室があったので大変便利、ちょっと行くことができましたが、今は外の歯医者さんに行かないといけないので、面倒です。それでも会社の近くに歯医者さんを見つけて通っています。

そこで気づいたのは、もう50のええ年のオッサンに対して、歯医者さん(男性)も、(たぶん)歯科助手の女性も「ものすごく優しい言葉遣い」をしてくれるんです。まるで、

「子どもを相手にしているような言葉遣い」

です。それはつまり、

「擬態語・擬音語を多用するしゃべり方」

なのです。具体的には、

「はい、あーん。カチッと噛んで。ギリギリギリと」

「グーッと噛んで」

「チクチクッとしますよ」

というようなもの。これって、すごいですね。

「カチッと噛んで」

というのと、

「ガチッと噛んで」

の違いを、みんなわかっているということですよね。

「『カチッと』の方が、軽く噛む」

ということですよね。また、

「ギリギリギリと」

と言われると、歯ぎしりの癖もないはずだし義理もないのに、

「歯ぎしりのような動作」

を、口の中で、まず100%、行ってしまうのではないでしょうか?

「グーッと噛んで」

というのは、

「既に軽く噛んでいる状態だが、そこからさらに噛む力を強めていく」

ということですよね。これは大人でも子どもでもわかります。ただ、

「外国人には通用しない」

かもしれませんね。日本語の共通概念って擬態語にとてもよく表れているのではないでしょうか?

まだ当分、歯医者には通うことになりそうです。

 

(2011、12、19)

2011年12月21日 21:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4546「おぶって」

 

準強姦容疑で逮捕された柔道の金メダリスト・内柴正人容疑者が、供述の中で、

「女子部員をおぶって部屋に行った」

と話していることが分かったと、12月8日の日本テレビお昼の「ストレイトニュース」で伝えていました。この「おぶって」ですが、原形は「おぶう」でしょうか?それとも、「おぶる」でしょうか?

辞書を引くと

「おぶう」

でした。もともと「おぶ」から来ている関東の言葉「幼児語」と書かれていました。

「おぶ」は「負う」「背負う」ですね。そして、まさに「幼児語」

「おんぶ」

という言葉は、間違いなくこの「おぶ」から来ているんだということを実感しました。

事件とは直接関係のない話ですが、あまり「おぶって」という言葉、「ニュース報道」では出てこないような気がしたので、耳に止まりました。

 

(2011、12、19)

2011年12月21日 17:49 | コメント (0)

新・読書日記 2011_226

『心を豊かにする言葉術』(松平定知、小学館101新書:2011、8、6)

 

言葉を大切にしている10人のひとたちと、松平さんの「対談集」。対談後に松平さんの「一言」感想が付いている。

10人とは、山根基世アナウンサー、鴨下信一、半藤一利、藤原正彦、檀ふみ、ジョン・カビラ、佐高信、姜尚中、落合恵子、田辺聖子の各氏。

「出てくる人」(対談相手)に関しては「松平さんの好み」なので、皆さんも好き嫌いはあると思いますが、結局、人の心に伝わるのは、単に「道具としての言葉」ではなくて、「言葉の背後にある、その人の人生経験」じゃないのかなあ。

半藤さんが「絶対」という言葉の虚しさゆえに、「絶対」は使わない、と言うのも、人生経験が言わせているんだなあ。

勉強になる一冊でした。

 

 


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(2011、11、27読了)

2011年12月21日 12:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4545「萩原朔太郎の朔」

 

何かの本を読んでいたら、

「旧暦の六月一日は『むけの節句』または『衣脱(きぬぬぎ)の朔日(さくじつ)』」

と書かれているのを見て「ハッ」としました。この、

「朔日」

というのは、

「一日」

のことですよね。「八月一日」は略して「八朔」。これは京都でも言われるし、三重の「赤福」では八月一日には特別な、

「八朔餅」

というのを売り出したりしていると聞いたことがあります。つまり、

「朔=一」

ですね。ということは、詩人の、

「萩原朔太郎」

名前の「朔=一」とすると「朔太郎」というのは、

「一太郎」

ということなのでしょうか?

