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『道浦TIME』

新・読書日記 2011_210

『レコード芸術2011年12月号』(音楽之友社:2011、12、1)

 

わあ、何十年ぶりだろ、この雑誌を買うのは。表紙のマーラー特集(マーラ没後100年記念 レコードでたどるマーラー演奏の100 Part2)に惹かれて買いました。今年はマーラー没後100年、これまでに何度か「マーラー・ブーム」があったと。そしてそれぞれの年代で、代表する名盤がある、と。1980年代~90年代、私が惹かれて集めたのは、クラウディオ・アバドのマーラー全集。しかしこの雑誌の特集には、ほとんどアバドは出てこない...。197080年代の「マーラー・ブーム」は、フィッシャー・ディスカウの歌う歌曲『さすらう若人の歌』などがきっかけだったと書かれていて、「ああ、そうだったのか!」と思い当たるふしが。また小林研一郎指揮の東京交響楽団が198247日に演奏した『嘆きの歌』も出てきて、「あっ!」と思った!その演奏会、私もオンステしてたはず!大学合唱団同期の友人に確認したところ、たしかにその演奏会に出ていた。ふーむ、30年近くたって、自分も出演した演奏会のことが『レコード芸術』に載るとは思わなかった。本当にビックリしました。実は同じ年の10月に、マーラーの交響曲第8番『千人の交響曲』にもオンステして岩城宏之さんの指揮で歌った。これははっきりと覚えている。その岩城さんも故人に・・・コバケンこと小林研一郎先生は、なんと、きのう(11月28日)の日本経済新聞夕刊で、インタビュー記事(連載コラム)が大きく載っていた。なによりです。

 

 


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(2011、11、24読了)

2011年11月30日 21:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4532「幕を引くか幕を下ろすか」

 

10月28日「ミヤネ屋」で、歌舞伎俳優の中村芝翫さんが亡くなったニュースを放送しました。その際に、ディレクターから、

「『人生の幕を降ろした』という表現を使っていいでしょうか?」

という質問を受けました。これに対して私は、

「中村芝翫さんは『歌舞伎俳優』。歌舞伎では、幕は『(上から)降ろさない』で、『(横から)引く』。だから『人生の幕を引いた』もしくは『人生の幕を閉じた』がいいでしょう」

とアドバイスしました。

「幕引き」

という言葉もありますね。

比喩表現を使うときには、その表現の背景と、実際に使われる相手との間齟齬(そご)がないか、確認した方がいいと思いました。

それにしても、そのディレクターも、よく質問でいてきたな。すごい!あんまり気づく人は、いないのではないでしょうか?

結構、細かいところを気にしているんですよ。

 

(追記)

 

ちなみに、これと同じような話を、以前にも書いていました。

平成ことば事情1429「幕を引く?おろす?」8年前(2003年)の10月のことでした。歴史は繰り返すと・・・。書いた本人は、もうすっかり忘れていましたが、引っかかる場所は同じだということですね。

 

(2011、11、28)

2011年11月30日 18:21 | コメント (0)

新・読書日記 2011_209

『神様2011』(川上弘美、講談社:2011、9、20)

 

ほんの14ページの掌編。1993年に書かれたデビュー作と一緒に載せてあり、読み比べることができる。「2011バージョン」の舞台は、「311以降の福島」だと思われる。もともと、おとぎばなしのような作品なだけに、「2011バージョン」は寓話のように取れる。著者自ら「あとがき」で解説を加えているのも(この作家の小説では)珍しい(と思う)。それだけこの作品が...というか、この作品が生み出された「東京電力・福島第一原発の事故」が持つ意味合いが、著者にも大きくのしかかっているのだろう。

ところで「くま」は、何の比喩なんだろう?漠然と、外国人(欧米人)かと思ったのだが・・・。

 

 


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(2011、11、28読了)

2011年11月30日 15:22 | コメント (0)

新・ことば事情

4531「締まると閉まる」

 

10月20日の「ミヤネ屋」で、

「石油ストーブのフタが、しまっているか」

という場合の、「しまっている」を漢字で書くと「締」か?「閉」か?

という質問が出ました。これについて、

「ねじ式で『しめる』という『動作』」

に関しては、

「締まっている」

ですが、

「(その動作が終わったあとの)『状態』として『開・閉』『オンかオフか?』」

という意味なら、

「閉まっている」

であろうと。今回は、最初「閉」にしていましたが、あとで「締」に変えました。

漢字の使い分けは、ムズカシイなあ・・・。

 

(2011、11、27)

2011年11月30日 12:11 | コメント (0)

新・ことば事情

4530「初顔」

 

大相撲九州場所14日目の中継で、NHKの実況アナウンサーが、

「初顔合わせ」

のことを、

「はつがお」

と言いました。漢字は当然、

「初顔」

と書くのでしょう。「稀勢の里対栃の和歌」の一番でした。「初顔合わせ」の「顔」は濁らないけれど、「初顔」の「顔」は濁るんですね。15日目、千秋楽でも、

「はつがお、初顔合わせ」

と言っていました。

これって相撲ファンにとっては、常識的な言葉なんでしょうか。私はこのところあまり相撲をちゃんと見ていなかったので、新鮮に感じました。

Google検索では、(1127日)

「初顔」=308000

もあり、『デジタル大辞泉』では、

「はつ‐がお 〔‐がほ〕 【初顔】

初めて参加したり登場したりした人。新顔(しんがお)。「―の会員を紹介する」

「初顔合わせ3」の略。「―の一番」

と、二通りの意味が載っていました。『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』にも載っていましたが、『明鏡国語辞典』『新潮現代国語辞典』には載っていませんでした。『新明解国語辞典』には「初顔合わせ」の語句解説の中に「初顔」と出てきました。古い言葉、伝統のある言葉のようですね。

 

(2011、11、27)

2011年11月30日 10:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4529「悪文」

 

「ミヤネ屋」の「ヨミ斬りタイムズ」のコーナーで紹介した新聞記事でこういう文章がありました。

「手袋のシェア90%を占める香川県東かがわ市の業者」

これ、よくわからないのです。

「手袋のシェアが90%を占める」

のは、「香川県東かがわ市」なのか、「(香川県東香川市にある)業者」なのか?どちらでしょうか?切るところで変ってきますね。

「手袋のシェア90%を占める、香川県東かがわ市の業者」

なのか、

「手袋のシェア90%を占める香川県東かがわ市、の業者」

なのか?前者だと「手袋のシェアが90%を占める」は「業者」にかかる気がしますし、後者だと「香川県東かがわ市」にかかると思います。

実際、担当のYアナウンサーは、「業者」にかかると思ったそうです。しかし私は常識的に考えると、

「一業者が、全国の手袋の90%シェアを占めるのは独占禁止法に違反するのではないか?」

と思って、「香川県東かがわ市」にかかるのだと考えました。

調べてみると、正解は、

「香川県東かがわ市」

が、「手袋のシェアが90%を占める」のでした。「業者」ではありませんでした。

しかし!この文章は、「悪文」の典型です。こんなわかりにくい文章をそのままにしてるなんて!絶対に、意味を読み間違われないように記者は書くべきですし、デスクはきっちりとチェックすべきです。

「手袋の全国シェア90%を占める香川県東かがわ市。そこにある業者が・・・」

と書けば、絶対に間違われないと思いますが、いかがでしょうか?

 

(2011、11、27)

2011年11月30日 08:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4528「エキゾチック」

 

さて問題です。

「エキゾチック」の意味は?

(A)異国情緒がある

(B)和風の   

 

 

 

もちろんこれは、

(A)ですよね。

でも、ある民放で、東京・浅草の

「酉の市」

の中継をしていたアナウンサーとおぼしき女性が、

「とってもエキゾチックな感じです」

と言っていたのを聞いたと、知人に教えられました・・・。

「酉の市」って「エキゾチック」なんでしょうか?

あ、その女性アナウンサーが、

「帰国子女」

であったとか、そういうことなんでしょうか???

そういえば昔、神戸に

「エキゾチック・タウン」

というショッピングモールがありましたなあ。懐かしい。あそこは「エキゾチックな感じ」・・・でもなかったか。

 

(2011、11、27)

2011年11月30日 02:03 | コメント (0)

新・ことば事情

4527「柔らかいと軟らかい」

 

「皮膚がやわらかくなる」

という場合の「やわらかくなる」の漢字表記はどちらが正しいでしょうか?

(A)皮膚が柔らかくなる

(B)皮膚が軟らかくなる  

正解は・・・・

 

 

 

(B)だと思います。

『新聞用語集2007年版』によると、

*「柔らかい」=「剛」の対語。(例)身のこなしが柔らかい、物柔らかな態度、柔らかい布地、柔らかな心、柔らかな手触り

*「軟らかい」=「硬」の対語。(例)大根を軟らかく煮る、土質が軟らかい、文章が軟らかい、軟らかい炭、軟らかい話、軟らかい木材

となっています。「体」は「柔らかい」でも、「皮膚」は「軟らかい」ですね。

これって、かなり使い分けが難しいように思いますが、いかがでしょうか。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 22:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4526「有意義な若者」

 

いつものように「ミヤネ屋」の字幕スーパーをチェックしていたら、インタビューで話している人のコメントフォロー・スーパーにこんな文字が。

「有意義な若者」

あれ?なんだかヘンだぞ。これはもしかして、

「有為な若者」

ではないか?『広辞苑』を引くと、

「有為(ゆうい)=役に立つこと。才能のあること(例)前途有為な若者」

とありました。やっぱり「有意義」は間違いだな。ちなみに、

「有為転変」

となった場合の「有為」は、

「うい」

と読みますね。

それにしても、こういった「引っ掛け問題」のようなミスが、そこかしこに仕掛けられているので、気を抜けません・・・。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 19:42 | コメント (0)

新・読書日記 2011_208

『おらほのことば』(株式会社カルラ)

 

東北出張の帰り、仙台空港で昼食をとったレストランのレジのところに「ご自由にお取りください」と書かれておいてあった、わずか16ページほどの小冊子。仙台の方言が満載。東北共通の、中には北海道と同じ方言(「ゆるぐねー」→北海道では「ゆるくない」=楽でない、容易でないの意味)もあった。それと、「漢語」が入った言葉や、昔の関西ことばが今も根付いているのだなあと、改めて実感した。たとえば「ざんぞかだる」(=陰で悪口を言うという意味)の「ざんぞ」は「讒訴(ざんそ)」であろう。「讒訴」の意味は「他人をおとしいれようとして、事実をまげてその人が悪いように訴えること」「かげで他人の悪口を言うこと。また、その悪口。かげぐち。そしり。ざんそう」と、まさにそのまんま。また、「こうと」(=地味、の意味)は、そのまま関西方言の「こうと」である。柳田国男の「方言集圏論」をこんな小冊子に見た思いがした。

