新・読書日記 2011_184
『ゴーストタウン~チェルノブイリを走る』(エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ著・池田紫訳、集英社新書ノンフィクション:2011、9、21)
集英社新書にこんなノンフィクションを専門に扱うのができたのか。
「新書サイズ」だが、中にはカラー写真がぎっしり。「新書版の写真集」と言っても過言ではない。それは、雄弁に「チェルノブイリのいま」を写して(映して)いる。その「いま」は、25年前と何も変っていないように、時間が止まってしまったようにも見えるが、まさに「死の町」である。植物はある。動物も、いる。その意味では「死の町」ではないが、そもそも「町」というのは「人間」がいるから「町」だ。「人間」「人影」のない"町"というのは、矛盾している。その意味で「死の町」だ。それは本書のタイトル「ゴーストタウン」の日本語訳と言っていい。
鉢呂経済産業大臣(当時)が、被災地を視察した際に「死の町」と言った責任を取って辞任したが、「死の町」という表現は存在する。問題は、それを大臣が、あのタイミングで口にしてもいいのかどうか、だ。状況を考えると、いかにもまずい。被災者の皆さんの気持ちを、あまりにも斟酌していない、と言われても仕方なかった。
でも、フクシマと同じ「レベル7」の規模の原子力事故を起こした「チェルノブイリ」を知ることは、厳しいけれど、必要なことなのかもしれないと、本書を読んで思った。
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