急にそんなことを考えてしまいました。

 

(2011、12、19)

2011年12月21日 09:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4544「抗拒」

 

126日の「ミヤネ屋」で、柔道の2大会連続金メダリスト・内柴正人選手「準強姦」容疑で逮捕されたというショッキングなニュースをお伝えしました。その中で、「準強姦」の刑法条文の中に、

「抗拒」

という言葉が出てきました。「抵抗」「抗議」の「抗」と「拒否」の「拒」は、ともに常用漢字ですが、この2つがつながった形の「抗拒」という熟語は、見慣れない言葉です。

2つ、くっついた熟語としては難しいので、フリップ(川田アナウンサー読み)には、常用漢字だけれどもルビを、

「こうきょ」

と振りました。『精選版日本国語大辞典』を引くと、

「抗拒=手向かいして拒むこと。抵抗して相手の行為を妨害すること」

とありました。法律の専門用語ですね。耳で聞いたら、なかなか「こうきょ」から「抗拒」という文字を思い浮かべることはできないでしょう。

あまりこんな言葉を、目にしたり耳にすることがないようになるといいのですが・・・

 

(2011、12、19)

2011年12月20日 21:32 | コメント (0)

新・ことば事情

4543「2000本の風船」

 

128日の産経新聞に、東日本大震災の被災地に出向いてバルーンアートと落語を披露したイギリス人・女性落語家のダイアン吉日(きちじつ)さんの記事が出ていました。ダイアンさんには前に一度、とあるシンポジウムでお目にかかったことがあります。その中で、バルーンアートの風船の数をさして、

2000本の風船」

という表現が出てきました。「風船」の数え方は、『数え方の辞典』(飯田朝子、小学館)を引いてみると、

「個、つ、枚」

となっていて、

「ふくらませたものは『個』、ふくらませるマエのものは『枚』で数えます」

と記されていますが、「本」はありません。しかし、バルーンアートで使われる風船は、ふくらませる前に見ると、たしかに細長い。甲子園球場で7回裏に飛ばす、

「ジェット風船」

のような形ですね。あれは形状から言うと「本」という数え方は納得できます。

『数え方の辞典』が出たのは2004年の4、そろそろ改訂版が出ないかなあと思いました。

 

(2011、12、12)

2011年12月20日 16:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4542「七十七銀行の前」

 

先月、岩手県盛岡市に行きました。そのとき、盛岡市の中心街をブラブラしていたら、立派なレンガの建物が。

「七十七銀行」

だそうです。昔の銀行はこのように全部ナンバーリングされたものがそのまま銀行の名前になっていたのですね。旧制高校のような感じ。大阪の豊中市の中学校も、

「第十三中学」

のように数字で名前が付いていて、結構大きな数字の中学がありましたが、昨今は少子化合併することもあるとか。「三中」と「十二中」が合併したら「十五中」・・・にはならないそうですが。

「数字」から名前が変わったところもあれば、新潟に本店がある

「第四(だいし)銀行」

のように、現在も数字がそのまま残っているところもある。私の生まれ故郷・三重県の伊賀上野にある(本店は三重県津市)のは、

「百五銀行」

と、かなり大きな数字ですが、盛岡の「七十七銀行」も、そういった「数字が残った銀行名」の一つ。この「七十七」を、

「ななじゅうなな」

と読んではいけません、

「しちじゅうしち」

です。

なんてことを考えながら、目を交差点の向こうに転じると、そこにはコンビニエンスストアの「セブンイレブン」が。それを見て、

「おお~っ」

と声を上げてしまいました。「セブンイレブン」の店舗のガラスに、こう書かれていたのです。

「セブン銀行」

つまり盛岡には、

「七十七銀行の前にセブン銀行がある」

のです!なんと「ラッキーセブン」がつながっている街なのでしょうか!いい街ですよねえ・・・。それがどうした!?と言われれば、ただそれだけのお話でした。

 

(2011、12、19)

2011年12月20日 10:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4541「義務と権利」

 

『週刊文春』の後ろのほうのページに載っている「おんなの窓」というタイトルの、伊藤理佐さんのひとこまマンガ、愛読しています。伊藤さんは、同じく漫画家の吉田戦車の奥さんです。2011年12月1日号の160ページには、

「朝ドラ、大好きだけど、放送がない日曜はホッとする。」

と書かれていました。そして、

「こういう気持ちを日本語でなんというのでしょうか・・・」

と伊藤さんは、疑問を呈していました。

「見るのは好きだが、定期的に定められた時間を拘束されるというのは、いくら好きでもなんとなくイヤ」

これはなぜかというと、

「朝ドラを見ることが"義務"になっているから」

です。

「好きなことを、好きな時にする」

のは、

「権利」

です。「権利」って「自由」なんですね。だって「好きな時にする」というのは、逆に言うと、

「やめる権利も保有している」

からですね。でもこれが「義務」となると、たとえ好きなことでも「心理的負担」が生じます。仕事内容は好きでも、「毎日」となると、やはりしんどい。好きだから続けたいという気持ちと、定期的にインターバルをもって同じ動作を続けることによる肉体的・フィジカルの負担の相克という状態に、伊藤さんは陥っているのではないでしょうか?