それにしても、地方の一企業(レストラン)が、こういった「文化」をまさに「こうと」な方法で残そうとしている気概には「素晴らしい!」と感じて機上の人となったのでした。

 

 


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(2011、11、27読了)

2011年11月29日 19:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4525「『つめあと』の漢字表記」

 

 

「ミヤネ屋」の中で、

「台風のつめあと」

という言葉が出てきました。このスーパーの表記を、

「爪跡」

にしました。これ、実は『新聞用語集2007年版』(二本新聞協会)『読売スタイルブック2011』(読売新聞者)ではともに、

「爪痕」

となっているのですが、「痕」は、

「体に付いた傷のあと」

など「範囲が狭いもの」に使います。体に付いた「爪痕」はもちろん「痕」で良いのですが、比ゆ的に使われる場合の「台風の爪痕」には、私は違和感があります。例えば「焼け跡」では「痕」を使いませんし、

「『痕』か『跡』か迷ったときには『跡』を使う」

『新聞用語集』には書かれています。

実は「爪」も「痕」も去年の1130日の常用漢字の改定で新しく「常用漢字」の仲間に入りました。ですから、(「爪」も「痕」も使えなかった)それまでは、

「つめ跡」

と表記していたのです。ですから、「跡」も間違いではない、むしろ「跡」の方が良いのではないか?と個人的には考えます。

常用漢字の改定で「爪」も「痕」も新たに常用漢字に入ったため、表記の標準は、

「爪痕」

となりました。ただ現状では、

「まだ『痕』を『あと』と読むのは慣れないであろう」

という判断をする放送局や、

「『痕』は範囲が狭く感じるので『跡』を使う」

「従来の『つめ跡』の方がなじみがある」

という放送局もあって、

「爪あと」「爪跡」「つめ跡」

という表記も混在しています。

もう1年ぐらい様子を見たら、一つの表記に収斂していくのか、それとも混在したままで個性を主張するのか、注目します。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 16:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4524「緊急入院と救急入院」

 

10月7日の「ミヤネ屋」で、小沢一郎氏が、裁判の後に体調を崩して、急に病院に運ばれ入院したというニュースをお伝えしました。その際の表現で、

「緊急入院」

というのがありました。「緊急」は、

「突然、急いで」

というイメージです。間違いではないでしょうが、ものすごく差し迫った、病状が重いような感じがします。しかし今回は、

「とりあえず、運ばれたのが深夜だったので、そのまま泊まった」

というニュアンスでの「入院」ですので、「緊急入院」は、少し大げさな感じも。

また、これまで「ミヤネ屋」では、

×「緊急搬送」→○「救急搬送」

を使うようにと、スタッフに指導してきました。その意味では「救急」のあとに来るのは「搬送」です。「救急入院」は見慣れない感じです。

今回のケースを「一語ではなく」表現すると、

「救急搬送 深夜に入院」

なのですが、これだと、ちょっともっちゃりしていますねえ・・・。「一語」にするとどうなるか?考え付かなかったので、結局このままスーパーを出しましたが。

ちなみに夕刊各紙(10月7日)の見出しは、

(朝日)小沢氏 緊急入院

(産経)小沢氏 深夜救急搬送、入院

(毎日)小沢氏入院「尿管結石」

(読売)小沢元代表 尿管結石 (本文は「緊急入院した」)

(日経)小沢元代表は尿管結石 (本文は「救急搬送され入院した」)

「朝日」の見出しと、「読売」の本文「緊急入院」が使われていました。差し迫った感じがしました。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 14:40 | コメント (0)

新・ことば事情

4523「贈呈と授与」

 

11月は褒章のシーズンです。

11月2日の「ミヤネ屋」で「勲章」の話題をお伝えしました。その際に、「紅綬褒章」を、

「贈呈」

というスーパーが発注されていました。これに何か違和感を覚えて修正しました。やはり「勲章」は、

「授与」

ではないでしょうか?これが(「勲章」を)、

「贈る」「贈った」

ならばOKだったと思いますが・・・。また、「感謝状」ならばは「贈呈」でOKのような気がします。

これはやはり「勲章」は「国」から、「天皇陛下」からいただくのに対して、「感謝状」は一般同士でやり取りされるからでしょうか?「授与」は「授ける」ですから、

「上から下へ贈る」

というイメージがあります。だから「卒業証書」も「先生から生徒へ」の「授与」であって、けっして、

「卒業証書、贈呈」

とは言いません。これに対して。「贈呈」は、

「同等あるいは目上に対して贈る」

ものなのでしょうね、基本的には。感覚的なものですが、おそらくきっちりとその背景はあるのだと思いました。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 12:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4522「大仏次郎」

 

20111026日の「ミヤネ屋」で、作家の北杜夫さん死去のニュースをお伝えしました。その中で、『楡家の人びと』が

「大仏次郎賞を受賞」

したと紹介しました。この「楡家」と「大仏次郎」にはルビを振りました。普通は「作品名」と「作家名」(人名)には、ルビを振らなくても良いのですが、

「楡家(にれけ)の人びと」

「大仏(おさらぎ)次郎」

としたのです。

川田アナウンサーが読む台本にも「ルビを振っておいてね」とディレクターに頼んだら、

「わかりました!」

という返事。ところが!なんとこれが間違っていたのです。台本のルビは、

「おおらぎ」

と書かれていたのです・・・ただ、本番直前に、私が川田アナウンサーに、

「おさらぎ、だからね」

念押しをしていたので、川田アナウンサーは、

「台本のルビが間違っているんだ」

ということがわかって、きっちりと「おさらぎ」と読むことができので、オンエアー上は、なんら、問題はありませんでしたが。

よかった。

でも、OAを見ていたら、北杜夫の父、歌人の「斎藤茂吉」に

「父・茂吉氏」

「氏」がついていて違和感が・・・。「茂吉」は、もう「歴史上の人物」だから「氏」が付くとおかしいです。

「夏目漱石氏」

と同じような感じのおかしさです。

でも、これって、「感覚の問題」でもあるんですよね。難しいですねえ・・・。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 10:37 | コメント (0)

新・ことば事情

4521「卵単」

 

いつものように「ミヤネ屋」のスーパーチェックで出てきた病名が、

「多嚢胞性卵巣症候群」

これはかなり難しい病名です。特に「嚢」という字は、書けないし読めない。もちろん表外字(常用漢字ではない)ので、ルビ(振り仮名)を振る必要があります。その漢字に、だけでなく、意味の区切りに振る方が良い(わかりやすい)ので、

「多嚢胞性(たのうほうせい)卵巣症候群」

とルビを上に振ったらいいねと指示しました。

ところが!

でき上がったものを見ると、ルビはキッチリと振ってあったのですが・・・こうなっていたのです。

「多嚢胞性(たのうほうせい)卵単症候群」

わかりますか?どこが間違っているか。よーく見てください。

そうです。なぜか、

「『卵巣』が『卵単』になっている」

のです!「巣」が「単」に!?

「らんそう」で変換すれば、間違いなく「卵巣」と出るのに、なぜわざわざ「卵単」にしているのでしょうか?そもそも「卵単」って、何?なんと読むの?らんたん?

普通では考えられない間違いですが、どうやら、テロップのオペレーターさんは、

「『文字を読む』というより『デザインとして字体を見ている』」

のではないか?と思うのです。「字体」としては「巣」と「単」はたしかに似ていますからね。しかし・・・たとえ「字体」を見ているのであっても、もう少し、文の意味のことも考えていただいて、「アバウトな自体」ではなく「正確な字体」を打ち出してほしいと、心から願います。

 

(2011、11、27)

2011年11月29日 08:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4520「破天荒」

 

2011年11月21日に立川談志さんが亡くなりました。75歳。喉頭がん。伝えられたのは23日。そして、24日の朝刊は、

読売・本文 「歯に衣着せぬ毒舌や破天荒な行動派、時に混乱も招いた。」

朝日・本文 「独自の理論と型破りな芸風で古典落語に新風を吹き込んだ落語家の立川談志」

毎日・見出し「天才 世相斬る毒舌 注目集めた『破天荒』

本文 破天荒な言動、世相を鋭く斬る毒舌で、常に世間の注目を集めた。」

産経・本文 「毒舌や破天荒な生きざまから『反逆児』との印象が強い談志さん」

報知・見出し「最後まで破天荒な落語家」

スポニチ・見出し「落語界の風雲児 病に屈す」

ニッカン・見出し「落語界の風雲児」

サンスポ・見出し「落語界の風雲児」

というような表現で、故人を偲んでいました。この中の、

「破天荒」

に注目しました。一般紙では読売・毎日・産経が、スポーツ紙でもスポーツ報知が使っています。

「破天荒」の本来の意味は、

「前代未聞、未曾有。今まで誰もしなかったことをすること」

であって、

「やぶれかぶれ、しっちゃかめっちゃか、波瀾万丈」

という意味ではありません。

それはわかっていたのですが、各新聞「破天荒」を使っていたので、

「本来の意味での、前代未聞、という感じで使っているのだな」

と思っていました。「ミヤネ屋」でも原稿やスーパーで「破天荒」が出てきて、一応、注意はしていたのですが、サイドースーパーで、

「破天荒な闘病生活」

となっていたのでちょっと「?」と思いながらも、談志さんの生き方自体が「破天荒」だったので、

「『闘病生活』も『破天荒』で、まあいいか」

とそのままにして直さなかったのです。そうしたらOA中に、

「『闘病生活』に『破天荒』はおかしいのではないか?」

とNHKの知り合いからメールが届きました。たしかに

「前代未聞の闘病生活」「未曾有の闘病生活」

に置き換えると、やはり、

「ちょっと、おかしいかな・・・」

と思います。以後、気を付けます。

 

(2011、11、24)

2011年11月29日 01:35 | コメント (0)

新・読書日記 2011_207

『神の雫31』(作・亜樹直、画・オキモトシュウ、講談社:2011、11、17第1刷)

 

例のワインのマンガ。3か月おきぐらいにでる、と前回書いたけど、今回は2か月半、早かった気がします。

今回は、東日本大震災で被災した仙台のレストランに、復旧の手伝いにいく話も。「十二使徒」探しは今回は休みだか、バリエーションがあってよい。

「雫」はドイツ語で「トレプヒェン(tropfchen)」(「o」はウムラートが付きます)かな。「トロッケン・ベーレンアウスレーゼ」の「トロッケン」とは関係ないのかな?

