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『道浦TIME』

新・読書日記 2011_158

『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(想田和弘、講談社現代新書:2011、7、20)

 

テレビ・ディレクターとしてドキュメンタリーを40本以上制作。その後、どうもテレビ局が求めているものと自分が撮りたいものは違うと気づき、フリーに。事前のリサーチや打ち合わせ、台本なし、ナレーションなし、説明テロップも音楽もなし、正味「映像だけ」で勝負する「ドキュメンタリー」を撮り出した。2007年、東大時代の同級生が選挙に出ることを聞いて、それに密着して自民党の選挙の舞台裏=日本型民主主義の裏側をありのままに撮影した『選挙』。これが彼の言う「観察映画」の始まりだった。『選挙』は一部では評判となり、多くの賞を獲得。業界の「知る人ぞ知る」という感じ。私もチラッと見た覚えがあって(ニュース「ZERO」で特集していたのだったかな?)、「ああ、あれを撮った人か」と思い当たった。

著者は「アンチ・テレビ型」の映像を作り続けているという。「テレビ」はいうまでもなく「マス」(=大量)の情報メディアである。情報も大量だが、それを流す相手も大量である。個別の事象までに入って行けないという欠点がある。そこで掬いきれないものや感情・出来事を掬うのは、これまでは「ミニコミ」と呼ばれていたメディア。しかし、インターネットの登場以降、「マス」ではないが、これまでのような「ミニ」でもない「メディア」ができてきた。「ミディー」なコミュニケーション。そんな中に位置づけされるのかなという気がした。

しかし、映像だけで、と言っても日本語をしゃべる人たちの映像を外国に紹介する時には、やはり「テロップなし」に映像だけでは無理ではないか?と思ったが。

大変、勉強になりました。本当の意味で「ジャーナリストだなあ」と思いました。

 

 


star5

(2011、8、16読了)

2011年9月12日 22:42 | コメント (0)