もしかしたら「権利」は継続していくうちに「(心理的な)義務」に転化することがあるのかもしれません。

で、「こういう気持ちを、日本語で何と言うか」ですが、

「義務による心の重荷」

かなあ・・・。気持ちはわかる・・・様な気がします。

 

(2011、12、19)

2011年12月20日 03:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4540「税金は払うか?支払うか?納めるか?」

 

「ミヤネ屋」のスタッフが、いつものように質問して来ました。

「道浦さん、『税金』は『払う』でしょうか?『支払う』でしょうか?それとも『納める』でしょうか?」

なるほど、どれでも意味は通じますね。たいていの人はいろんな形で「税金」は「払う」か「支払う」か「納める」かしているでしょうから。

その昔、地下鉄の駅の構内の壁に「納税週間PR」のために小学生に書かせた「納税促進コンクール」の「書道(習字)」の入賞作品が展示してあったのを思い出しました。そこには平仮名で、

「ぜい」

と書かれた半紙がズラッと張ってあって、

「ぜい」「ぜい」「ぜい」「ぜい」「ぜい」「ぜい」「ぜい」・・・

と、400メートルを全力で走った人が肩で息をしているような様相を呈していたのでした・・・。その横には、もう少し上の学年が、漢字二文字で書いた「納税」という文字が、

「納税」「納税「納税「納税」「納税」「納税」「納税「納税」・・・

・・・・早く税金を払って肩の荷を降ろしたくなる光景でした・・・。

話が横道にそれてしまいましたが、さて「税金」は「払う」「支払う」「納める」のどれを使うか?・・・誰だ、「払わない」って言ってるやつは!?

私は(「横道」でも書いたように)、「納税」ですから、やはり

「納める」

だと思います。「税金を払う」とも言いますが、それは、

「(税金の金額にあたるお金を)払う」

のではないでしょうか?ま、同じことだといえばそうなんだけど。

しかし「税金を支払う」は、なんとなく違和感があります。なぜ「支払う」だけが違和感があるのでしょうか?

「支払い」

という言葉は、

「(何かを)購入する」

ときに(その代価を払う時に)使うのではないか?「税金」は「何かを購入する」わけではないので「支払う」は馴染まないのでは?そんな気がします。

『精選版日本国語大辞典』には、

「しはらう(支払う)」=「(「し」は動詞「する」の連用形。「支」はあて字)金銭の払い渡しをする。しはらいをする。」

と簡潔で、私の疑問には答えてくれません。『広辞苑』の方がやや詳しく、

「しはらい(支払い)」=「①金銭を払い渡すこと。②債務の弁済として金銭または手形を給付すること。」

2種類載っていました。「税金」は載っていないなあ。

 

(2011、12、19)

2011年12月19日 21:13 | コメント (0)

新・読書日記 2011_225

『浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく~フィギュアスケートの裏側』(生島淳、朝日新書2011、12、30)

 

今月13日に「ミヤネ屋」にご出演いただいた著者の生島さんに話を聞いたディレクターによると、このタイトルは、歩いている時にふと思いついたそうだ。しかし、なかなかキャッチーである。普通は「フィギュアスケート裏側」を「メインのタイトル」にして、「浅田真央はメイクを変え・・・」を「サブタイトル」にすると思うんだけど、逆にしたのがよかったと思います。

フィギュアスケートに詳しいわけでもないし、ものすごく興味があるわけではないけど、氷上のスケートの大会・1回だけではなく、半年のシーズンを通して戦っていて、その戦いの相手には「審判」も含まれることや、国力・経済力が成績に反映されることなど、大きな流れの中(政治力なども含めて)でのフィギュアスケートというものの存在を認知することができた。真央ちゃんとかも大変だな。単純な「スポーツ」(だけ)ではないのですね、フィギュアスケートは・・・。

 

 


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(2011、12、13読了)

2011年12月19日 12:25 | コメント (0)

新・読書日記 2011_224

『君のいない食卓』(川本三郎、新潮社:2011、11、30)

 

これはせつなく重く、そしてある意味さわやかに、心に残る珠玉のエッセイ集ではないか。文句なく五つ星。悲しい。せつない。はかなくも深い夫婦愛は、男の子弱さ、女の強さを余すところなく伝えていると思う。あったかい豆腐、さっそく作ってみたい!妻と思わず話し込んでしまった!BGMは当然坂本冬美で『まだ君に恋してる』でしょう!帯がまた悲しい名文「何を食べても、思い出す。~『食』を語ることで、ひそやかに亡き妻を昔のことを記憶にとどめたい。」~文芸・映画評論の第一人者による「食エッセイ」の名品。

 

 


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(2011、12、15たった今、読了)

