新・読書日記 2011_179
『錯覚する脳~「おいしい」も「痛い」も幻想だった』(前野隆司、ちくま文庫:2007、5)
もう10年ほど前になるが、映画『マトリックス』を見たときには、SF・仮想の「仮想現実の世界」としか思えなかった。と言うより、
「もし、いまの現実の世界が、すべて"仮想現実"であったら・・・」
というのは、大変おもしろいが、考えても意味のないことである。しかし、やはり、
「このリアリティーは、本当にリアルなものなのか?」
という疑問を持つことは、哲学的には意味のあることだと思う。時々そういうことも考えてみるのは、いいことだ。(この本では「リアル」あるいは「リアリティー」を、たぶん「クオリア」という言葉で表現されていると思う。違ったかな。)そういった意味でこの本は「頭の体操」になった。
「味覚や触覚により区別する能力と、視覚情報を構成する能力と、何が違うのかと考えてみると、前者は知覚結果の区別であり、後者は知覚結果を用いた能動的な構成能力だ。だから、何かを外から受け入れる能力は劣るが、受け取った少ない情報から何かを作り出す能力は長けている、ということなのかも知れない。」(115ページ)
そうすると、ちょうど「味覚や触覚は、視覚よりも下位の概念ではないか?」という疑問を持っている時にこのくだりを読んだので、
「やはりそうか!」「ほぼ、当っていたんだ!」
という気分になった。そして、
「味覚や嗅覚の鋭さを偏差値化する必要性もないために、私達はその個人差をあまり意識せずに生活しているに過ぎないのではないだろうか。」(116ページ)
これもその通りだなと思った。
悲しいことがあると「これが仮想現実であれば・・・」と思うこともあるが・・・。
とにかく、知的刺激を受ける一冊だった。
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