23ページに出てくるスペイン・ワイン『アルタディ・エル・セケ 2007年』のエチケット(ラベル)の下の方の綴りが違うのでは。「DENOMINACION  DE  ORICEN 」と描かれているけど、「ORICEN」ではなく「ORIGEN」では?つまり「C」ではなく「G」だと思いますが・・・。どうなんでしょうか?そんなところに

つい、目がいってしまいます・・・。

 

 


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(2011、11、26読了)

2011年11月29日 16:40 | コメント (0)

新・読書日記 2011_206

『現代用語の基礎知識2012』(自由国民社:2012、1、1発行・2011、11、17発売)

 

『イミダス』『知恵蔵』なきあと、ひとり気を吐いている『現代用語の基礎知識』、今年も出ました!2006年版に初めて執筆させていただいてからはや7年、『日本語事情』を今年も6ページ書きました。

今年は緑の表紙、金文字で、シブイ!

清水編集長も編集後記で書いているが、今年のテーマは「311」。風化させないためにも、というより、早く過去のものとして扱えるように、良い意味で風化させられるように全力を挙げたいものである。

 

 

 


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(2011、11、26読了はしてません。1587ページ以上あるから)

2011年11月29日 12:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4519「法廷で吼えた」

 

2011年0月6日「ミヤネ屋」で、小沢一郎被告の裁判の様子を報じました。その際の小沢被告の様子のスーパーで、当初、

「法廷で吼(ほ)えた」

というものがありましたが、

「法廷という場所で『吼(ほ)えた』という表現はふさわしくない」

という判断で、

「法廷に立った」

という「客観的表現」に直しました。

これが、スポーツ選手が、

「グラウンドで吼えた」

というのであれば、

「闘志の表れとしてOK」

でしょうが、「法廷」で「吼える」のは、

「『威嚇する』ような『マイナスの意味合い』が出てくるおそれ」

があります。そもそも法廷は「吼える」場所ではないので、ふさわしくない上に、

「別の意味合い(主観)」

が入ってしまっています。「スポーツ」に例えることが不要(例えると不自然)のケースもあるということですね。

ところで、「ほえた」を漢字で書くとしたら、

「吼えた」「咆えた」「吠えた」

のどれでしょうか?どれも表外字ではあるのですが。

私の主観で判断すると、

*「吼えた」

「山月記」に出てきた虎が、崖の上で威嚇するために「ガオーッ」と「吼えた」。

*「咆えた」

ブルドッグが威嚇するために「ウウウッーワンッ!」と「咆えた」。

あるいは、ライオンが「ワオーン」と「咆えた」

*「吠えた」=柴犬が「ワンワン!」と「吠えた」。

というところかなあ。

 

(2011、11、22)

2011年11月28日 20:58 | コメント (0)

新・ことば事情

4518「ゴールドとゴールデン」

 

 

純金のクリスマスツリーが東京・銀座に登場したという話題を、1122日の「ミヤネ屋」でお伝えしました。お値段はなんと1億5000万円!大王製紙の前会長なら、たくさん買えるかもしれませんが・・・。

それはさておき、このツリーの名前が、

「ゴールド・クリスマスツリー」

でした。それを見て、

「ゴールドとゴールデンの違い」

が分かりました。つまり、「ゴールド」は文字通り「金」、そして「ゴールデン」は、「金」かどうかは問わず、その「色」が「金」、つまり「金色」であればいいのです。「ゴールデングラブ」と「ゴールドグラブ」の違いかな?

「金メダル」は「金メッキ」だけど、「ゴールデン・メダル」ではなく「ゴールドメダル」だということは、「純金」である必要はあるかどうか分からないけど、紛れもなく「金=Au」が使われていることは必要だと思います。

「ゴールデンメダリスト」

って言うと、「ゴールドメダリスト」に比べると、ちょっと安っぽい感じがしますね、

 

 

(2011、11、22)

2011年11月28日 18:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4517「光綾なす錦秋の古都」

 

新聞の広告の見出しに、こんな文字が。

「光綾なす 錦秋の古都」

これって、若い人、読めるかな?と思って、うちの若手アナウンサー(20代)に試してみたところ・・・案の定、こんな風に読みました。

「コウリョウなす ゴウシュウのこと」

なんだよ、その「コウリョウ」とか「ゴウシュウ」って。

でも、これって書き方もよくないと思います。「綾なす」という言葉が見慣れない、こなれていない。それに漢字の「光」をくっつけたものだから、

「光綾」

という、見たこともない熟語ができているように思って、それに「なす」ですから。

「そんな名前の『茄子』があるのか」

と思っても不思議はない。熟語は、「音読み」しちゃいますよね。「光」を平仮名にして、

「ひかり綾なす」

とするか、「光」と「綾」の間にスペースをあけて、

「光 綾なす」

とすれば間違いは極端に減ると思います。また、

「錦秋」

に関しては・・・「錦」を常用漢字にする案が出た時に、「訓読み」の「にしき」は読めるけど「音読み」の「キン」はなかなか読めないという結果が出ていたので、

「やっぱりな・・・」

という気がします。まあ、子どもは読めないね。紅葉狩りを楽しむぐらいの大人になると読めるんだけど。それには年月がかかりますね。

 

 

(2011、11、22)

2011年11月27日 18:46 | コメント (0)

新・読書日記 2011_205

『脳はなにかと言い訳する~人は幸せになるようにできていた!?』(池谷裕二、新潮文庫:2010、6、1第1刷)

 

解説が「中村うさぎ」なんでびっくりした!クレジットカードが出している月刊誌『VISA』で連載されていたとのこと。毎月読んでいたはずなのに、気づかんかったあ!その短いエッセイに、語りおろしの少し長めの解説がついたかたちはユニーク。

前々から感じていたのだけれど、やっぱり「脳」の存在は不思議。「記憶」の存在は不思議。記憶は作り変えられるよね、自分に都合のいいように。それを意識できないのであれば、「ウソ」と「真実」の境界線は、自分の中にはないし、「客観的な事実」が示されても、信じられないだろうね。そう思うのですよ、最近。そうなると「我思うに我あり」なんだなあ・・・いろいろと脳は不思議だと思いませんか?イエス?脳?

「脳と言える私」。

 

 


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(2011、11、17読了)

2011年11月27日 12:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4516「おめでた」

 

11月16日、芸能界を引退した「山本モナ」(本名・中西モナ)さんが「妊娠」したとブログで発表したそうです。またそれを取り上げてしまいました、我々マスコミが。

「ミヤネ屋」のスタッフがこれについて質問してきました。

「『妊娠』をさして『おめでた』と言っていいのでしょうか」

え?どうして?

「普通『おめでた』は『出産』をさすんじゃないでしょうか?」

あ・・そう言われればそんな感じもしますね。「妊娠」しても、「出産」にたどり着けなかったら、「おめでた」くないし、どうなんだろうか・・・・。

よし、こういうときは・・・米川明彦先生の『日本俗語大辞典』を引きました。すると「おめでた」は、

「結婚、妊娠、出産」

のケースに言うと、書かれていました。よかった、じゃあ、使えますね。

おめでとうございます!

 

(2011、11、22)

2011年11月26日 18:37 | コメント (0)

新・読書日記 2011_204

『舟を編む』(三浦しおん、光文社:2011、9、20初版第1刷・2011、10、30第3刷)

 タイトルの「舟を編む」の「舟」というのは、「言葉の海」に漕ぎ出していく道具としての「辞書」を「舟」に例えたもの。

「言葉の海を行く」という本が、見坊豪紀先生にあったっけ。

辞書編集者の話で、その辞書の名前は『ダイトカイ』。「クリスタルキング」は関係ありません、『大渡海』です!「言葉の海」を渡るのです!

 

女性誌『CLASSY』に200911月号から20117月号まで連載されていたとのこと。知らなかった!たまたま寄った、いつもとは違う書店で目につき、帯に書かれた「辞書」という文字が目に入って購入!一気に読んだ。辞書編集部と辞書編集者の話。なかなかこんな所に目をつけないぞ。あかん、また最後に泣いてしまった。これって、知り合いのIさんがモデルではないか?と思いました。巻末にIさんの名前はなかったけど、知り合いの辞書編集者の名前はありました。松本先生のモデルは、松井栄一(ひでかず)先生、あるいは簡治先生、見坊豪紀(ひでとし)先生でしょう、と感じました。

「粛々と」

がここにも出てきました。

「どんなお返事であろうと、覚悟はできています。粛々と受け止めさせていただく所存です。」(184ページ)

また、「下駄箱は死語か?」(188ページ)と驚く場面もおもしろかった。

「バミューダ。バミュるよねー。」(223ページ)という女子高生の言葉を真剣にメモする松本先生・・・俺だってメモるね。わかる、わかる。

「言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に危うい場所に存在するのですね」(226ページ)

これは「深い」ですねえ。そういう面はありますよね。これは田中克彦先生の本を読めばいいな。

「きみと まじめさんのような編集者に出会えて本当によかった。あなたたちのおかげで、わたしの生はこのうえなく充実したものとなりました、感謝という言葉以上の言葉がないか、あの世があるならあの世で用例採集するつもりです。」(256ページ)

主人公は「真締(まじめ)」という名字の男。こんなことを辞書編纂者に(つまり責任者に)言われたら「冥利に尽きる」よね。泣けますよ、これは。泣けた!

「君に会えて、本当に良かった。私の生はこの上なく充実したものになりました」

これを最後に言われたら・・・と思うと・・・ねえ。そして、

「感謝という言葉以上の言葉がないか、あの世があるならあの世で用例採集するつもりです」

というギャグ、今わの際のギャグ。でもホンネでしょうね、本人は。ギャグでもなんでもない。だからこそ笑えて泣ける。

あ、こんなに書いちゃって、よかったんだっけ?

兎に角(あえて漢字で書きたい気分)、読むべし!