2011年12月18日 12:20 | コメント (0)

新・読書日記 2011_223

『女の才覚~日本の女性がなくしてしまったもの』(大宅映子、ワニブックスPLUS新書:2011、12、25)

 

「ミヤネ屋」にご出演いただいている大宅映子さんの著書。

100歳で大往生した母・大家昌に教わったこと・学んだことを書いたもの。

本屋さんで見つけて、「前書き」部分を立ち読みしていたら、

「最近の若い人は、『なでしこの花』がどんな花かも知らないことが、テレビ番組の中であきらかになった」

という記述が。

「あ、これって『ミヤネ屋』で『なでしこジャパン優勝』の後に『なでしこの花ってどんな花?』という企画をやったときのことじゃないか!?」

と思って購入。翌日の「ミヤネ屋」にご出演いただいたあとの大宅さんに、

「ご本の前書きは、『ミヤネ屋』のことですよね?」

と伺うと、「そうよ」とおっしゃってました。

昔は家庭の中で自然と教わっていたようなことが、下の世代に伝わらないことに危惧を感じてらっしゃると。その意味で、古希を迎えた大宅さんが、これまでにお母様から学んだことを残しておこうと。真っ当な本です。

 

 


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(2011、12、13読了)

2011年12月17日 12:18 | コメント (0)

新・読書日記 2011_222

『泣きたくないなら労働法』(佐藤広一、光文社新書:2011、11、20)

 

派遣スタッフの勤務管理などもやっているので、こういうものも勉強しておかなくては、と。うーん、わかりやすく書かれているので、大体はわかりました。著者も、自分の親が経営していた町工場がつぶれるまで、まさかこんな仕事をするとは思っていなかったと。

なかなか難しいものですね。

 


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(2011、12、12読了)

2011年12月16日 19:10 | コメント (0)

新・読書日記 2011_221

『社畜のススメ』(藤本篤志、新潮新書:2011、11、10)

 

刺激的なタイトル。著者は私と同い年、大阪市大卒、元USEN取締役。主に入社1~5年目ぐらいの人を「読者」と想定しているように思う。勝間和代さんなどの著書が、凡人に間違った考えを与えやすいなど、やんわりと。冒頭に山口瞳が出てきたり、「白書」からのデータの引用など、タイトルの過激さとは異なり、やさしく説明しているように思える。企業の歯車、つまりチームワークを身につけることが、若いうちは大事、個性の発揮はそのあとに自然に、と。「送りバントは嫌い!俺は全打席ホームランを狙いにいく」...ほうがかっこよくておもしろいが、そんなにうまくいくはずない。そんな感じか。

「社畜」という言葉を広めたのは「佐高信さん」だとも。そうだったか。そうだったような気がする。たぶん、今から20年ぐらい前ですよね。今見ると、かえって新鮮。

 

 


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(2011、12、12)

2011年12月14日 20:28 | コメント (0)

新・読書日記 2011_220

『へんなことわざ』(のり・たまみ、角川文庫:2011、10、25)

 

タイトルも著者の名前も、全部平仮名。なんとなく"脱力感溢れる"一冊。世界には「ふえー、そんなことわざがあるの!?」というものがあるんですねえ。地球は広い。

見開きで「ことわざ」と「その解説」が載っているので、気楽に少しずつ読めます。

 


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(2011、11、27読了)

2011年12月14日 12:16 | コメント (0)

新・読書日記 2011_218

『つながる読書術』(日垣隆、講談社新書:2011、11、30)

 

日垣隆を読んでいる、とは大きな声では言えない...言いたくない気がする。これと同じような感情を持ってしまうのは、斎藤孝と香山リカだ。なんでだろう?

共通点は、年齢が少しだけ(私より)上で、文章が断定的・上から目線、ということではないかと。いつもおもしろそうなタイトルや内容だけど、すぐに手を出すのはためらわれる。読書術に関しては人それぞれだし、全体から見れば明らかにたくさん本を読む部類の私は、他人の読書術に特段の興味はないが、しかしそれでも読んでしまった。

読書会というのは、参加したことがない。ちょっと興味を引かれた。

「読まずに死ねない厳選100冊の本!」は参考にします。この中の4分の1は既に読んでいましたが。「読まずに死ねない」(「読まずに死ねるか!」)は内藤陳、ですね?

 

 


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(2011、12、11読了)

2011年12月13日 12:02 | コメント (0)

新・ことば事情

4539「ティッシュへーハー」

 

JR環状線「福島駅」の柱の看板の文字に、こう書かれていました。

 

「ティッシュヘーハーの配布などは禁止します」

 

長い間に、「ペーパー」の「丸」が2つとも取れてしまって、

「ヘーハー」

になっていました。ブラマヨか。「ヒーハー」。

ハ行の音って、なんか息漏れがするので、その音が続くと気が抜けるよう感じがしますね。これが濁音の「ベーバー」なら力強いが、半濁音の「ペーパー」の時点でかなり軽くなっている。その半濁音の○さえも取れてしまって「ヘーハー」。

はたして、「ペーペー」とどっちが軽い感じかな?

やっぱり、「ヘーハー」ですね。

「ヒーハー」は切羽詰った感じがありますが、「ヘーハー」は、もう空気抜けまくりという感じでした。

それにしても、なんで私はこんなの見つけちゃうんだろうか?

 

(2011、12、12)

2011年12月12日 19:59 | コメント (0)

新・読書日記 2011_217

『年賀状の戦後史』(内藤陽介、角川oneテーマ21:2011、11、10)

 

この時期にピッタリの本。内藤さんから頂きました。

以前、ライフワークの「戦後記念切手シリーズ」の番外編で「年賀切手」について既に内藤さん書いているが、今回は、あれよりももう少し一般的にという視点でもって「新書」で出されたのだと思う。実際「そうだったのか!」と興味を引く事例がたくさん載っている。今年は東日本大震災で、年賀状に「(あけまして)おめでとう!」と書いてもいいものかどうか・・・なんて思っている人もいると思うが、過去のもそういった状況のときがあったとか、年賀状と年賀切手に関する様々なお話が満載。年賀状を書くのに疲れたら、ちょっとこの本を紐解いてみるのもいいかと思います。

 

 


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(2011、12、2読了)

2011年12月12日 19:15 | コメント (0)

新・読書日記 2011_219

『新明解国語辞典・第七版』(三省堂、山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄・上野善道・井島正博・笹原宏之:2012、1、10)

 

7年ぶりに改訂された第七版!待ってました!今回は笹原宏之さんもメンバーに入ってますね。同世代の早稲田の教授。国立国語研究所時代に一度お会いしています。またアクセント関係は上野善道さんが。お会いしたことはないですが、お名前はよくお聞きしています。山田忠雄主幹が第5版編纂中に亡くなり、そのあとをついだ柴田武さんも亡くなり、辞書を連綿と作り続けるということがいかに大変か、よくわかります。そのあたりは三浦しをんさんの『舟を編む』をぜひお読みください。

さて、第七版、これからじっくり読むとして、パラパラと二時間ほど、買ってきた日に読んで気付いた間違い、「ワン」の3番目の意味、野球でワンストライクの意味だと書いてある用例がワンスリー、またワンボールの意味だと書いてある用例がツーワン。これは第5版から変わっていませんが、近年、ストライクとボールのコールは、メジャーリーグにあわせて、ボールが先でストライクが後に変更されましたから、この用例は間違いです。しかもまだ慣れてないので、ワン・ツーのような言い方はあまりしない。ワンボール・ツーストライクのように言ってます。そのあたりの事情が反映されていないのは、スポーツ用語の担当者がいなかったのではないでしょうか?今回の東日本大震災に触れている序文は必読でしょう。また、福島原発の事故関連で、「除染」が見出し語に入りましたが「建屋」が入っていないのは残念。「カルボナーラ」は載っていたが「ジェノベーゼ」は載っていない。さあ、これからじっくり読むぞう!

 

 


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(2011、12、06購入)

2011年12月13日 19:00 | コメント (0)

新・読書日記

『気仙沼に消えた姉を追って』(生島淳、文藝春秋:2011、11、25)

 

著者は生島ヒロシの実の弟。4人兄弟の末っ子で、ヒロシとは17歳も年が離れている。スポーツライター。震災以降、生島ヒロシさんが、妹さんの消息を追っていることは、ミヤネ屋でもお伝えしてきたが年の離れたスポーツライターの弟さんがいて、"姉"の行方を捜しているとは知らなかった。プロローグに始まり第5章までとエピローグがあるが、真ん中の第2章から第4章は生島さんの姉の話とは直接関係ないので読み飛ばして、最初にプロローグ、第1章、続いて第5章、エピローグを読んだほうがわかりやすい。

文体が、

「ああ、『ナンバー』なんかに出てくるスポーツライターの文体だなあ」

と感じた。

なお、あす12月13日(火)の「ミヤネ屋」に著者の生島淳さんが、本業の「スポーツライター」としてご出演されます!