 

 


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(2011、11、20読了)

2011年11月26日 12:16 | コメント (0)

新・ことば事情

4515「包(パケ)」

 

佐々木譲の小説『警官の条件』(新潮社:2011920を読んでいたら、

「中から、小分けされた薬物らしきものが八包(パケ)出てきた。」393ページ)

という一文で、

「包」と書いて、

「パケ」

とルビを振った「助数詞」が出てきました。これはもちろん、

「パケット」

という英語からきた略語の読み方をあてたのでしょう。

「パケット通信」

「パケ」だな。これが中国語読みだと、

「パオ」

になるし、「日本語読み」だと、

「ホウ」「ポウ」

なので、日本語も中国語も英語も(たまたまでしょうが)、「包む」という意味の言葉の読み方は、

「パ(あるいはハ)行」

似ているのだなあと感じました。

 

(2011、11、22)

2011年11月25日 22:59 | コメント (0)

新・読書日記 2011_203

『切手紀行シリーズ4 ハバロフスク』(内藤陽介、彩流社:2011、11、5第1刷)

 

内藤さんの「切手紀行シリーズ」の第4弾。今回も送って頂きました。ありがとうございます。今回はちょっとマニアックな感じのところを選びましたね。まさに「近くて遠い外国」。日本から2時間の欧州・ロシア。

このシリーズは、豊富な現地のカラー写真と、その地を題材とした切手、そしてその土地の歴史を三位一体にして内藤さんが体験したものを綴っていくという、

「豪華・切手版、地球の歩き方」

です。写真をパラパラと見ているだけでも楽しい。

物語(文章)は、後半を中心に読みました。金日成、金正日の生誕の地を訪ねる小旅行などもワクワクした。あんまり日本人観光客もいなさそうだし、夏は涼しそうだから行ってみたいな、と思う反面、シベリア抑留の重く悲しい歴史の土地だと思うと、なかなか足を運びにくいなという気もするし・・・私が「ベトナム」に「観光」になかなか行けない理由のひとつに「ベトナム戦争」の記憶があるのと同じで・・・。沖縄やグアムやサイパン、ハワイは行けるのに・・・。

 

 


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(2011、11、22読了)

2011年11月25日 12:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4514「おせちの数え方」

 

 

2011年10月5日の「ミヤネ屋」で、東京・日本橋高島屋で、もう「豪華おせち」の受付が始まったというニュースをお伝えしました。

その中で、その「豪華おせち」の数え方は、

「3台」

でした。本来「おせち」(重箱)の数え方(助数詞)は、

「『組』あるいは『重ね』(例・三段重ね)」

ですが、この件では、日本橋高島屋での数え方に従って放送しました。

単なる「おせち」ではなく「豪華」おせちだったので、「台」になったのでしょうか?いろんな数え方があるものですね。

助数詞は難しいし、面白いです。

 

 

(2011、11、22)

2011年11月24日 20:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4513「永劫と永却」

 

「ミヤネ屋」の人気コーナー、「狩野英孝の家賃ハンター」の中で、狩野さんが自分の名前「英孝」にひっかけたダジャレのギャグで、

「未来英孝(永劫)」

といいました。もちろんこれは、

「みらい・えいごう」

と読みます(読ませます)。ちょっと難しいのは「永劫」の「劫」という字ですよね。「へん(左側)」が「去」で、「つくり(右側)」が「力」。しかし、スーパーをチェックしていたら、このように書かれて(打ち出されて)いました。

「未来英孝(永却)」

タァッー、あやうく見逃すところだった!

「永劫」の「劫」が、「退却」の「却」になっている!つまり、右側が「力」ではなく「叩」の「つくり(右側)」と同じになっていたのです!

ディレクターの発注した漢字(手書き)が間違っていたのか、オペレーターの打ち間違いかわかりませんが、「未来永劫」という言葉ぐらいは、知っておいてほしいところです。辞書を引きましょう。繰り返しますが、「却」に似ていますが、違います。右側(つくりの部分)が「力」です。もちろん「表外字」ですから熟語全体にルビが必要です。

囲碁をする人「コウ」というのをご存じかと思います。私も昔、ちょびっとだけ、かじりましたので「コウ」は知っていました、相手といつまでたっても石の取り合いになる「目」の部分です。この「コウ」は漢字で書くと、

「劫」

です。また、落語の「寿限無(じゅげむ)」に出てくる、

「ゴコウのすり切れ」

「ゴコウ」は、

「五劫」

と書きます。「劫」を5回繰り返すのです。

そもそも「劫」というのは、元は仏教用語(ですから、元はインドのサンスクリット語)で、

「天の人が、一辺が四十里(=一里は4km)の大きな石を薄い衣で100年に1度なでて、それによってその石が磨り減ってなくなるのにかかる時間」

という意味です。または、

「四十里四方の城にケシ粒を満たして、100年に1度、一粒ずつ取り除いて、ケシがなくなるまでの時間」

という説もあるそうですが、どちらも言わんとすることは、

「天文学的に長い時間=無限」

ということです。つまり、

「永劫」=「永遠に近いぐらい長い間」

という意味です。いやあ、またひとつ、賢くなりましたね!

でも「エイゴウ」と読めて、この言葉を知っていれば「こんな文字を打ち出すはずがない」んだけどなあ・・・。

 

(2011、11、22)

2011年11月24日 18:27 | コメント (0)

新・読書日記 2011_202

『サボる時間術』(理央周(りおう・しゅう=本名・児玉洋典)、日経プレミアシリーズ:2011、9、8 第1刷・2011、10、4 第3刷)

 

「サボる」、と言っても「怠ける」のではなく、「自分のための時間」「こなす仕事ではなく、自分が力を発揮できる、そういった仕事の時間を作り出す」、そのための仕事の段取りや気持ちの持ち方について書かれたもの。その意味では、私が日頃やろうとしている時間の使い方、仕事のやり方に通じるものだったので、楽しく読めました。

この手のビジネス本、最近結構読むけれど、なかなか"ためになるもの"がない(考え方が私とは違うため)ものが多いのだけれど、これは比較的"近い"考え方でした。この人はフリーで、私はサラリーマンという違いはあるけれどね。タイトル、いいですね。シンプルで。「捨てる技術」に、ちょっと似てます。

 

 


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(2011、11、14読了)

2011年11月24日 12:14 | コメント (0)

新・ことば事情

4512「タブレット」

 

最近よく耳にし、目にする言葉に、

「タブレット」

があります。情報携帯端末、つまり「スマートフォン」や「ipad」などのことを言うようです。しかし、昔(これまで)は「タブレット」というと、

「(薬などの)錠剤」

のことを言ったと思うのですが、いつからこういう呼び方になったんだろう?

と思っていたら、2011年の「新語・流行語大賞」のノミネート60語の中に、しっかりと「タブレット」が入っていました。やはり「新語」であったか!

(2011、11、13)

(追記)

『宮澤賢治、ジャズに出会う』(奥成達、白水社:20096301刷)という本を読んでいたら、

「こつちは最終の一列車だ シグナルもタブレットもあつたもんでなく とび乗りのできないやつは乗せないし とび降りなんぞやれないやつはもうどこまででも載せて行つて 北国あたりで売りとばしたり」

という文章の中に、

「タブレット」

が出てきました。これは大正151926)年、同人詩誌の『銅鑼』編集発行・草野心平)7号に発表された「『ジャズ』夏のはなしです」という詩だそうです。それを改稿した「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」という作品は『春と修羅第二集』に収録されていて、そこにも「タブレット」は出てきます。

宮沢賢治の時代にすでに「タブレット」はあったのか?

『広辞苑』(電子辞書)で意味を調べてみると、この「タブレット」は、

「鉄道の通票(つうひょう)」

と載っていました。「通票」を引くと、

「鉄道の単線運転区間で、列車の安全確保上、1区間1列車運転をするために、列車に携帯させる証票。閉塞機を用いるものをタブレット、そうでないのをスタフという。」

あら。また疑問が。「閉塞機」って、なんだ?と思って「閉塞機」を引くと・・・載っていない・・・代わりに「閉塞装置」がありました。

「閉塞装置」=鉄道で、閉塞区間に二つ以上の列車を同時に運転させないための装置。閉塞信号装置。」

装置の「目的」はわかりましたが、その形状などは全然わかりません。もしかしたら、時々見ることがある、

「運転手さんが受け渡ししていた、シャボン玉を作る"針金の輪っかの親玉"みたいなヤツのこと」

かな?あんな物で、閉塞区間の列車の衝突を防げるのかな?

それでも『広辞苑第6版』はえらい!ちゃんと「タブレット」の3つの意味を書いてある。

    錠剤

    鉄道の通票

    コンピューターで、ペンで平面版をなぞって図形を入力する装置

この3番目の「タブレット」が最近出てきた「タブレット」なんだろうけど、さらに最近のタブレットは「ペン」でなくて「指」でも入力できるようになっているのですね、きっと。

『広辞苑第6版』に比べるとやはり少し古い『精選版日本国語大辞典』は、

「タブレット」=ヨーロッパで、ルネサンス以降、男子が着用した上着。カラダにピッタリしていて、ウエストからすそはひろがっているが、丈は短い。

というものしか載っていない。これって、

「リボンの騎士」

が着ていた服装のことですよね?

『三省堂国語辞典・第6版』(=紙の辞書)もこう書いていました。

    錠剤

    (単線鉄道で)駅長から運転手にわたされる、通行票。通票。(絵の→印のところに入れてある)

    銘板。書字板。

あ、「通票」はやっぱり「シャボン玉を作る針金の親玉」だ!『三省堂国語辞典』えらい!ちゃんと絵(イラスト)が書いてありました!わかりやすい!

でも、パソコン系統の「タブレット」は書いてないな、と思ったら・・・・

「タブレットピーシー(PC)」=液晶画面にペンで文字や絵を入力する、携帯型のパソコン」

とちゃんと載っていました!うーん、やるなあ!

単なる流行語ではなく、使われる言葉を選んで載せる、それが国語辞典(辞書)の醍醐味であり、難しいところですよねえ。

 

(2011、11、22)

2011年11月23日 18:26 | コメント (0)

新・読書日記 2011_201

『悪党~小沢一郎に仕えて』(石川知裕、朝日新聞出版:2011、7、30第1刷・2011、9、5第5刷)

 

考えさせられて、深みが出る気がした。

これだけ読むと、

「小沢一郎って、なんか、ひどい人」

と感じる。そういうふうに著者が(少なからず)思っているように感じる。

でも、本当に小沢一郎が嫌いで憎いのであるならば、こんな本は書かないだろう。小沢一郎に1票を入れた人だし。本の最後で、短いけれど著者は小沢一郎と、対談もしているし、やはり小沢の魅力を伝えようとした本なのだろう。「悪党」というのは、「悪者」と言う意味ではなく、例の鎌倉時代から南北朝時代にかけて出てきた武装集団に引っ掛けたのではないかと思う。

 

 


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(2011、11、04読了)

2011年11月23日 12:14 | コメント (0)

新・読書日記 2011_200

『決断できない日本』(ケビン・メア、文春新書:2011、8、20第1刷・2011、9、1第3刷)

 

米国務省・元日本部長、「沖縄はゆすりの名人」と発言したと報道されて更迭された人。

どんな弁明を書いているかと思って、読んでみた。

そうしたら・・・結構「目からウロコ」で「ああ、そうだったのか!」ということが書かれている。メアさんの奥さんは、日本人なんだって。

また、「国防」ということを考えると、(大陸側から、太平洋のほうを眺めてみると)、日本列島と沖縄あたりの諸島、そして台湾へとつながるラインは、太平洋の海原に向かおうとする者(つまり中国)にとっては、「かさぶた」のように薄く大陸を覆っていて、その要所要所に「軍事力」があると、囲碁でいう石の置き方のように「くさび」を打つ形になって、中国が太平洋へ出てくるのを阻止できる、というのはよくわかります。中国にとっては、邪魔ですね。沖縄に米軍基地がなければ(中国は)かなり気持ちの上でも「ラク」と言うか、容易にこっちへ出てこられる、そんな感じがしました。基地がグアムまで下がったら出てくるな。少なくとも「囲碁」だったら、石を打ちこんでくるな。「国防」は、攻めてくる「相手の立場・戦略」というものを考える必要があるな。