 


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(2011、12、11読了)

2011年12月12日 18:55 | コメント (0)

新・読書日記 2011_215

『それでも日本は原発を止められない』(山名元+森本敏+中野剛志、産経新聞出版:2011、10、11)

 

山名元さんを柱に、対談を集めたもの。

中野剛志氏はラジカルだ。山名氏は年の功、冷静。いつ森本先生が出てくる?と思ったら、後半に出てきた。さすが森本先生の論理は説得力がある。

この間から思っているのだが、「エネルギー問題」は「国防問題」であるといった視点抜きで語ることはできない。歴史を振り返るに、「太平洋戦争」も結局「ABCD包囲網」で石油を断たれたそう大日本帝国が石油を求めて「大東亜共栄圏」なるものを主張して、その勢力範囲を軍事的に伸ばさざるを得なくなった一面がある。でも原発はやめなければならない。いつやめるのか?すぐ?5年後?10年後?で、エネルギーはどうする?そういったことを総合的に考えなくてはならない。そのためのベースになるネタを提供してくれる。

 

原発の輸出について山名氏が、

「技術力を供与することで世界に貢献するためにも、粛々と売っていくべきでしょう。」(150ページ)

と発言しているが、122日の読売新聞、アメリカが原発を34年ぶりに新規建設する見通しとなったことを受けて、

「原発の安全世界で競う~日本勢、輸出に注力、新興国が技術へ信頼」

という見出し。東芝がタービン周辺の大型機器を1日、輸出したのだ。こういった動きも注視しなくてはならない。

 

 


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(2011、12、2読了)

2011年12月 9日 10:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4538「着歴」

 

先日、後輩のHアナウンサーからメールが届きました。

「すみません、電話を頂いておきながら気づくのが遅くなって・・・」

と言うもの。しかし・・・私は電話をしていないのです。そこで、

「電話、していませんが・・・」

と返すと、

「え?!あれ...6時くらいに『着歴』が残っていたのですが...」

という返事が。この中に出てきた

「着歴」

という言葉、もちろん、

「『着信履歴』を略したもの」

ですね。私は初めて目にしました。「着信履歴」の真ん中を省略してます。というより、

「着信」の「信」と、「履歴」の「履」を省略しているのですね。ま、

「複合語の中抜き的省略方法」

ですね。

それにしても、よく使う言葉は、何でも略すなあ・・・。

 

(2011、12、8)

2011年12月 8日 17:34 | コメント (0)

新・読書日記 2011_214

『あらゆる領収書は経費で落とせる』(大村大次郎、中公新書ラクレ:2011、9、10第1刷・2011、10、30第4刷)

 

元国税の役人だった著者が、「税金」と「経費」について国税側がどう考えているか?ということをベースに、「ここまで経費で落とせる!ただし・・・」というようなことを、具体例を挙げて書いています。勉強になります。特に自営業の方などは。経営者はなぜ「経費」で「高級外車」を買うのか?という話や、「キャバクラ代も経費で落とせる」という極端な例も書かれていて、まあ話半分ぐらいで・・・でも参考になるなと思いながら読んでいました。読み終えた頃に、なんと、本当にキャバクラ代を経費に計上していた国会議員が出てきました。税金でそれをやるとは・・・思わず「あの国会議員もこの本を読んだのかな?」と思ってしまいました・・・。

 

 


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(2011、11、29読了)

2011年12月 7日 10:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4537「麻のように乱れ」

 

玄侑宗久『無常という力~「方丈記」に学ぶ心の在り方』(新潮社:20111125という本を読んでいたら、「方丈記」の表記として、

「麻のように乱れ」

という一文に出くわしました。「麻のように」って、一体どんなふうに乱れるのでしょうか?

『精選版日本国語大辞典』を引くと、

「麻の如く」

という見出しがありました。これかな?

「(麻糸が乱れもつれるようにの意で)世の中の状態などが乱れることの形容に用いる」

うーん、「世の中が乱れている」ことを「麻糸が乱れもつれるように」という比喩で表しているのか。まさに今の世の中は「麻の如く」かもしれませんが、あ、そういえば「麻糸」が出てくる、よく耳にする言葉があったぞ。

「快刀乱麻」

この「乱麻」は、まさに「乱れる麻糸」ですよね。正しくはもう少し長い言葉みたいです。

「快刀乱麻を断つ」=(もつれた麻をよく切れる刀で断ち切る意から)もつれた物事、紛糾した物事を、みごとに処理することのたとえ。快刀乱麻。」

ふーん。

昔はよく麻糸が乱れた・・・というより、麻糸は乱れるもので、その麻糸がものすごく身近にあったのでしょうね。だから「麻」を使ったこういった慣用句ができたのでしょう。

時代の流れを感じました。

 

(2011、12、4)

2011年12月 6日 17:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4536「四大種」

 

『無常という力~「方丈記」に学ぶ心の在り方』(玄侑宗久、新潮社:20111125)を読んでいたら、

「四大種」

という言葉が出てきました。

「この世を成り立たしめている、地・水・火・風という四つの要素」

とありました。

「よんだいしゅ」

だと思って、『デジタル大辞泉』を引いてみると、違いました。「よん」ではなく「し」です。「しだいしゅ」を引くと「しだい」を見よとなっていて、

「しだいしゅ」→し‐だい【四大】1 仏語。万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素。四大種。

これを見て、「あれ?」と思ったのは、先日、親戚の法事で訪れたお寺にかかっていた「幕」の色です。これが「五色」だったのです。これは、

「五行(ごぎょう)」

をあらわしているのですね。つまり、

「万物を生み出すのは『木火土金水』の5つの元素であるという古代中国の思想」

ですね。それと「四大種」との関わりは?

『精選版日本国語大辞典』を引いてみたら、「四大(しだい)」のところに、

「(1)仏語。地・水・火・風の四元素。すべての物体はこの四つから成り立つとする。四大種。」

とありました。「フランス語」ではありません、「仏教用語」の「仏語」。ややこしいな。さらに4番目の意味のところに、

「(4)四つの根源としての水・木・土・火。(1)と五行の木火土金水とを結びつけたものか。」

とありました。比べてみると、

「四大種」=「地・水・火・風」or「水・木・土・火」

「五行」 =「木・火・土・金・水」

違いは・・・「金」があるかないか、ですかね?

ちなみに、法事で訪れたお寺の「五行」のは他の色は、

「赤、黄、緑、紫、白」

でした。黄色と紫がお寺っぽい。また、それとは別に、「イタリアン・トリコロール」の「三色旗」もありました。それの意味・違いを若いお坊さんに聞いたら、

「三色のは、略式です」

と言われました。それ以上は聞きませんでしたが。どう見ても「イタリア」だったけどなあ。

(2011、12、4)

2011年12月 6日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4535「電車が詰まっている」

 

先日、出張で東京に行った時のこと。JR山手線の有楽町駅で電車に乗ろうとしたら、ホームで流れた女性の駅員さんの声でのアナウンスが、こう言っていました。

「現在、各駅に電車が詰まっている状態です」

電車の便秘か!

「各駅」に、電車が「詰まる」のか!?

これって、もしかして、鉄道業界の「業界用語」なのでしょうか?

「車」や「人」なら「混んでいる」を使えますが、「線路」で軌道が決まっている「電車」の場合は、たしかに「水道管」と同じで「詰まっている」のでしょうか?そもそも「混んでいる」とはどういう状態か?

「一定の面積に、一定以上の人や物が押し込まれて窮屈に感じる状態」

といったところか?電車の場合は、むりやり線路に電車を押し込むことはできませんから、前の電車が走らないと走れない。しかも山手線は「ループ」で「閉じている」のですから。そうすると、スムーズに電車が来ない状態は「詰まっている」の方が「正しい」のでしょうか?あまり関西では耳にしない表現なのですが、東京ではフツーに使われているのでしょうか?耳新しい言葉でした。

東京出張は、日帰りでも言葉の収穫が「詰まって」います。

 

(2011、12、4)

2011年12月 5日 17:16 | コメント (0)

新・読書日記 2011_213

『養老孟司の大言論Ⅰ・希望とは自分が変わること』(養老孟司、新潮社:2011、2、25)

 

養老先生の話は難しい。一つ一つはなるほどと思うし、全体で主張したいことはわかるのだが、その一つ一つのつながりがわかりにくい。階段を一つ飛ばしで上っているような感じだ。つなぎ部分がわからない。独創的な人は自分はわかっているから省略をする。凡人はその飛躍についていけない。もう少しだけ、丁寧に説明がほしい。きってこんなに丁寧に何度も繰り返していろんな例を挙げて説明してるじゃないか!とおっしゃるだろうが、それらの例がことごとく、一段飛ばしなので、例が増えれば増えるほど、謎も増える、そんな印象を持った。これまで何冊か養老本を読んだが、わかりにくいけどところどころわかるのが魅力。「だれだ、『個性あるこの私』、『世界に一つだけの花』なんてバカなことをいった奴は。」(224ページ)なんてところはパチパチパチ!相田みつをや、金子みすゞを批判なく崇拝する人を眉唾で見るのは、こういう養老先生の感性に共感するから。相田や金子の信奉者は決して悪い人ではないが、自分でいい人だと信じて疑っていない部分がある。そこが悪い、と思うのである。きっと養老先生もそれは同じじゃないかなあと思うのです。

 

 


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(2011、12、1)

2011年12月 5日 11:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4534「きゃん」

 

『広辞苑の中の掘り出し日本語』(永江朗、バジリコ)という本を読んでいたら、

「きゃん」

という言葉が出てきました。犬が鳴いたのではありません。漢字で書くとこれは、

「侠」

です。『広辞苑』を読んでいてそれに気づいた著者の永江朗さんは、

「おきゃんの『きゃん』は『任侠』の『侠』だったのか」

新鮮な驚きを記しています。私も知りませんでした。「おきゃん」という言葉は知っていましたが、漢字で書くと「侠気」の「侠」だったとは!