今回、まず問題なのは「普天間基地」であって、移転しないと騒音などでうるさい上、危険であると。それが第一のはず。次に、移転先として、せっかく動かすのなら「県外」、もっというと「国外」へ・・・と言うのは、例の東京・武蔵野市でしたっけの「ごみ焼却場問題」や、「被災地のがれき」の受け入れ先がなかかかない、という問題にもつながってくる部分があると思う。誰しも、好ましいとは思わないけど、じゃあ、なくしてしまったら困る、誰かに、何がしかの負担をしてもらわないといけない。でも押し付けるだけでなく、その分をみんなで分担して負担しようよ、という「共生」が必要なんでしょうけど・・・これが難しいなあ・・・。やっぱり、決断できない・・・。

 

 


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(2011、11、9読了)

2011年11月23日 00:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4511「『冷え込む』のアクセント」

 

「ミヤネ屋」に出演している川田裕美アナウンサーが番組終了後に、

「冷え込む」

のアクセントについて聞いてきました。

「ヒ/エコム」(平板アクセント)

でしょうか?それとも、

「ヒ/エコ\ム」(中高アクセント)

でしょうか?と言うのです。ちなみに川田アナウンサーは本番で「平板アクセント」で読んだそうです。私は、「中高アクセント」の、

「ヒ/エコ\ム」(中高アクセント)

だと思うよと、答えた上で『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、

「ヒ/エコ\ム」(中高)、「ヒ/エコム」(平板)

の順番で両方、載っていました。よかった。

しかし、同じような語構成の「○○ + 込む」である、

「入れ込む」

のアクセントは、

「イ/レコ\ム」(中高)だけ

しか載っていません。ということは、「冷え込む」のアクセントも、元は、

「ヒ/エコ\ム」(中高)だけ

だったのかもしれませんね。

 

(2011、11、22)

2011年11月22日 18:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4510「嘉(よみ)して」

 

皇后さまの「喜寿」(77歳)のお誕生日に際して、10月20日の「ミヤネ屋」に出てきた天皇陛下のお言葉に、

 

「嘉して」

 

というも字が出てきました。このままスーパーに出すのは、はばかられますが、なんと読むのでしょうか?調べてみて、初めて読み方を知りました。

 

「嘉(よみ)して」

 

と読むのですね。『広辞苑』を引くと意味は、

 

「(「良みす」の意)(目上の者が目下のものを)愛(め)でたたえる。ほめる。」

 

と載っていました。これまで「嘉された」ことがなかったし、「嘉した」こともなかったからか、初めて知った言葉でした。「嘉」は人名では、

「カ、よし」

と読むのは知っていましたが、動詞で使うときの読み方は知りませんでした。

勉強になりました!

 

(2011、11、16)

2011年11月22日 10:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4509「ジャック・ザパン」

 

11月10日の「ミヤネ屋」の「ヨミ斬りタイムズ」の冒頭で、五十嵐アナウンサーが、

ック・ジャパン」

と言うべきところを、

ジャック・パン」

と"わざと"(?)間違えてウケを狙いましたが(ウソ)、こういう言い間違いの現象を、

「音韻転換」

と言います。似た音が前後で入れ代わってしまうものです。

これまでにも、

「ジューガ・ハナガ・カブキ(十月花形歌舞伎)」

と言おうとして、

「ジューガ・ハナガ・カブキ」

と言ってしまったり

コロデ、ンナ」

と言おうとして、

コロデ、ンナ」

と言ってしまった人や、台風中継で

「波(み)のねり」

と言おうとして、

みのめり」

と言った人もいました。渋滞のヘリ中継で「関越自動車道」は言えたのだけど、

「東北自動車

を、

「東北自動車ジョー

と言った人もいました。

気持ちはよくわかります。

英語ではspoonerismと言い、日本語の訳語では、

「頭音転換」

とも言うそうです。

 

(2011、11、16)

2011年11月21日 19:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4508「二足のわらじをはく 2」

 

平成ことば事情3366で「二足のわらじをはく」、平成ことば事情3868では「二足のわらじ」というタイトルで同じようなことを書いていますが、それの第3弾と思ってもらったら結構です。

2011年10月24日の日本経済新聞夕刊の「先輩の肖像~10年後の君たちへ」では、芥川賞作家の津村記久子さん(33)へのインタビュー記事が載っていて、それの見出しが、

「小説家と会社員、実る二足のわらじ」

とあり、記事本文にも、

「会社員との二足のわらじは創作にも役立ってきた。」

とありました。同じ24日の毎日新聞夕刊にも、この「二足のわらじ」が登場。こちらはスポーツ選手、アメリカンフットボールのXリーグ「アズワン」のディフェンスタックル・西尾公伸選手(28)。昨年司法試験に受かり、今は裁判所などでの法律の実務を学ぶ身だとか。で、見出しは

「法律家 二足のわらじ」

でした。「相反する二つの仕事」という意味合いはいずれもなく、ただ単に、

「2種類の仕事をしている」

という意味で使われています。

また、理央周(りおう・しゅう=本名・児玉洋典)さんというコンサルタントの人が書いた本『サボる時間術』(日経プレミアシリーズ:2011、9、8 第1刷・2011、10、4 第3刷)の中にも、

「誰もが二足のわらじをはいている」(180ページ)

「人は誰でも二足以上のわらじをはいている。」

「彼女たちの多くに共通しているのは、『女性ならではの二足のわらじ』をどのようにはきこなしていくのかがネックになっていることである。結婚している場合は、ビジネスパーソンとしての顔に加えて、妻や母親としての役割もあり、その役割をはたすための時間が制約条件になっているんです、という相談もいただく。」(181ページ)

と言うように、「二足のわらじ」が出てきましたが、いずれも「相反する仕事」という意味合いはありませんでした。

(2011、11、24)

(追記)

2011年11月14日の日本経済新聞夕刊「先輩の肖像~10年後の君たちへ」では、関西の私立中学入試対策塾として有名な「希(のぞみ)学園」の学園長である黒田耕平さん(36)を取り上げていいます。黒田さんは講師250人を率いる「運営責任者」であり、週4日は算数の授業を受け持つ「看板講師」でもあるとして、

「有名塾のトップとして経営実務をこなし、看板教師として授業や数多くの講演に立つ。多忙な二足のわらじも「子どもをぐいぐい引っ張るのはパワーがいる。30代の今だから、まだできる」と意に介さない。」

と紹介している中で「二足のわらじ」が出てきました。

このコラムは、以前の芥川賞作家・津村記久子さん(33)といい「30代で活躍している先輩」を取り上げて、「10年後の君たちへ」というのですから、読者は「20代の若者」を想定しているようですがいますが、いずれも「二足のわらじ」というし表現が出てくるのは興味深いところです。

 

(追記2)


アメリカ在住のI先輩からメールが届きました。

『「二足のわらじ」と同じような意味で、英語では「わらじ」のかわりに「帽子」を使う表現があります。
 He is wearing two hats 

で、「彼には肩書きが二つある」という意味になります。
わらじと違うのは、わらじは二足以上は使えませんが、(「三足のわらじをはく」はないでしょう?)
帽子はみっつでもよっつでも使えます。そのときどきに、帽子を変えたらよいわけですから。』

 

なるほどねー。「わらじ」ではなく「帽子」。日本だと「笠」かな?

そういえば昔、京都に「わらじステーキ」というのが名物の洋食屋さんがあったけど、どうなったんだろう?そのステーキを二人分食べたら、

「二食のわらじ」

かな?

 

 

 

 

 

 

 

(2011、11、15)

2011年11月21日 12:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4507『ケーブルは「ひく」か「しく」か?』

 

「ミヤネ屋」のスタッフから質問を受けました。

「道浦さん、『ケーブル』は『引く』んでしょうか?それとも『敷く』んでしょうか?」

「え?そりゃ、『引く』じゃないの?」

と答えてから、自信がなくなってきました。

「ケーブル」は「紐(状)」ですから、「引く」でよいと思うのですが、なぜ「敷く」かもしれない・・・という気になるかと言うと、一つには「ひ」と「し」は、よく音が混同されるから。そしてもう一つの理由は、おそらく、

「ケーブルの『敷設』」

という言葉があるからでしょう。「敷設」は「敷いて設ける」のですからね。

でも、たとえば、

「非常線を敷いて」

という場合は、「敷く」ですね。「(非常)線」でも「引く」ではありません。

「ケーブルを引く」ことによってできる「電信網」、これを「敷設」「敷かれた状態」というのではないでしょうか?

うーん、難しい!!

ちなみにネット検索では(11月14日)、

「ケーブルを引く」 =255万0000件

「ケーブルを敷く」 = 13万0000件

「ケーブルを引いた」=126万0000件

「ケーブルを敷いた」=  6万5800件

でした。やっぱり「引く」かな。

 

(2011、11、14)

2011年11月20日 12:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4506「七時二十分前」

 

今年の直木賞作家・池井戸潤の小説『鉄の骨』(講談社:20091071刷・2010717刷)を読んでいたら、こんな表現が出てきました。

「平太が会社を出たのは、ちょうど六時四十五分だ。代々木駅まで歩き、四ツ谷で中央線に乗り換えた平太が新幹線のホームに辿り着いたのは、七時二十分前。」(485ページ)

ここで出てきた、

七時二十分前」

というのは、「六時四十分」ではなく、

「七時十八分頃の意味」

です。だって出発した時刻が「六時四十五分」ですからね。

こういった使い方、私も子どもの頃にしましたが、さすがに大人になってからは、しなくなりました。ややこしいですからね。

ただ、以前、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんから、

「最近の若者の中には、『七時十八分頃』の意味での『七時二十分前』を使う人が、少なからずいる」

と聞いたことがありました。

実際、私より少し若いぐらいの年齢の直木賞作家がこの使い方をするのだなと思って、ちょっとビックリしました。

 

(2011、11、13)

2011年11月19日 18:30 | コメント (0)

新・読書日記 2011_199

『オヤジギャグ200連発』(オヤジギャグ研究会、PHP研究所:2011、11、7)

 

いやあ、久々に失敗した!って感じで・・・。新聞広告を見て買ってしまいましたが、皆さん、申し訳ないが、買うほどのことはありません。だって、最後まで読んだら「あとがき」に、

 

「ここまで読みすすめてくれたあなたは、よっぽどのヒマ人か○○です」

 

と書かれているのです。悪かったな!書店の店頭で手に取っていたら、絶対、立ち読みで済ましてたな。

小学1年の娘に読み聞かせたら、最初のほうに載っていた、

「パパイヤだけは、パパ、いやーん」

「こんな悪い予想は、よそう」

などは"チョビ受け"でしたが、あとは"無反応"でした・・・。読み聞かせるなよ、そんなもん!

ハア~200連発、全部目を通すのは苦行でした・・・。

それにしても「オヤジギャグ」って、男の人には受けるのに、なんで女性は冷淡なんだろうなあ?

 

 


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(2011、11、10読了)

2011年11月19日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2011_198

『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子、講談社青い鳥文庫:1991、6、15第1刷・2006、12、18第45刷)

 

円満字さんの本の『政治家はなぜ「粛々と」を好むのか』(新潮選書)の書評を書くにあって、「トットちゃん」に「粛々と」と「シクシクと」の間違いに関する記述があるらしいことを知り、20何年ぶりに読み直してみた。すると、これはなかなかよい本ですね。再読の価値有り!名著です。「講談社青い鳥文庫」に収録された19916月から、わが家にあった200612月のものまでで第45刷!超ロングセラーではないですか!スゴイ!

「粛々」以外に印象に残ったこと。

*「とにかく、ローゼンシュトックは、ヨーロッパの一流オーケストラと同じ水準を要求した。だから、ローゼンシュトックは、いつも練習の終わりには、涙を流して泣くのだった。「わたしが、これだけ一生懸命やっているのに、君たち、オーケストラは、それに、こたえてくれない。」(121ページ)

*「すると、ローゼンシュトックさんが、練習を休んだりしたときに、代理で指揮をする、チェロの斎藤秀雄さんが、いちばん、ドイツ語が上手だったので、「みんなは、一生懸命やっているのだけど、技術が、おいつかないのです。絶対に、わざとではないのです。」と、代表して、気持ちを伝え、なぐさめるのだった。」(121ページ)

=名指揮者・ローゼンシュトック、斎藤秀雄とトットちゃんの関わりは「そうだったのか!」と。

*赤や黄色やピンクのリリアンにぶら下がったハッカパイプ。犬とか猫とかベティーさんなどの顔がパイプになっている。そして綿アメ、ベッコウアメ。(138ページ)

=やはり、東京のトットちゃんは「綿アメ」。「綿菓子」ではなく。

*「お教室」(2646ページ)

 

 


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(2011、10、27読了)

2011年11月18日 18:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4505「なむあみだぶ」

 

京都・長岡京市の「光明寺」で親戚の法要に出ました。浄土宗だそうです。法然上人。

そこで聞いていた読経の念仏が、

「なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ・・・」

と、最後の「つ」は言わないのですね。本来は、

「南無阿弥陀仏」

ですから、

「なむあみだぶ

となるはずで、実際に一連のお経の中で1回だけ、一番最後のほうでは、ちょっとスピードを緩めて、

「なむあみだぶつー

「つ」を伸ばして言うのです。それを聞いて、ハタと思い当たりました。

「『南無阿弥陀仏』の最後の『ツ』は、『母音の無声化』が起きるのだ!だから、聞こえにくいし、続けて言うときには省略されるのではないか?」

と。「母音の無声化」の次に起きるのが「促音化」で、その先には(語尾の母音の無声化の場合などは)「音の脱落(省略)」が起きるのではないか?

同じように、「十三日」という日付を言うのに、お坊さんは、

「ジューサニチ」

「ン」を脱落させていました。これも「ジューサニチ」は、

jyuu san niti

「ン」と「ニ」の子音「n」の子音が続くので、省略されているのでしょう。こういったことは、よく起きるのだと思います。

私も、場所が場所だけに、少し「悟り」を開いたのかもしれません。なんちゃって。

「南無阿弥陀仏~」

 

(2011、11、13)

2011年11月18日 12:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4504「比喩表現としての天皇」

 

このところハマっている、今年の直木賞作家「池井戸潤」の作品。この1か月足らずの間に読み浸っている感じです。

さて、その中でもゼネコン業界の談合を描いた作品『鉄の骨』(講談社:20091071刷・2010717刷)。これを読んでいたら、何度も何度も出てきて気になった言葉がありました。それは、比喩表現としての「天皇」です。「絶対専制君主」的な意味合いで「天皇」を使っています。(これについては以前、平成ことば事情3108「防衛省の天皇と女帝」で書いたので、その関連です。)

『鉄の骨』に出てきた「天皇」を抜粋しました。

 

153ページ「それだけの大物で、天皇って呼ばれてて、大型工事案件には必ずその人の影がちらつくっていうのに、その人はいままで警察(サツ)の世話になったことは一度もないんだぜ。」

「とにかくその天皇って呼ばれている人物が、かなりの大物で強烈にすごい、ということだけは間違いなさそうだ。」

177ページ「"天皇"三橋と同席した来賓室での一部始終だ。」

179ページ「親しく接してもらったとは思いますが、それだけですよ。相手は天皇って呼ばれてる人だし」

206ページ「三橋さんは、天皇っていわれていると聞きました。」

225ページ「天皇と呼ばれるほどのフィクサーの茶事に招かれながら、肝心の仕事の話は、ちらりとも出てはこないのだから」

227ページ「三橋が天皇なら、城山は上皇ってとこかな」

251ページ「青山のでっかい家に住んでてさ、建設業界の天皇って呼ばれてるんだ」

347ページ「天皇様はなにかいってなかったか」

362ページ「今度ばかりは、三橋天皇の威光も及ばずだな。ダメなものはダメ。それだけのことさ。」

381ページ「この高度な経営判断に、ヒラ社員に過ぎない平太の意見などなんの意味もない。ましてそれを、業界の天皇と呼ばれる男に述べたところで、どうなるわけでもない。」

456ページ「『矛盾していると思うか』天皇と呼ばれる男の表情が変わり、業界を睥睨するかのような強い眼差しが平太を射た。」

478ページ「だけど、もう天皇様と交渉することはないだろうな。次にこんなでかい公共工事があるまで」「そうかな。知り合いになったことを後悔することになるかも知れないぜ。なにしろ、カッコいいこといったって、所詮、闇のフィクサーだからな、あのおっさんは」

503ページ「最後に三橋が入室してきたときには、室内が水を打ったように静まり返った。業界に君臨し、天皇と呼ばれる男の威光を、このとき平太はまざまざと見せつけられた気がする。」

509ページ「平太はゆっくりとかぶりを振り、天皇と呼ばれた男の目に応える。」

 

この抜粋を読むだけでも、なんだか、小説の全体像が透けて見えてきそうです。

 

(2011、11、13)

2011年11月17日 12:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4503「すごい光栄」

 

2011年10月20日、クラブワールドカップ(CWC)のイメージソングが、アメリカ在住のカイリーさん(17の曲に決まったというニュースを日本テレビ「ニュースZERO」で伝えていました。その中で、カイリーさん本人はインタビューに答えて、

「すご光栄です」

と話していて、そのコメントフォロー・スーパーは、

「すご光栄です」

になっていました。これは「光栄」が「名詞」と考えると「すご」でOKしかし、内容的に考えると、

「すご光栄に感じます」

という言葉の「に感じます」を省略して「です」で繋いでいるように思えます。そうすると、「光栄に感じます」の「光栄に」は、「光栄だ」という「形容動詞」なので、「動詞・用言」の修飾は「すごになるのですね。

解釈によって「すご」か「すご」かが、変わってしまう気がしますが、いかがでしょうか?

ちなみにカイリ-さんは、10月13日の日本テレビ「スッキリ!!」にも出演していて、その中で、

「日本語の歌詞、まだちゃんと書けられない」

とおっしゃってました。「書けられない」・・・そうでしょうね。でも、頑張って!

 

(2011、11、13)

2011年11月16日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4502「立ち居振る舞い」

 

先日、「ミヤネ屋」の放送を見ていたら。

「たちふるまい」

という言葉が流れました。あれ?それって、

「たち・ふるまい」

なんじゃないのか?と思って原稿を確認したところ、原稿が、

「立ち振る舞い」

間違って書かれていて、それがそのまま読まれてしまったことが分かりました。

×「立ち振る舞い」→○「立ち振る舞い」

なのですが、実際に読んで(話して)みると、

「たち

の部分が、

ta chi i

と、「イ」の母音が2回続くため、「タチ」ではなく「タチ」に聞こえることがあります。それを耳で聞いていると、「立ち振る舞い」だと思ってしまうのも、分からないではありません。

しかし、意味を考えると、「立ち」対応するのが、座わった状態である「居」なのです。。これが「対」になって「立ち・居」であることが分かっておれば、こういう間違いは起きないのでしょうが・・・なかなか、わかっていないのでしょうね・・・。

 

(2011、11、13)

2011年11月16日 12:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4501「ウルカとうるかす」

 

「ウルカ」

ってご存じですか?

「アユの塩漬け」

のことです。その言葉が何かの拍子にふっと浮かんできて「あっ!」と思いました。

大学時代、北海道出身の友人から教わった北海道方言で、

「うるかす」

という言葉がありました。ご飯を食べたあとの茶碗や食器を、

「桶の中に、うるかしといて」

というように使うそうです。これは、

「水に浸す」

という意味なんだそうです。そんな言葉、全く使ったことも聞いたこともなかったのですが、その後は「北海道方言」として記憶に残っていました。

しかし、「ウルカ」を何かの拍子に聞いたときに、

「北海道方言の『うるかす』の『うる』は、『潤う』の『うる』ではないか?つまり『うるかす』は『潤かす』なのではないか?また、鮎の『ウルカ』も何か、『うるかす』に関連があるのではないか?」

と思ったのです。辞書を引いてみると、ビンゴ!