これって今風に言うと、女性に使う場合の、

「男前」

なのではないかなと思いました。

先日、談志さんが亡くなった時に、「きょうき」という言葉を話しているところの字幕スーパーで、

「狂気」

と出してしまったのをチェックで見逃してしまったのですが、視聴者の方から

「『狂気』ではなく『侠気』ではないのか」

とご指摘を頂きました。ありがとうございます。ご指摘どおりです。同音異義語は難しいですね。

 

(2011、12、4)

2011年12月 5日 10:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4533「ZZZZZZZZZZZZZ」

 

先日、東京日帰り出張で、最終の新幹線に乗ったときのこと。

新幹線の中は、お疲れ様のサラリーマンでいっぱいでした。

最近は、パソコンやタブレットを新幹線の中で使っている人も多いですが、必ずしも仕事をしているのではなく、ゲームをしたり、音楽を聴いたり、映画を見たり・・・まるで家にいるかのような感じです。

新幹線が降りる駅に近づいてきたので、立ち上がって出口に向かおうとしたときに、前の席の男の人を何気なしに見ると、その若い男の人は、膝の上にパソコンを広げたまま、ピクリも動きませんでした。パソコンで何かの文章を打とうとして、そのまま(力尽きて)寝入ってしまったようです。そのパソコンの画面を見てみると・・・・なんと、

 

「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ」

 

となっているではありませんか!

パソコン画面で、いびきをかいている!

よう、でけた話やなあ!

 

(2011、12、4)

2011年12月 4日 18:14 | コメント (0)

新・読書日記 2011_212

『金子みすゞ名詩集』(彩図書社文芸部編纂、彩図社:2011、7、6第1刷・2011、7、15第2刷)

 

26歳どこの世を去った金子みすゞ。ここ10年ほどブームではあったが、みんなちがって、みんないい的な言葉には私は否定的だったので読まなかった。否定的というのは、相田的な偽善の香りというのではなく、純粋さゆえの100%正義的面に、鼻白む感じがしたからである。その金子がさらに決定的ぬ注目されたのは間違いなく東日本大震災で暴力的に洪水のように流れた公共広告機構のCM、「こだまでしょうか?いいえ、誰でも」、あの詩によると思う。なんか、感じるものがある詩だ。今回初めてまとめて読んでみて、みすゞが生きていた当時(19031930)おそらく大正時代、赤い鳥の童話がムーブメントになっていて、その影響を受けているのではないかと思った。たとえば,「土」という詩の一節「いえいえそれは名のない草のお宿をするよ」は、童謡「カナリヤ」の「いえいえそれは、なりませぬ」を想起させる。例の「いいえ、誰でも」も問い掛けて否定で落ち着けるパターンだ。韻文、七五調なども共通するか。

あ、この本を出している「彩図社」って出版社は、郵便学者の内藤さんの本をずっと出しているところだな。

 

 


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(2011、11、30読了)

2011年12月 2日 10:27 | コメント (0)

新・読書日記 2011_211

『広辞苑の中の掘り出し日本語』(永江朗、バジリコ:2011、7、1)

 

このアイデアは、いけるな。僕も書けそうな感じ・・・というか、皆さん、自分の「広辞苑の中の掘り出し日本語」を書きとめたらいいのではないか?別に『広辞苑』でなくても、『三省堂国語辞典』でも、『新明解国語辞典』でも『新潮現代国語辞典』でもい『新選国語辞典』でもいいから、「へえー」という言葉の意味と感想を書き留めればいいんだから。あ、もうやってるか、「平成ことば事情」で。辞書にとどまらず、あらゆる事象からそういうことをやってるんだよね。それを「辞書」に限ってやる、というのがミソなのですね。おもしろいと思いますよ。180ぐらいの言葉を取り上げていますが、そのうち20ぐらいは「おっ!」と思うものがありました。

表紙の「広辞苑」の「苑」の草冠のところに、スコップ(シャベル)のイラストがあって「掘り出し」をイメージしているのがかわいいです。表紙の小豆色は、昔読んだ、PHPの松下幸之助の人生君の本みたいな感じの色です。

 


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(2011、11、30読了)

2011年12月 1日 10:26 | コメント (0)