なんと「うるかす」は「潤かす」で、特に方言とは書かれてなくて載っていました。

また鮎の「ウルカ」も、宛て字かもしれませんが、

「潤香」

と記されていました。少し宛て字ぽいな。歌手やタレントの名前にありそうです。

 

(2011、11、13)

2011年11月15日 12:45 | コメント (0)

新・読書日記 2011_196&197

『空飛ぶタイヤ・上&下』(池井戸潤、講談社文庫:上巻2009、9、15第1刷・2011、8、26第8刷、単行本は実業之日本社2006、9;下巻2009、9、15第1刷・2011、9、8第9刷、単行本は実業之日本社2006、9)

 

これも池井戸作品を代表する長編。既に定着しているので、文庫本で出ている。

実はタイトルからのイメージで、勝手に「ファンタスティックな童話」だと勘違いしていたが、実際は「走行中にはずれたトラックのタイヤが当った女性が死亡、そのトラックを所有している中小運送会社と、大企業の自動車メーカー、同グループの大銀行などを巡る『整備不良か、構造的欠陥か』という攻防」を描いたもの。実際にあった事件を髣髴させる。その中で、主人公の中小企業運送会社の二代目社長は、子どもの小学校のPTA会長も務めていて、そちらでも窮地に追い込まれたり、子どもがいじめられたりと、いくつものラインが絡まって、物語に深みと広がりを与えている。

上巻・下巻あわせて900ページにもなる大部だが、上巻の170ページくらいから下巻の最後までを、一晩で(朝の4時前まで)一気に読み通した。そんな魅力がある。途切れ途切れに読む作品ではない。

そして気づいた。

「池井戸作品は、本来、"企業ドキュメント"(=ノンフィクション)となるべき物に"フィクションの衣"を着せている。その意味では、純粋な創作としてのノベル・小説ではない。モザイクと音声処理、あるいは再現ドラマを施した"ノンフィクション"だ!」

しかし、それは間違いであることが、下巻の巻末に大沢在昌の「解説」を読んで分かった。たしかに「ノンフィクション」的ではあるが、キモであるところの「ホープ自動車」内部の人間模様などは完全なフィクション・創作であると。

でも、明らかに実際にあった事件や出来事が、執筆のきっかけ・動機にはなっているよなあ。実際の出来事に重ね合わせて読む読者も多いと思う。その意味では、題材(執筆のきっかけ)にされた企業や業界に所属する人は、あまりいい気分はしないような気がするなあ。たいていは、大企業だけど。

 

 


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(2011、11、12読了)

2011年11月15日 12:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4500「ドハマリ中」

 

2011年10月10日、GREEの「探検ドリランド」というケータイゲームのコマーシャル&新聞広告で、

TOKIOドハマリ中!!」

というコピー(広告文句)を目にしました。「ハマリ中」に「ド」が付きました。

これまでもコマーシャルで、思わぬ言葉の頭に「ド」が付くことはありました。

「ドきれい」(プリンター)

「どストライク」(筋肉痛の薬)

などが記憶に残っています。

時々「ド」が復活する気がします。

やはり「ド」には既成の概念をぶち壊すような強い力があるのでしょうか?あるように"感じる"のでしょうか?たしかに「音に勢い」がありますね。

今後も「ド」の付いたコマーシャル=「ド付きコマーシャル」「ド注目」です!

 

(2011、11、13)

2011年11月14日 18:45 | コメント (0)

新・読書日記 2011_195

『「できるつもり」が会社を潰す~「絶対黒字感覚」のある人、ない人』(香川晋平、中公新書ラクレ:2011、10、10)

 

うーん、ちょっとドキッとするようなタイトル。ビジネス書・・・というか、若手サラリーマン向けの本ですね。いわゆる「営業」関連の仕事の人は特に勉強になるかも・・・それだけじゃないのですが。初心に帰って読んでみるのもいいかも。

やはりビジネスにおいては「タイム・イズ・マネー」、これは間違いないようです。

 

 


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(2011、11、5読了)

2011年11月14日 12:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4499「山頭火」

 

今年の夏休み、10年ぶりにシンガポールに行ったときのこと。10年前に訪れた繁華街「クラーク・キー」に行ってみたところ、ふと見上げたビルの2階に、見慣れた文字が目に入りました。それは、

「山頭火」

という筆で書かれた感じの文字です。もちろん、俳人の「種田山頭火」、から名前を取っていると思うのですが、実はこの「山頭火」は、

「ラーメン店」

なのです。(本店は北海道のようですが。)なぜ見慣れているかというと、うちの近くにそのお店があり、時々行くからです。その同じ店(チェーン店)が、なんとシンガポールにも進出していたとは・・・。

最近「山頭火」はブームなんでしょうか?

今年の夏の終わりごろに流れた、樹木希林さんが出演して話題になったリクルートの結婚情報誌『ゼクシィ』のTVコマーシャルでの希林さんの独特のセリフ、

「やっぱり一人がよろしい雑草、 やっぱり一人じゃさみしい雑草」

が、実は「山頭火の自由律俳句」だったのです!知らなかった・・・。

中学・高校の頃、山頭火が気に入ってずいぶん読んだ気がしますが。やはり、

「分け入っても 分け入っても 青い山」

なんぞは、すごく絵画的、ビジュアル的な、色が目に浮かぶ感じのする句で好きです。

ラーメン店のオーナーも、きっと「山頭火」がお好きなんでしょうが、あんまり流行ると、「山頭火=ラーメン」

というイメージが付いてしまわないだろうか?

その昔、石窟寺院で有名な(かのタリバンが磨崖仏を爆破したことで知られる)、

「バーミヤン」

のことを聞いて、

「ああ、安くておいしいですよね、あのレストラン」

と放送で言った女性アナウンサーもいましたが・・・。

嗚呼、「うしろすがたの しぐれてゆくか」・・・。

 

(2011、11、13)

2011年11月14日 02:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4498「音楽プレーヤー」

 

電車に乗っていたら、車内放送で、

「車内で音楽プレーヤーなどをご使用の際は、周りのお客さまのご迷惑にならないようお願い致します。」

と言っていました。ここで出てきた、

「音楽プレーヤー」

という表現は、「ウォークマン」とか「ipod」とかの「個別の商品名」でなく、「一般名詞」ですが、いつのまにか定着してるなあ。放送では、これに「携帯」をつけて、

「携帯音楽プレーヤー」

という言い方もしますが、ちょっと長いですね。「音楽プレーヤー」で分かるよなあ。

でもそれだったら、LPレコードやEPレコード、SPレコード、ソノシートなどをかける、

「レコードプレーヤー」

だって、「音楽プレーヤー」の一つに分類されますよね。「カセットプレーヤー」だって「音楽プレーヤー」に違いありません。「CDプレーヤー」でもそうです。それが、

「音楽を録音した記録媒体」

の名前を「プレーヤー」の前に付ける命名方式ではなくなった。これまでの命名方式の最後のものは、

「MP3プレーヤー」

という呼び方ではあるまいか?

技術が進みすぎて、記録媒体が次々代わる時代大きな「くくり」の名前で呼ぶほうが、わかりやすいということでしょうかね。

 

(2011、11、13)

2011年11月14日 00:18 | コメント (0)

新・読書日記 2011_194

『不祥事』(池井戸潤、講談社文庫:2007、8、10第1刷・2011、9、1第17刷、単行本は実業之日本社2004、8)

 

けさ(11月9日)の朝刊1面に、オリンパスが1000億円を超えると見られる損失穴埋めを隠していた問題が大きく取り上げられているが、これこそ「不祥事」ですよね。なぜ監査機能が働かなかったのだろうか?しかも20年の長きにわたって。不正は隠せば隠すほど「ウソが大きくなる」ということでしょうね。

本書は、銀行が舞台で、その各支店を臨検してまわる調査官の男女コンビの短編連作。痛快、勧善懲悪、カタルシス。おもしろい!でも池井戸作品を読むのはこの2週間ほどでこれが4作目、ちょっと慣れてきた感じも。しかし「こういったテイストの作品を文学とは呼ばない(文学に値しない)」といった、直木賞の選考委員がいたと新聞で読んだが、「えー、何言ってんの?」という感じ。(その委員と私との)「年の差」による感覚の違いかもしれない。気になるのは私より年下の重松清が「こんなことを言うと、おまえはどうなんだといわれそうだが...」「池井戸ワールドの支持者はたくさんいるだろうけど...」と断りつつも、「なんか違う」と、年輩の直木賞選考委員と同じような意見を言ってるようなところ。うーん、あえて言うなら、勧善懲悪、カタルシスが「お手軽すぎる」ということか?これで失敗を織り交ぜると、深みとコクを出るということかな。

 

 


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(2011、11、08読了)

2011年11月13日 12:42 | コメント (0)

新・読書日記 2011_193

『かばん屋の相続』(池井戸潤、文春文庫:2011、4、10第1刷・2011、10、5第6刷)

 

短編を6つ集めた短編集。舞台はやはり東京・大田区の中小企業。こういった短編が、『下町ロケット』や『鉄の骨』といった長編を書くための土台になっているのだなと実感。短編でも、意表を突くどんでん返しやトリックを盛り込んでいるのだなと感心。短編6つのうち5つはまあまあハッピーエンド。そうでないのは1編だけ。長編は、ハッピーエンドでないと読後感が悪い(スッキリ感がない。カタルシスがない)が、短編はハッピーエンドでなくても、いろいろと考えさせられて、深みが出る気がした。

 

 


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(2011、11、05読了)

2011年11月12日 12:43 | コメント (0)

新・読書日記 2011_192

『鉄の骨』(池井戸潤、講談社:2009、10、7第1刷・2010、7、1第7刷)

 

シンプルなタイトル。鉄の骨、つまり鉄骨。舞台は中堅ゼネコン。描いたものは「談合」。「一松建設」・・・いちまつ・・・当然、ある実在の建設会社を巡る実際の事件の想像してしまうが、そこは小説、フィクションの世界。

建設業界の人なんかは、ドキドキワクワクしながら読んだのではなかろうか?政治家も?

この小説の中で、談合を取り仕切る人物を「(業界の)天皇」と呼んでいて何度も出てくる。これは「平成ことば事情」で書きますね。(以前も書いたけど)

これだけの長編小説を一気に読ませるためには、かなり業界の事情にも通じてないといけないし、大変な取材があったのだろう。『下町ロケット』と同じくらい読み応えのある小説でした!

 

 


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(2011、11、2読了)

2011年11月11日 11:39 | コメント (0)

新・読書日記 2011_191

『愚の力』(大谷光真、文春新書:2009、10、21)

  

一般的に使う言葉としても「人間性」という言葉は曖昧で、誤解を受けやすい。人間にはいろいろな可能性があって、善くもなり悪くもなるというのが「人間性」です・・・と書かれているのを読んで「わが意を得たり!」と。

本の帯には、

「大谷光真・西本願寺第24代門主が説く親鸞上人の教えのすべて」

とあります。

「時代の変化は驚くべきことがあるが、変らぬものもある」

として、「除夜の鐘」を挙げています。百八つの煩悩の数だけ突く・・・「除夜の鐘」といえば去年、和歌山の妻の実家で聞いた除夜の鐘には、驚かされました。え?何に驚いたって?兎に角「早い」のです、鐘の音が。早鐘です。普通は「除夜の鐘」って、

「ゴオオーーーーーンンン」

てな感じで10秒ぐらい響いて、そのあと10秒ぐらいは余韻がある。つまり1回の鐘で20 ~30秒ぐらいはかかる。108回突こうと思うと、30~40分ぐらいかかるものです。だから大晦日の午後1130分過ぎ、紅白歌合戦が終わる少し前頃から突き始めて、元日午前0時を回ったあとに108回を突き終わる。足掛け2年の行事だと思っていたのですが、和歌山のその除夜の鐘は、

「ゴーン・・・ゴーン・・・ゴーン・・・」

という具合に、「5秒ごとに1回鳴る」のです!メトロノームか!

数えたら1分間に10回以上鳴っていました。とすると・・・

10分少々で108回なり終わってしまう!」

鳴り始めたのは午後1130分ごろですから、

「年が明ける前に、煩悩の数を突き終わってしまう」

のです!

実際、最初から数を数えていましたが、1145分ぐらいには「108回」に達してしまいました。どうするのかと思ったら・・・そのあとも、

「109、110、111、112・・・」

と、鐘は鳴り続けます。どんだけ煩悩が多いんや!

あきれて数を数えるのをやめた頃に、ようやく鐘は鳴り終わりましたが・・・変な除夜の鐘でした・・・。あれ?何の話でしたっけ?愚の力か。読んで損はない本だと思います!


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(2011、10、20読了)

2011年11月10日 17:27 | コメント (0)

新・読書日記 2011_190

『政治家はなぜ粛々を好むのか~漢字の擬態語あれこれ』(円満字二郎、新潮選書:2011、10、25)

 

元・大修館書店の編集者であった円満字二郎さんといえば、この分野(漢字と日本語)での第一人者の一人。フリーに(物書きに)なられてからも、精力的に「時代と漢字と言葉」に関する書物を著している。その円満字さんの最新刊がこちら。タイトルも「たしかにそうだな」と思わせるが、内容を読むと、池上彰さんばりに「そうだったのか!」といわされること請け合い。「粛々」は「漢字の擬態語」だったのだ!そんな分野(漢字で書かれた擬態語=中国語の擬態語)があるなんて思いもしなかった。堂々、丁寧、辟易、颯爽、酩酊、逡巡・・・などなど!まさに目からウロコ。

で、この本の「書評」を、なんと私が書くことになって、書いてしまいました。新潮社のPR誌『波』の11月号で、1ページだけ、書かせていただきました!「粛々」と「シクシク」の関係について・・・・是非そちらもお読みください。あ、まずは本書を読んでくださいね。知的刺激で興奮しますよ!

 

 


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(2011、10、27読了)

2011年11月10日 12:24 | コメント (0)
2011_189

『「はい」と言わない大阪人』(わかぎえふ、KKベストセラーズ:2011、9、1)

 

帯には、《会話は人生最大の娯楽です!》《喋れば得する!ナニワ目線な提案です》《大阪人に学べ!》と、本書の「キモ」が、ズラリと。大阪人が「はい」と言わないというのは、一言で会話を終わらせるようなことをしないということ。会話を楽しむ心のゆとり、これが大阪人の神髄。「それにしても近頃の若者は、ものを知らん」と。わかぎえふさんには、3年ほど前に、あるシンポジウムで一度お目にかかったことがあり、名刺がわりに拙著を進呈したところ、「私も本、送りますわ」と言ってもらった!・・・が、3年たったがまだ本は届かない。仕方ないから、また買ってしまった。政治評論家の森田実さんもコラムでこの本とわかぎさんのことを誉めてましたよ。

そうそう、「大阪弁の本」といえば、この間「読書日記185」で取り上げた『大阪人の格言~苦しいときこそ笑わなアカン!』(徳間書店)の著者「小杉なんぎん」さんが、この読書日記を読んでくれたようで、なんとお礼状(絵葉書で!)をいただきました。わざわざありがとうございます!直筆のハガキって、うれしいですよね。ぜひ一度、「大阪弁」「日本語」を肴に、飲みに行きましょう!!

 

 

(2011、11、4読了)

2011年11月 9日 21:13 | コメント (0)

新・読書日記 2011_188

『下町ロケット』(池井戸潤、講談社:2010、11、24)

 

今年の直木賞受賞作。遅ればせながら読んでみたところ・・・期待以上におもしろかった!

直木賞、当然でしょう!

ということで、この著者(池井戸潤)のかこの作品も遡って読んでみることにしました!企業小説だけど、読んでいてなんか熱いものがこみあげてきますね。スポーツ根性モノのようなときめき・ドキドキが感じられました!

それと、あれだな、中小企業とか、何かコンプレックスというか挫折経験がある主人公が、偉そうな大企業なんかを相手にして、堂々と勝っていく、そこに「カタルシス」を感じるんだよね。エッヘン!!って、何も私がエバることはないのだけれど、いいんじゃないですか。こういう小説!

 

 


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(2011、10、30読了)

2011年11月 9日 12:55 | コメント (0)

新・読書日記 2011_187

『ゴーマニズム宣言・国防論』(小林よしのり、小学館:2011、9、5第1刷)

 

小林よしのりのマンガ、ゴーマニズム宣言=ゴー宣は、もう20年ぐらい前に"卒業"したつもりだった。たまたま『SAPIO』を読んだら、昔は『SPA!』に連載していた「ゴー宣」がこちらに移っていた。例の独特のタッチの絵と、多すぎる文字。読んでみると、以外にもすんなり入ってくる。「これは、今なら読む価値があるかも・・・」と思って、今出ていた単行本である本書を購入。東日本大震災の後に書かれて部分も多く、現地取材に基づく話、そして大部分は「自衛隊の現状」について書かれたものだった。勉強になった。それにしても、自衛隊員の中のかなり多くの者が、この「ゴー宣」を読んだことがきっかけになって自衛隊に入ったらしく、それには驚いた。もっといろいろ読まないといけないよ。実は先日、防衛省の人に、今年の「防衛白書」についての説明を受けたところだったので、相乗効果で大変よくわかった気がした。

 

 


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(2011、10、23読了)

2011年11月 8日 18:30 | コメント (0)

新・読書日記 2011_186

『武器としての決断思考』(瀧本哲史、星海社新書:2011、9、21第1刷・2011、10、6第2刷)

 

京都大の客員准教授という人の本。年齢は書いてないけど、たぶん30代ぐらいの若い人でしょ。そんな感じ。京大では人気の講座だそうですよ。ディベート協会かなにかの役員もしていると。ディベートの仕方も書いてある。

うーん。

私はディベートには向いていないなあ・・・と思った。

それにしても、「星海社新書」って初めて知った、初めて買った。まだ「新書ブーム」は続いているのか???

 

 


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(2011、10、24読了)

2011年11月 4日 11:13 | コメント (0)

新・読書日記 2011_185

『大阪人の格言~苦しいときこそ笑わなアカン!』(小杉なんぎん、徳間書店:2011、10、31)

 

好きやあ!こんな本、好きやあ!

大いに笑わしてもらいましたあ!みんなも読んで、笑いやあ!!

著者は、そういえば昔は「小杉なんぎ」という名前で出てたの覚えてるけど、いつのまにか「なんぎん」と「ん」が付いてる。「ん」が付いた方が「運」が付くんやて。

そう言えば、たしか上沼恵美子さんも、

「自分の出る番組名に必ず『ん』を付けるって」

て、ゆうてたような気がします。

山ほどある、「名言」の中から、「イチオシ」は、他人の荷物を持ってあげるときの言い方で、相手に気を使わさんように言うときの言い方。

「わしの両手が 重たいもん持ちたい、言うてんねんけど」

どないだ?すごく、深いでしょ!これ、キザな感じなしで、優しさが染み通る気ィがするなあ。ええなあ、大阪弁!

 

 


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(2011、10、18読了)

2011年11月 3日 10:12 | コメント (0)

新・読書日記 2011_184

『ゴーストタウン~チェルノブイリを走る』(エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ著・池田紫訳、集英社新書ノンフィクション:2011、9、21)

 

集英社新書にこんなノンフィクションを専門に扱うのができたのか。

「新書サイズ」だが、中にはカラー写真がぎっしり。「新書版の写真集」と言っても過言ではない。それは、雄弁に「チェルノブイリのいま」を写して(映して)いる。その「いま」は、25年前と何も変っていないように、時間が止まってしまったようにも見えるが、まさに「死の町」である。植物はある。動物も、いる。その意味では「死の町」ではないが、そもそも「町」というのは「人間」がいるから「町」だ。「人間」「人影」のない"町"というのは、矛盾している。その意味で「死の町」だ。それは本書のタイトル「ゴーストタウン」の日本語訳と言っていい。

鉢呂経済産業大臣(当時)が、被災地を視察した際に「死の町」と言った責任を取って辞任したが、「死の町」という表現は存在する。問題は、それを大臣が、あのタイミングで口にしてもいいのかどうか、だ。状況を考えると、いかにもまずい。被災者の皆さんの気持ちを、あまりにも斟酌していない、と言われても仕方なかった。

でも、フクシマと同じ「レベル7」の規模の原子力事故を起こした「チェルノブイリ」を知ることは、厳しいけれど、必要なことなのかもしれないと、本書を読んで思った。

 

 


star5

(2011、9、28読了)

2011年11月 2日 12:11 | コメント (0)

新・ことば事情

4497[アキダイ」

 

最近野菜が高い!というニュースの際によく出てくるのが、東京の、

「アキダイ」

というスーパーです。「アキダイ」?「鯛」?八百屋さん系統なのに、なぜ魚の名前?と思いがちですが、私はこの「アキダイ」という店名を聞いて思い出したのは、

EXILEの『マキダイ』」

さんです。「EXILE」のファンでもないので、なぜ彼が「マキダイ」というのか、なんかヘンな漢字の名前だなと思っていたら、何かの折りに(たしか、日本テレビ『ZIP!』を見ていて)彼の本名は、

「眞木 大輔」

で、「マキダイスケ」を略して最初の四文字を取って「マキダイ」だと。

ああ、それならよくある名称だな。「久保純子」さんが略されて、

「クボジュン」

とか、「嵐」の「松本潤」さんが略されて、

「マツジュン」

あ、これはちょっと違うか。前半の名字は略されていなくて、全部言ってるから。

「マキダイ」「クボジュン」は、「名字が2文字」なので、「名前は2文字じゃない」けど略して「2文字」というケースですね。

「アキダイ」さんは、もしかしたら名字が「安芸」さんかもしれないけど、「秋元」さんかもしれない。「秋元大輔」の名字と名前を2文字ずつ取った省略形なのか、それとも「マキダイ」「クボジュン」系の「名前だけ省略した形」なのかはわかりません。

もしかしたら、名字が「安芸」名前が「大」で、全然略さずに「アキダイ」なのかもしれませんが・・・。

 

(2011、10、21)

2011年11月 2日 00:47 | コメント (0)